2015年11月24日

記紀万葉サークル11月例会「知られざる北山辺の道」

11月14日(土)参加者23名

天気予報は最悪でしたが、集合時には雨の気配は無く先ずは幸せな気分でスタートして行きました。行程の序盤1/3は、「東大寺山堺四至図」に関連したFWでした。
新公会堂(奈良春日野国際フォーラム甍)を出て東に上った所、水谷橋手前吉城川西岸に一段低くなった場所があります。「山堺四至図」に氷池と表記されている場所が此処です。氷池の表記を見た関野貞は、「氷室および神殿、恐らくはその近傍にありしなるべし」と述べています(平城京及大内裏考)。その氷室の跡が平成20年6月に見つかりました。水谷神社東南60m程の立入禁止区域内です。ロープを跨いで入山します。遺構は、直径8〜10m深さ1m前後の3基1セットです。本来3m以上の深さがあったと思われます。12世紀、若宮の神主が日記の中でこの氷室に触れた記録があります。

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(氷室の跡)

正規の道に戻り、二の鳥居下に出ます。少し北に寄った所が「山堺四至図」に神地と表記される場所です。関野貞の言う神殿が在ったのでしょうか。参道を西に下り、鹿苑の西側を南に入り込んで行くと御料園古墳群が現れます。竪穴構造の小円墳が14基、名残を止めています。6世紀末位の築造で、和珥系春日氏の墓域の1つに間違いないでしょう。この古墳群についての記載は「山堺四至図」にはありません。

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(御料園古墳群を探索する)

「山堺四至図」所載の山階寺東松林廿七町(興福寺東張出し部)について、12世紀成立の「興福寺流記(宝字記云として)」には『東野廿七町、東至氷室西垣』とあり、古墳群の西方50m辺りを南北に画する氷室関係施設の垣が巡っていたのでしょう。
更に春日野の森では、8世紀の築地塀遺構が発見されています。氷室西垣の内側を巡っており、神地および付帯設備を囲っていたと思われますが、囲われた範囲がかなり南まで広がっているので、まだ謎が残ります。その築地塀遺構の南の部分を探索に行きました。高さ40〜50cm、幅150cm程の、崩れた版築の遺構が直線的に数10mに渡って続き、所々方々に布目瓦の破片が見られます。参加の皆さんも記念に1枚ずつ採取してゆかれたようです。

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(築地塀の遺構で瓦を採取)

行程の中盤1/3は、古市地区です。ワニ族時代の前期古墳を含む古市古墳群を過ぎると、旧古市村からの墓地があります。ここに平城京研究の先駆者北浦定政の墓所があります。苔むした墓碑には、「北浦義助藤原定政」とありました。参加者の皆さん、一様に感慨に浸ったのではないでしょうか。因みに墓地の一画、30基ばかりは北浦家類代の墓となっています。
 

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(参加者に囲まれた北浦定政墓)

墓地を出て、旧道を南に進むと定政が勤務した藤堂蕃古市奉行所跡もあります。やがて視界が開け、東に丘陵(現東市小学校とその南の丘)を望むのですが、ここに16世紀の梟雄古市氏の本城がありました。伝わっている絵図によると、2重の堀に囲まれた本格的な城郭で東南の奥には4層の天守が見えます。多聞城より3年早く築かれたそうですが、天正7年(1579)筒井順慶のために落城してしまいました。

終盤の1/3は藤原・山地区で、嶋田神社・崇道天皇陵以外これと言った見どころは在りません。崇道天皇陵は、北浦定政の探索によって治定を受けた経緯があるようで、早良親王が淡路から移葬された場所であるかは疑問視する向きもあるようです。崇道天皇陵に到着した頃から突如激しい雨に見舞われ、予定していた集合写真を撮ることも出来ず、ほうほうの体で帰途につきました。従って、今回は集合写真をお見せすることは出来ません。

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(護国神社で昼食休憩を取る)


(文)・(写真)記紀万葉サークル 田中昌弘


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2015年11月08日

「隠れた名刹の海住山寺・聖武天皇恭仁宮跡を訪ねて」感想記

11/3(祝日)実施・・・参加者15名

コース・・・JR加茂駅→御霊神社・燈明寺→岡田鴨神社→海住山寺→木津川市文化財整理保管センター恭仁分室(恭仁京のビデオ鑑賞)→恭仁宮(山城国分寺)跡→JR加茂駅

昨年は、大雨のため、あえなく中止、今年は、そのリベンジ。幸いにも晴天の秋晴れとなりました。
秋の特別開扉に合わせての例会。  加藤さんの号令に合わせて、ウォーキング前のストレッチ。総行程は約9qです。

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[ウォーキング前のストレッチ]

まず、燈明寺を訪れる。旧燈明寺は寺伝によると聖武天皇の勅願により行基が開創したとされ、建武年間の争乱で廃絶した。その後天台宗の忍禅が復興。近代に豪商が買収し、本堂と三重塔は横浜市の三渓園に移築され現存する。燈明寺は御霊神社境内の一角にあり、その御霊神社は燈明寺の鎮守社として奈良氷室神社の社殿を移したと伝えられる。祭神に火雷神[ほのいかづちのかみ]として菅原道真が祀られている。

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[旧燈明寺の仏さまの収蔵庫]

通常非公開の収蔵庫の「千手観音立像」「十一面観音立像」「不空羂索観音立像」「聖観音立像」「馬頭観音立像」(いずれも鎌倉時代の後期)も拝観することができました。地元ボランティアの方々の文化財を守る姿勢には、頭が下がる思いです。その後、現行寺十一面観音坐像を拝観に行くが、あえなく収蔵庫の改修で残念。(この寺は、無住で、海住山寺が管理とのこと。またの機会に拝観したいものである。) 次に祭神を賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)とする岡田鴨神社に行く。「山代風土記」逸文によると、賀茂建角身命は日向の高千穂の峰に天降られた神武東遷の際に、熊野から大和への難路を先導した八咫烏が即ち賀茂建角身命の化身で、大和平定に当たり数々の偉勲をたてられた。大和平定後、賀茂建角身命は葛城の峰にとどまり、ついで山城国岡田の鴨に移られ、その際に賀茂建角身命を賀茂氏族の祖神として創祀されたのが本社である。崇神天皇の御世と伝える。岡田の由来は、かつて賀茂村と恭仁京のあった瓶原(みかのはら)村を岡田と称したらしい。

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[岡田鴨神社(右)・天満宮(左)]

続いて、急な車道をハアハアしながら、やっと海住山寺の山門にたどりつく。『みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ』の小倉百人一首第27番 中納言兼輔の歌で知られる瓶原を一望におさめる地に建つ海住山寺。創建は天平年間と伝わり、解脱上人貞慶により中興される。通常非公開の国宝五重塔(初層)内部、本坊庭園、文殊堂内部を拝観させていただいた。

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[海住山寺五重塔前での参加メンバー]
 
恭仁の宮をみおろした海住山寺をくだって、聖武天皇恭仁宮跡をめざす。木津川市文化財保管センター恭仁分室で約15分のビデオ鑑賞。(このセンターは地元ボランティアの方々で維持管理をされているとのこと。)この後、740年、聖武天皇により平城京から遷都された恭仁京。恭仁宮跡が立地する瓶原地区は、京都府最南端に位置する木津川市加茂町にある。第一次平城宮の大極殿を移築した恭仁宮大極殿跡、後に山城国分寺となって建造された塔跡を訪ねた。加藤宣男さんから「国分寺塔の礎石に見る凹型と凸型の違い」の詳細な説明を受けました。(よくわかりました!)

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[礎石の説明する加藤さんと参加メンバー]

頻発する反乱や疫病の蔓延する社会不安のなかで聖武天皇5年間の彷徨はなぜなのだろうか? 741年に恭仁京遷都、742年に紫香楽宮行幸、743年大仏建立の詔、恭仁京へ還幸。744年難波宮へ、745年に紫香楽宮遷都そして恭仁京還幸と平城京へ還都。皇族と藤原氏の頂点に君臨する二つの血筋を継ぐ聖武天皇は、常に両者のはざまで揺れうごいたのであろうか。
天武朝の祖で強い意志と実行力をもった曽祖父の政権獲得ルートをたどることで天皇としての自分を取り戻そうとしたのかもしれない。などと思いながら、恭仁宮跡からJR加茂駅まで帰ってきました。リベンジ! こんなにも素晴らしい1日でした。

文と写真:歴史探訪G 史跡等探訪サークル 小林俊夫

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2015年11月07日

2015年9月27日(日)「なら記紀・万葉を味わい楽しむシリーズ講演会」(感想)

第3回講演会が桜井市立図書館にて開催されました。

桜井駅から歩いて、近隣の等彌神社へ参拝し、会場へ。

鳥見山の西麓にある等彌神社は、神武天皇神話の伝承地です。
『日本書紀』に、金色の霊鵄が天皇の弓にとまり光り輝いたことで、長髄彦軍の戦意がおちて、天皇軍が勝利した場所とあります。
今年5月に伊勢神宮内宮の鳥居が譲渡され、一の鳥居として設置されていました。
境内には石燈籠が並び、紅葉の名所でもあるそうです。

桜井市立図書館の外観には、円筒埴輪を模したと思われる部分があり、
メスリ山古墳から出土した大型円筒埴輪かも?と調べてみましたが、詳細は不明です。
会場である研修室は円形の部屋でした。外観を見ていたので、円筒埴輪の中にいるような気分になりました…円筒埴輪に入ったことはありませんが。
桜井市の歴史を感じさせる素敵な図書館でした。

まずは、芝山真知子さんによる万葉ジャズライブ。
スクリーンに映し出されるならの風景と、素敵な歌声が響き、万葉の世界へ。

長屋王、志貴皇子、額田王、天武天皇、柿本人麻呂、作者不詳の歌の数々。
芝山さんは万葉集の歌に曲をつけて歌われる方で、奈良市内でもライブをされているそうです。

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今回の講演は、奈良女子大学教授の奥村和美先生による「桜井の万葉歌碑」。
桜井市の万葉歌碑をとおして、短い言葉に込めた万葉人の心や書き下し文の違いをわかりやすく解説してくださいました。

歌のみでなく、どのような状況で詠まれたのか、前後の歌や題詞などを考慮してみると、歌に込めた心を感じやすくなるそうです。
万葉歌は漢字のみで書かれていたため、人や時代によって訓がいくつかあり、書き下し文が違うおもしろさも教えてくださいました。

万葉集の訳本が読めるのも、それぞれの時代の研究者のたゆまぬ努力と、今に受け継がれていることなのだと感じました。ありがたいことです。

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この講演会は、記紀・万葉ゆかりの地で学ぶことができる楽しみがあります。
企画や準備をしてくださった方々、ありがとうございました。
次回は12月19日(土)、かしはら万葉ホールにて開催されるそうです。
posted by 奈良まほろばソムリエ at 10:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする