2018年05月19日

大和郡山市:【興正菩薩】叡尊生誕祭見学記

<5月第2日曜日(5/13)浄福寺にて開催>

【興正菩薩】叡尊上人(1201〜1290)は、建仁元年(1201)大和国添上郡箕田(現在の大和郡山市白土町)で生まれました。30歳代半ばで荒廃していた西大寺に入り、密教と戒律を日月のごとく兼修する「真言律」の根本道場として西大寺の再建に全力を尽くしました。またその実行として民衆救済に驚異的な活躍をされたことは有名です。

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浄福寺境内の案内板

生誕された白土町にある浄福寺(浄土宗)の境内に、叡尊上人の銅像を祀るお堂があり、平成3年から毎年5月の第2日曜日に生誕祭が行われています。(今年で27回)

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銅像を安置するお堂

この生誕祭は地元の白土町自治会が主になって保存会を形成しています。会長は毎年持ち回りのようです。自治会の構成は正会員78戸、準会員23戸。

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保存会の旗

この銅像は叡尊700年忌法要(1991・平成3年)に際し、西大寺愛染堂安置の寿像(木造叡尊坐像、2016年国宝指定)を模して造られた8体の1つ。

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叡尊さんの銅像

例年、地元民のほか、西大寺の僧侶や郡山市長も参列し、その数は100人を超えます。

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来賓の写真

 
(生誕祭の概要) 
10:00 中信雄自治委員長(白土町自治会)の生誕祭開会挨拶。
10:04 浄福寺の西住職による読経開始。
10:10 来賓焼香に続き、地元民の焼香。

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地元民の焼香の様子

10:30 上田清大和郡山市長、松村隆譽西大寺執事長他来賓挨拶。

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西大寺の松村執事長の挨拶

10:45 終了


叡尊さんは地域の誇りの人物です。
今後も地元の熱心な人々によって、遺徳を偲んで永く守られていくことと思います。


文・写真 保存継承グループ 亀田幸英

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2018年05月06日

記紀万葉サークル4月例会「春の木津川べりを行く」

4月14日(土)参加者17名

主な見どころを二つに絞り、歩行距離も6km強とやや短めの設定となったため、集合時間(JR奈良駅)は10時30分、解散時間は16時頃と余裕のある行程であった。

(当日の行程)
JR上狛駅―高麗寺跡―ふるさとミュージアム山城―JR上狛駅―JR加茂駅―恭仁宮(山城国分寺)跡―JR加茂駅(解散)

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(上狛駅で)

高麗寺跡 
欽明天皇の26年(565)、日本書紀に「高麗の人が帰化してきたので、山背国に住まわせた。今の山村(木津川市か)の高麗人の先祖である」とある。これら高麗人と寺院の関係は必ずしも明らかではないが、他氏族との関係も伝わらない。飛鳥寺や川原寺と同笵の瓦が出土しており7世紀初め頃の創建と見られ、平安時代後期まで存続したらしい。寺域の北方で建立氏族の居館と思しき建物遺構が発見されている。伽藍は、法起寺式と言われるが、年代的にも法起寺との関係は認め難い。

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(高麗寺跡)

現在木津川市による基壇の復原工事が進行中で、発掘時の塔などの瓦積み基壇、舎利孔の穿たれた塔心礎などは全て地中に埋め戻されている。

ふるさとミュージアム山城(府立山城郷土資料館)
高麗寺の東方、徒歩10分程のところ。南山城における旧石器時代〜古墳時代の考古資料、恭仁京域の図や山城国分寺のジオラマを見学できる。

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(山城郷土資料館にて)

恭仁宮(山城国分寺)跡
恭仁京が都であったのは740年から744年にかけて足掛け5年の短い時期であった。744年に難波宮遷都が行われたため、恭仁京はおろか恭仁宮も未完成のまま放置されてしまったと思われる。743年に平城宮から移転された大極殿は746年、山城国分寺に施入された。現在当時を偲ぶことが出来るのは、大極殿(国分寺金堂)跡の土壇と僅かに残る礎石、それに国分寺七重塔跡の巨大な礎石のみである。大極殿跡に舞う八重桜の花びらと礎石の対照が印象的であった。

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(大極殿跡)

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(集合写真:七重塔跡にて)


(文と写真) 記紀万葉サークル 田中昌弘

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2018年04月25日

奈良市:林神社(饅頭まつり)見学記

<4/19饅頭(まんじゅう)まつり行事の様子>

林神社は、林浄因命(りんじょういんみこと)の御祭神として御祀りする我国で唯一の(饅頭の社)である。林浄因命は中国浙江省の人、林和靖の末裔で、貞和5(1349)年に来朝し、漢國(かんごう)神社社頭に住まいされ、我国で最初の饅頭を作った。その後、足利将軍家を経て、遂には宮中に献上するに至った。今日全国の菓業界の信仰を集めている。(漢國神社由緒略記より)

毎年、4月19日には菓祖神・林浄因の偉業を讃えるとともに菓業界の繁栄を祈願する「饅頭まつり」が執り行われ、全国からたくさんの饅頭が献上される。

林神社例大祭の饅頭祭りが午前11時から全国の菓子工業組合の関係者が集い境内で大祭が執り行われる。一般の方々も参列し見学することもでき、饅頭の引き換券を頂いた方は大祭後、紅白の饅頭を頂くことができる。

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<全国の菓子業界の業者が神前に自家製の銘菓を並べて供える。写真は午前9時に撮影のため菓子が載っていない供物台がある>

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<饅頭を頂くために引換券を求める方々(午前9時)>

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<午前10時になると神社から引換券が配布される>

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<1時間並んで頂いた貴重な饅頭引換券>

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<この日は、やすらぎの道沿いまで人があふれている。漢國神社の一の鳥居>

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<境内では神聖なる神事がとりおこなわれる(午前11〜)>

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<神事が終わると関係者には饅頭と抹茶がふるまわれる(午後0時ごろ>

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<神事が執り行われた林神社には、神事に関係する品々が祭られている>

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<神事が終わってから引き換券を頂いた方々は、順に紅白饅頭を頂く>

林浄因は南北朝時代に来日、当時の中国には、こねた小麦粉の中に肉などを入れて作る(マントウ)という食べ物があったという。(今の肉まんのようなもの)
浄因は仏前に供えるために、肉の代わりに小豆の煮詰めたものをいれた(マントウ)を作ったところ大評判になりこれが饅頭の始まりで(奈良饅頭)は将軍や天皇に献上するほどの人気を集めたという。

紅白饅頭は500個限定がふるまわれます。一度は並んでありがたい紅白饅頭を頂いてはいかがでしょうか。

(文:写真)  保存継承グループ・橋詰 輝己

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2018年04月19日

ぶらり早春の佐保路

3月21日、ソムリエンヌ「早春の佐保路」…のはずでした。
ところが、前日から大雨、強風が続き、真冬の寒さ。
雨天決行にしたことを悔やみつつ、大判の傘をしっかり握って、集合場所の転害門へ。
転害門観光案内所の開館前にもかかわらず、快く中に入れていただき、予定通り13人全員集合しました。

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転害門(国宝)は切妻造、本瓦葺きの八脚門。平城京の東 京極大路に面し、南一条大路(佐保路)に向かって立っています。奈良時代の創建に始まり、幾度もの兵火をくぐり抜けて来た東大寺伽藍の往時を偲ばせる遺構のひとつです。また老朽化によって昭和35年の転害会を最後に引退した御鳳輦(ごほうれん)が58年ぶりに新調され、今年の転害会で御鳳輦渡御が復活するのだそうです。NPO法人なら・観光ボランティアガイドの会(朱雀)の方から興味深いお話を聞くことができました。

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若草中学校出身のメンバーを先頭に、皆さん同窓生のように校内へ。
中学校のある丘陵は眉間寺山と呼ばれ、かつて多聞城が建っていたところです。1560年松永久秀が建てたもので、山城中心の中世の城に対して、近世の平城の先駆けとなりました。四階の櫓を備えた壮大なもので、近世城郭をかざる多聞櫓は、この城に始まるとされます。
強風のおかげで春霞も吹き飛び、松永弾正に成り代わって、天下無双の野望に燃えたのでした。

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1日中雨の予報にも関わらず、多聞城跡に到着する頃には雨が上がり、なんと時おり晴れ間まで。女の執念恐るべし!?

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佐保川の清流ならぬ濁流を眺め、多聞町の古民家ショップや河瀬家住宅などを覗き見しながら、聖武・光明皇后陵へ。終生、聖武天皇への愛を貫いた光明皇后の姿に、我が身を省みたのは私だけ?

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ちてはこカフェの店主さんにも、ずいぶんお天気の心配をしていただきました。オープン時間を早めて11時から12時半まで貸切にしてくださり、店名どおりの、手と心のこもったランチとケーキを楽しみ、思い切りおしゃべりに花咲かせることができました。ありがとうございました。

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興福院の小堀遠州作のお庭を一目見られないものかと骨折りしてみましたが、ちょうどお彼岸に重なり願い叶わず、門前からしっとりとした尼寺の雰囲気だけを感じさせていただきました。

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歴史の道をたどり、吉村長慶さんの暖かみのある石造物群に思わず笑顔になり、狭岡神社へ。
メンバーの若い頃(数年前?)は荒れ果てていたそうですが、今はきれいに清掃され、ありがたいことに階段に手すりまで。佐保姫伝説にあやかり、恋愛成就を祈ったメンバーもいたとか?

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レンギョウの咲き誇る不退寺では、かわいいお顔に容姿端麗な聖観音さまにしばしうっとり。

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ウワナベ古墳、海龍王寺を横目に歩き、最後の目的地、法華寺に到着しました。こちらでも光明皇后写しの十一面観音を拝し、ソムリエンヌメンバーも美しさにますます磨きがかかったことと思います。

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法華寺の枝垂桜が、見事「早春の佐保路」のフィナーレを飾ってくれました。
気象予報士さんを青ざめさせた晴れ女ソムリエンヌの皆様、お疲れさまでした。

女性グループ(ソムリエンヌ) 文 大谷巳弥子  写真 道崎美幸 大谷巳弥子

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2018年03月15日

長尾神社(葛城市)の「おんだ祭り」見学記

(長尾神社について)
長尾神社は日本最古の官道であった、竹内街道、長尾街道、横大路が交差する交通の要衝にあります。

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ご祭神は天照大神、豊受大神、水光姫命(みひかひめのみこと)と白雲別命(しらくもわけのみこと)です。
同社掲示板によりますと、「(祭神の一柱の)水光姫命は古事記や日本書紀に体が光って尾が生じていたと記されており、神様の姿が白蛇であるといわれるところから、蛇の頭が大神神社で尾が長尾神社という伝承があり」、かつての葛下郡の惣社として知られる延喜式・式内社です。

(おんだ祭とは?)
神社の祭礼で大切な祭りとして「祈年祭(としごいのまつり)」という稲の実りを祈願する神事があり、その中にオンダ(御田)と呼ばれる行事があります。鍬、鋤などの農機具を使って農耕の模倣行為をします。

(長尾神社の「おんだ祭り」の流れ)
同社の祈年祭は毎年3月4日午後2時から始まり、「おんだ祭り」は午後4時から拝殿前の忌竹で囲んだ神田で行われます。以下、所作の流れをご紹介します。

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<開始にあたり、本日のオールキャストの勢ぞろい>

(1)田男が鋤(すき)で畔切りを行う。

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(2)田男が畔切り後、鍬(くわ)で畔作りを行う。

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(3)牛が登場し大きな鋤や馬鍬(まぐあ)で田を起こす。

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(4)田男が苗代田に籾を播く。

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(5)牛が再度登場し、暴れる。暴れるほど豊作といわれている。

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(6)6人の早乙女(小学校高学年)が登場し田植え(松葉と杉葉)をする。

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<松はコメの苗を表し、杉は麦を表す>

(7)午後4時50頃、餅播きをして大盛り上がりで終了。

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(感想等)
長尾神社の「おんだ祭り」を見学させていただきましたが、地元の皆さんが熱心に協力してこの行事を盛り上げようと努力されている姿勢が、よく伝わりました。
役員の方に伺うと、明治以降から続く行事で、数年前にお孫さんが小学校6年生の時に早乙女役を務めていましたと笑顔で答えてくれました。
末永く続けていって頂きたいと思いました。

文、写真  保存継承グループ・亀田幸英

posted by 奈良まほろばソムリエ at 18:19| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする