2011年11月16日

女たちが守る寺シリーズ(1)

友の会交流部会の奈良再発見サークルでは今回から「女たちが守る寺」シリーズとして、県下の寺を巡る企画を立てられているが、その第一回目としてこのほど11月15日に「奈良まちの中将姫ゆかりの徳融寺、誕生寺、高林寺とl城寺を訪ねて」が実施された。
これに先立って11月5日には中田紀子氏による講演があったが、内容は当ブログで記したとおりである。
近鉄奈良駅に8時45分の集合で21人が集まった。
世話人の方々に出席をチェックしていただき資料を頂いた。次いでサークルリーダーの鈴木氏のあいさつとコースの説明があった。

IMG_2172.JPG
資料に目を通す参加者たち

定刻の9時に出発。餅飯殿商店街を通り奈良まちに向かう。
この奈良まちは元々元興寺の境内で地域には20か寺以上が点在し元興寺の子院であった寺も多い。
今日訪れる徳融寺や誕生寺、高林寺はこれまでも訪れたことはあるが、すべて本堂や仏堂に上がったことはなく、したがって本尊である中将姫などは拝観していない。
今回はそれが出来るとあって大変楽しみである。

IMG_2173.JPG

中将姫伝説はこれまで幾度も読み聞きしていたが、そのすべてが中将姫に対する悲劇性や残虐性が強調されていた様に思う。
しかし今回の「再発見」を通じてそれがそのようなものでなく中将姫は阿弥陀如来を尊崇する敬虔な女性でしかもスーパーウーマンであったことが知らされ、改めて大きな知識の収穫となった。

IMG_2176.JPG
徳融寺門前

ほどなく徳融寺に到着する
この寺は融通念仏宗で本尊は阿弥陀如来である。
今回は本堂や観音堂に上げていただきそれぞれ拝観できた。特に観音堂では左手に赤子を抱く子安観音がとてもお優しい姿で佇んであられた。
また当寺は藤原豊成卿の邸宅跡とされ、境内には藤原豊成卿と中将姫の供養塔である宝篋印塔が2基ある。
境内の外には墓地があり奈良の著名人の墓石が多くある。奈良出身の画家・絹谷家の墓石もあった。

IMG_2180.JPG
徳融寺境内

徳融寺の筋向いが誕生寺である。
門をくぐるとこじんまりした境内の奥に本堂がある。
この寺は浄土宗の尼寺で、やはり豊成の邸宅跡であり、中将姫はここで誕生したとされている。
本堂には中将姫座像が祀られている。
やがて男性の?僧侶が来られ、寺の縁起を説明された後「中将姫涙和讃」の経文が配られ参拝者全員に唱和を促された。僧侶について読誦するのだが皆さん真剣に取り組まれていた。中身は中将姫の悲劇に始まり最後は29歳で大往生を遂げられたというものである。

IMG_2187.JPG
真剣な眼差しで唱和

そのあと境内を案内された。有名な中将姫の産湯に使ったという井戸があったが、外見はやや粗末なもので
期待していたのとは少し違った。
次いで高林寺に行く
融通念仏宗の尼寺である。ここも藤原豊成の屋敷跡で山門を入ると右手に豊成の古墳がある。
本堂に上がり静かに待っているとやがて尼僧がお出ましになる。
御年八十八歳の当寺九世・智成珠慶尼である。
膝が少しお悪い様であるがかくしゃくとした出で立ちは周囲を圧しその存在感は誠に大きなものである。
3歳から寺に入り長年修行を積まれただけあって柔和なお顔立ちの中に気品と威厳が満ちている。

IMG_2195.JPG
失礼を顧みず撮影したため手が震えてしまった

やがて静かにお話になる。
お話は誠に興味深いものばかりであるのだが、聞く方に力が入り、走り書きのメモが帰って見ると判読不明なもの多く、ここに正確に伝えることが出来るか自信がない。(どなたか誤りがあれば正していただければありがたい)
まず最初に時の右大臣藤原豊成郷は藤原南家で今もその係累は脈々と続き直系の末裔は現在東京女子医大の学長高倉公友氏であることを紹介された。
これまで藤原南家は仲麻呂の乱以降途絶えてしまったように思っていたが、そうではなかったのだ。
次にこの地が藤原豊成の邸宅跡であることに関して。
昭和30年代初めに、年配の方ならご存知の池田弥三郎慶応大学教授がお見えになり、この地に川が流れており遠くに二上山が見えるかと尋ねられたという。
池田弥三郎教授は折口信夫博士に師事し「死者の書」の解説書を著されたのであるが、その中に豊成の邸宅には川が流れ二上山が望まれたというのである。「死者の書」は中将姫を主人公に藤原南家の郎女を巡る物語である。
珠慶尼は確かにこの地の北には鳴川があり、建物のなかった大昔は二上山も望めたと説明されたところやはり豊成の屋敷跡に違いないということであった。
この寺には藤原豊成卿・中将姫父子対面絵図が伝わり、そこには遠くに二上山らしきものも描かれている。
次に中将姫の話であるが、結論から言うと中将姫は説話のような悲劇の主人公ではなく、29才で4メートル四方の蓮糸曼荼羅を作り上げるという大事業を成し遂げたスーパースターのような女性で光明皇后に次ぐ女性でもあったともいわれた。
ここで珠慶尼のお話について奈良まち在住の作家増尾正子氏が珠慶尼に会って聞かれた話を自著の「奈良の昔話」に記されているので要約を紹介する。
<高林寺の前住職稲葉珠慶さんは中将姫の話をされるたびに、「中将姫の悲劇のお話は信仰説話という成り立ち上、苦労が多ければ多いほど後の霊験が輝きを増すという話の性格上、付け加えられたのだと思います。中将姫は幼少のころお母様を亡くされたので信仰心が篤かったのは当然ですが、右大臣藤原南家のお姫様ですし、継母と言っても南家の奥方ですから折檻などはしたないことはなさらないと思います。」とおっしゃいます。いじめというのは心の中の葛藤を後世の作家たちが形に現して分かりやすくしたのだと思う>とされていて、私たちも今回同じようなことを伺った。
また蓮糸曼荼羅の話では、一般的には蓮糸のような弱い糸で曼荼羅など織れるわけがないと思われがちで普通は絹糸で織られるとされているが、決してそうではなく蓮糸を撚り合わせるとかなりの強さになるということを説明され見本を示された。また、ミヤンマーのインレイ湖畔で取れる蓮の糸は強く僧侶の袈裟やマフラーにも使われているとされマフラーの実物を見せていただいた。

IMG_2193.JPG
蓮糸

IMG_2196.JPG
インレイ湖産の蓮糸によるマフラー

話は尽きることがないように思えたが、切りの良いところで終わられた。
一同心から感謝した。帰りに珠慶尼の著書「高坊高林寺」を求めた。長くなるので割愛するがその中ほどには珠慶尼の中将姫への思いが綴られている。

IMG_2197.JPG
高林寺門前で集合写真を撮る

この後一行はl城寺へ向かった。
ここでは有名な裸形の阿弥陀如来立像を特別に拝観させていただいた。両脇の観音・勢至両菩薩も均整のとれた美しい仏様であった。
ここで今日の予定は終わった。ちょうど予定通り12時半であった。
奈良まちという狭い地域での見学会であったが、内容は非常に濃く目からうろこのたとえ通り、正に再発見にふさわしいツアーであった。
最後に交流部会長の東條さんをはじめ、今回の企画をされた鈴木リーダー、また下見からいろいろお世話してくださった役員の方々に厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。
次回の奥山巡りも大いに期待しています。よろしくお願い致します。

奈良まほろばソムリエ友の会 小北博孝





posted by 奈良まほろばソムリエ at 21:49| Comment(2) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

社寺探訪サークル 円成寺と滝坂の道を訪ねて

10月29日 奈良は晴天に恵まれ、社寺探訪サークル主催の“円成寺と滝坂の道を訪ねて”の参加者27名はJR・近鉄にそれぞれ集合し、奈良交通に連絡を入れておいてくださったおかげで、増発便に乗車、全員着席して一路忍辱山に向かいました。
往路のバスの中からすでに交流会が始まっていて、ミシュランの話題や今後のプランの要望など30分もあっという間に過ぎ、忍辱山のバス停に着きました。

円成寺は運慶最初期の作である大日如来像がつとに有名ですが、寺には多くの魅力的な仏像、建築物、庭園があります。
最初に私たちを迎え入れてくれるのは浄土式庭園で、すでに紅葉がはじまりかけた木々が水面に映り、檜皮葺の楼門を正面に見ると、まさしく浄土への入口の趣です。

20111106_01.jpg

忍辱山―円成寺
忍辱山(にんにくせん)周辺には大慈山(だいじせん)・誓多林(せたりん)・菩提山(ぼだいせん)・鹿野園(ろくやおん)と釈迦の修行の聖地に因んだ名称を持つ地名が今でもあり、「北大和五山」と呼ばれていました。
円成寺は平安末期に命禅上人が十一面観音(今は本尊左の御堂にお祀りされています)を祀られたのが始まりです。
浄土思想の高まりで院政期に本尊は阿弥陀如来になりました。

20111106_02.jpg

円成寺本堂で、ご住職の奥様からとても詳しいお話をうかがいました。
本堂は非常に珍しい"舞台付き 寝殿造"で堂内の両脇に局を備えています。
本尊 阿弥陀如来は高御座型の厨子に安置されており、厨子は背面以外の三方開放なので三方向から拝むことができます。
内陣の柱には極彩色で来迎二十五菩薩が描かれ、今でもその一部がはっきりと確認できます。
康勝(運慶の四男)の作と伝えられている四天王像が祀られています。
法隆寺金堂の阿弥陀三尊像と同じ作者ですね(仏師は金銅も木彫もできたのですね。
金銅仏はその原型を仏師が塑像のようなもので拵えて、銅の型をとるのは別の職人なのでしょうか?どなたかご存知でしたら教えてください)。

20111106_03.jpg

いよいよ滝坂の道を歩きます。森林の中をぬける道は清々しく、秋の凜とした空気のなか、気持ちよくウオーキングを楽しみました。
お待ちかねのお弁当は下見のときに見つけておいてくださった沿道の一角で賑やかに摂り、食後は円座になって自己紹介・ソムリエ会での活動状況などを順次楽しく話ました。

20111106_04.jpg

峠の茶屋・首切り地蔵を過ぎ、石畳の道をひたすら降りる途中には春日石窟、朝日観音(実は如来)、寝仏(磨崖仏が落ちてきて横になったから?)、夕日観音(向かって左手にあるもの)などを見ながら春日大社の境内近くに到着。ここで一旦解散式。

20111106_05.jpg
今も往時の面影を残す 峠の茶屋

20111106_06.jpg
寝仏 わかりにくい (H.Yさん撮影)

一部は禰宜道を通って、飛火野へ。
ここで面白い話をききました。飛火野のデコボコした隆起は戦時中芋畑となっていた名残だそうです。
大きな隆起は古墳、春日大社の関係者のものではないかと考えられているそうです。

20111106_07.jpg

寝仏の横にあった 会津八一の歌 10月13日読売新聞に中田紀子氏がエッセイを書かれていました。(写真 注釈とも H.Yさん)

秋晴れの一日、話の合う仲間と共に歩く奈良はまた格別だったと思います。
周到な準備をしてくださったサークルの皆さん、本当にありがとうございました。
参加者一同、大満足の一日だったと確信しています。
今回参加できなかった会員の皆様、是非次回はご一緒しましょう。 
<まりも記>
(カメラを持参していませんでしたので、写真はサークルリーダー、サブリーダーより提供いただきました。)
posted by 奈良まほろばソムリエ at 09:49| Comment(1) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

交流部会「女たちの守る寺」

11月5日 交流部会奈良再発見サークルの主催で、講演会があった。
このサークルではこれから「女たちが守る寺」と題して寺巡りのシリーズを始める。
奈良では法華寺、中宮寺や円照寺が尼寺として知られているが、これら以外にも尼寺や女性の僧が寺をも守っているところがたくさんある。
今回これ等の寺をめぐるにあたって、エッセイストで手塚山短期大学講師の中田紀子氏を招いて事前の予習をしようという講演会である。
中田氏は以前このテーマで朝日新聞に連載されていたので周知の方も多いと思う。
講演会は近鉄西大寺駅前の三和ビルで行われ、今にも雨が降りそうな中40名近くの参加者で賑わった。
会場入り口の受付で、女性役員に笑顔で迎えられ500円の資料代を払う。

IMG_2091.JPG
講演のテーマに反して男性の聴講者が目立った

10時30分 開講
最初のテーマは、「取材した寺々のエピソード」として中田氏がこれまで取材した20余りの寺でのエピソードを紹介された。
普通の女性が尼僧になるには大変な苦労があり、想像の域を超えるらしい。

IMG_2093.JPG
講師の中田紀子氏

次いで、「中将姫伝説とゆかりの寺」では中将姫伝説の解説、中将姫の家系図などが話された。
中将姫伝説の話はいくつもあり、江戸時代に編纂された「本朝烈女伝」が今日伝わったものとしては有名である。
「中将姫ゆかりの寺」
奈良まちにある誕生寺には浄土曼荼羅と中将姫座像があり毎年4月に開帳される。またこの寺には中将姫、父の豊成、母の紫の前の御殿があり三棟殿と称されている。、高林寺にも大変美しい中将姫座像と豊成卿の坐像がある。

IMG_1694.JPG
誕生寺

徳融寺の境内には中将姫・豊成の宝篋印塔がある
青蓮寺は宇陀市にあり日張山中腹の閑静な佇まいで、開山堂には中将姫座像が祀られている。

青連寺.JPG
青蓮寺

当麻寺にある蓮糸曼荼羅は実際は絹の綴織である。ここには中将姫29歳像がある。

「中将姫を取り上げた作品」として、御伽草子、能、浄瑠璃、歌舞伎などで中将雲雀山などが紹介されているが、物語に共通するものは神秘性の拡張や猟奇性の協調である。また折口信夫の「死者の書」についても触れられた。
最後に「日本仏教の幕開けと尼僧たち」では蘇我馬子が仏殿を作り3人の尼僧たちにより仏教を広めた話を詳しく説明され、仏教興隆に女性が深くかかわったことを強調された。

なお再発見サークルでは、11月15日に「女たちが守る寺」シリーズの第1弾として、「奈良まちのl城寺と中将姫ゆかりの寺をたずねて」を実施される。多くの方々に参加していただきたい。

連城寺.JPG
l城寺

奈良まほろばソムリエ友の会 小北博孝
posted by 奈良まほろばソムリエ at 20:31| Comment(0) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする