2018年07月30日

大和高田奥田の「蓮取り行事」と吉野山金峯山寺「蛙飛び行事」

7月7日、朝から雨。午前10時から午後5時までの長丁場の行事というのに、一日中降り続きそうな気配である。
午前の大和高田市奥田の「蓮取り行事」と、午後からの吉野山金峯山寺の「蓮華会と蛙飛び行事」の両方を見ようと、大和高田市文化振興課主催の「蓮のみちバスツアー」を保存継承グループ10人で参加。大和高田市奥田から吉野山観光駐車場までを行事に合わせてバスで往復してくれる上、お弁当とお土産付きで、3,000円。なかなかのお値打ち企画である。

10時からは、奥田捨篠池(すてしのいけ)での蓮取り行事。役行者の母・刀良売(とらめ)がこの池の近くで住んでいたとも、役行者が産湯をつかったとも伝えられる池である。
法要のあと、蓮取り舟に乗った地元の方と行者が蓮池へと入り、10本ほどの蕾の蓮を切りとる。
108本の蓮を蔵王権現にお供えするということだが、他の分の蓮は近くの蓮池であらかじめ切り取り、準備しているとか。

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<捨篠池で蓮取りをする、修験者たち>

蓮取り行事が終わると、行者一行は、刀良売の菩提寺・福田寺行者堂で蓮華を献じて供養。その後、捨篠池を一周して、弁天神社に向かう。
降りしきる雨の中、行者たちは傘もささず、たくさんの蓮花を入れた3個の桶を担ぎながら、無言で歩いていく。この日は、約30人の行者が参加。驚いたことに、10人ほどの女性修験者も同行していた。
その間、バスツアー参加者は福田寺行者堂を、記念品の散華付きで拝観できたのだが、仏前が暗くて仏様のお顔が見えなかったのが残念。ひと工夫ほしいところだ。

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<福田寺法要の後、弁天神社へ向かう行者一行>

弁天神社では、弁天様に蓮華豊作の感謝の法要を営み、護摩供が行われた。 女性修験者たちが大活躍。その勇ましさと大きな護摩の炎は、迫力満点だった。
護摩供が終わると、我々はバスで吉野山の駐車場へ。行者たちも専用のバスで吉野山に行かれたという。
バスに乗っていた間だけ雨が止み、駐車場から金峯山寺まではまた傘をさしながらとぼとぼと歩いて行った。

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<弁天神社での大護摩供>

吉野山の竹林院前を出て山内を練り歩いていた、大きな青蛙を乗せた布団太鼓と、蓮を運んできた行者一行とが、午後3時頃に山上ケーブル前広場で合流。再び、両者は蔵王堂まで歩いていった。

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<蔵王堂へ向かう、青蛙を乗せた布団太鼓>

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<山上ケーブル前まで運ばれてきた、蕾の蓮>

午後4時、大青蛙を乗せた太鼓台が蔵王堂へ練りこみ、法要の後、蛙飛びの作法が行われた。境内にしつらえられた仮設舞台を、着ぐるみをきたカエルが行ったり来たり。「暑いやろなー」と、同情の声が見物人の中から聞こえてくる。ようやく導師の受戒によって人間の世界に戻り、宗教劇は終了。

結局止むことのなかった雨の中、バスが待つ駐車場へ。長時間の行事を見終えて、私たちも少々お疲れ。でも、ほっこりとした気分で吉野から高田への車外の風景を楽しんだ。

翌8日午前4時から花供養入峯があり、行者たちは蔵王堂前から大峰山上までの拝所で蓮華を供え、山上本堂へ参り、行事は終了となる。

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<蛙飛び行事で、仮設舞台を行ったり来たりする青蛙>

吉野山金峯山寺「蓮華会」とは、ご本尊の蔵王権現に、蓮の花を献じる行事。その一環として蔵王堂境内で「蛙飛び」が行われる。
「蛙飛び」行事とは、寺伝によると、平安時代に神仏を侮っていた男が金峯山に登り、蔵王権現や仏法を謗る(そしる)暴言を吐いたところ、大鷲にさらわれ断崖絶壁の上に置き去りにされた。その男を金峯山の高僧がカエルの姿に変えて助け、蔵王堂で一山僧侶の読経(どきょう)によって、もとの姿に返したという。
7日の蓮華法要の後、蛙飛び行事が始まり、吉野の護寺院住職から呪を受け、内陣の大導師から真言と懺悔文を授かり、人間の姿に戻るという宗教劇だが、修験者の護法の能力を競う験競いと解されている。

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<導師の受戒により、人間に戻された青蛙>

奥田での蓮取りは室町時代から行われ(竹林院の記録より)、もとは旧暦6月9日に行われていたが、明治維新頃に中断。昭和初期に復活してから新暦の7月7日になった。
奈良盆地の奥田の蓮池から吉野山を経て、大峰山山上が岳までの広がりをもつ行事という、スケールの大きな奈良の夏祭りである。


文と写真:保存継承グループ/小倉つき子

posted by 奈良まほろばソムリエ at 21:58| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする