2020年11月28日

保存継承グループ 長岳寺(天理市)で美化奉仕活動

保存継承グループは11月14日、初めて主催する社寺美化奉仕活動を天理市柳本町の長岳寺(高野山真言宗)で行いました。グループから8名、ソムリエの会理事会メンバーから4名の計12名が紅葉の進む境内で雑草の刈り取りなどに汗を流しました。

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<長岳寺境内。本堂(右)、鐘楼門(左)と放生池>

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<長岳寺美化奉仕活動に参加した皆さん>

参加者のうち電車組は午前9時すぎにJR桜井線柳本駅前に集合。徒歩で長岳寺に向かう途中、同寺飛地境内にある傘堂形の五智堂(重文)を見学しました。
午前10時前に同寺駐車場横の大門(だいもん)前でマイカー組と合流し、同寺境内へ。作業は10時すぎから、放生池東側の池辺と旧地蔵院庫裏(重文)の庭園の2カ所に分かれてスタート。

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<キイロショウブの葉などを刈り取る池辺グループ>

全員軍手をして、池辺グループは枯れたキイロショウブの葉などを鎌で刈り取り、庭園グループは植木の間に茂った雑草抜きなどをしました。前日までに北川慈照住職からうかがっていたスイセン、シダなど刈ってはいけないものに注意しながら作業し、1時間余りで集まった雑草は大型ゴミ袋6つ分になりました。

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<植木の間の雑草などを取り除く庭園グループ>

作業前、同寺を創建した弘法大師の像を安置し、普段は非公開の大師堂(県指定)内部を北川住職の計らいで見学させていただきました。厨子内の弘法大師坐像の前で北川住職が行っておられる密教の修法についてお話をうかがった後、全員が順に手を合わせて拝観しました。
作業後に一旦解散し、午後に参加者の半数は本堂内で公開中の「大地獄絵」(県指定)前で行われた北川住職による六道にまつわる説法に他の参拝者と共に1時間半ほど聞き入りました。

美化活動はソムリエの会定款に盛り込まれており、これまでは任意団体「まほろば会」と共催で行ってきました。同会がメンバー高齢化のため昨年度末で活動を終え、今年度から保存継承グループが主催することになりました。
次回からはソムリエの会HPで会員に参加募集する予定で、関心のある方々のご参加をお待ちいたします。

文・写真  保存継承グル−プ 久門たつお

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2020年10月23日

史跡探訪グループ「道明寺・野中寺・葛井寺の秘仏を拝観!」

2020年10月18日

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1. 近鉄道明寺駅AⅯ9:20集合
令和2年度初回の例会を、毎月18日の観音講の日にあてて、4月18日(土)に秘仏拝観を中心に、古市古墳も含めて計画しましたが、コロナで開催できませんでした。休日で18日の観音講は10月18日(日)が今年最後のチヤンスとなりました。
堂内で、仏さまを拝観する条件にマスク着用が義務付けられ、今回の参加者全員がマスクを着用しています。さらに手洗い消毒液の噴霧器も準備しました。出発時、お堂の拝観後と、昼食前に手洗いを励行しました。このような準備とコース説明を駅前でしています。

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2. 道明寺天満宮の修羅
道明寺天満宮の境内に展示してある修羅のレプリカで、道明寺から国道を超えた西の三塚古墳の周濠から発掘されました。発掘された修羅は「近つ飛鳥博物館」に保存されています。大修羅は古墳の石棺を運んだと推測されています。手前の小修羅も同時に発掘されました。室町時代になりますが、京都金閣寺の池からも、このような小修羅が発見されていて、庭園造営の庭石を運んだと推定されています。修羅の形は二等辺三角形に特徴があり、戦国時代から城の石垣に使う巨大な石を運ぶ場合と異なっています。古墳の山を登るために三角形の底辺がストッパーになっていると考えられています。

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3. 道明寺
道明寺十一面観音さまの拝観後、境内の木槵樹(もくげんじゅ)和名はムクロジです。謡曲「道明寺」の主題の樹木です。菅原道真さんが大乗経を5部写して、祠に収めたとことから木槵樹が生え、その黒い実で造った念珠で、念仏を百万遍唱えれば極楽の行けると、善光寺の阿弥陀さまが夢に現れるところから始まる物語です。その祠は道明寺から300mほど高野野街道を南の下ったところにあります。ここには大きな木槵樹が茂っていました。まだ赤い実をつけていましたが、もうしばらくすると、黒く硬く数珠のたまになります。この祠から東へ50mほどのところに土師寺の五重塔の心礎が残っていました。
土師寺は土師八嶋が邸を仏殿して仏を祀ったとの伝承があり、道明寺の起源となった古代の寺院です。土師氏の祖は野見宿祢に遡り四腹(四氏族)に分かれます。毛受(百舌鳥)・菅原・秋篠・古市の土師氏に分かれます。

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東高野街道を南へ進み誉田八幡宮へとむかいます。

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4. 野中寺
野中寺の伽藍配置は法隆寺様式ですが、搭の基壇に金堂に向いて段があり東を向いています。金堂は搭の方に向いて相対する配置となっています。礎石には心柱に添え柱があり、橘寺の搭と同じ形式です。また心柱礎石には亀の顔のような線彫りがあり、ともに特異な形をとっていいます。特に野中寺式伽藍ともいわれています。
秘仏の観音像は、三面頭飾と流れるような衣文に水玉模様の入った「隋」の仏像様式を伝えています。また框には学会で大王から天皇への時代をめぐって論争のある「天皇」銘が刻まれています。

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5. 葛井寺
さすが観音講日の葛井寺さん、朱印帳をいただくのに、50mほどの人の列でできていました。やはり観音講の18日に朱印をいただくことが大事なのでしょう。
観音さんの千手が尊像を大切に守るようでもあり、光を放つようでもあり、光背のようでもあります。尊顔は東大寺の天平の塑像ように穏やかな優しい姿せした。

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6. 津堂城山古墳
大和朝廷の豪族の前方後円墳のひな型といわれる貴重な前方後円墳です。この少し前に造られた古墳に明石の五色塚古墳がありで、日本書紀では神功皇后と戦う仲哀天応の皇子であった押熊王の創造といわれています。この津堂城山古墳と五色塚古墳を基準にして、古墳を考古学の時代で考えると、天皇陵の時代背景が違って見えてきます、
それにもまして、目を引くのは長持ち型石棺のレプリカが展示してありました。もちろん少し黄色かかった古代大王の石棺材の竜山石で造られていいます。大きな石棺です。このような石棺を道明寺天満宮に展示してあった修羅で運んでいたのでしょう。


史跡探訪グループ  写真 小林誠一 文 加藤 宣男
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2020年09月29日

入会説明会および歓迎講演会が開催されました!

令和2年度新入会員向け「入会説明会および合格者祝賀会」は新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期されていましたが、一部内容を変更し「入会説明会および歓迎講演会」とし、39名(会場定員の50%以下)で、受付での検温など、参加者みなさまのご協力を得て、8月30日(日)に開催されました。

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豊田理事長による開会挨拶

豊田理事長の開会挨拶に引き続き、歓迎講演を3題、その後の入会説明では当会の概要と各グールプの活動内容について紹介されました。
歓迎講演ひとつ目は、当会保存継承グループの小倉つき子さんによる「廃寺の仏像の行方を追って」で、廃仏毀釈のあおりや寺院の衰退、伽藍の焼失などさまざまな事情により廃寺となり流出した“み仏たちの今”について熱く語られました。

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小倉さんによる講演「廃寺の仏像の行方を追って」

歓迎講演のふたつ目は、「Nara観光コンシェルジュアワード」で最優秀賞を受賞された当会ガイドグループの安井永さんにより「奈良の魅力を伝える〜ガイドの心得〜」で“泊まって味わえる奈良の魅力”の伝え方について、多くの経験と実績に基づき詳しく説明されました。
歓迎講演の最後は、「奈良の魅力を伝える〜講師の心得〜」で、年間50回ほどの講演をこなす当会専務理事の鉄田憲男さんより「奈良の“語り部“」たる奈良まほろばソムリエの講師として必要なことを様々な角度より解説されました。

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歓迎講演会に引き続き、入会説明会が行われました。
はじめに、「当会の活動について」当会の歩みや設立趣旨など、全般的な概要が専務理事鉄田憲男さんが説明されました。
続いて各グループの活動内容について、趣旨・メンバー・実績・連絡先などが担当理事や世話人より紹介されました。

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また当日会場では書籍販売も行われ、歓迎講演ひとつ目の小倉つき子さんの著書『廃寺の み仏たちは、今』や当会会員の共著による『奈良百寺巡礼』が特別価格で販売されました。

快晴で暑い中、お越しいただきました皆さま、ありがとうございました。

写真:専務理事 鉄田憲男 文章:総務担当理事 大江弘幸

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2020年03月08日

女性グループ(ソムリエンヌ)大和三山PARTU  ―大和三山の中で一番高い畝傍山に登ろう!!−

2月23日(日)、女性グループ12名で「大和三山の中で一番高い畝傍山に登ろう!!」に出かけました。前回(2019年9月28日)の大和三山PARTT(香久山)に続いてのハイキングでした。
前回の香久山は山というより小高い丘の印象がありましたが、今回は、三山中一番標高が高い199.2メートルの山で三等三角点が置かれています。瀬戸内火山帯に属する死火山で、噴火時は今よりも2倍以上大きかったそうです。それが長い年月をかけ浸食され、現在の形になりました。山麓は片麻岩、頂上付近は黒雲母安山岩からなる山です。また、藤原京が造営される時には大和三山の位置が重要な立地条件になったと考えられていて、歴史的風土特別保存地区にも指定されていました。そして平成17年には国の名勝にも指定された場所でもあります。
今回は気軽に登山できる人気のハイキングコースを歩き、下山後は『伝統食カフェ〜楽膳〜』にて体のことを考えた優しいお料理を堪能。しかも周辺の史跡巡りもした約3キロのウォーキングでした。

《コース》
橿原神宮前西出口→久米御縣神社→久米寺→橿原神宮→畝傍山(山頂)→眼福地藏 →神武天皇陵→昼食(楽膳)→生國魂神社→おおくぼまちづくり館 →国源寺・大窪寺跡→大久保神社→畝傍御陵前駅

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名石工・丹波佐吉の狛犬がある久米御縣神社

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橿原神宮

この日は天長祭・厳粛な儀式が執り行われていました。
一番古い天皇を祀る一番新しい神社です。
明治23年に創建されました。

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いよいよ畝傍山登山です。

寺田さんから登山コースの説明と注意点を聞きました。

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この日参加したソムリエンヌメンバー

大和三山で一番高いとは言え、登山道も整備されていて気軽に登れ、しかも頂上からの眺望もよいので、この日もたくさんの方と出会いました。現在、西麓にある畝傍山口神社がかつて山頂にあったという石碑を背にして写真撮影。(登山されてきたご夫婦に撮って頂きました。)
大阪の住吉大社の新嘗祭における埴使いの神事にも、この山の土が使われる事を思い出しながら下山しました。

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傘をかけられ大切に祀られている眼福地蔵(がんぷくじぞう)

ここは、畝傍山口神社からの登山道と橿原神宮からの登山道の合流する辺りを南に少し下った登山道にあります。古いお地蔵さまがこちらを見て微かにほほ笑んでいらっしゃるようでした。

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神武天皇陵(畝傍山東北陵・山本ミサンザイ古墳)

文久の修陵の頃は初代神武天皇の陵の候補が3つあり、山稜奉行相談役の谷森善臣の意見や奈良奉行の川路聖謨の『神武御陵考』などにより、現在地が選ばれて築造されました。文久3年(1863年)の修陵予算の五分の一である約1万5千両(現在の価値に換算して約3億円)をかけた修陵だったようです。そして、明治から昭和にかけてさらに拡張し現在の姿になりました。
また、神武天皇陵や橿原神宮、それにつづく橿原公苑の厳粛な雰囲気を醸し出す広大な森林は、神武天皇即位2600年にあたる昭和15年(1940年)までに、全国から延べ121万4千人の人達がただの田んぼだったこの土地に、7万6千本以上の木を勤労奉仕という名のもとに植樹されたものです。
現在、橿原の森は野鳥が飛び交い野鳥観察や森林浴に最適な場所です。しかし、そのような歴史にも目をむけたいと思いました。

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楽膳での昼食 

1100円で、コーヒー付き。ご飯とお味噌汁のお替りは自由。会話も弾み楽しいひとときを過ごせました。

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現在の生國魂神社

畝傍山の東北麓に洞村なる集落があり、神武陵を見下ろす場所であったこともあり、強制移住させられました。氏神様である『生國魂神社』も墓も一つ残さず移転したそうです。元の神社は神武天皇陵参道から山林に踏み入った所にあり、神社跡を示す『宮の柱』(石柱)と井戸跡があると、寺田さんの説明がありました。残念ながら「立ち入り禁止」になっていたため見学はできませんでした。

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おおくぼまちづくり館

洞村から1920年に移転された旧丸谷住宅が資料館として活用されています。大久保地区のまちづくりの歩みの学習や、人権学習などをするための施設です。移転前の洞村の模型が当時の写真と共に展示されていました。館内の説明を聞いたり、洞村の歴史ビデオを視聴したりしました。

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大窪寺にあった塔の心礎(現在は公民館の庭にある。)

『日本書記』にある大窪寺は七堂伽藍の立派なお寺だったそうですが、伽藍配置は不明。金堂は現在の国源寺付近に推定されています。
現在、国源寺は浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。もとは畝傍山麓の神武天皇陵兆域の一部にあったのを、明治初年に現在地に移されたようです。
明和9年(1772年)の墨書きがある涅槃図(2m×2.5m)や国源寺縁起(巻物)が保存されています。

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国源寺と観音堂

観音堂には本尊・一面三目八臂の不空羂索観音立像と、鎌倉後期に作られた国内最古の聖徳太子立像(南無仏太子像)、弘法大師像が安置されています。聖徳太子立像と、不空羂索観音立像は今秋、東京の三井記念美術館と京都龍谷ミュージアムに出展される予定です。その折には是非、足を運びたいと思いました。

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『国源寺縁起』を熱く語られる岩井自治会長

岩井さんがこの仕事に就いたときに、『国源寺縁起』を読み下し文にし、観音堂の由来やそれぞれの仏像のいわれなどを紐解き、三年かけて冊子(全32ページ)を作り、町内の各家庭に配布されたそうです。
我々が訪問した日は、実際に『国源寺縁起』の巻物を開いて、大事な部分を分かりやすく説明していただきました。『国源寺縁起』の抜粋した資料も頂きました。

最後に大久保神社に行った後、畝傍御陵前駅で本日の行程は終了となりました。盛り沢山の内容でしたが、ゆったりと良い時間を皆さんと過ごせた楽しい一日でした。
大和三山を巡るウォーキングも、残りPARTV(耳成山)となりました。今秋に計画されるそうです。次回も新しい発見が期待できそうで楽しみです。

文・写真 女性グループ(ソムリエンヌ)池田喜代


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2020年03月02日

保存継承グループ 川西町:六県(むつがた)神社の「御田植祭(子出来オンダ)」見学記

田植えの所作を演じて五穀豊穣を願う御田植祭(オンダ祭)は全国各地で行われています。
六県神社=磯城郡川西町保田(ほた)=では田植えの後、妊婦が出産する所作があることから「子出来オンダ」とも呼ばれる珍しいもので、平成18年(2006)、県指定無形民俗文化財に選定されました。

2月11日の午後5時から、巫女の御湯たて、神職の祝詞奏上、巫女による舞と参加者や見学者へのお祓いが行われます。

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<拝殿前での巫女の御湯たて>

午後6時ごろ、30人ほどの子供たちが拝殿に集まり、田んぼに見立てた舞台を取り囲みます。御田植祭の演者は集落の男性たちで、この年の本厄(42歳)が中心となり、舞台で八つの所作を演じます。
まず、農夫が二人で一組となり、「水見回り」「牛使い」「施肥」「土こなげ」「田植え」「田螺(たにし)拾い」の六つの所作をそれぞれに演じます。

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<鍬で所作を行う「水見回り」>

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<牛の角を指で表現した「牛使い」>

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<椿の葉を肥料に見立てた「施肥」>

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<コミカルな演技を混じえた「田植え」>

各所作が終わるたびに、周りの子供たちが農夫に群がります。子供たちは雨風を、農夫はそれに耐える稲穂を表しているのです。どれだけ耐えることができるかで、秋の豊穣を占い稲の成長への願いが込められるとのこと。子供たちは農夫の上に馬乗りになったり、激しくぶつかっていったり、大人と子供が一体となって進めていく微笑ましい行事です。

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<稲穂の農夫に群がる雨風の子供たち>

六つの所作が終わると、メインとなる「妊婦の弁当運びと安産」が演じられます。化粧をして妊婦に扮し手ぬぐいを被った男性が、赤ちゃんに見立てた小太鼓をお腹に入れて登場します。夫役の神主と対座し問答をした後、カエルやヘビを避ける仕草をしながら拝殿内を回ります。頭上に掲げた半切り桶に弁当を入れ、夫に運んでいくのです。妊婦が弁当を届けると、夫のそばで産気づき、太鼓を腹から放り出します。夫がうまく太鼓を受け取ると「ぼん、できた。ぼん、できた」と太鼓をたたいて、赤ちゃんが無事産まれたとの喜びを表現します。

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<「妊婦の弁当運びと安産」・・・拝殿内を回る妊婦>

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<「妊婦の弁当運びと安産」・・・無事出産>

最後に烏帽子(えぼし)をかぶった農夫が登場。拝殿内を回って台詞と種まき歌「♪ふぅくぅの種、まぁこぅうよう♪」と歌いながら勢いよく稲籾を蒔(ま)く、八つ目の所作「種まき神事」が行われ、「子出来オンダ」の一連の行事は終了します。

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<稲籾を蒔く「種まき神事」>

戦前までは同じ敷地にある富貴寺(本堂などが重要文化財)の宮座行事だったが、戦後は自治会で行事を引き継ぎ六県神社で行われるようになりました。
開催は祝日の2月11日に変更し、開始時間も子供たちが参加しやすいようにと、午後6時からにしているそうです。本厄の男性だけでは人が足りないので、地域の若い男性にも役を演じてもらうなどの工夫をされています。
奈良県内でも特色のあるオンダ行事を、いつまでも続けて欲しいと願うばかりです。

文・写真  保存継承グループ  仲谷裕巳

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