2016年07月21日

忍性生誕800年 記念講演

平成28年7月16日、真言律宗般若寺住職・工藤良任師による講演会が、奈良市西大寺のサンワシティで行われた。主催は当会・保存継承グループ。
7月23日から奈良国立博物館にて開催される特別展「忍性―救済に捧げた生涯―」にさきがけての講演ということで、「忍性の生涯」をテーマにお話しいただいた。

忍性の奈良での活動の拠点といえば、般若寺。忍性菩薩顕彰に取り組んでいる当寺工藤師による講演ということもあり、50人の募集を大幅に超える60余人の聴講者で、当日は椅子を補充。満員の熱気に包まれながら、工藤師の穏やかな口調の講話が始まった。

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(講演会の様子)

まずは、真言律宗についての、少々難解な仏教教義からの講義であった。
真言宗の僧が釈迦の戒律を重んじて修道生活をする「真言律」が、明治になって正式に宗派名となったのが「真言律宗」とのこと。なかでも叡尊師は菩薩行を基本とし戒律復興につとめ、鎌倉時代の西大寺を、唐招提寺や東大寺戒壇院などに次ぐ、律宗の代表寺院とした。
師の興正菩薩叡尊(大和郡山市白土出身)、弟子の忍性菩薩(三宅町屏風出身)、同じく弟子の慈真和尚(大和郡山市額安寺出身・後醍醐天皇の護持僧)が、「真言律宗の三祖」と称される。
しかし師叡尊は「慈悲の心が最も優れているのは忍性」と称賛したという。

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(真言律宗般若寺住職・工藤良任師)

来年は興正菩薩叡尊の高弟・良観房忍性(1217−1303)が、健保5年(1217)7月16日に奈良県三宅町で誕生されてから800年という記念の年に当たる。(奇しくも当講演日は忍性のお誕生日!)
忍性は、母の逝去を機に額安寺に入って剃髪し、その後西大寺中興の祖・叡尊に師事し、奈良坂、般若寺近郊の北山宿(現北山十八間戸)などで文殊供養とハンセン氏病患者救済を実施した。

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(北山十八間戸(奈良市・国史跡))

建長4年(1252)、東国布教のために関東に下向。文永4年(1267)、北条重時の召請により鎌倉極楽寺に入り、真言律寺院として民衆救済活動の拠点に発展させた。嘉元元年(1303)同寺にて87歳で入滅。墓所は極楽寺の他、奈良県の額安寺と竹林寺に分葬されている。

日本初の仏教通史『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』(1332年)におさめられた、忍性の慈悲を表す逸話の紹介では、「奈良坂に癩者たちがいた。手足がねじれており、町に物乞いに行こうにも歩くことができない。そこで西大寺にいた忍性が夜明け前に奈良坂に行き、癩者を背負って町に出、奈良坂北山宿で風呂に入れるなどの救済活動をして、西大寺に帰る。この施行を一日おきに数年間続けた(後略)」そうだ。
また、極楽寺では救済事業の諸施設の中に、「坂下馬病屋」という馬や牛の病院まで造った。文殊菩薩の化身と称される、忍性菩薩の慈悲の心は人間のみならず、牛馬にまで及んだという話に、聴講者たちはただ聞き入るばかりであった。

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(鎌倉極楽寺本堂)

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(忍性菩薩像(極楽寺蔵))

講話の終盤は、忍性の日本仏教における意義について、
「忍性は心の救済だけでなく、生活全体からの衆生済度を実行、戒律の根底にあるお釈迦様の衆生救済の心に忠実であろうとした。煩悩充満の穢土である娑婆世界で貧窮、孤独、苦悩を背負って生きる衆生を救いたいという、熱い慈悲の心に生きた菩薩であった」。
一方、死者の弔い、ご利益、観光に特化されがちな現在の日本の仏教界の現状をどう見るか?
「忍性生誕800年を機に、もう一度、仏教の存在を考えるべきでは」と、工藤師は結んだ。

写真・文 小倉つき子

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2016年07月09日

安産寺の子安地蔵菩薩を訪ねて

7月2日(土)9時40分集合で、三重県と奈良県の県境に近い三本松駅に降り立った。
山あいに佇む駅の前は宇陀川が流れ、宇陀の趣を醸し出している。梅雨というのに、まぶしいほどの太陽が参加者19名を迎えてくれた。

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(三本松駅)

三本松の地名は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が行脚のおり、この地に植えたと伝わる大樹に因んでいる。

最初に、本日の目玉である安産寺へ向かう。
三本松駅から程なくして、安産寺に到着。子安地蔵菩薩とよばれる平安時代の一木造りの地蔵菩薩立像(国重文)が安置されていることで有名である。とはいえ、一人では、なかなかに訪ね難いところである。今日は、史跡等探訪サークル世話役のご尽力で、地元の安産寺保存会の人々に寺院を案内していただいた。

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(安産寺でのお話)

ここの子安地蔵菩薩は、その昔、豪雨で宇陀川が増水したとき、上流より流されてこの地に流れ着いたと伝わる。また、室生寺金堂の本尊・釈迦如来立像の様式と極めて似ている点や、金堂の地蔵菩薩像に不釣り合いの板光背が、ここの子安地蔵菩薩とぴったり一致すること等から、近世に室生寺金堂から移安されたとも伝わる。今日の最後は、室生寺で金堂の仏さま方にお目にかかることとなっており、その時に、地蔵菩薩像の光背をしっかりと拝見してみたい。

次に長命寺・琴引峠へ向かう。
ここも訪ねてみたかったところである。琴引峠の名は、源義経や北条時頼の伝承に由来する。この琴引峠は、伊賀から大和に入って越える最初の峠であり、本居宣長や松尾芭蕉もここを通ったことでも有名である。しかし、近鉄の線路を通すために峠が削られ、残念ではあるが、往時を偲ぶのはかなり困難な状況である。

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(長命寺)

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(琴引峠跡碑)

続いて海神社。ここに安産寺の子安地蔵菩薩が流れついたと伝わる。ご祭神は豊玉姫命。海のない奈良に海神社は四社あり、その中の一社である。本殿から正面の鳥居越しに宇陀川、伊勢街道、鎌倉山、それに安産寺も望める。

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(海神社)

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(海神社付近から鎌倉山)

海神社から滝谷花しょうぶ園の横を通り、さらに進むと「大師の道」に突き当たる。「大師の道」は、三本松から山越えで室生寺へ向かう古道で、なかなかに趣のある名前である。ちょっと楽しみ。

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(花しょうぶ園への道のアジサイ)

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(大師の道の入口)

しかし、甘かった。(笑)この暑さ。室生寺に着く頃には、少々、疲れた。
道中、なかなかの見所もあり、時候の良い頃にもう一度歩いてみたいコースである。

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(大師の道)

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(峠の茶屋跡)

最後は、室生寺。
なにはともあれ、金堂の仏さま方を、拝観。確かに、お地蔵さんの光背は、不釣り合いに大きい。安産寺の子安地蔵様がぴったり。安産寺で見せてもらった合成写真に納得である。

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(室生寺金堂)

帰りは、室生寺から室生口大野駅までバス。

暑かったけど、普段、訪ね難いコースで大変有意義な例会でした。世話役の皆さん、ありがとうございました。

写真 小林誠一  文 秋山博隆
posted by 奈良まほろばソムリエ at 20:52| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする