2012年04月27日

太安万侶の遺骨を故郷に分骨のニュース

10日ほど前に報道発表されているので、皆さんご存知のことと思います。
私はソムリエ友の会と提携している「今奈良.jp」の豆知識コラム
http://www.ima-nara.jp/tips の執筆者の一員ですが、3月に掲載されました「コラム16 太安万侶の祖先を祀る 多神社」の中で、今回報道発表されました田原本町で安万侶のものと伝えられてきた古墳について書きました。

昨年11月に磯城のみち・ボランティアガイドさんの案内で田原本のウォーキングをしたときに、通称「安万侶の参り墓」について、その存在を初めて知り、場所をお聞きしていました。
「多神社さん所有になったときいている、今後整備されるのではないか」とのお話でした。後日観光ステーションの方に場所の詳細を聞き、探しに行きました。

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残念ながらこの写真は豆知識コラムに掲載されませんでしたが、今回いくつかの新聞には多神社の宮司さんとともに写真が掲載されましたので、跨線橋がすぐ近くにあり、近鉄橿原線が脇を通っていることが見てわかったと思います。

場所探しに同行してくれた友人が持っている本(奈良市此瀬町で安万侶の火葬墓が発見される以前に出版)には、「太安万侶の墓と伝えられる」と記載されていました。以前には立看板があったそうですが、今は何もなく、盛土だけを見てそれとわかる人はいないと思います。

この写真(1月撮影)のように、まるで小さな稲叢のようで、農作業ででたものをためておくような場所にさえ見えました。しかし、注意して見ますと、盛土の周りの稲は、盛土を避けて、その周囲をぐるりと丸く植えられていたことがわかります。古墳の周濠あとを稲作に転用しているところ(例:掖上鑵子塚古墳)で見られる光景と同じです。

命日の7月6日に納骨され、追悼碑などを建てる計画だそうで、古事記のふるさとにふさわしい、縁の場所となることでしょう。

      まりも(辰馬真知子)

<現地への行き方>
◎車の場合――国道24号線十市町交差点を西に行きますと、寺川にかかる橋をわたり、(ここを直進するのが例の跨線橋)すぐの信号を左折(南)すると、昔の下つ道で、道幅の広いところがあるので、そこに車を止めて見学に行ってください。西側の田んぼの中です。

◎徒歩の場合――新ノ口駅が最寄りです。昔の下つ道に沿って、北へ向かい、跨線橋が見えてきたら、その手前の西の田んぼの中です。
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2012年04月22日

ボストン美術館―日本美術の至宝展 を観ました

キャッチコピーは「まぼろしの国宝、ニッポンに帰る」
フェノロサや岡倉天心に始まるボストン美術館の日本美術収集は今や10万点を超え、海外にある日本美術コレクションとしては世界随一の規模と質の高さを誇ります。
本展はその中から厳選された約90点を展示します。
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その見ごたえのある作品群の中から奈良につながりの深いものを2つご紹介します。

boston02.jpg 法華堂根本曼荼羅図
東大寺法華堂に伝わったとされる奈良時代の仏画。

昨年十月に法華堂の須弥壇解体修理に際して見つかった仏像8体分の台座跡から戒壇院の四天王像が当初は配置されていた可能性が高いと発表された。ただでさえ仏像密度の高い法華堂にこの曼荼羅図はどこに掛けられていたのだろう。

その本尊の顔立ちは丸く穏やかで、東大寺大仏の蓮弁毛彫り像とも似通った優しい表情です。両脇侍とともにお顔の線が補修されたかのようによく残っています。衣の赤も古代の澄んだ色と見えました。

boston03.jpg 弥勒菩薩立像
快慶作 鎌倉時代・文治5年(1189) 
鎌倉時代を代表する仏師の一人快慶の作品中で、現存する最も若いときに造ったとされる像で興福寺に伝わったとされています。

繊細さ、優美さはその片鱗を表しているもののまだ快慶全盛の域までは達していないように思います。特に横から見ると棒立ちで動きが感じられません。
顔は運慶の円成寺・大日如来像のように頬に張りがあり少年のような若さが感じられるのは作者の年齢によるものでしょうか。

東京国立博物館での会期は6月10日(日)までです。
大阪市立美術館での巡回は2013年4月2日(火)〜6月16日(日)の予定。

皆さんはボストン美術館の分館が名古屋市にあるのをご存知でしたか。
名古屋ボストン美術館での巡回は2012年6月23日(土)〜9月17日(月・祝)・2012年9月29日(土)〜12月9日(日)です。

by 佐吉多万比古
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2012年04月18日

佛隆寺から龍の棲む妙吉祥龍穴へ

桜咲く宇陀路ウォーク
 「佛隆寺から龍の棲む妙吉祥龍穴へ」
    2012年4月14日(土)

最近の交流部会イベントは、日ごろのおこないが悪い人がいるのか「矢田丘陵」「今井町」に引き続き、今回も雨。それでも天気予報では午前中にはあがるとのことで決行。近鉄榛原駅に20人が集合。ちょうどいい時間のバスがないため、タクシーに分乗して「高井」バス停まで。

雨の中を歩きだしてすぐの「宮田家」前で真っ直ぐ佛隆寺に向かう道から分かれて「伊勢本街道」へ、街道沿いには昔、お伊勢参りの往来のにぎわいを今に伝える古民家・旧宿屋が点在、5分も歩くとその一つ、「松本家」に、ここは大名など身分の高い方も利用した「旅籠」であった建物で、屋内に馬を繋げる造りになっている。今でいうところの「屋内駐車場付ホテル」か。

sakura01.jpg 松本家の大名が利用した門

「津越家」を過ぎたところで、伊勢本街道を右に分けて、佛隆寺へ向かう。手前の坂の下から、「千年桜」が望めるので期待して急坂を登る。見えてきた。あの木のはず。ガーーーン、全くのつぼみ!!

sakura02.jpg 佛隆寺の千年桜

今年は花が遅いから3〜5分咲きくらいかなと覚悟はしていたが、開いている花は「ゼロ」。それでも周りには5分咲くらいの桜もちらほら見え、気を取り直して奈良三名段のひとつといわれる197段の石段を登り、佛隆寺へ。

「大和茶発祥の地」の碑を左に見て本堂へ、ご本尊の長谷寺式十一面観音を拝した後、ご住職のお話。空海が唐から持ち帰った茶の種子と茶臼にまつわる説話に加え、「発祥の地」の碑の下には「狭山」「静岡」「宇治」「大和」「九州」の茶を入れたタイムカプセルが埋められており、将来掘り出して飲み比べ、大和茶が一番おいしいことを確かめたい、などの話を伺う。
茶臼を間近で見、当山開基の堅恵(けんね)大徳が入定したといわれる「石室」などを見学し終わっても雨は降りやまず。仕方なく、地元の集会所の軒先を借りて慌ただしく昼食。

いよいよ、本日の行程の難所「室生古道」の登りにかかる。雨と急坂でみんな黙々と歩き、30分ほどで、役行者が迎える唐戸峠着、残念ながら眺望はゼロ、休憩も早々に歩き始める。ここからは舗装道路のなだらかな下り、みんなの歩速もぐんぐんあがり、予定より早く、「西光寺」を見下ろす腰折地蔵へ、この頃には雨もやっと上り、木立の間からピンクの桜が見え、期待を膨らませ、西光寺へ下る。

 sakura03.jpg 西光寺のしだれ桜

樹齢300年のしだれ桜は、5〜7分咲き、それでも「千年桜」よりずっと綺麗と自分に言い聞かせ、室生寺を見下ろしながら龍穴神社へ、

sakura04.jpg 雨上がりの室生の里

sakura05.jpg 龍穴神社の集合写真

見事な杉木立に囲まれた境内で参拝のあと「妙吉祥龍穴」へ、最後の力で振り絞り坂を上る。猿沢池・春日山から龍が移り棲んだと言われる龍穴はさすがに神秘的。いっぱいのパワーをもらって、室生寺へ戻る。

sakura06.jpg 妙吉祥龍穴

桜咲く太鼓橋の前で解散、バスで室生口大野駅へ向かう。駅の手前でバスから見えた「大野寺」ではしだれ桜が満開、ほとんどの人が降りて参拝。本日の桜の欲求不満を一気に解消しました。それにしても花の見ごろ時期を想定した企画の難しさを実感しました。

sakura07.jpg 大野寺のしだれ桜

大雪の2月とリベンジの3月の下見に参加いただいた方々ご苦労様でした。また松本家の手配をいただいた交流部会の藤村清彦さんには多大な感謝をいたします。
当日の解説は地元榛原在住のソムリエ・中西巌さん。地元ならではの様々なお話をありがとうございました。

最後に注意事項です。伊勢本街道沿いの古民家はどれもまだ実際に住まいとして使われています。通常は外観を見るだけにとどめて、近づく場合は必ず許可を得てからにしてください。マナーの悪い観光客も多いとのことです。

(文と写真)社寺探訪サークル 小林誠一
posted by 奈良まほろばソムリエ at 15:49| Comment(0) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月11日

大和の茶の道 −茶の道からつなげる大和の歴史−

歴史地理サークル第4回 「大和の茶の道」 −茶の道からつなげる大和の歴史−
平成24年3月31日、小雨の中のつれづれ日記。 一言で纏めると、お茶を通して広がる輪。
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今回は橿原市今井町が舞台です。
今井町はご存知のように、室町時代から称念寺の寺内町として発展してきました。東西600m、南北310mで三重の環濠で囲まれていました。
江戸時代の最盛期には「大和の金は今井に七分」と謡われたように、商業の一大中心地として栄えた町です。
昭和30年代から町並みを保存する動きが起こり、平成5年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
今回のソムリエ参加者は26人。奈良教育大学関係の方々8名と一緒になり、案内役をして頂いた人たちを含めると40人くらいの大所帯になりました。
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10時から橿原市今井町の今井まちなみ交流センター「華甍」にて、町並み保存会の若林会長の講演を拝聴しました。
若林会長は、日本三大茶人の一人、大和今井の今井宗久に扮しておられました。
とてもよくお似合いです。 案内方の人たちも皆一様に茶人の格好をされていて、そこからしてもなんだかいつもとは違う、ワクワク感がありました。
お茶を通して、今井町の良さを知ってもらおうという取り組みのようです。

前半は今井町の成り立ちから、保存に向けてのジレンマや葛藤、重要伝統的建造物群保存地区への道のり、そして、これからの思いを熱く語られました。

後半は今井町を軸に、お茶に関わるいろいろな出来事を説明していただきました。
確かにお茶の世界は、奥が深いです。お茶の作法や知識だけでなく、華道、香道、書道、絵画、歌、礼法、建築、焼き物などなど・・多岐にわたっていきます。それに歴史(人)が絡み合っていけば・・・
・・・・面白くないわけがありません。お茶で色々な世界がつながっていく楽しさを再認識できました。
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若林会長のお話からは、お茶の世界のように色々な方向に広がって、つながり合い、影響しあい、人と人とを結びつける輪を大きくしていきたいという気概が伝わってきました。
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講演の後食事場所に移動。
華甍でお昼かなと思っていたのですが、雨の中今井町をそぞろ歩きながら、食事場所の旧米谷家住宅(重要文化財)へ到着。
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一歩中に入ると天井の高さと右手の土間の広さにびっくりです。その土間の竈には火が入り、薪が赤々と燃えていました。この日のために、いろいろと厄介な消防などの手続きを取ってくださったそうです。
春だというのに冷たい雨の中歩いてきた身には、気持ちまでも温まりました。
暖かい湯気と独特の煤けた木造家屋の匂いが合わさって、なんとも居心地のいい雰囲気でした。
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そして旧米谷家のお部屋に上がってのお昼となりました。なんと贅沢な!重要文化財のお座敷でお昼です!自前ですけど・・・
お茶は、竈で沸かしたお湯で入れていただきました。
お水は、名水といわれている天川村の「ごろごろ水」をわざわざ汲んできてくれたそうです。
お茶は、入れてくれた人の気持ちが入りますから。ちょっと甘めのまろやかな味でした。
美味しかったです。

食事が終わって外に出ると、雨も止んでくれました。
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今井町の中心である称念寺で説明を聞き、復元された環濠を見学して、今西家に向かいました。
今回は拝観時期ではないのに、特別に見学させていただきました。

今西家は惣年寄の筆頭をつとめていた家で1650年に建てられており、今井町では一番最初に重要文化財に指定されています。
先程の旧米谷家住宅もそうですが、天井の高い立派な家でした。二階には牢屋もあるとか・・・・
簡単な裁きはこの家にて行われていたようです。
天井を横切る太い三本の梁には、この家の風格と自信が見て取れるように思いました。
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そのあと、普段公開していない、尾崎喜助の家にも立ち寄らせていただきました。
尾崎喜助は元々武士ですが、古田織部と茶会を開いたことが縁で、町人になって今井町に住んだとのこと。

説明がなければ普通の民家ですが、そこここに、こだわりのある造りになっていました。
床の間にはメノウが塗り込んだであり、隣の四畳半の茶室の床柱は南天の木だとか。独特のぼこぼこした木肌は、茶人としての「さび」を感じました。
この家は今でも生活感があって、ひょこっと主(尾崎喜助)が現れて、茶室で茶を点てていてもおかしくない雰囲気がありました。

短い時間での体験でしたが、今井町の心意気を、少しはかじれた気がしました。
「今井町」と「お茶」。
これからも「輪」が広がって、幾重にも重なり合っていく予感がします。

        By ならミモザ(関東サークル 橋口)
posted by 奈良まほろばソムリエ at 19:43| Comment(0) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする