2014年05月22日

記紀万葉サークル5月例会「山辺の道(その2)」

5月6日(火)参加者32名

ゴールデンウィーク最後の休日、「山辺の道−陵墓の謎と物部氏を考える」に参加。前日の雨に洗われた新緑が清々しい、大和青垣の西山麓を約10キロ歩いた。

JR柳本駅をスタート。「下ッ道」を横切り、黒塚古墳へ。近世には柳本藩陣屋の一部として使用されたというが、当初の姿を良好に残している全長約130mの前方後円墳だ。墳丘に登ると大和高原が一望でき、古墳の大きさが実感できる。隣接する黒塚古墳展示館では石室が復元されており、板石を用いた特殊な竪穴式石室の構造、出土された画文帯神獣鏡の位置や33枚の三角縁神獣鏡等の副葬品の配置がよくわかった。
国道169号線を渡り、崇神天皇陵に治定されている行燈山古墳の周濠を巡る。古墳のベースが東から西に大きく傾いているため、渡り土提により段階的に周濠を区切りながら水面を下げている構造を確認。今の周濠は江戸期に拡張されもので、東端の狭い箇所だけが築造当時の幅を残しているとか。詳細な説明を聞きながら歩いていると、240mの巨大な前方後円墳が異様な存在感で迫ってくる。
西に目をやると二上山の稜線が彼方に浮かぶ。古代葬送のエリアを歩いていると、かすかに見える古代信仰の山「二神山(ふたかみやま)」がほっと心をほぐしてくれる。
気分一新、満開のツツジに挟まれた参道を縫って長岳寺へ。境内はカキツバタをはじめ、初夏の花が咲き誇り、モミジの若葉が輝きを放つ。

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(長岳寺の大石棺仏)

天理トレイルセンターで昼食をいただき、再び古墳巡り。中山大塚古墳から燈籠山古墳を経て西殿塚古墳へ。3世紀末と思われる巨大前方後円墳は手白香皇女衾田陵に治定されているが、年代的に隔たりがある。さらに北西300mほどに位置する西山塚古墳こそが、真の衾田陵ではないか?夫の継体天皇陵(高槻市・今城塚古墳)と同じ埴輪窯製の埴輪が出土しているという。田中リーダーの解説に聞き入りながら、古代王権のドラマを追った。

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(衾田陵を行く参加者達)

萱生柿の畑を抜け、奈良県下で最も高所(標高110m)に位置する萱生環濠集落と竹之内環濠集落の跡を通り、天理市乙木町に鎮座する夜都伎神社に。もと春日社領の式内社というが、今にも崩れ落ちそうな茅葺きの拝殿が今も心に残る。
アップダウンが続く道をしばらく歩き、疲れた足で内山永久寺跡を巡り、ようやく石上神宮境内に。由緒の説明をする田中さんの声を、放し飼いされている鶏たちがけたたましい鳴き声で掻き消す。絶妙な掛け合いにみんな思わず笑ってしまった。禁足地に坐す布都御魂大神を拝させていただき、天理の町へと急いだ。
天理教本部を背景に全員で記念写真を撮り、ここで一旦解散した。

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(天理教本部前にて)

ほとんどの人が杣之内古墳群の一部を巡るオプションに参加した。天理大学敷地内にある西山古墳は日本で最大の前方後方墳というが、下から眺めるだけではその形態がわからない。最後の元気を振り絞って一段高い東側墳頂にみんなで登り、西にのびる前方部を確認した。
天理高校敷地内にも巨大な横穴式石室が露出している古墳がある。石舞台古墳に匹敵するほどの大きな石室というのに、「塚穴山古墳」の名を示す立札はどこにもない。ツアーの最後はまさに知る人ぞ知る“穴場”に案内していただいたわけだ。
はじまりの大和をつぶさに巡る一日となった。

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(塚穴山古墳の石室)


文  小倉つき子(交流グループ)
写真 田中昌弘(記紀万葉サークル)
posted by 奈良まほろばソムリエ at 14:11| Comment(0) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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