2012年02月29日

矢田丘陵にニギハヤヒの足跡をたどる

 前日の午後6時台の奈良北部の天気予報は「午前中は50%の降水確率」。本来なら中止であるが、東西に高気圧が張り出してきており小雨程度と予想されることと舗装路が主であることから「決行」することに方針を変更、参加者に電話やメールで「決行」の連絡。

このところの寒さで梅の開花は期待できずあいにくの雨模様にもかかわらず、2月25日(土)午前8時30分富雄駅に参加者申し込みの22名全員が集合、終日傘をさしての散策となった。
 今回は、神武天皇の東征に先だち天つ神を証明する神宝をもって、天磐船に乗って河内河上の哮峯(いかるがのみね)に天降り、その後大和の国は鳥見の白庭山にうつり地元の大王・長髄彦の妹を娶って神武天皇に統治権を禅譲したとされる物部氏の祖・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の足跡をたどる企画。
記紀編纂1300年にあたる今年、悠久の歴史に関心が向けられているのか多くの方に参加をいただいた。

東大阪市の石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)の祭神はニギハヤヒと御子ウマシマデであり、生駒山はニギハヤヒと深く結びついた信仰の対象となる山である。
特に生駒山の東側の矢田丘陵と富雄川沿いにはニギハヤヒと長髄彦にまつわる伝承地や神社が数多く残されており、ニギハヤヒとその妻ミカシキヤヒメを祀る矢田坐久志玉比古神社は今回の探訪の中心である。

途中の見学地と時間が限られるため事務局で詳細な資料を用意、「三本の矢落下地点を結ぶ直線(南北線から30度の傾き)にニギハヤヒや物部氏ゆかりの神社が並んでいる」ことなどを出発前に紹介し見学の一助にしていただいた。

 富雄駅から富雄川右岸(西)の道路を南下。富雄川堤に営巣するカワセミもあいにく橋の下にでも雨宿りしているのか、その「飛翔する翡翠」といわれる姿を見ることができなかったが、事務局のKさんのご主人が日参して撮影された写真が回付され、十分にその美しい姿を想像することができた。

三碓三丁目の添御縣坐神社は本殿が西向きの珍しい配置で三棟が一体につながる形式の重文建築であるが、説明だけで見学は割愛。
インドバラモン僧菩提僊那が命名し落慶したという霊山寺門前の赤い大鳥居を右にみて大日寺の前の坂道を登る。

由緒不明の立派な五輪塔と千体地蔵に感心していると第2阪奈道路をまたぐ高架橋にさしかかる。
この幹線道路をはさむ南北の地区が法に基づき「急傾斜地崩壊危険地区」に指定されているとのこと。30度以上の勾配の土地が急傾斜地に指定され崩壊防止工事が実施されている。
追分梅林で昨年から進められている工事を目の当たりにし、3・11で思い知らされたもしもの時に備えたインフラ整備の重要性を再認識する。

syata01.jpg 大日寺付近の五輪塔

 追分の美しい大和棟の旧本陣・「村井邸」の前の国道308号である狭小な古道「暗越奈良街道」を西へ進み、追分神社を過ぎたところで南に折れる。
このあたりはのびやかな雑木林が残されており冬枯れの景色がなんとも言えず美しい。「子どもの森」に至るまでに古色をおびた道標があり、そばに新しい「伊勢本街道」の表示が見られる。暗峠を越えて奈良に入り、最短の道筋で天理にはいるにはこの道が最適なのだろう。
暗峠と奈良東南部を結ぶ伊勢本街道の意外な道筋が見えてくる。やはり何事も歩いて確かめねばならないと実感させられる。

 「子どもの森」の休憩所を出て雑木林を東へ進み山道を少し下ると「滝廃寺磨崖仏」のあるお堂が忽然と現れる。この地点は、近畿で最大の円墳であり、素晴らしい副葬品が明治に入っての盗掘で出回ったことで知られる富雄丸山古墳の真西に位置する。
この立地にも何かいわくがありそうである。磨崖仏は花崗片麻岩という硬い岩に方形の窪みがいくつか彫られた中に浮彫りにされており、曼荼羅のような構図をもつ奈良時代の作という。
数人で照明をあてたが剥落が激しく、ほとんど仏像の姿を判別することはできない。磨崖仏の前には江戸期の作かと思われる愛くるしい表情の大ぶりな石仏千手観音が祀られている。

syata02.jpg 滝廃寺磨崖仏

 その足許に供えられた水仙の黄色が暗い堂内でひときわ鮮やかである。
磨崖仏は自然石に還りつつあるが地元の人々にとっては今も篤い信仰の対象としてお守りされているのであろう。
 
 ここから落ち葉を踏みしめて来た道を引き返し舗装路に出て南下すると急に展望がひらけ遠くに三輪山が望まれる。
ニギハヤヒが天磐船から宮居のために射た三本の矢が落ちた地の一つ「三ノ矢塚」である。
大和郡山市はこの地を「ヤマタイ国本拠伝承地」として発信している。ここから「ニノ矢塚」のある「矢田坐久志玉比古神社(矢落社)」を経て「一ノ矢塚」を結ぶ線を地図上で南北に延長すると物部氏ゆかりの等彌神社に収束すると思われるが、櫻井市の鳥見山方面を遠望して実見する。

syata03.jpg 矢田坐久志玉比古神社境内の「ニノ矢塚」

 確かにここは両側を丘陵に挟まれて南に広々とした空間が広がる豊かな雰囲気を醸す場所で、風水にも適っていそうである。
「矢田坐久志玉比古神社」では石鳥居に長大な勧請縄が掛けられている。

syata04.jpg 矢田坐久志玉比古神社の勧請縄

syata05.jpg 矢田坐久志玉比古神社

 一説によれば蛇神信仰と関係があるとも言われているが、縄は鳥居の両側に延々と伸びており向かって左側(北)は尾にあたるのか柱にグルグル巻きにされている。奈良県立民俗博物館で鹿谷勲学芸課長が待っていただいているので11時半には民家園に入らねばならない。「一ノ矢塚」の見学を断念し先を急ぐ。

 「奈良県立民俗公園」内の重文民家旧臼井家(高取町から移設)では、おくどさんから登るかぐわしい香りにつつまれて鹿谷勲学芸課長から「民家保存の課題」についてのお話を拝聴する。

syata06.jpg 臼井家での鹿谷勲課長のご講演

 その主旨は、[建築学的な保存は建設当初の姿に復元して保存する。臼井家も高取町で使われている時は、日本で一番美しいといわれる民家様式の大和棟であったが、解体する過程で茅葺きであることが分かり現状の形で保存されることになった。
美しい大和棟は、家が豊かになるにつれて手を加えられて仕上がってきた姿であるので民家園では大和棟は一棟もない。建築学的保存だけでは、その家で暮らした家族の生活の匂いや記憶が残せない。生活の変化に伴い急速に失われていく家の記憶を残していく民俗学的な保存が今後の課題]というものであった。

 長年、大和で綿々と伝えられてきたハレとケの暮らしに暖かい眼を向けられてきた鹿谷課長の言葉には民俗研究者としての熱い思いが溢れ出でており、古いものを保存する基本的な問題を深く考える機会となった。
「かつてお弁当は家で作り外で食べるものであったが、今や外で買って家で食べるものに変わった」という秀逸なたとえには身につまされた。

 臼井家のひな飾りのある座敷をお借りしてお昼をとったのち館内見学に移る。
「除草剤の普及で一家に複数所有されていた手押し式草抜き器が大量に博物館に集まった、稲作にとって水は死活を制するもので、奈良では足踏み水車は切実な道具であった」など見過ごされそうな常設展示品の背景について、横山主任学芸員から懇切丁寧なご説明をいただけたのはありがたかった。
特別展「大和の雛まつり」では、「享保雛などの古い形の女雛は冠をつけている、戦前まで関西では御殿形式の飾り付けが主流であった」ことなども教えていただいた。
館内見学を終えてここで一旦は解散する。

奈良高専前からバスの乗り近鉄郡山駅に出る。ちょうど大和郡山市内中心部では、「大和な雛まつり」と銘打って名店の雛飾り巡る市内周回型の催しが展開されているという。
ミシュラン一つ星の料理旅館「尾川」の雛まつりの見学がSさんから提案され21名が参加。道路中央に水路がある紺屋町を通り「箱本」の歴史を偲んで歩を進めていると、大和郡山ボランティアガイドから声が掛かり「折り紙雛」をいただく。
雑穀町の「尾川」は大勢の見学者が溢れていたが、参加者全員がお薄とお茶菓子の無料接待にあずかった。

syata07.jpg 「尾川」の前にて
雨にも負けず・寒さに負けず・・・元気な仲間 

今や新郊住宅地と化した矢田丘陵・富雄谷にヤマト朝廷建国期を遡る歴史の伝承地を訪ねさまざまな意外性に遭遇、おおいに刺激を受けた一日であった。(藤村記)

コースマップ
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posted by 奈良まほろばソムリエ at 19:14| Comment(1) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

鬼に訊けー宮大工 西岡常一の遺言ー

標記のドキュメンタリー映画が上映中です。
http://www.oninikike.com/
大和郡山 シネマサンシャインにて 3月1日までです、お急ぎくださいね。
大阪は 第七藝術劇場で4月14日からです。

西岡さんのインタビューを中心に構成されていて、木造建築への情熱、千年もたせる建築に携わる凄まじい意気込みに感じ入ります。
槍カンナに手斧、昔の道具を復元しただけでなく、その当時の技術までも後世に負けていないものであること、ご自分の大工としての仕事を通して証明されていたのですね。

映画にはでてきませんが、西岡さんの逸話をひとつご紹介します。
これは昭和53年、文化財保存技術保持者として、写真家・入江泰吉さんと共に県の表彰を受けられた式典でのことです、その場に教育委員長として臨席していた知人の話です。

当時の奥田良三知事より表彰状を受けられる際、西岡常一さんの名前が呼ばれると、西岡さんは大声で「ホイ」と返事され、モーニング姿の西岡さんが知事の前まで堂々と歩まれた途端、カラン・コロン、カラン・コロンと歯間下駄の音、一同がおそらく初めて見るモーニング姿に白足袋下駄を履いての歩み、会場からはクスクスと笑いのざわめきが起こったそうです。しかし知事は顔色ひとつ変えずにお祝いの言葉を述べられたあと、「率直に申し上げるが、西岡さんの今日のモーニングに下駄履きの姿、皆より笑い声が起こったが、名工ともなると靴の代わりに木の一端を自分の体に付けなければ心が落ち着かないということである。一芸一道を究める者姿こそ平常心を表すものだ。西岡さんのこの姿を笑う人は、洋服姿の坊さんが仏前でお経を唱えるのを見て褒め、袈裟、衣姿で読経する坊さんを見て笑うようなものだ。その点、十分反省するように」とおっしゃったそうです。

この話を覚えていたので、映画ではついつい足元に目が・・・たしかに。

               まりも記

[広報注] 関東地区では渋谷ユーロスペース(〜3/9)、川越スカラ座(〜3/9)で上映中
posted by 奈良まほろばソムリエ at 18:34| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月26日

上総国分僧寺・尼寺と古墳を訪ねて

2月26日(日)午前9時、東京駅に集合して千葉県市原市へ向け出発した。蘇我駅でJR内房線に、五井駅で小湊鉄道に乗り換え、上総村上駅に到着して歩き始める。

最初の目的地は諏訪台古墳群である。弥生時代中期の方形周溝墓から古代の墓まで墓の築かれ続けた遺跡で、古墳時代の墳墓は170基が発掘されている。

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・諏訪台10号墳 円墳 径約40m

上総国分僧寺跡には江戸時代に復興された国分寺(真言宗豊山派)が金堂・講堂跡付近に建っているが、伽藍区域は保存地区として保存されている。しかしまわりの付属施設(政所院、講師院、僧坊、花苑など)を合わせた寺院地は南北約478m、東西は中央部で345mあり、約139,000uの面積であったことが外郭溝の発掘でわかっている。

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・高さ60mあったとされる七重塔の礎石

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・遺構位置を示す復元柱のある西門跡

神門(ごうど)5号墳は全長38.5m、高さ5mのいちじく形で、3世紀後半に築造された前方後円墳の先駆けとなった古墳である。

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・北側から見た神門5号墳(前方部は右側になだらかに下る)

上総国分尼寺の寺院地は南北372m、東西が北辺で285m、面積が約123,000uあり、今のところ国分尼寺としては諸国最大で大和法華寺に匹敵する規模である。

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・史跡上総国分尼寺跡展示館にある復元模型

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・創建時の工法で復元された中門と回廊

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・復元された灯籠と金堂基壇・須弥壇

稲荷台1号墳記念広場は昭和52年に話題となった「王賜」銘鉄剣が発掘された場所である。実際の古墳はすでになく、3分の1の大きさで墳丘を復元してある。鉄剣は5世紀中頃の古代国家成立期における畿内と東国の結び付きを知る資料となっている。

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・1/3復元墳丘と説明板

ソムリエ交流部会関東サークル 奈良を感じるツアー第2回の速報でした。詳しくは後日ホームページで報告いたします。
posted by 奈良まほろばソムリエ at 20:33| Comment(0) | 他国便り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

奈良まほろばソムリエ友の会の講演会・交流会が開催される

 2月18日(土)の午後1時15分から奈良商工会議所のご好意により、会議所の大ホールで講演会・交流会が開催されました。
当日は、粉雪が舞う厳しい寒さにも関わらず87名の参加者を数えました。

koryu01.jpg 会場案内
koryu02.jpg 小北会長の挨拶

 小北会長による開会の挨拶と「友の会」発足1年の活動総括、NPO法人化へ向けての活動の紹介に続いて谷垣裕子さん(奈良県ならの魅力創造課 課長補佐)から「奈良県の記紀・万葉プロジェクト」と題して50分のご講演をいただきました。
古事記編纂1300年にあたる今年から日本書紀編纂1300年にあたる2020年までの9年間にわたり奈良県が展開しようとする観光行政が『なら記紀・万葉 名所図会―古事記編』などの資料に基づき紹介されました。

koryu03.jpg 谷垣裕子氏の講演
koryu04.jpg 赤墨・青墨のお話

 長期にわたり推進される施策の根底にある「奈良を愛し郷土に誇りをもつ地元の人々を増やし、奈良の良さをみんなに見て欲しい、伝えたいという思いがたかまれば結果として奈良への来県者が増え経済効果につながる」という哲学のもと「本物の古代に出会い 本物を楽しめる奈良」を目指した活動を拡げたいという熱い思いが語られ、会場には静かな感動の渦が拡がりました。

 続いて木村三彦さん(奈良県観光ボランティア連絡会 会長)から、「記紀を楽しむ」と題して、読み下し文で古典を味わい現地に足を運んで古代に思いをはせる『記紀』の味わい方について奈良を舞台にした『古事記』で3カ所、『日本書紀』で4カ所の代表的なお話を資料に基づいて90分の講演を頂きました。

koryu05.jpg 木村三彦氏の講演
koryu06.jpg 会場風景

 4時からは会場を4階に移し、北田副会長の乾杯で交流会に入りました。

koryu07.jpg 北田副会長の乾杯で始まる
koryu08.jpg 会場風景

山梨県から駆けつけられたSさん、岡山県のOさん、愛知県のIさんとジャンケン勝ち抜き者に入江泰吉さんの写真が送られ会場は一気に盛り上がりました。
午後5時半、鉄田事務局長の中締めでおひらきとなり、春からの活動を楽しみに語らいながら家路につきました。
posted by 奈良まほろばソムリエ at 22:37| Comment(1) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月13日

王龍寺磨崖仏

皆さんは奈良市西郊にある王龍寺をご存じでしょうか。
この寺には南北朝時代の珍しい磨崖仏があります。
この磨崖仏は以前近鉄奈良駅にあった「ならなら館」にレリーフがありましたが、この館は閉館になっていしまいました。
以前から一度実物を拝観したいと思っていましたが、幸い昨日お目にかかることが出来ました。
この日は本来は、友の会の会報誌「ソムリエの風」が今回古事記特集をするので、それに投稿をするため取材に出掛けました。
投稿の題は「長髄彦の最後」で、その終焉の地を探しに行ったのですが、墓の石碑はなく長髄彦の本拠地であった場所に石碑が立っているのを見つけました。
さらに、金の鵄伝説の神武天皇聖蹟も見てきました。

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長髄彦本拠の石碑

場所は生駒市の白庭台です。白庭台は今は大きな住宅団地ですが、その中にまだ以前からの農村地が残っていて、ため池の土手にありました。
長髄彦はおそらくこの地域を中心として、北は交野市の岩船あたりから富雄川周辺、南は矢田山丘陵一帯に本拠を持つ有力な先住民族の首長で古代豪族であったのでしょう。
神武天皇の聖蹟は富雄川から少し東の山の中に入ったところにあります。

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神武天皇鵄邑聖蹟 聖蹟碑の裏には「神武天皇行軍ヲ率イテ長髄彦ノ軍ヲ御討伐アラセラレタル時ニ金鵄ノ瑞ヲ
得サセ給ヒシニ因リ時人其ノ地ヲ鵄邑トセリ」とある

前置きが長くなりましたが、帰りに飛鳥カントリーゴルフ場を抜けようと走っているとき、以前から一度行ってみたいと思っていた「王龍寺」のことを思い出しました。
場所は見当がついていましたので、すぐに寺に到着しました。

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山門への進入路には「石仏観音岩屋大黒天王龍寺」の碑が立つ

東に開いた山門の前は広く駐車スペースも十分あります。山門の両脚には立派な書体の板の表示板が懸り黄檗宗寺の雰囲気が出ている。

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山門から中は鬱蒼とした木々が茂りいきなり山寺の様子です。門をくぐると長い急な階段があり見上げるような高さに本堂が奥まっています。

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王龍寺については奈良検定テキストには記述はありませんが、副読本的な存在である「奈良県の歴史散歩」には詳しく紹介されています。
この寺は奈良市と生駒市の境にあって交通の便は悪く、路線バスもありません。
「奈良県の歴史散歩」によりますと
寺の正式名称は「黄檗宗海龍山王龍寺」で聖武天皇勅願寺と伝えられ僧坊千軒と言われるほど栄えたそうですが、後に兵火により廃絶したのを大和郡山藩の本田氏により黄檗宗の寺として再興されたようです。
この寺のご本尊が巨石に刻まれた高さ2mを越える11面観音立像で1336年の記銘があります。右側には高さ1mの不動明王が刻まれており、1469年の記銘があります。

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真っ暗な本堂奥にロウソク一本に照らし出された石仏観音立像と不動明王像

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11面観音様は頭上面から足元の蓮華座まで浮き彫りにされ、すらっとした容態で大変優しい慈愛に満ちたお顔をされています。兵火に会われた割には両像とも美しく、大事に守り伝えてこられたようです。

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初めにも書きましたように一度訪ねてみたかった磨崖仏ですが、この寺に関する資料があまりなく、たぶん公開されていない寺だと勝手に決めつけていました。ましてや磨崖仏などは到底拝観できないと思っていたのです。
例えばこの寺には県の指定文化財にもなるほどのヤマモモの巨樹があるのですが、この実を賓客に出してもてなしたということを聞いていましたので、なおさら難しいとも思っていました。
ところが、やはり当たって砕けろと言いますか、訪ねてみるものです。
本堂の前まではだれでもいけますが、扉には鍵がかかっていて、格子から中を伺いますが祭壇が見えるだけで本尊は全く見えません。たぶん祭壇の奥に磨崖仏があると思うのですが。
あきらめて帰ろうかと思っていましたが、せっかくですから境内を見て回っていましたら、例のヤマモモの大木がありました。

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その奥にこの寺の住職のお住まいがあって玄関は閉ざされています。あたりは物音一つ無く静まり返っています。幸いインターホーンがあって思案の末押してみました。
応答はありません。しかし耳を澄ますとかすかに廊下を歩く音がしました。思い切って玄関の引き戸に手をかけると鍵がかかっていなくて開きました。するとその奥からこの寺の若奥様でしょうか、女性が出てかられました。不躾で失礼千万ながらご本尊様を拝ませていただきたい旨を申し出ますと、あっさりと了解され(あまりにこやかではありません)わざわざ本堂まで鍵を開けに行って下さいました。そして中に招き入れて頂き拝観することが出来たのです。
このようなことではからずも念願の磨崖仏が拝観でき大変うれしい思いをしました。
ちなみにこの慈愛あふれる優雅で美しい磨崖仏は大和の石仏の中でも随一と言えるほど見事なものであると「歴史散歩」では紹介しています。
もしまだご覧になってない方は是非一度拝観鑑賞されてはいかがでしょうか。

奈良まほろばソムリエ友の会  小北博孝



posted by 奈良まほろばソムリエ at 15:40| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする