2019年11月11日

奈良の歩き方講座(ナラニクル) 「大和路」の発見と創造〜和辻哲郎『古寺巡礼』、亀井勝一郎『大和古寺風物誌』、堀辰雄『大和路』を読む〜

講師:池川愼一さん

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令和元年9月15日(日)ナラニクル(奈良市観光協会)において、標記講演会が開催されました。講師は当会の池川愼一さんです。『古寺巡礼』『大和古寺風物詩』『大和路・信濃路』。「奈良・大和路」のイメージを作るのに貢献した3冊です、筆者は奈良・大和路に何を期待したのか?読者はどのように受け入れたのか?名作の魅力をお話下さいました。

まずは、参加者にそれぞれ読んだことがありますか?と聞かれます…さすが!ここに来られる参加者の方は読んだことがある人が多く、池川さんも感心されていました。以下、お話、レジメ、ブログより抜粋しながら、当日の講演の要旨をまとめさせていただきました。

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1.『古寺巡礼』和辻哲郎
和辻哲郎
兵庫県姫路生まれ、1889(明治22)年〜1960(昭和35)年。倫理学者。夏目漱石門下で京大・東大教授を務めました。1918(大正8)年、著者30歳のとき奈良旅行を行い、その紀行文を翌年に出版したのが『古寺巡礼』です。初めての本格的な奈良古美術ガイド、仏教を美術品として鑑賞するすべを定着させたと評価されました。これは和辻の独創ではなく、明治時代後半には、仏像を美術品として鑑賞する習慣が芽生えていました。

聖林寺 十一面観音像
『古寺巡礼』の特徴としてまず挙げられるのは、インターナショナルな視点です。和辻はギリシャ古典を正統とする美意識になじみ、ギリシャ古典への憧れがありました。仏像の起源、伝播ルートへの関心があり、ギリシャ古典文化→ガンダーラ美術→西域→中国→日本という流れの中で異文化の交流と影響を重視しました。

和辻が絶賛した仏像は、聖林寺の十一面観音像です。岩波文庫『古寺巡礼』には5ページにわたって記述されます。池川さんは、その一部を朗読されました。「ギリシャ・インド・中国・日本の文化がこの仏像に融合していると説くのは和辻らしい。感覚的な印象を言葉でうまく表現するのは難しいのに、和辻はものすごい知識・想像力をもって流麗な文章で巧みに表現してくれる。それで感動はさらに深まるでしょう。難しい文章ですが、むしろそういう文章を好んだ読者層(当時の旧制高校学校生や大学生など)がいたのです」。

仏像鑑賞と人格主義
薬師寺聖観音立像、薬師寺薬師如来坐像、中宮寺半跏思惟像、法隆寺金堂壁画観音菩薩像などにも和辻は惹かれます。これらは健康的で理想的な美しさがあります。和辻の美意識の表れです。和辻は仏像は美術品と言いながら、仏教の教義に触れて法悦に浸っているかのように表現します。そこがまた、精神性を求めた人々の心をつかみました。

しかし和辻は、宗教は観念、美術は感覚とけじめをつけて峻別します。和辻の立場を支えたのは、大正教養主義と一体になった人格主義だそうです。人格主義は「仏像を含む偉大な芸術に感動することは、自らの人格を陶冶し高めていく」という考えであり、「だからこそ和辻は、仏像の美術的鑑賞を堂々と宣言できたのでしょう」と。

法隆寺中門のエンタシス
和辻は建築にも力を入れて紹介しました。「伽藍などの建築物も美術的鑑賞になったことは、古寺ガイドとして本書の価値を高めたでしょう」。新薬師寺本堂、薬師寺東塔、唐招提寺金堂、東大寺三月堂、法隆寺西院伽藍の建物の印象が述べられています。

「法隆寺五重塔は、いろいろな場所から近づいたり遠ざかったり、周囲を回って屋根や軒、組物の変化自在な動きを観察します。それを参考に自分もやってみたいと思わせるような場面です」と。

また、法隆寺中門の柱の胴張りにギリシャのエンタシスの影響が推測されます。ここは有名な箇所ですが、専門家には評判が悪い。これらを結びつける物的な証拠がないからです。他の国にはそのような古い建築が残っていません。エンタシスと胴張りのつながりを否定する説が有力ですが、影響説もまた否定できないということです。

『古寺巡礼』への批判
美術史家の町田甲一は、その著書『大和古寺巡歴』の中で和辻の観照(鑑賞)態度を批判しています。「主観的文学的哲学的観照であって、正しく理解しようとする観照ではない。…作者の作因・美的意図を無視し、それらを越えて、観照者の極めて主観的に誇張された感情を持って極端な受け取り方をしている」と厳しく指摘しました。 町田は、十代から『古寺巡礼』を懐に仏像を巡ったが、だんだん疑問を持ち美術史家として批判するようになったそうです。(この本のことは知らない人も多く、新鮮な驚き・発見だったと感想をおっしゃる方もいました。)

また、文芸評論家の保田与重郎も「伝統的な信仰心から遊離している」と和辻を批判しました。しかし「これらの批判は『古寺巡礼』の魅力と表裏一体の関係で、主観的でも信仰心がなくても仏像鑑賞はできることを示した」と池川さんはおっしゃいました。

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2.『大和古寺風物誌』 亀井勝一郎
亀井勝一郎
北海道函館生まれ、1907(明治40)年〜1966(昭和41)年。東京帝大美学科在学中「新人会」に加わり、大学を中退。1928(昭和3)年、治安維持法違反の疑いで検挙される。保釈後、日本プロレタリア作家同盟に所属するが転向。1935年同人誌『日本浪漫派』を創刊。文芸評論家の道に進む。戦後、宗教的立場から文明批評を試みたという方だそうです。

『大和古寺風物誌』
亀井と大和の出会いは1937(昭和12)年30歳の時。社会運動の挫折から思想的な模索や人生への探求が渦巻いていた時期でした。亀井のこの時期の心境は新潮文庫『大和古寺風物詩』72ページの「仏像は何よりもまず美術品であった。そして必ずギリシャ彫刻と対比され、対比することによって己の教養の量的増加を目論んでいたのである。古美術に関する教養は自分を救ってくれるであろう」に示されています。

「この心境は『古寺巡礼』の古美術と向きあう姿勢と一致している。『古寺巡礼』がモデルとなって亀井の旅が始まったのだろう。」というのが池川さんの推測です。それから毎年、春と秋にお寺を巡り、1942年に書きためた紀行をまとめて出版しました。

法隆寺 百済観音像
亀井は美術品としての仏像を鑑賞するつもりで出かけたのですが、思わぬことが起きました。法隆寺百済観音との出会いです。本書58ページの一節を朗読されました。「ほの暗い堂内に、その白味がかった体躯が焔のように真直ぐ立っているのをみた刹那、観察よりもまず合掌したい気持ちになる。大地から燃え上がった永遠の焔のようであった。人間像というよりも人間塔――いのちの火の生動している塔であった」。

「運命的な出会いだった」と池川さん。「仏像は仏である」ことに亀井は目覚めます。亀井の中で信仰が目覚めたということです。仏像を拝観しながら信仰を深めていくという物語が生まれ、求道の書として独自性を持つようになった。そこが読者に強くアピールしたのではないかということです。

美と信仰の両立
この本では、法隆寺百済観音、中宮寺半跏思惟観音、法輪寺虚空蔵菩薩、薬師寺薬師三尊、東大寺三月堂不空羂索観音等が絶賛されます。和辻が美と信仰の峻別に厳しいのに対して、亀井は「美しくなければその信仰を疑う」として美と信仰を両立させました。だから亀井の『大和古寺風物詩』も『古寺巡礼』と同様に仏像の美術的鑑賞の書という性格を持つようになりました。

歴史への強い関心
亀井の関心が強かったのは歴史で、『日本書紀』『続日本紀』を読んで勉強したそうです。『大和古寺風物詩』は、飛鳥時代から白鳳期、奈良時代にかけての古代史の知識が仏像鑑賞に大切であることを教えました。特に聖徳太子と上宮王家の自己犠牲に菩薩行の実践をみて、太子に帰依せんとする心情をつづったとのことでした。

斑鳩の里と西の京の風景
亀井は斑鳩の里と西の京の風景をとても好んだようです。西の京の風景を記した一節を朗読されて、入江泰吉の写真を連想させると指摘されました。入江泰吉は『大和古寺風物誌』を持ってお寺を巡ったらしく、この本が入江の風景の捉え方に影響を与えたというのが池川さんの意見です。

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3.『大和路・信濃路』堀辰雄
堀辰雄
東京生まれ、1904(明治37)年〜1953(昭和28)年。東京帝大文学部国文科卒。旧制第一高の時から室生犀星、芥川龍之介の知遇を受けて文学を志す。フランス文学の影響。日本の王朝文学も。堀が初めて奈良を訪ねたのは1937(昭和12)年だそうで、6回奈良旅行をしています。

興福寺阿修羅像
「『大和路・信濃路』は前述の他の2冊と違って寺院はあまり取り上げません。取り上げても視点が違います」。そのようにことわって、池川さんは新潮文庫『大和路・信濃路』の101ページの阿修羅像のくだりを朗読されます。「堀が一番感動したのは阿修羅像。阿修羅を評価したところが堀らしい。和辻と亀井は仏像の神々しさに感動し、堀は仏像の人間性に共感した」と。

唐招提寺金堂
次は、本書110ページの堀が唐招提寺金堂の柱に手を触れ匂いを嗅ぐ場面を朗読されました。和辻・亀井・堀は三者三様に金堂について取り上げました。「和辻は金堂の屋根、柱、軒の組み物のバランス、亀井は金堂、講堂、舎利殿、鼓楼の伽藍配置に注目し、堀は嗅覚と触覚で建物を味わう。三人の個性が表れます」と。

万葉挽歌=大和への関心
堀はなぜ大和に関心を抱いたのでしょうか。彼は折口信夫の『古代研究』の愛読者です。『死者の書』に感激して二上山を訪ねています。古代人の他界観に興味を持ち、万葉集の挽歌にも非常に惹かれました。だから大和をぜひ見たかったということです。堀は寺を見ても万葉集と結びつかず、大和の山野や村をブラブラと歩くようになって求めていた大和と出会いました。「堀はやはり小説家。大和を舞台にした古代小説を構想したのですが、病気はその完成を許しませんでした」。

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4.「大和路」の発見と創造
「大和路」の発見
「以上3冊を紹介しましたが、これらをもとにテーマを発展させていきます」と池川さん。3人の著者はいずれも大和の自然と、村落の景観の美しさを賞賛します。そこに安らぎと懐かしさを見いだします。古代以来の歴史が刻みこまれている景観です。

人間の作ったものが廃れ自然に返る。その繰り返しの中で、自然と人工が調和した風景ができあがります。住んでいる人達はとくに美を意識しませんが、近代的な知性と感性の塊のような人たちが近代化によって失われる直前の景観の美しさを発見しました。そして「大和路のイメージは、これらの作品から作られた」ということです。

戦前の大和の景観がどのようなものであったかは、入江泰吉の昭和20年代、30年代のモノクロ写真を示して説明されました。「斑鳩の里の白い道、人間や牛が何百年と踏み固めてできた道。西の京の一木一草にしみこんだ古都の余香。人肌が街並みに溶け込んでいるような奈良町の風景。何もない平城宮跡の上に広がる大空。これら入江が写した風景が、和辻や亀井や堀も見た風景です」。

「大和路」の変遷と消滅
「大和路」のイメージは、戦後の奈良観光の大衆化で利用され流布します。「多くの観光ガイドの出版物や観光ポスターは現在も「大和路」のイメージに依拠して観光客を誘っています」。

しかし、1960年代の高度経済成長に入ると、奈良はもちろん日本中の風景が変わり始めます。「いわゆる俗化・観光地化が進行して、大規模開発がそれに拍車をかけた」と。「これにより、土地に刻みつけられてきた歴史が一夜にして消滅し、自然とは調和しないケバケバしい景観に変化しました。和辻や亀井や堀が賛美した景観がどんどん消えていきました」という。古都保存法のような法律もでき規制がかけられましたが、圧倒的な近代化・観光地化の波には無力でした。美学者で明日香保存に力を尽くした寺尾勇さんは1968年に『ほろびゆく大和』を著して、現状を嘆きました。

「大和路」の創造
「入江泰吉は、大和路が現実に存在した頃から、それが変遷し消滅するまでの40年間を大和路の写真家として生きました。モノクロ写真には現実の大和路を記録しましたが、カラー写真を撮るようになった60年代は、大和路が滅びに向かう時期です。画面から人が消え、現代の風俗が入らないアングルを選んで大和の風景を撮るようになります。入江が写したのは歴史の『気配』です。史跡や社寺の歴史的遺構が写っているから歴史があるのではなく、そこからにじみ出る気配を捉えました。80年代に入るともはやそのような気配を引き出せる風景は存在しなくなります。現実の大和路は消滅します。しかし入江が写真の中に創造した大和路は永遠に残るでしょう」と締めくくられました。

最後に
池川さんのブログ「奈良歴史漫歩」(http://awonitan.hatenablog.com/)は、まるで小説のように読み物として楽しめる上に、とても詳しいのにわかりやすくまとめて下さっています。ぜひこの機会に奈良を愛する書物やブログの中に入って、古き良き奈良を旅してみてはいかがでしょうか。池川さん、美しい奥深い奈良・大和路の文学をご紹介いただきありがとうございました。

文:広報グループ増田優子 写真: 鉄田専務理事
  
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2019年11月08日

奈良の歩き方講座 万葉歌人の人間関係と歴史的事件

米谷潔さん

10月20日(日)ナラニクルで、「〜万葉集とその時代〜」シリーズ6回が始まりました。今回は第1回、当会「奈良まほろばかるた」の制作提案・読み札解説文の原案作成者の米谷さん、今回もまたまた興味深い内容でスタートを切って下さいました。

まずは「万葉集は文学と歴史学との接点。いろいろな説のある歌集で、逆にそれが素人でも面白く読める歌集です」とその解釈の楽しさを教えて下さり、「今は歌碑も多く立ち、その風土を見て回ることができるので、その場で万葉集を歌えばなお楽し!」と。そして、「人の心は1200年、1300年経っても変わっていないので、そういうところをみてもらえたらなぁ」とおっしゃっていました。

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<三角関係>
「大きな政治事件の根底には男女の三角関係あり」だそうで、まずは壬申の乱の中大兄皇子(天智天皇)・大海人皇子(天武天皇)・額田王から。『香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より〜』の歌の大和三山はどれが男山?女山?という問題で解釈が変わってくるとか…。そして米谷さんは、香具山を男山と考え、その根拠を5つもご解説。(なるほど〜‼)と。また額田王の『あかねさす 紫野行き 標野行き〜』と大海人皇子『紫草のにほへる妹を憎くあらば〜』の応酬歌も。「壬申の乱というのは、その根底に額田王をめぐる愛のもつれがあったとさえ言われています」と、歴史と万葉集のつながりをお話されました。

また「大津皇子事件には、草壁皇子と大津皇子の石川郎女をめぐる争いも一因と考えられる」という深〜く掘り下げた解説もありました。

<姉弟愛>
万葉集で姉弟愛といえば、大津皇子と大伯皇女。『わが背子を大和へ遣るとさ夜深けて〜』『二人行けど行き過ぎ難き秋山を〜』の二首をご紹介。この題詞には大津皇子が「ひそかに伊勢の神宮(かむみや)に下りて」とありますが、なぜ「ひそかに」という語がつかわれたかを読み解かれます。また、『うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)とわが見む』の歌の苦しく悲し大来皇女の胸の内を語られました。

<親愛関係>
1. 系図を使って、高市皇子と十市皇女の歴史的背景も交えてのお話。
『山振(やまぶき)の立ち儀(よそ)ひたる山清水〜』の歌を黄泉の国が関係している等深い読み取りも教えて下さいました。

2. 穂積皇子と但馬皇女
こちらも系図を使って「二人が密かに通じていたことが人々に知られてしまった時に作った歌」→『人言を繁み言痛み 己が世に 〜』を読まれます。そして穂積皇子の正妻であった大伴坂上郎女の娘の大伴坂上大嬢(おおいらつめ)は家持の従妹ですが、のちに家持の正妻(つまりいとこ同士の結婚)となり、なんとも複雑な当時の人間関係を説明されました。

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<ライバル関係>
有間皇子と中大兄皇子
まずはこちらも系図と歴史的背景のお話から。「『磐代の浜松が枝を引き結び〜』と『家にあれば笥に盛る飯を〜』の二首は今までと違ってきています。これらはあくまでも祈りの二首の歌で神に頼るしかない、と犬養先生もこの説を取られています」とご解説。「事件から数十年を経ているのに忘れがたい出来事を歌っているところに、大伴家持が有間皇子に同情していたのでは…。」と米谷さん。そして草壁皇子と大津皇子についても話されました。

<片思い関係>
大伴家持と笠女郎
大伴家持は「歌を交わした女性は、女王一人、女郎七人、娘子(おとめ)七人。その中で熱烈に恋をしたのは笠女郎!」だったとか。『君に恋ひ 甚(いた)も術(すべ)なみ 平山(ならやま)の 小松が下に 立ち嘆くかも』など、天平5年から家持への恋の歌を贈り続け、計29首だそうです。米谷さんは笠女郎のことを「ここまで一途に家持を想っている人がいじらしくなってしまう。」と言われ、その中で時を知らせるものとして、鐘と鼓がある等のお話がありました。

<上下関係>
大伴旅人と山上憶良
大宰府に赴任していた旅人は、約3年間憶良の上司だったそうで、憶良は旅人が昇進して奈良へ帰るときに送別の歌を詠んで自分の任期後の身の振り方を頼んでいる歌『吾が主の御霊〜』を紹介されました。米谷さんは「階級制度が整った令の官僚組織の中では、官人にとってその昇進だけが生活を良くしたと考えられます。」とおっしゃられていました。
そして、「万葉の時代も現代も変わらない人間関係の思いと行動があることがわかります」と締め括られました。

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奈良の人達にもっと奈良の良さを知ってほしいと米谷さん。今日もわかりやすく、また趣向を変えてお話いただきありがとうございました。出席者の皆さんは一生懸命耳を澄ませて聞き入っておられました。万葉集ブームのお陰で、古代への興味はますます湧いてきます。まだまだ続く当会の万葉講座、あちらこちらでいろいろな形で開催されます。もちろん初心者も大歓迎!皆様ご家族お友達お誘いあわせの上、お一人様でもどうぞお気楽にご参加下さいませ。

写真、文:広報部 増田優子


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2019年10月27日

保山耕一さん 第4回「時の雫」上映会

保山さん月一(つきいち)上映会が10月5日(土)奈良公園バスターミナルでありました。今回のテーマは「奈良公園」。ならどっとFM「岡本彰夫の奈良、奥の奥」公開ラジオ収録!に、奈良公園から衛星回線を繋いでの中継!保山さん、毎回毎回趣向を凝らしてパワーアップ。お客様は今回もまた保山さんの映像、トークと企画に魅せられていました。

まずは「今日も夢みたいです。皆さんにお会いできるのをすごく楽しみにしていました。皆さんのお顔が見られて心から嬉しいです」と。そして、「30年以上前からテレビ番組をやっていました。『○○○ぷいぷい』は立ち上げからやっていて、昔は2〜3か月に一回特番というのがあって、今日はそんな風に「特番!」みたいにスピード感持ってパッパッパッとやりたいです(笑)今日も皆さんのお陰で、皆さんのお気持ちをいただいて、奈良の魅力を発信していきます」と始まりました。

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オープニングは、すみかおりさんオリジナル曲の生演奏『時を超え』にのせて
―  真っ赤に咲き誇る彼岸花の映像  ―


そして、次にご紹介された話は・・・
「以前、国際がんセンターでがん患者の方々の前で、グランドピアノの生演奏で上映したものです。東京の日本一大きなガンセンターで月一回のロビーコンサート。ロビーにベッド20台ほど運んできて、点滴治療してはって、末期患者の方もいらして・・・みんなで集まって生のグランドピアノの音で・・・もう涙止まらなくなりました」
「録音した音楽もいいんですけど、心の奥にまで届くのが生の魅力なんです。ものすごく影響があります。そして、泣いた後にまた前を向く。希望に満ちた曲でお届けします」

―映像『希望の夜明け』―

(野上朝生さんオリジナル曲のキーボード生演奏と木塲孝志さんの二胡の音色。お客様は保山さんの映像とのコラボに魅了されてうっとり!)


そして、保山さんより今回配布のちらしをご紹介。ここではいつも耳寄りな情報があります。12月7日の上映会は、保山さんいわく「ありったけの予算をすべて投入し、吉野山桜まつりをやります。僕の夢はここを桜吹雪でいっぱいにする!そのためにダイソンのコードレス掃除機、買おうかなぁって思てます(笑)」「金峯山寺、全面協力で岡本彰夫先生と五條良知管長の特別対談。映像を使って、疑似『護摩焚き』も。お楽しみに!!」
また来月の11月2日上映会は「大和の月」(サプライズでスペシャルゲストもいらっしゃるようですよ〜!)

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さぁ、そして、ならどっとFM『岡本彰夫の奈良、奥の奥』。始まりは、講談師四代目玉田玉秀斎(たまだぎょくしゅうさい)さんのタイトルコールでムードは一気に高まり、ラジオの世界に誘われます。

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と、ここで、手向山八幡宮からの中継、シンガーソングライターの大垣知哉さん。今回は玉田玉秀斎さんのお弟子玉山(ぎょくざん)さんが奈良公園から鹿せんべいの正しい与え方を衛星中継!保山さんいわく「こんな近くで生中継、『○○○ぷいぷい』ではできないでしょ」と(笑)
そして、岡本先生「外国人が鹿を抱えようとすると事故をする。鹿を人間の世界に引きづり入れたらあきません。これが難儀なことですわ」と。

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そして岡本先生は南都八景を一つずつご解説下さり、興福寺三宝や木魅塚(きみづか)など、あまり知られていない深〜いお話もして下さいました。また、春日大社一之鳥居の榊が左側にだけあるのはなぜか?というお話などがありました。

少しご紹介しますと…『大和名所図会』(=江戸時代の奈良の風景がこれでよくわかるとのこと)に書かれている春日大社一之鳥居のこと。

「春日大社一之鳥居には左側にしか榊が立てられていない。これは江戸時代の節用集(せつようしゅう、=百科事典みたいなもの)を見ても必ず左側だけです。(祭りの時だけは両方に立ててある) これはなぜかを随分、理由を探したんですが出てこない。」
「『時廉(トキカズ)卿記』という春日大社神主さんの大中巨時廉という人の書いた懐中本に唯一理由が書いてありました」(何々…??と会場はシーンと静まり返っています)

「それは興福寺には興福寺の三種の神器みたいな『興福寺三宝』というのがあります。その一つが『面向不背の玉』といいまして、これだけが早くになくなった。これは、水晶の玉の中に釈迦三尊像が入っていまして、どこから見ても正面に見える。

ところが、これが春日さんの一之御殿の下にそれが入っとると言うんですな。そこで善女(ぜんにょ)龍王様がその玉を欲しいと毎日猿沢池からお出になって、一之鳥居に横たわりはるというんです。蛇体を鳥居の一番上の笠木(かさぎ)に横たわらせはるんです。そうすると蛇体の頭が北に向くから御身が南に向くんですわ。そうすると南に榊を立てたら腹をつくさかいに申し訳ないから榊をはずしたっていう伝承がございまして」(会場内は、へぇ〜!と感心と驚きの声) 「それで、私が辞めます前に、今の花山院宮司と相談しまして、このしきたりを残しましょうということになりました。」

保山さんは感心しながら「これ、岡本先生が昔の本を読んで起こされた話なんですか?」と質問されると「そら何年かかったかわからしません。こんなん見たら誰でも妙やなと思わないかんけど、だ〜れも質問しはらへん(笑)」保山さん「片っ端から資料を読んだってことでしょ?」「どこにあるかわからしませんから、膨大な資料を調べてみたら、たまたま出てきたけど3〜4年かかりましたわ」(と、なんともすごい話‼)
「どこかで言うとかんとね。」と岡本先生のとっても貴重なお話を生で聞かせていただきました。司会者の中川直子さんも「これは皆さん、ぜひ広めて下さい」とおっしゃっていました。

(詳しくは同番組、11月4日(月)15時〜16時、再放送11月8日(金)20時〜21時をお聴き下さい)

そして、玉田玉秀斎さんの今回、初公開の講談は『奈良の鹿物語』。兄弟鹿、シン兄ちゃんこと「シン」とチビロクこと「ロク」の成長物語in奈良。

岡本先生は「現代は神仏を畏れないようになってきている。かろうじで奈良はまだ残っているから大切に!」と言われて、以前、テレビ『素晴らしい宇宙船、地球号』で奈良公園のフンコロガシを取材に来たテレビ局の人の話をされました。「高畑でランドセルの小学生と向こうから来る巨大な野生の鹿。どちらも振り返らずにすれ違うところがすごい‼」と奈良を絶賛されたそうです。「世界に誇れる奈良」と岡本先生はおっしゃっていました。

そして、保山さんは次回・秋の公開録画は11月23日(土・祝)国営飛鳥歴史公園・四神の館とご紹介されました。国営飛鳥歴史公園HPよりお申込みいただいた何人かには保山さん撮影の飛鳥のDVDを無料でプレゼントして下さるとか・・(詳しくはHPをご覧ください)

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その後、奈良公園バスターミナル竹田室長のまほろばワンポイント講座は「奈良公園と春日山原始林」でした。神秘の森の原始的な生き物との共生、ナギ・ナンキンハゼのナラ枯れの被害、行政・地域・NPOでの植生の保護策など、100年・200年・1000年と続いてほしいとのお話がありました。

岡本先生からは「今、ボコボコにやられてますやん。改善を(笑)」と言われ、「まぁ気をつけや。バスもよろしくな!(笑)」と励まされていました。

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と、ここで当会鉄田専務理事のご出演!岡本先生とは10何年前から親しくされていて、当会第2回総会でご講演をしていただいたとか。春日山で首つりがあったら神様が嫌いはるという『春日山の天狗風』のお話や春日山の木々が一気に大量に枯れ始める現象(日本に悪いことがあると必ずこれが起こると言われ、たいへん畏れられた)が起こった時、神事を行うと必ず木が元に戻るという『山木枯稿(さんぼくここう)』のお話がありました。(会場のお客様は、へぇ〜!ほぉ〜!と驚かれていました)

すると今度は会場が一気に薄暗くなり、ならどっとFMの中川直子局長の絵本朗読。実は中川局長、35年も前から体のご不自由な方の朗読の指導をされているそうで『しろちゃん』は30年も前の悲しい実話です。保山さんは「よくニュースでレジ袋を食べて鹿が死んだことをインバウンドの外国人の観光客が増えたせいにしていますが、実は30年以上も前から、こういうことはあったんだということを語り継ぐためにもこの本を選びました」と。(そして木塲さんの二胡演奏が流れる中、会場内は『しろちゃん』の世界にグングン引き込まれていきました。)

さあ、そして岡本先生より今月のまとめのお言葉は・・・「『灯台もと暗し』ですな。奈良公園ってこんなに奈良時代からの縮図がある‼ ところが案外振り返る機会がない。奈良公園は春日山から春日野、奈良の町に至るまでの広大で1200年の歴史が凝縮した場所。もう一度1200年の歴史ある奈良公園、足元を振り返ってみなあきまへんな」と。

ラジオ収録後はお神輿担ぎから戻って来られた大垣知哉さん、奈良公園から玉山さんも帰ってきて、出演者全員で保山さんの映像を見ながら、会場の皆さんも一緒に「ふるさと」を大合唱!!!

―   休憩タイム  ―

(会場の外では、現在ベストセラーになっている『奈良百寺巡礼』(今回は鉄田さんの落款とサインが超レア物)、鹿の絵本『しろちゃん』、次回上映会のチケット、カンパの保山さん映像DVD、木塲さんのCD等が販売され、どこも大賑わい!)

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さぁ!後半は当会・豊田敏雄理事長のご登壇から始まります。
「奈良まほろばソムリエの会とはどんな会ですか?」と司会者に聞かれた豊田理事長。当会のここまでの歩みと「毎年だいたい40人ずつ増えて、現在420人弱くらいで、奈良をよく知っていただき、歴史に親しんでいただこうという活動をしています。」とご説明。また「この上映会が、保山さんファンとソムリエの会のファンでいっぱいになりますように」とおっしゃっていました。

―  奈良百寺巡礼  <正暦寺 > 映像  ―

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そして、正暦寺・大原弘信ご住職と鉄田憲男専務理事のご登壇。
大原ご住職は、孔雀明王のお話をされ「いい仏像は大小関わらず、近づくといいものがありますね〜」と。「山にいると自然の摂理を教えてもらいます。難しいお経よりも山に教えてもらう、自然が教えてくれるということもあります。花も人間も弱っていくということは、終わっていくということ。そして、それは次のことが始まるということ」と…。「枯れた花にも美がある」山にいると自然の摂理を教えてもらうとご住職。植物のお手入れ、木の剪定をご自分でされる大原ご住職のことを素晴らしいと尊敬されていた保山さんの言葉が浮かびます。


そして、司会の中川さんから「正暦寺と言えば、お酒!」とお酒の話が出ると、すかさず鉄田さんが「正暦寺といえば、ポイントは二つ‼、『錦の里』と『清酒発祥の地』です」と。

「正暦寺独自で作るお酒の母と書いて酒母(しゅぼ←これはお酒を造るアルコール発酵の元)というものがあり、こちらで造るのは『菩提元』(ぼだいもと)。これは、室町時代にここで初めて造られたと文献に出てくる独特なもの。」だそうです。「毎月1月上旬に酒母の仕込みが行われます」ということで、「来年は1月11日(土)。12日の奈良検定の前の日です。(笑)」と。

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そして、鉄田さんが大原ご住職とお話をされる中で、すごく興味を持たれたというのが「正暦寺は、流れる川あるいは湧き水に特長があるんです。匂いはカルピスみたい」と。
「自然の乳酸菌がそこにあるんです。酒造りで大事なのが、麹菌、酵母菌、乳酸菌と言われます。あとは皆さんの努力です。」と教えて下さいました。

正暦寺は、11月3日〜12月1日に白鳳仏の秘仏公開があり、本堂を開けて拝観できます。紅葉の景色が美しい時ほどお寺のお忘れ物が多いようで、「忘れ物の多さでその年の紅葉の美しさがわかるんですよ」とご住職。「11月20日から月末がきれいです」とのことで、正暦寺のお酒も販売されます。鉄田さんは全種類飲まれたことがあるとか(さすが‼)

ということで、今回の様子は、ならドットFM『岡本彰夫の奈良、奥の奥』11月4日(第1月曜日)3時〜4時、再放送は11月8日(金)20時〜21時に放送されます。ぜひお聴き逃しなく!です。

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次回11月2日(土)は「大和の月」。奈良百時巡礼は般若寺で、当会理事の石田一雄さんのご登壇です。次々に奈良の魅力を発信される保山さんの月イチ上映会!皆様お誘い合わせの上お越しいただき、どうぞお楽しみ下さい。

写真:松森重博理事、鉄田専務理事   文:広報部 増田優子

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2019年10月15日

女性グループ(ソムリエンヌ) 「初秋の馬見丘陵」

10月7日、少々暑すぎるほどの秋晴れの中、ソムリエンヌ7名で、北葛城郡河合町から広陵町にかけて広がる馬見丘陵を訪ねました。

10時に池部駅を出発して、馬見丘陵公園緑道を、ころころ転がるどんぐりを踏みながら歩き、途中、旧石器時代の石器類が6400点も出土したという馬見二ノ谷遺跡でしばしタイムスリップして、30分ほどで馬見丘陵公園に到着しました。

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青空の下に広がる緑の芝生と色とりどりの花々に出迎えられ、まずは皆それぞれに、花の中の散策、写真撮影に夢中になりました。ダリア、コスモス、日日草、ベゴニア、サルビア、芙蓉、なんて名前だったか思い出せない花がいっぱいです。

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<約120品種1000株のダリア園>

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<中央エリアに広がるコスモス群>

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<珍しいほうき草の一種コキア>

予定していた公園内カフェが臨時休業のため、公園の外に出てアジアンフードのランチを楽しんだ後、去年のソムリエンヌの新年会でも大和ハープの演奏を披露して下さった、井藤和美先生のハープ工房を訪ねました。いろんなサイズ、また材料の異なるハープを見せていただき、ハープとギターの2重奏を聞かせていただきました。同じ楽器でも、私たち素人のつまびく音とプロの奏でる音の違いに大変驚き、音楽の奥の深さを感じました。

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1時半頃からようやく古墳見学の開始です。
まずは、奈良検定問題常連の乙女山古墳へ。全長130メートルの典型的な帆立貝形古墳ですが、草木に覆われていて、周濠らしき幅の平地の向こうに小山が見えている感じでした。

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<カタビ古墳群>

池に沿って少し歩くと、木立の下に寝転びたくなるような草原が広がっていました。ここには、カタビ古墳群という4基の小さな古墳が眠っているそうです。また、その隣には、全長60メートルの円墳、別所下古墳の小山が見えましたが、スズメバチ注意の看板が立っていて近づけませんでした。

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<倉塚古墳>

まだ緑一色の桜並木の下を歩きながら、池の向こうに、共に全長150メートル程の前方後円墳、一本松古墳と倉塚古墳の高まりが眺められました。信州の高原のような爽やかな眺めです。倉塚古墳からは、この辺りでは珍しい、2個の円筒埴輪を繋いだ円筒棺が出土したそうです。

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<狐塚古墳>

「トチノキ橋」と名付けられた、森の中の木道を通り、10分ほどで狐塚古墳に到着。全長86メートルの帆立貝形古墳ですが、中央部を県道が横切っていて、路面に緑色で、古墳の範囲が表示されています。誰もが、交通安全のための緑色だと思って走り抜けることと思います。

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<三吉2号墳>

狐塚古墳のすぐ向こうに、馬見古墳群中央群中最大の巣山古墳が見えてきました。その遺存状態の良さから国の特別史跡に指定されている、全長220メートルの前方後円墳です。2006年に周濠北東隅から、葬送儀礼に使用した喪船と考えられる準構造船の部材と推定される木製品が多数出土したことで注目を集めました。ここも今は草木に覆われていますが、小高い所から眺めると古墳らしい姿となります。
すぐ東隣に、彼岸花がわずかに咲き残っている三吉2号墳の丘があり、その上に登ると、若草山が遠望出来ました。

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<ナガレ山古墳で最後の記念撮影>

北側のダダオシ古墳を見ながら、最後の目的地ナガレ山古墳へ。東半分を築造当時の姿に、西半分を現在の姿にと復元整備された、全長105メートルの前方後円墳です。注目すべきは円筒埴輪列の数で、墳丘調査では1800本に及んだそうです。また、円筒埴輪を2列に並べた墳丘に登る「道」は、全国で初めて見つかったとのこと。現在復元されている埴輪675本中、494本が強化プラスチック製で、181本は河合町民による手作りだそうです。
墳丘上からは、春日山から、三輪山、音羽山へと連なる山容を一望でき、今日の晴天に感謝しました。

花と音楽とランチと古墳巡り、まさに五感フル回転の1日になりました。
四季それぞれに美しい花々を咲かせてくれて、しかも無料!というありがた〜い馬見丘陵公園。心も体も癒しに四季折々訪れたいと思います。


文・写真  女性グループ(ソムリエンヌ) 大谷巳弥子

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2019年10月12日

第2回サクサクわかる万葉講座 「万葉集の花」

講師 石田一雄さん

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令和元年9月28日(土)南都銀行大宮支店ビルの4階において、「第2回サクサクわかる万葉講座」が25名の参加で行われました。今回の講師は当会理事の石田一雄さん。石田さんといえば、昨年、鑑真和上のふるさと揚州大明寺を訪ね、講演されたという探求心旺盛なお方!今回は、万葉集の花を四季折々愛でる楽しさをお話して下さいました。

まずは、鉄田専務理事より、令和・万葉集のブームに乗って、次々開催される当会のイベントを紹介されました。(詳しくは当会のホームページをご覧下さい)

その中でも、12月7日(土)はJR西日本とコラボしたウォーキングが開催されます。「JR奈良駅から巻向駅まで、4両編成・貸切の新型車両に乗ります。当会万葉集の講師・米谷潔さんが車内放送でミニ講話をしてくれます。約30分、耳を傾けながら、柿の葉ずしのお弁当をいただきがら、巻向駅に向かいます。駅からは当会ガイドグループが万葉歌碑を巡りながらご案内。我々だけの臨時列車で、他にはない当会ならではの楽しいツアーです。ご家族、ご友人お誘いあわせの上、たくさんの方のご参加をお待ちしています」。

そして、「この秋からリニューアルの奈良テレビ『ゆうドキッ!』に当会会員がレギュラー生出演します。毎週月・木曜日です。奈良の行事イベントやグルメ(狭いエリア限定のあまり知られていないお店)を紹介します。芸人さんも入って楽しい番組になるので、どうぞご覧下さい」とのことでした。

さて、石田さんの講座「皆さん、万葉集の花は奈良県のどこで見ることができるでしょう?特に万葉集にしか出てこない花も今日は紹介します」と始まりました。

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1. 万葉集の植物

「4516首の歌のうち、1700あまりの歌に植物が詠まれます。その種類は150〜160種。花の名・植物の名が特定できないものを加えると延べ2200首以上」だそうです。

万葉集の植物には、実生活に必要であった植物が多いようで、それらを紹介されました。また万葉集全体で植物を詠んだた歌数の多い歌人ベスト5として、@大伴家持220、A柿本人麻呂68、B大伴坂上郎女30、C大伴旅人26、D山部赤人25、を紹介されました。

歌数の多い花として、@萩142、A梅119、B橘69、C桜47、D尾花(ススキ)43、と紹介したあと、「今日は歌数にこだわらず、一つの花に一首ずつ歌を紹介します」と。

そして、花として観賞価値のある樹木や草50〜60種から、奈良県で見られる36種についてそのスポットと歌を紹介されました。

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2.四季の花と歌

(1)冬の花
梅:「まずは令和の梅から。梅は春を先取りする歌。山の斜面にフワーッとピンクや白に、香りもいいですよね。」と奈良県の三大梅林はもちろんのこと、奈良市内の片岡梅林もお薦めされていました。「円窓亭の近くに古い木が多く、とてもきれいです」と。

(2)春の花14種
桃:「桃が集まって咲いているのは石舞台!昔、遠足で行った時には何もない土手でした。これは観賞用に植えられました」と。「春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つ少女(おとめ)」と大伴家持の歌を読まれ、この歌は「桃の花の下の道に、少女が現れたらいいなぁと空想で歌われたのでは?と言われています」と解説されました。

「ちょっと脱線しますが…有名な(うすいピンクの)又兵衛桜は、その後ろに濃いピンクの桃が咲いているから、その色がよく映えるんですよ」と。(なるほど!です)

椿:「椿と言えば、大和三名椿!しかしこの三つが同時に見られる所があるんですよ!」「当会ガイドグループの戸尾さんの『椿寿庵』(ちんじゅあん)が大和郡山市にあります。」とご紹介。

「戸尾さんはボランティアで、たくさんの椿300種をビニールハウス2棟で育てておられます」とおっしゃると、場内からは「へぇー、すごい!との声。(これは春には必見の場所ですね。戸尾さん、来年の春を楽しみにしています。)

また、桜井市玉列(たまつら)神社の椿祭りのお話もされ、やはり椿といえば万葉集「巨瀬山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 見つつ思(しの)はな巨瀬の春野を」を解説。この歌を詠った坂門人足(さかとのひとたり)はこの一首しか万葉集に載ってない人で、持統上皇の紀伊行幸の随行時に詠んだとのこと。

かたかご(カタクリ):「県内で見られる場所は少ないですが、葛城山に行って、歩いて登ると途中の湿地に群生しているのが見えます」と。そして万葉集には「物部(もののふ)の八十少女(やそをとめ)らが…」をご紹介。「乙女が出てきますが、これまた想像!」とのことでした。

さくら:当時の花見は梅でした。桜の花見が庶民に普及するのは、徳川吉宗の江戸時代からです。ソメイヨシノは新種で、クローン桜です」と。「万葉集の時代の桜はヤマザクラ。山を登っていく桜は他の所にはなかなかありません」と吉野山の桜をご紹介されて、山部赤人の「あしひきの山桜花…」を読まれました。

また「いつも悲しいのは、奈良のヤエザクラが注目されないこと。5月の連休頃に咲きますが、ソメイヨシノの桜前線は青森、北海道へ行ってしまって、その頃に奈良のヤエザクラが咲いてもあまり話題になりません。今度、「ゆうドキッ」で取り上げてくれるかなぁ(笑)」とおっしゃられました。

梨:石田さんが宇陀市の仏隆寺で写された美しい梨の花の写真とともにご紹介。「仏隆寺といえば千年桜が有名ですが、門前の崖に咲いているのを見て満足してしまい、お参りに行かない人がいる」と憂いておられました。「門を入ると、奥に咲いている梨のきれいな白い花をぜひ見に行って下さい」と。

ツツジ:ここでは、葛城山と御所市の船宿寺。「船宿寺は、すごいですよ!門に入ったらつつじで埋まっていますから」と。「船路集落のオオデマリに出迎えられ、船宿寺に入るとツツジ、奥にシャクナゲ。ぜひ一度お出かけ下さい」と。そして、「舎人(皇族に従う従者)が草壁皇子と生前に行ったことを思い出してうたった歌」を詠まれました。

藤:藤!といえば萬葉植物園。「ここは藤の園、200種2000本でほとんど藤棚になっていない。立ち木のまま育てている。昭和7年に開園された第1号で、萬葉植物の8割以上がある」そうです。石田さん、一番のお薦めは5月5日と11月3日の南都楽所(がくそ)の舞楽でそれぞれ子供と大人が行います。

他にも馬酔木(あしび、あせび)、やまぶき(般若寺)、つみ(山法師)、あやめぐさ(花しょうぶ、馬見丘陵公園)、うのはな(うつぎ、長谷寺、県立万葉文化館)、かきつばた(長岳寺、法華寺)、あざさ(三宅町)など万葉集の春の花を愛でる場所を教えて下さいました。

(3)夏の花7種
あじさい
有名なのは矢田寺ですが、空いていてお薦めは長岳弓寺です」と、橘諸兄のあじさいの歌を紹介されました。

他にもくれない(べにばな)、ねぶ(ねむ)、はねず(ざくろ)むらさき、ささゆりの花と歌をご紹介。

はちす(蓮):ハスは西大寺、喜光寺、唐招提寺、薬師寺のロータスロード4か所のことと、JR大和二見駅近くの生蓮寺(五條市)を紹介されました。

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(4)秋の花14首
秋の花、あさがお(「桔梗」のこと、円成寺・元興寺)や萬葉植物園の「くず」「なでしこ」や明日香村の「をみなえし」に因(ちな)んだ万葉集を読まれました。

藤袴(ふじばかま):曽爾村のふじばかまと山上憶良のこれぞ秋の七草!の万葉集「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花(おみなえし)また藤袴あさがほの花」を読まれ「春の七草は食用!秋の七草は観賞用!」と教えて下さいました。

いちし(ひがんばな):彼岸花は仏隆寺と葛城古道を推薦、「路の辺の 壱師(いちし)のはなの いちしろく 人皆しりぬ 我が恋妻を」(自分の奥さんがきれいだということを他の人に知られてしまったという意味)の歌を紹介。

はぎ:萩は元興寺、白毫寺(今年の秋の当会ガイドグループのコースです)

はねず(芙蓉):白い花がだんだんピンクになり、酔っぱらったようになるという「はねず」(酔芙蓉)の橘寺。

また、奈良市内でも見ることができる平城京跡のをばな(すすき)やつきひとのかつら(キンモクセイ)も紹介され、その万葉集も詠まれました。

ちち(乳、いちょう):そして秋が深まる11月に実をつけるちち(いちょう)は、戒長寺のお葉つきイチョウや音羽山観音寺を紹介し、大伴家持の「乳の実の父の命 (みこと) 柞 (ははそ) 葉の母の命…」の歌を解説されました。

もみぢ(もみじ)、さなかずら(さねかずら):もみじは正暦寺・談山神社の美しい紅葉を紹介され、橘奈良麻呂の邸宅で主人を讃えるように詠んだ万葉集「めづらしと わが思ふ君は〜」の歌を教えて下さいました。また、さなかずらは不退寺でした。

たちばな:最後に橘のお話。橘寺や興福寺南円堂をご紹介。「興福寺南円堂の橘は、なかなか花は見られないが、実は長持ちします。平安時代から左近の桜、右近の橘と言われてきましたが、南円堂では左近の藤となっています。」と。

そして、聖武天皇の「橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の樹」を紹介されました。これは「葛城王(橘諸兄)が橘の姓を賜った時に歌われたもので、『橘』は文化勲章のマーク、これをかたどって作っている」そうです。

ちなみに「橘は香りがありますが、皮をむいても小さいものしか入っておらず、酸っぱい」そうで、「実は橘のエキスを使ったお菓子があるんですよ」と。橘寺で除夜の鐘をつくと地元の洋菓子屋さんがお供えしたパウンドケーキをいただけるそうです。石田さんが行かれた時10人〜15人しか集まっていなくて、108撞(つ)くのに(人が足りず)何度も撞くことができたとか。「ぜひ何回でも撞ける除夜の鐘に挑戦して下さい」とおっしゃっていました。


ということで、石田さんは「今年は万葉集の年!ぜひ万葉集の花を楽しんで、それをきっかけにして万葉集の世界に親しんでもらえたら。」と締めくくられました。

今回の万葉講座は、万葉集のことを少しでも知っているだけで、大和路の花を愛でるのが、倍!楽しくなる、すぐにでも出かけたくなる素敵な内容でした。

石田さん、美しい花や樹木と神社・仏閣の写真がいっぱいの万葉集の歌の解説をありがとうございました。万葉の人々の気持ちになって季節ごとの花を楽しもうと思われた方も多かったのでは。当会の令和に因(ちな)んだ万葉講座、まだまだ楽しみ方があるようで続きます。皆さんこの機会をお見逃しなく!


文:増田優子(広報G) 写真:鉄田専務理事
  

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