2018年02月24日

王寺町・香芝市を訪ねて

歴史探訪グループの2018年最初の例会は「王寺町・香芝市を訪ねて」。
2月4日(日)小雪の舞う「JR王寺駅」に25人が集合しました。

まずは駅に隣接した「りーべる王寺」5Fにある王寺町観光協会で本日のコースを予習。その後王寺町一押しのゆるキャラ「雪丸」の足跡に沿ってまず「達磨寺」に向かいます。「達磨寺」では観光ボランティアの方から聖徳太子の「片岡山飢人伝説」や本堂内の仏像、境内の3基の古墳、修復勧進中の「方丈」などの説明を伺いました。

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達磨寺本堂にて

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達磨寺仏像

達磨寺から明神山の登り口へは奈良交通のバスで移動、厳寒の中、快適に距離と高度を稼ぎます。登山口の鳥居をくぐり、舗装された快適なハイキングロードを歩いて約30分で明神山山頂へ、歩いたおかげで温まった体も、立ち止まると強風で身も縮こまる寒さ!!それでもその強風のおかげか見通しは抜群。西は「明石海峡大橋」北は「比叡山」やその奥の「比良山系」まで360°の眺望を楽しめました。

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明石海峡大橋

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比叡山と比良山系

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明神山の幸せの鐘

寒さのため昼食休憩もほどほどに切り上げ登山口へ戻り、「畠田古墳」へ、ニュータウンのすぐ脇に隠れた横穴式石室を持つ円墳を見学後、更に下って、香芝市に入り「尼寺廃寺」跡へ到着。

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畠田古墳

日本最大級の塔の礎石が発見された現地は近年、史跡公園として整備され、併設された学習館では、発掘で分かった塔基壇の版築の断面などが見学できます。

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尼寺廃寺跡

ここから磯長へ続く「太子道」に沿って南へ向かいます。少しそれて「平野1・2号墳」を道から眺めて「平野塚穴山古墳」へ、高松塚古墳にも通じる精緻な横口式石槨を見学しました。

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平野塚穴古墳

太子道をさらに南へ、悪名高き「武烈天皇陵」、「志都美神社」を経て「念通寺」の不動明王石仏でこの日の見学は終了。JR「志都美」駅に戻って解散しました。

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武烈天皇陵

天候には恵まれましたが、とにかく寒かった。参加者の皆様は風邪などひかれませんでしたでしょうか。

歴史探訪グループ  文・写真 小林誠一

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2018年02月17日

長谷寺の「だだおし」 見学記

長谷寺は西国33所観音霊場第八番(真言宗豊山派総本山)の寺で、毎年2月14日に追儺会(だだおし法要)が行われている。

「だだおし」とは「修二会」の最終日に行われる鬼追いの儀式。開山徳道上人が閻魔大王より授かったとされる「檀拏印」(だんだいん)を押印し、法力を宿した「牛玉札」(ごおうふだ)の力により大松明を持った赤鬼、青鬼、緑鬼を退散させる行事。(長谷寺ホームページより)

行事は午後3時頃から法要が行われ午後5時過ぎ頃まで行事が行われる。

今回は、2月の寒中にも係わらず小春日和で見学の方々は例年に比べて多く見受けられました。法要の行事のチャンスを捉えようと多くのカメラマンがひしめきあい、シャッターを一生懸命切っている姿が印象的でした。

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<階段の上には立派な長谷寺の仁王門が建ちます>

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<長谷寺を印象付ける石段の登廊の様子>

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<法要行事のために焚かれた火>

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<参拝者・法要見学の方々は次々とつめかける>

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<法要の行事が始まり参拝者は手を合わし・合掌>

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<最初は青鬼が登場。回廊を3周回ると次第に鬼は弱っていきます>

大松明は、長さ一丈五尺余り(約4.5m)重さ30貫7超(約120キロ)という巨大なもの。本堂の周囲に火の粉を散らして東の広場に出ると、暴れ回った鬼達は何処ともなく退散する。(長谷寺ホームページより)

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<勢いよく燃え盛る大松明に圧倒される>

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<多くのカメラマンが法要行事に殺到する> 

青鬼は左回り。緑鬼は右回り鬼の後には松明がついていきます。両者の青鬼と緑鬼はお互いに逆同士に回るので途中で交差します。本堂内では僧侶さんがお札で鬼を弱らせ、回廊では松明の炎で鬼達を弱らせます。

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<クライマックス赤鬼の登場。他の鬼よりひときわ大きい顔の赤鬼。迫力十分>

鬼が登場する場所はロープで確保されています。回廊に飛び散った火の粉は寺の関係者が水で直ちに消し止める。

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<午後5時過ぎごろには今年のだだおしも終了、本坊へ向かいます>

奈良には様々な伝統行事が多く残されています。ここ長谷寺にもこのだだおしが終われば、もうすぐ春の訪れも聞こえます。

2018年2月14日に行われた桜井市長谷寺のだだおし行事の見学記でした。


文・写真  保存継承グループ  橋詰 輝己
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2018年01月27日

大和ハープの調べで寿ぐ新年会

1月20日(土)、女性グループ(ソムリエンヌ)14名の参加による新年会がありました。
今回は中部公民館で井藤和美先生の大和ハープの演奏会と登大路ホテルでの昼食会という新年会でした。

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(中部公民館にて)

大和ハープの演奏会は、昨年NHKテレビで放映された井藤先生の演奏を見た幾人かの会員の強い要望で実現されました。「星に願いを、テネシーワルツ、川の流れのように、月の砂漠、北の国から、糸・・・」と優しく美しいハープの音色が、心に沁みわたりました。

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(井藤和美先生による大和ハープの演奏)

奈良で生まれた大和ハープは、「河合町からハープを世界に」という思いで、伊藤忍さんが奈良の桜の花びらをイメージに制作されました。響鳴箱はローズウッド、上にあるネックという花びらの形の部分はマホガニー、弦の下の板はスプレースという材木を用いたアイリッシュハープです。6sという軽さの小型のもので、誰もが弾きたくなるようなハープです。井藤先生は、子供から年配者まで喜んでいただき、いろんな方々との出会いを大事にしていきたいとおっしゃっていました。

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(大和ハープ)

演奏のあと、ハープに触れる機会があり、皆笑顔いっぱいにつま弾くことができました。

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ハープの歴史は古く、ポンペイに残る壁画にも描かれており、中国では竪琴といわれ、日本にも伝わり、正倉院に残る箜篌(くご)も竪琴の一種です。ハープに親しむ新年会は心に残るもので、新春を寿ぐのに相応しいものでありました。

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(登大路ホテルThe・Diningにて)

演奏会が終わり、場所を登大路ホテルに移し昼食会があり、大和野菜や牛フィレ肉等を美味しくいただき、お開きとなりました。
    
(文) 平越真澄 (写真) 友松洋之子 寺田麻美 道ア美幸

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2018年01月06日

2018年1月1日「大神神社の繞道祭(御神火まつり)」見学記

(国内で歳始めの一番最初の祭り行事)

日本最古の神社である大神神社は、大物主命を祀る三輪山を御神体としている。平和の神・福の神・酒の神・薬の神として崇められており年間を通じて多くの参拝者が訪れる。

繞道祭(にょうどうさい)は、1年の始まりである1月1日午前1時から古式に従い執り行われる神事である。大和年中行事の諸本によれば、明和3年(1766年)の神事勤行日記に記されており、繞道祭とは御神火をもって境内諸社をめぐることから今では御神火まつりと言われ国家・御皇室の安泰と国民の幸福を祈って行われる。繞道祭に用いられる御神火は新年の始まりの午前零時より、拝殿の東方、禁足地内で宮司により切り出されて、拝殿大床の燈籠に移される。祭典では宮司祝詞の後、御神火を小松明に移され、拝殿前の斎庭で3本の大松明に火が継がれる。3本の大松明は先入道・後入道と称される(長さ3m)と少し小さめの神選松明の3本を氏子の若者が担ぎ、神職と共に山麓に鎮座する摂末社19社を巡拝する。(大神神社の繞道祭説明より)

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拝殿前には3本の大松明が置かれている。(見た目は3m以上あるように思われる)。新しい年の戌干支も掲げられている。(午後11時ごろ)
氏子によると、1本長さ約3m、重さ160Kg、材料は松の薄板と竹とのこと。

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午前零時をもって新年(2018年)の始まりです。早々新年の参拝が始まりました。(午前零時)

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拝殿内では神事に大忙しの巫女さんたち(午前零時10分ごろ)

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大松明の担ぎ手、氏子も宮司祝詞に耳を傾ける (午前1時45分ごろ)
 
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重いので数人の氏子たちによって拝殿前の庭に降ろされる。(午前1時50分ごろ)

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いよいよ大松明に御神火が移されている。(午前2時ごろ)

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3本の大松明に移されこれから三輪山麓の摂社に巡拝に向かいます。この後我々一行は、摂社の一つである檜原神社に先回りしました。(午前2時15分ごろ)

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最後の摂社檜原神社に大松明が入ってくる。折り返し地点の檜原神社に到着。(午前3時ごろ)

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新しい大松明に後神火が受け継がれている。(午前3時30分ごろ)

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氏子たちによって一路、後半の巡拝に向かう。(午前3時40分ごろ)

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末社の富士神社・厳島神社で行われている神事。(午前4時10分ごろ)

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厳かで神聖なる神事は未明まで執り行われる。遠くには大神神社の鳥居が見える。(午前4時ごろ)

ちなみに(繞)とは、(めぐる)という意味で、この御神火拝載所に移されると、待ちかねていた参拝者が持参の火縄やカイロに移しとりそれぞれ家に持ち帰るそうです。


(感想)今回初めての繞道祭でしたが、厳かで古来より受け継がれてきた伝統の重みをひしひしと感じ取ることができました。夜の神事でなおさらその趣きが強く印象に残る行事でした。会員の方々もぜひ一度は、見学をお勧めします。

今回の大神神社の繞道祭(御神火まつり)の見学は夜中の行事につき、地理的に弱い我々にとって地域に非常に詳しい奈良まほろばソムリエの会 地元桜井在住の東田理事さんのご案内のもと実施となりました。東田さんには同行、ご案内をいただきましてありがとうございました。

(文・写真)  保存継承グループ   橋詰 輝己

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2017年12月24日

記紀万葉サークル12月例会「岩橋千塚古墳群(紀伊風土記の丘)」

12月9日(土) 参加者7名

和歌山県立風土記の丘は、全国屈指の群集墳「特別史跡岩橋千塚古墳群」の保存を目的として開設され、附属する資料館には県内の考古・民俗資料が収集・保存されています。

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園内に密集する古墳群

園内の古墳群は、400基余りの小古墳と数基の中規模古墳で構成されており、5世紀から7世紀にかけて築造されたと言われています。ほとんどの古墳が紀ノ川流域に産する結晶片岩(緑泥石片岩)の板石を小口積みにした石室と石室内に石梁・石棚などと称する構造物を有するのが大きな特徴です。実に端正に組上げられた石室ですが、小さな石材を小口積みにしているため開口部や羨道の幅が狭く総じて小じんまりした印象を持ちました。

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前山A32号墳の開口部

石棚を持つ古墳群は、福岡県(遠賀川流域)・熊本県(菊池川流域)・徳島県(吉野川流域)にもあるようで、何れも石室に結晶片岩を利用していますが、規模において岩橋千塚が他を圧倒しています。これら類似する古墳群の築造主体の関係については、定説はないのですが、想定できないことではないと思います。

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石棚のある石室

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石梁(上)と石棚(下)のある石室
            
この地域は「木の国」と呼ばれるように、杉や楠の巨木を潤沢に産していました。大型船の建造や外洋航海術に長け広域的に拠点を持ち、朝廷の半島経営に貢献した紀氏と呼ばれる氏族の本貫地として知られています。この古墳群の築造主体は、紀氏に連なる集団であることは間違いありません。

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将軍塚古墳後円部の石室(手前は玄室の扉石)

将軍塚古墳・大日山35号墳など中規模の前方後円墳は族長クラスの墳墓なのでしょう。紀○○宿禰とか紀臣××とか呼ばれ中央政界に進出した人達の支持基盤がこのあたりにあったような気がしました。

文・写真:記紀万葉サークル 田中昌弘

posted by 奈良まほろばソムリエ at 18:30| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする