2018年04月19日

ぶらり早春の佐保路

3月21日、ソムリエンヌ「早春の佐保路」…のはずでした。
ところが、前日から大雨、強風が続き、真冬の寒さ。
雨天決行にしたことを悔やみつつ、大判の傘をしっかり握って、集合場所の転害門へ。
転害門観光案内所の開館前にもかかわらず、快く中に入れていただき、予定通り13人全員集合しました。

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転害門(国宝)は切妻造、本瓦葺きの八脚門。平城京の東 京極大路に面し、南一条大路(佐保路)に向かって立っています。奈良時代の創建に始まり、幾度もの兵火をくぐり抜けて来た東大寺伽藍の往時を偲ばせる遺構のひとつです。また老朽化によって昭和35年の転害会を最後に引退した御鳳輦(ごほうれん)が58年ぶりに新調され、今年の転害会で御鳳輦渡御が復活するのだそうです。NPO法人なら・観光ボランティアガイドの会(朱雀)の方から興味深いお話を聞くことができました。

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若草中学校出身のメンバーを先頭に、皆さん同窓生のように校内へ。
中学校のある丘陵は眉間寺山と呼ばれ、かつて多聞城が建っていたところです。1560年松永久秀が建てたもので、山城中心の中世の城に対して、近世の平城の先駆けとなりました。四階の櫓を備えた壮大なもので、近世城郭をかざる多聞櫓は、この城に始まるとされます。
強風のおかげで春霞も吹き飛び、松永弾正に成り代わって、天下無双の野望に燃えたのでした。

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1日中雨の予報にも関わらず、多聞城跡に到着する頃には雨が上がり、なんと時おり晴れ間まで。女の執念恐るべし!?

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佐保川の清流ならぬ濁流を眺め、多聞町の古民家ショップや河瀬家住宅などを覗き見しながら、聖武・光明皇后陵へ。終生、聖武天皇への愛を貫いた光明皇后の姿に、我が身を省みたのは私だけ?

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ちてはこカフェの店主さんにも、ずいぶんお天気の心配をしていただきました。オープン時間を早めて11時から12時半まで貸切にしてくださり、店名どおりの、手と心のこもったランチとケーキを楽しみ、思い切りおしゃべりに花咲かせることができました。ありがとうございました。

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興福院の小堀遠州作のお庭を一目見られないものかと骨折りしてみましたが、ちょうどお彼岸に重なり願い叶わず、門前からしっとりとした尼寺の雰囲気だけを感じさせていただきました。

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歴史の道をたどり、吉村長慶さんの暖かみのある石造物群に思わず笑顔になり、狭岡神社へ。
メンバーの若い頃(数年前?)は荒れ果てていたそうですが、今はきれいに清掃され、ありがたいことに階段に手すりまで。佐保姫伝説にあやかり、恋愛成就を祈ったメンバーもいたとか?

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レンギョウの咲き誇る不退寺では、かわいいお顔に容姿端麗な聖観音さまにしばしうっとり。

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ウワナベ古墳、海龍王寺を横目に歩き、最後の目的地、法華寺に到着しました。こちらでも光明皇后写しの十一面観音を拝し、ソムリエンヌメンバーも美しさにますます磨きがかかったことと思います。

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法華寺の枝垂桜が、見事「早春の佐保路」のフィナーレを飾ってくれました。
気象予報士さんを青ざめさせた晴れ女ソムリエンヌの皆様、お疲れさまでした。

女性グループ(ソムリエンヌ) 文 大谷巳弥子  写真 道崎美幸 大谷巳弥子

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2018年03月15日

長尾神社(葛城市)の「おんだ祭り」見学記

(長尾神社について)
長尾神社は日本最古の官道であった、竹内街道、長尾街道、横大路が交差する交通の要衝にあります。

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ご祭神は天照大神、豊受大神、水光姫命(みひかひめのみこと)と白雲別命(しらくもわけのみこと)です。
同社掲示板によりますと、「(祭神の一柱の)水光姫命は古事記や日本書紀に体が光って尾が生じていたと記されており、神様の姿が白蛇であるといわれるところから、蛇の頭が大神神社で尾が長尾神社という伝承があり」、かつての葛下郡の惣社として知られる延喜式・式内社です。

(おんだ祭とは?)
神社の祭礼で大切な祭りとして「祈年祭(としごいのまつり)」という稲の実りを祈願する神事があり、その中にオンダ(御田)と呼ばれる行事があります。鍬、鋤などの農機具を使って農耕の模倣行為をします。

(長尾神社の「おんだ祭り」の流れ)
同社の祈年祭は毎年3月4日午後2時から始まり、「おんだ祭り」は午後4時から拝殿前の忌竹で囲んだ神田で行われます。以下、所作の流れをご紹介します。

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<開始にあたり、本日のオールキャストの勢ぞろい>

(1)田男が鋤(すき)で畔切りを行う。

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(2)田男が畔切り後、鍬(くわ)で畔作りを行う。

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(3)牛が登場し大きな鋤や馬鍬(まぐあ)で田を起こす。

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(4)田男が苗代田に籾を播く。

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(5)牛が再度登場し、暴れる。暴れるほど豊作といわれている。

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(6)6人の早乙女(小学校高学年)が登場し田植え(松葉と杉葉)をする。

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<松はコメの苗を表し、杉は麦を表す>

(7)午後4時50頃、餅播きをして大盛り上がりで終了。

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(感想等)
長尾神社の「おんだ祭り」を見学させていただきましたが、地元の皆さんが熱心に協力してこの行事を盛り上げようと努力されている姿勢が、よく伝わりました。
役員の方に伺うと、明治以降から続く行事で、数年前にお孫さんが小学校6年生の時に早乙女役を務めていましたと笑顔で答えてくれました。
末永く続けていって頂きたいと思いました。

文、写真  保存継承グループ・亀田幸英

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2018年03月11日

東京の古墳巡り 〜南武蔵の首長墓群を訪ねて〜

東京にも古墳がある。しかも4世紀前半に造られた100m級の前方後円墳が。

関東グループでは「関東にある奈良」をテーマに、これまで関東各地の国府跡・国分寺跡・古墳などを訪ねてきたが、2月11日、メンバー8人が参加し、大田区から世田谷区にかけて多摩川沿いに広がる「田園調布古墳群」「野毛古墳群」を訪ねた。

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スタートの東急多摩川駅から5分ほどの「多摩川浅間神社」。北条政子が源頼朝の武運を富士に祈ったのが創建の由来という。境内から多摩川越しに富士を望むロケーションは素晴らしい筈だがこの日は残念ながら見えず、残念。実は、ここは「浅間神社古墳」(5世紀末~6世紀初頭、前方後円墳・長さ約60m)の上、本殿が後円部墳頂に建っている。ただし、今では前方部は東急線でそっくり削られてしまっている。

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多摩川沿いの尾根に広がる多摩川台公園。ここに100m級の前方後円墳「亀甲山(かめのこやま)古墳」(4世紀末〜5世紀初頭)がある。この古墳は本格的な調査はされておらず、さらに立ち入りも禁止されているため、後円部と前方部の高さがあまり違わないことや、中ほどのクビレの部分もよくわかり、比較的元の形を保っているように見える。

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亀甲山古墳の脇には、大田区内の4〜6世紀の古墳のことがまとめてわかる古墳展示室がある。古墳内部を模した展示コーナーが見所。

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多摩川台公園の中ほどに直径20mに満たない円墳や小さな前方後円墳が8個並んだ「多摩川台古墳群」(6世紀前半〜7世紀前半)がある。それぞれ横穴式石室を持ち、遺物の一部は古墳展示室で見ることができる。

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公園の一番北側に、もう一つの100m級前方後円墳「宝莱山古墳」がある。田園調布古墳群の中で最も初期(4世紀前半)というから、最古の箸墓古墳から半世紀余り後には造られていたことになる。しかし、戦前の田園調布の住宅開発で後円部から鞍部がほとんど削られてしまった。掘削工事の最中に粘土で覆われた木棺が出土している。案内板が無いと古墳とは気づかないかもしれない。

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昼食をとった「兵隊家」という田園調布の蕎麦屋。戦前に住宅開発された田園調布には軍関係者の入居が多かったとか。それも店の名前の由来らしい。

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世田谷区に入って、「八幡塚古墳」(5世紀中)は直径30mほどの帆立貝型古墳。宇佐神社裏山の雑木林の中で住宅地に囲まれながらも異空間を保っている。

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「狐塚古墳」(5世紀後)は今や区の緑地公園として整備され、周囲をコンクリートで固められている。案内板によると、墳形が円墳なのか帆立貝型なのか最終確認されておらず、粘土で覆われていると推定される木棺もまだ掘り出されていないとある。

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「御岳山古墳」(5世紀中期)も住宅街の一角にある。向かいの等々力不動尊で許可をもらい墳頂まで登ることが出来た。規模は野毛大塚古墳に次ぐ直径57mの帆立貝型前方後円墳とされ、戦前の調査で周りに7個の鈴の付いた鏡(七鈴鏡)が出土している。

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「等々力渓谷横穴墓」は、等々力渓谷の壁面に古墳時代から奈良時代にかけて使われ、須恵器や土師器とともに複数の人骨も発見されているという。第3号横穴墓はガラス越しに内部を見ることが出来るが。他は埋まってしまったのか見つけることが出来なかった。

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直径60mの「野毛大塚古墳」は、野毛古墳群の中で最も大きく、玉川野毛町公園内にきれいに再現されている。墳頂にも簡単に登れる。墳丘上からは、裾にとりついた小さな帆立貝型の前方部や造出部の様子が見える。ここの出土品は、一昨年秋に国の重要文化財に指定され、東博でも一部公開された。

見てきたこれらの古墳を築造年代順に並べると、宝莱山→亀甲山→野毛大塚→八幡塚→御岳山→浅間神社→狐塚→多摩川台古墳群となるらしいが、初期にこそ100m級があるものの、南武蔵の古墳は次第に小さなものになっている。これに比べ、北武蔵の埼玉古墳群(行田市)には逆に大きな古墳が築造されるようになった。

6世紀半ば、武蔵国の覇権をめぐって南武蔵と北武蔵で争った歴史の舞台は、大都会東京に飲み込まれながらもかろうじて残っていた。ここから新たな歴史の光が見えてきたら嬉しいなと実感した探訪だった。

関東グループ  原 英男  撮影:宮下 清、西田 暢秀、原 英男

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2018年02月24日

王寺町・香芝市を訪ねて

歴史探訪グループの2018年最初の例会は「王寺町・香芝市を訪ねて」。
2月4日(日)小雪の舞う「JR王寺駅」に25人が集合しました。

まずは駅に隣接した「りーべる王寺」5Fにある王寺町観光協会で本日のコースを予習。その後王寺町一押しのゆるキャラ「雪丸」の足跡に沿ってまず「達磨寺」に向かいます。「達磨寺」では観光ボランティアの方から聖徳太子の「片岡山飢人伝説」や本堂内の仏像、境内の3基の古墳、修復勧進中の「方丈」などの説明を伺いました。

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達磨寺本堂にて

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達磨寺仏像

達磨寺から明神山の登り口へは奈良交通のバスで移動、厳寒の中、快適に距離と高度を稼ぎます。登山口の鳥居をくぐり、舗装された快適なハイキングロードを歩いて約30分で明神山山頂へ、歩いたおかげで温まった体も、立ち止まると強風で身も縮こまる寒さ!!それでもその強風のおかげか見通しは抜群。西は「明石海峡大橋」北は「比叡山」やその奥の「比良山系」まで360°の眺望を楽しめました。

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明石海峡大橋

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比叡山と比良山系

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明神山の幸せの鐘

寒さのため昼食休憩もほどほどに切り上げ登山口へ戻り、「畠田古墳」へ、ニュータウンのすぐ脇に隠れた横穴式石室を持つ円墳を見学後、更に下って、香芝市に入り「尼寺廃寺」跡へ到着。

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畠田古墳

日本最大級の塔の礎石が発見された現地は近年、史跡公園として整備され、併設された学習館では、発掘で分かった塔基壇の版築の断面などが見学できます。

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尼寺廃寺跡

ここから磯長へ続く「太子道」に沿って南へ向かいます。少しそれて「平野1・2号墳」を道から眺めて「平野塚穴山古墳」へ、高松塚古墳にも通じる精緻な横口式石槨を見学しました。

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平野塚穴古墳

太子道をさらに南へ、悪名高き「武烈天皇陵」、「志都美神社」を経て「念通寺」の不動明王石仏でこの日の見学は終了。JR「志都美」駅に戻って解散しました。

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武烈天皇陵

天候には恵まれましたが、とにかく寒かった。参加者の皆様は風邪などひかれませんでしたでしょうか。

歴史探訪グループ  文・写真 小林誠一

posted by 奈良まほろばソムリエ at 09:53| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

長谷寺の「だだおし」 見学記

長谷寺は西国33所観音霊場第八番(真言宗豊山派総本山)の寺で、毎年2月14日に追儺会(だだおし法要)が行われている。

「だだおし」とは「修二会」の最終日に行われる鬼追いの儀式。開山徳道上人が閻魔大王より授かったとされる「檀拏印」(だんだいん)を押印し、法力を宿した「牛玉札」(ごおうふだ)の力により大松明を持った赤鬼、青鬼、緑鬼を退散させる行事。(長谷寺ホームページより)

行事は午後3時頃から法要が行われ午後5時過ぎ頃まで行事が行われる。

今回は、2月の寒中にも係わらず小春日和で見学の方々は例年に比べて多く見受けられました。法要の行事のチャンスを捉えようと多くのカメラマンがひしめきあい、シャッターを一生懸命切っている姿が印象的でした。

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<階段の上には立派な長谷寺の仁王門が建ちます>

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<長谷寺を印象付ける石段の登廊の様子>

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<法要行事のために焚かれた火>

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<参拝者・法要見学の方々は次々とつめかける>

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<法要の行事が始まり参拝者は手を合わし・合掌>

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<最初は青鬼が登場。回廊を3周回ると次第に鬼は弱っていきます>

大松明は、長さ一丈五尺余り(約4.5m)重さ30貫7超(約120キロ)という巨大なもの。本堂の周囲に火の粉を散らして東の広場に出ると、暴れ回った鬼達は何処ともなく退散する。(長谷寺ホームページより)

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<勢いよく燃え盛る大松明に圧倒される>

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<多くのカメラマンが法要行事に殺到する> 

青鬼は左回り。緑鬼は右回り鬼の後には松明がついていきます。両者の青鬼と緑鬼はお互いに逆同士に回るので途中で交差します。本堂内では僧侶さんがお札で鬼を弱らせ、回廊では松明の炎で鬼達を弱らせます。

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<クライマックス赤鬼の登場。他の鬼よりひときわ大きい顔の赤鬼。迫力十分>

鬼が登場する場所はロープで確保されています。回廊に飛び散った火の粉は寺の関係者が水で直ちに消し止める。

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<午後5時過ぎごろには今年のだだおしも終了、本坊へ向かいます>

奈良には様々な伝統行事が多く残されています。ここ長谷寺にもこのだだおしが終われば、もうすぐ春の訪れも聞こえます。

2018年2月14日に行われた桜井市長谷寺のだだおし行事の見学記でした。


文・写真  保存継承グループ  橋詰 輝己
posted by 奈良まほろばソムリエ at 11:35| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする