2018年12月12日

奈良市都祁吐山:下部神社「吐山の太鼓踊り」見学記

大和高原南部にある奈良市都祁(つげ)吐山(はやま)町の下部(おりべ)神社で11月23日に秋祭りが執り行われました。この祭りでは昭和60年(1985年)に奈良県無形民俗文化財に指定された「吐山の太鼓踊り」が、7つの垣内から7張の大太鼓が集まり奉納されました。

昼すぎ、祭りの参加者が公民館に集合し記念写真を撮ったあと、3方向に別れて打ち上げ花火を合図に出発。途中で合流し、各垣内の幟(のぼり)を先頭に大太鼓、踊り手、シデ振り、鉦叩き、歌出し、役員の方々が、太鼓を打ちながら下部神社に向かって進んでいきます。

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小中学生も一緒になった集合写真

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下部神社へのお渡り

途中、恵比寿神社前で合流し神主のお祓いを受けたあと、「辻太鼓」を打ち鳴らします。ここからは、厄払いの天狗が先導し「打ち込み踊り」を演奏しながら下部神社の境内へ入っていきました。

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神主のお祓い

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境内への入場

拝殿前に7張りの大太鼓が並び最初の「干田(ひんだ)踊り」が始まりました。1曲目が終わると裃姿の「シンボウウチ」の口上があり、「宝踊り」と「長崎踊り」が演奏されました。これらの踊りは各曲の1番から3番を3人が1組になって1人ずつ交代で叩いていきます。これが7張りの大太鼓で一斉に行われるのです。

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「干田踊り」の小中学生

踊り手は曲打ちや背面打ちなどの技を見せたりもしていました。シンボウウチはその間、青いシデを振りながら全体の指揮をとって歩いています。また、天狗は自由に動きまわり囃子方を務めていました。

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背面打ちの撥(ばち)さばき

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青いシデを振る裃姿のシンボウウチ

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ササラを叩く天狗

奉納演奏が終わると「納め踊り」で太鼓を打ちながら鳥居をくぐり、再び天狗の先導で神社を後にして終了となりました。

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天狗の先導で「納め踊り」

吐山の太鼓踊りは元禄6年(1693年)の歌本が残っているということです。干ばつが起こった時に雨乞いの祈祷を行い、祈願成就のお礼に氏神様に太鼓踊りを奉納してきたものです。治水対策や農業技術の向上などにより、何十年も太鼓踊りが行われないこともあり、少しずつ記憶から遠ざかることになっていました。

昭和59年(1984年)に吐山太鼓踊り保存会が結成され、平成6年(1994年)からは小学校で郷土学習として太鼓踊りが取り入れられています。また、小学校の放課後、子供教室でも「太鼓踊りクラブ」として活動しているそうです。この子供たちの何人かは中学進学後も練習に参加し、「吐山太鼓踊りヤングクラブ」として活動しています。練習を頑張った子供たちの発表の場としてイベントへの参加もしているそうです。そして、集大成として秋祭りで成果を発表することとなるのです。
今年は小学生が14人、中学生が8人参加の総勢60人ということでした。地域の太鼓踊りの伝統を受け継いでくれています。

保存会では、機関紙「雨たんもれや」=雨よ降ってください、の意味=を発行し、太鼓踊りの歴史や伝統、継承などについて情報発信に努めておられます。

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機関紙「雨たんもれや」

このように、地域と学校が連携し、伝統文化に関して継承者の育成や秋祭りに組み入れるなど他の地域にも参考になる新しい取り組みではないかと思います。

文・写真 保存継承グループ  仲谷裕巳
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2018年11月18日

広陵町の仏像と環濠集落をめぐる

週間予報では土曜日だけ雨、「なんでまた!?」と思っていたら、参加者の日頃のおこないがよほどいいのか、何とか早朝には雨も止み、10月27日の9時30分、近鉄田原本線「箸尾」駅に20人が集合しました。

昔ながらの「よろず屋」や「畳屋」など昭和の雰囲気が残る箸尾の町を歩きだし、箸尾御坊の「教行寺」、箸尾氏が治めた「箸尾城址」、戸閉(とだて)祭りを1週間後に控えた「櫛玉比女命神社」を見学して南東へ歩き「与楽(ようらく)寺」へ。

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教行寺

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箸尾城址

与楽寺では収蔵庫に収められた重文の「十一面観音檀像」を拝観。本堂に安置されていた十一面観音像の像内から発見された高さ31cmの小さな仏像ですが、法隆寺の九面観音像にも似た、端正な像に魅せられました。

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与楽寺「十一面観音檀像」 

この後、予定にはなかったサプライズで、この日参加されていた広陵町在住の大山理事のおすすめで「常念寺」へ、境内のある箸尾氏の墓所といわれる五輪塔の一列をご案内いただきました。

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常念寺「五輪塔」

南西へ向かい「古寺」集落へ、一部が整備された環濠の内側にある「正楽寺」に到着。地元の観音講の皆様の本堂を開けていただき県指定文化財の「十一面観音立像」を拝観。2mを超える大きな像に感激していると、その横の厨子も開けていただき、納められている、小さな「誕生釈迦仏」も拝ませていただきました。

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正楽寺「十一面観音立像」

再び南東へ向かい「百済寺」へ。きれいに整備された公園で昼食の後、鎌倉時代建立の重文「三重塔」の初層を開けていただき中央に安置された「大日如来像」を拝観。その後、談山神社旧本殿を移築したといわれる「本堂」内部へ。菩薩などの仏像がありますが、中央の厨子の中はなぜか「兜跋毘沙門天像」。聞けば本来のご本尊であった「馬頭観音像」は平成11年の本堂改修中に盗難に合い行方不明とのこと。一刻も早く見つかり戻ることを願いました。

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百済寺「三重塔」

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百済寺「本堂」

再び南西へ向かい南郷を目指して歩きます。このようにコースは北から南へ下りながら東西に行ったり来たり。その結果、この日は「葛城川」を四度も渡りました。
「南郷環濠集落」は南北約700m、東西約550mにも広がる県下最大級の環濠。かなりの箇所できれいに整備されており、その北端付近で集合写真を撮りました。

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南郷環濠集落

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南郷環濠集落「集合写真」

集落内を歩いて山王神社の鳥居をくぐった境内に県指定文化財の「石造伝弥勒菩薩像」が、ガラス越しではっきりとは見えませんがうっすらと像の輪郭が浮かび上がります。

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石造伝弥勒菩薩像

境内を西に抜けるとすぐに整備された環濠が見えます。それに沿って南へ歩き、南西端で左に折れ南東の端まで移動。その大きさを十分に実感することができました。
集落内へ少し戻り、住宅地に挟まれ見落としそうな空き地に「南郷城址」の碑が。南郷氏の居城跡とのことですが遺構はありません。

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南郷城址

ここからすぐの「南郷」バス停へ、希望者はこの後「藤森」「池尻」の環濠集落へ歩く予定でしたが、ここまで平地とはいえ結構な距離を歩いてきたためか希望者は無し。主催者も正直ほっとして、広陵町のコミュニティバス「広陵元気号」に乗って近鉄「大和高田駅」に向かいそこで解散しました。

暑くもなく寒くもなく、ウォーキングには最適な気候の中、普段予約なしではできない「与楽寺」「正楽寺」「百済寺」の拝観もでき、参加者からは「よかった」との声もいただきました。それぞれを休日にもかかわらず開扉していただいた、地域でお堂を守られる農家や、講の方々にはこの場を借りて大変感謝いたします。

歴史探訪グループ 文:小林誠一 写真:小林誠一、池内力



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2018年11月03日

宇陀市:龍穴神社 秋祭り見学記

秋真っ只中の10月14日(日)、室生寺と縁の深い龍穴神社で恒例の秋祭りが行われました。この祭りは安政年間に室生寺を火災から救った村人へのお礼として一対の獅子頭が寺から贈られたことが始まりと言われています。
前日の五つの垣内ごとの宵宮に続いて、本宮のこの日は好天に恵まれ、午後1時すぎに室生寺太鼓橋を出発した行列は室生寺境内の天神社で神事などを行った後、再び太鼓橋から約1`東の龍穴神社までお渡りをし、神事などに続いて獅子舞神楽を奉納しました。

まず、太鼓橋にお渡りの一行が並び、氏子総代が室生寺の正門から本坊へ「七度半の使い」と言われる室生寺管長の出御を請う儀式から始まります。

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氏子総代による「七度半の使い」

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管長の出御

管長が姿を現し着座すると、氏子総代と御幣を先頭に雌雄の獅子、須供(すこ)と呼ばれる神饌、日の丸をあしらった御幣、神職、役員の方々の行列が続きます。

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須供(すこ)〜芋茎(ずいき)に飾り付けた神饌

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太鼓橋に集合したお渡り一行

一行はまず室生寺仁王門をくぐり、鎧坂を上って金堂前の広場東側の天神社までお渡りを行います。広場の傍らにある天神社の神杉には藁で作った龍縄(りゅうじょう)と呼ばれる勧請綱が掛けられています。

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天神社の龍縄

龍穴神社神職による神事が始まると、雌雄二頭による獅子舞が奉納されます。

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雌雄二頭による獅子舞奉納

この後お渡りの一行は、再び太鼓橋を通り龍穴神社まで室生川に沿ってお渡りが行われます。ここで子供神輿も行列に加わります。

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お渡り一行

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子供神輿

行列は参道脇の禁足地に立つ神杉に掛けられたもう一つの龍縄の側を通り龍穴神社に向かいます。

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龍穴神社の龍縄

龍穴神社境内ではお渡りの一行全員がお祓いを受けた後、拝殿で神事が執り行われます。
その頃、室生龍穴太鼓による勇壮な奉納演奏が行われました。

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室生龍穴太鼓の奉納演奏

続いて獅子舞の奉納です。まず子供の獅子舞が行われました。今年は小学校4年生の子供が舞うということで、半ズボンに運動靴の獅子が微笑ましかったです。笛と太鼓の演奏も子供たちでした。

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子供たちによる獅子舞神楽

そして、大人の獅子舞神楽の奉納です。黒髪の雄と赤髪の雌が交互に鈴や刀を持って舞を披露します。中々の迫力でした。

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迫力ある獅子舞神楽

最後に各垣内でついたお餅で、御供まきが盛大に行われました。皆さんダイレクトキャッチしたり、拾ったりと、バトルを繰り広げておられました。
氏子による獅子舞をはじめとする祭りの維持継承は大変なことと思います。少子高齢化、若者の流出などを乗り越え、いつまでも伝統文化を残して欲しいと願っております。

文・写真 保存継承グループ  仲谷裕巳

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2018年11月02日

女性グループ(ソムリエンヌ) 尼寺 音羽山観音寺を訪ねる

10月20日、女性グループ5名で音羽山観音寺を訪ねました。
奈良盆地の東南に、横たわる標高約851mの山が音羽山で、竜門山地の東北部を占めています。この音羽山の西斜面の中腹(約592m)に「音羽の観音さん」と親しんで呼ばれる観音寺があります。今回は麓まで車で入り、約1キロの参道を観音寺目指して登りました。

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準備運動をするソムリエンヌメンバー

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参道には笠塔婆型の丁石が登り口からほぼ一丁(109m)間隔で、十七基が観音寺本堂まで立ち、参詣者の道案内をしてくれます。駐車場のある地点から程なく桜井市百市への道と分れ、ここから森林の道を登ります。

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「音羽山観世音 左たふの三祢」の道標

観音寺に参詣したあと多武峰へお参りする人のためのようで、観音寺より下りて来た方を向いて立っています。かつてはこの辺りから多武峰方面に通じる道があったようですが、今はその辿る道は見られませんでした。

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観音寺入口に建てられた「報恩感謝の道」の碑。現代版の霊験譚が綴られています。

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笑顔がとても素敵なご住職にお会いしました。「本堂へお上がりください」と、女性の方が声をかけてくださり、お茶とお菓子の接待を受けました。

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観音寺本堂前で記念撮影

平安時代の初めには南音羽に諸堂、諸坊が多数あり「音羽百坊」といわれ、現在の観音寺は、その奥の院であったといわれますが、「音羽流れ」という大雨による山崩れによって大半が流失したと伝わります。
現在の本堂は寛政六年に改築され、嘉永五年に修理されたものだそうです。本尊の千手千眼観世音菩薩は眼病に霊験あらたかとされ、本堂東には滝水を飲めばそのご利益があると伝わる「音羽の滝」もあります。


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音羽の滝

大和の名水ともいわれる眼病霊験の霊水です。

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お葉つきイチョウ

観音寺を見守るように立つお葉つきイチョウの大木は昭和52年に県指定天然記念物に指定されました。今年は大きな台風の被害に遭い、葉もギンナンもたくさん飛ばされてしまったそうです。

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万葉展望台へ

つづら折れの急な山道を登ります。山の斜面には寄進された桜の木が植えられていました。将来、音羽山を訪ねる人の憩いの場となり、桜の名所となる日が来るのかもしれません。

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万葉展望台からの眺め

大阪まで眺望できる音羽山観音寺周辺として、奈良県景観資産に登録されています。
素晴らしい景色を眺めながら昼食をとり、音羽山をあとにしました。


文・写真 女性グループ(ソムリエンヌ)道ア美幸
posted by 奈良まほろばソムリエ at 21:50| Comment(0) | 女性G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月13日

御所市:一言主神社 秋季大祭見学記

夏の記録的な猛暑がひと息ついた9月15日、葛城山麓の御所市森脇に鎮座する「葛城坐一言主神社」で、秋季大祭が執り行われました。
室町時代の1482年、世の中の安泰を願って始めた神事で、参詣者が願い事を書いた祈祷串を神火壇に自らくべて祈願することから「御神火祭」「お火焚祭」とも呼ばれています。

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<彼岸花の咲き始めた葛城山麓の棚田>

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<葛城の先住民土蜘蛛の墓と伝わる蜘蛛塚>

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「古事記」にも伝わる、全国にある一言主神社の総本社ですが、地元では、どんな願い事でも一言の願いならば叶えてくれる「いちごんさん」として親しまれています。

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<受付で購入し、裏に願い事を書く祈祷串>

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<社殿前の祓戸社にて神職、氏子代表の修祓>

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<一般参詣者へのお祓い>

いよいよ午前10時半から祭典の開始です。
宮司一拝の後、本殿の扉が開けられ、柿の葉を口にくわえた氏子代表の方々が次々に神饌を献上されました。

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宮司による祝詞奏上の後、芸能の奉納です。今年は女性8名でグアム島のチャモロダンスが舞われました。チャモロの人々は、自然を敬い、八百万の神を信仰していたことから、日本の神道に通じるところがあるそうです。

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<県内外の神社から招かれた宮司等により玉串拝礼>

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いよいよお火焚きの始まりです。参詣者それぞれが、願い事を書いた祈祷串を手に列を作り、拝殿を通って階段を上り、本殿前に設けられた神火壇にくべて、本殿に祈ります。
残念ながら本殿前は撮影禁止です。
お火焚きの間、京都から招かれた名手による、美しい笛の音色が流れていました。

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<神火壇から立ち上る煙>

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11時半頃、室町時代の民衆芸能を起源とする「神降(かみくだち)の神事」が始まりました。拝殿から、赤天狗(猿田彦命)、宮司、祭神の一言主大神、お多福の4人が登場。赤天狗は腰に太刀、右手に金剛杖を持ち、一言主大神は御幣を打ち振り、お多福は両手で鈴をならし、宮司は色とりどりの紙ふぶきをまき散らしながら、皆の願い事が叶うよう祈願して、参詣者の間を練り歩きました。
この時つかんだ紙ふぶき、しっかり財布の中に納めています。願い事は他言無用だそうですが。

私たちはここで神社を後にしたのですが、この後、参拝者全員にお神酒と紅白饅頭の授与があったそうです。


文・写真 保存継承グループ 大谷巳弥子

posted by 奈良まほろばソムリエ at 08:07| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする