2022年11月26日

保存継承グループ  吉田寺(斑鳩町)で美化奉仕活動

保存継承グループは、11月20日(日)に社寺美化奉仕活動を斑鳩町の吉田寺(きちでんじ)で行いました。当初予定していた11月13日が雨天のため順延となったもので、当日は一時雨の予報を覆して晴れ間ものぞく天気となり、当グループから7名、ソムリエの会から5名の合計12名が参加しました。

吉田寺は通称「ぽっくり往生の寺」、略して「ぽっくり寺」と呼ばれ、平安時代(987年)に源信(恵心僧都)が開基したお寺です。本尊は、立たれたときのお身丈が一丈六尺(丈六、約4・8b)となる県内最大級の丈六阿弥陀如来坐像(重文)で、別名「大和のおおぼとけ」と呼ばれています。源信が母の三回忌追善で造立したとされます。境内には室町時代(1463年)創建の多宝塔(重文、高さ約12b)があり、塔内には源信が父の菩提追善のため造立したと伝えられる秘仏の大日如来坐像が安置されています。

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<参加者は県内から9名、大阪から2名、愛知から1名。本堂前で>

参加者のうち、電車組は午前9時過ぎにJR法隆寺駅に集合し、徒歩で吉田寺に向かい、マイカー組と拝観受付所前で合流しました。10時ごろから各自、鎌やビニール袋を持って、参道、山門付近、奥の庭の3カ所に分かれて作業を始めました。

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<境内に上っていく参道で、落ち葉かきを行う参加者>

晩秋のため落ち葉が多く、お寺から竹ほうき、集めた落ち葉を入れる箕(み)をお借りしました。時たま吹く風のために落ち葉かきをしてきれいになったところにまた落ち葉が降り積もり、「キリがないなぁ」とぼやきながらも作業を続けました。庭にはあちこちに苔も生えていて、踏んで傷めないように気をつけながらの作業となりました。

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<駐車場から山門までの参道で、雑草を取る参加者>

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<奥の庭で、雑草抜きや落ち葉集めを行う参加者>

1時間20分ほどで刈り取った草や集めた落ち葉で一杯となった大型ビニール袋は11個になりました。
 
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<雑草や落ち葉で一杯となったビニール袋>

作業終了後、多宝塔の内部に安置されている大日如来像を特別に拝観させていただきました。その後、本堂に上がり、本尊の阿弥陀如来像の前で厳かな雰囲気の中、山中眞悦(しんえつ)住職から源信と「ぽっくり往生」のいわれについての法話をお聞きしました。最後に、「南無阿弥陀仏」と10回唱える称名念仏の後、千体仏の光背をもち上品上生印を結ぶ本尊の端正なお姿を間近で拝ませていただきました。作業の疲れも忘れてしまう貴重な時間となりました。

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<多宝塔の大日如来坐像を特別に拝観する参加者>

保存継承グループが主催して実施する社寺美化奉仕活動は、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の社会貢献活動の一環で行っています。次回開催時も会員の皆さんに参加募集する予定ですので、関心のある方々のご参加をお待ちしています。

文・写真   保存継承グループ  本井良明
 


posted by 奈良まほろばソムリエ at 10:27| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

史跡探訪サークル「秋の奈良きたまちを歩こう」

史跡探訪サークルには、現在140名(総会員の約3分の1)を越えるメンバーが登録されています。しかし、残念なことにコロナ禍のため2年半以上にわたり行事が実施されませんでした。そこで、大山理事(啓発グループ代表)のご支援により11月12日(土)「秋の奈良きたまちを歩こう」を久しぶりに実施しました。新入会員を含め14名が参加して秋の一日を楽しみました。

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集合は転害門です。東大寺創建時から戦火に耐え残る大門、ガイドGにも所属する磯部さんより建築構造に至るまでの詳しい説明をしていただきました。

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<重源上人の墓>

次に向かったのは、大仏勧進で有名な重源上人の墓所見学です。三笠霊園の厳しい坂道を200m登り、やっと到着。
「平城坊目遺考」(下)に「伴寺永骼寳ユ」として、元禄16(1703)年に東大寺念仏堂の傍にあった重源その他の石塔を「伴寺山墓所」に移したことを記され、その後、東大寺の僧侶の墓所になったことが知られています。ここは、伴墓とよばれてきたそうです。東大寺の僧侶のお墓が代々こちらにあります。お天気にも恵まれ奈良の町が美しく望めました。

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<五劫院本堂の前>

次は江戸時代大仏再建の主役、公慶上人の墓所のある五劫院見学です。

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<公慶上人の墓>

公慶さんは、宝永2(1705)年の6月に弟子の公盛(こうじょう)さんを連れて、江戸へ、18回目の御礼に行かれました。そこで、7月12日に「辛労相積の故か」疲労が重なり、58歳で亡くなりました。その当時、江戸で亡くなると江戸で葬られるのが決まり事でしたが、特別に奈良へ戻ることが許され、五劫院のお墓に葬られました。4年後の落慶法要を見ることはできませんでしたが、東大寺の方を向いて今も見守っておられます。公慶上人の右側に公盛上人のお墓もあります。

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<五劫院本堂内>

堂内で、僧侶から説明をお聞きし、アフロヘアーで有名な五劫思惟阿弥陀仏も拝観、昼食のお弁当もお座敷で頂きました。昼食後、寺の南側にある奈良県指定文化財の旧細田家住宅もこの日特別に開いていたので、見学しました。

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<北山十八間戸>

五劫院から徒歩約20分で北山十八間戸につきます。鎌倉時代の僧、忍性が創建したハンセン病患者の救済施設で江戸時代まで実際に使用されていました。この日は奈良県職員による一般開放日で内部見学も可能でした。

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<夕日地蔵の前で>

北山十八間戸のすぐ北側に夕日地蔵さまがおられます。高さ2.4mの大きな石仏。夕日の眩しさに目を縮めるように西側を向いておられました。

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<旧奈良監獄>

夕日地蔵さまから約200mで少年刑務所(旧奈良監獄)跡地に着きます。イギリス造りというタイル張り方法など興味深い説明が磯部さんからありました。

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歩きつかれた皆さんの休憩もかねて、植村牧場の見学です。新鮮な牛乳やソフトクリームに皆、ホッと一息でした。

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<武田俊男商店>

次は武田鹿せんべい店の見学です。話の上手な社長さんの存在でテレビ取材や芸能人の訪問などが続く人気スポットです。奈良には現在5件の鹿せんべい店が残り、卸先を替えて棲み分けています。100年以上続く、老舗中の老舗です。

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<奈良豆比古神社>

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<樟>

最後は、能の原点とされる「翁舞」で有名な 奈良豆比古神社です。天智天皇の七男 志貴皇子らをお祀りするこの神社は奈良時代から続く古い神社です。この日は翁舞で使うお面の他、室町時代も含め20面を保管する資料館も見学、境内裏手の奈良県天然記念物 樹齢1200年の樟(くす)の巨樹も興味深いものでした。

なお、史跡探訪サークルでは、今後 年2回以上を目標にウオーキングや行事を実施して参ります。当面来年3月の末、宇陀松山の散策、(旧森野薬草園や重伝建等見学)と大願寺薬草料理(定員25人まで)を実施予定です。1月末に詳細をお知らせしますので、お楽しみにお待ちください。

史跡探訪サークル    文・長岡光彦 写真・松浦文子

posted by 奈良まほろばソムリエ at 09:29| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

墨坂神社「秋季大祭」/保存継承グループ祭礼見学記

11月3日、宇陀市榛原の墨坂神社で秋季大祭があり、見学に行ってきました。

保存継承グループのメンバーは11時40分に榛原駅北口に集合。集まったのは4人。祭礼見学にふさわしい秋晴れだったのに、残念な参加人数でした。北方の西峠の「お旅所」に歩いて向い、15分ほどで到着。13時から神事が始まりました。

秋季大祭は毎年11月2日から4日の3日間にわたって行われます。2日は19時に本殿にて式典の後、現在の社地から旧社地とされる西峠の「お旅所」へ神様をお遷しする渡御行列が行われます。そして3日には「御旅所」から現在の社地まで神様をお還りいただく渡御行列が行われます。
若宮神を夜中の0時に本殿からお遷しし、御旅所で神遊びを楽しんでいただいたあとその日の23時59分に本殿にお還りいただく「春日若宮おん祭り」を思い起こさせられる神事です。

古事記・日本書紀には崇神天皇9年春の事として国中に疫病が蔓延した時、神人が天皇の夢の中に立ち、「赤盾八枚・赤鉾八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚・黒鉾八竿をもって大坂の神を祀れ」とのお告げがあり、天皇はその教えに従って祀られたところ、たちどころに疫病が平癒したと伝えられています。この墨坂の神、大坂の神がそれぞれ墨坂神社、大坂山口神社であり、古代大和への東西の重要な入口として疾病の侵入などを防ぐ神々とされています。

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[西峠からのお旅所神事]

13時半、神輿におられる神様にお還りいただく行列が、スタートします。
約1qの道のりを、猿田彦を先頭に武者、赤盾・赤鉾・太刀などもった還幸の時代行列が神輿とともに進みます。途中、伊勢本街道やあぶらや旅館の前を通ります。沿道の家々の方が表に出て手を合わせておられ、表まで出られないお年寄りが玄関の奥から見送っておられたのが印象的でした。

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[渡御行列]

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[渡御行列]           

宇陀川を渡り、14時10分ごろに社地に到着です。
宮司が神輿から神様をお遷しします、決して見てはいけない、見られてはいけないということで、装束に隠し警蹕(けいひつ)の声を掛けながら本殿にお帰り頂きました。

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[本殿]

その後、本殿での神事がおこなわれ、15時半ころから、太鼓台の宮入りです。今年は3年振りの登場です。例年は4基ですが、宮本・東町稲荷(楽)・上之町の3基が順次パフォーマンスを行いました。もう一基ある福地の太鼓台は椋下神社に宮入するそうですが今年は不参加でした。
太鼓台は立派な彫り物や欄間が施され、高価そうです。太鼓をたたく人、音頭をとる人が乗っかっています。「まぁーだまだ」の掛け声と共に、何度も何度も肩に担いでいる太鼓台に両手を伸ばし高く支え上げる力強い表現は圧巻でした。最後に宮入した上之町は八人で担ぐパフォーマンスもありました。ちなみに太鼓台は1トン半前後もあるそうです。最後に集合した3基が、一斉に担ぎあげられました。
宮司により太鼓台と参加者全員に大祓えが行われ終了です。

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[宮本太鼓台]

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[楽太鼓台]

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[上之町太鼓台]

その後、通常は御供まき(ごくまき)とよばれる紅白の餅まきが行われるのですが、コロナのため今年は手渡しでした。熱気に満ちた祭は、16時過ぎ終了。
翌朝は健康を願い、大祭の最後に手渡しでいただいた餅を朝食にしました。

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[大祭の終わりに手渡しでいただいたお餅]

追記:各自治会から出発した太鼓台は11時半頃に榛原駅前広場に集合し、練り合わせが行われます。

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[榛原駅前広場練り合わせ]


文・写真 垣内博久

posted by 奈良まほろばソムリエ at 08:40| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする