2022年11月26日

史跡探訪サークル「秋の奈良きたまちを歩こう」

史跡探訪サークルには、現在140名(総会員の約3分の1)を越えるメンバーが登録されています。しかし、残念なことにコロナ禍のため2年半以上にわたり行事が実施されませんでした。そこで、大山理事(啓発グループ代表)のご支援により11月12日(土)「秋の奈良きたまちを歩こう」を久しぶりに実施しました。新入会員を含め14名が参加して秋の一日を楽しみました。

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集合は転害門です。東大寺創建時から戦火に耐え残る大門、ガイドGにも所属する磯部さんより建築構造に至るまでの詳しい説明をしていただきました。

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<重源上人の墓>

次に向かったのは、大仏勧進で有名な重源上人の墓所見学です。三笠霊園の厳しい坂道を200m登り、やっと到着。
「平城坊目遺考」(下)に「伴寺永骼寳ユ」として、元禄16(1703)年に東大寺念仏堂の傍にあった重源その他の石塔を「伴寺山墓所」に移したことを記され、その後、東大寺の僧侶の墓所になったことが知られています。ここは、伴墓とよばれてきたそうです。東大寺の僧侶のお墓が代々こちらにあります。お天気にも恵まれ奈良の町が美しく望めました。

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<五劫院本堂の前>

次は江戸時代大仏再建の主役、公慶上人の墓所のある五劫院見学です。

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<公慶上人の墓>

公慶さんは、宝永2(1705)年の6月に弟子の公盛(こうじょう)さんを連れて、江戸へ、18回目の御礼に行かれました。そこで、7月12日に「辛労相積の故か」疲労が重なり、58歳で亡くなりました。その当時、江戸で亡くなると江戸で葬られるのが決まり事でしたが、特別に奈良へ戻ることが許され、五劫院のお墓に葬られました。4年後の落慶法要を見ることはできませんでしたが、東大寺の方を向いて今も見守っておられます。公慶上人の右側に公盛上人のお墓もあります。

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<五劫院本堂内>

堂内で、僧侶から説明をお聞きし、アフロヘアーで有名な五劫思惟阿弥陀仏も拝観、昼食のお弁当もお座敷で頂きました。昼食後、寺の南側にある奈良県指定文化財の旧細田家住宅もこの日特別に開いていたので、見学しました。

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<北山十八間戸>

五劫院から徒歩約20分で北山十八間戸につきます。鎌倉時代の僧、忍性が創建したハンセン病患者の救済施設で江戸時代まで実際に使用されていました。この日は奈良県職員による一般開放日で内部見学も可能でした。

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<夕日地蔵の前で>

北山十八間戸のすぐ北側に夕日地蔵さまがおられます。高さ2.4mの大きな石仏。夕日の眩しさに目を縮めるように西側を向いておられました。

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<旧奈良監獄>

夕日地蔵さまから約200mで少年刑務所(旧奈良監獄)跡地に着きます。イギリス造りというタイル張り方法など興味深い説明が磯部さんからありました。

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歩きつかれた皆さんの休憩もかねて、植村牧場の見学です。新鮮な牛乳やソフトクリームに皆、ホッと一息でした。

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<武田俊男商店>

次は武田鹿せんべい店の見学です。話の上手な社長さんの存在でテレビ取材や芸能人の訪問などが続く人気スポットです。奈良には現在5件の鹿せんべい店が残り、卸先を替えて棲み分けています。100年以上続く、老舗中の老舗です。

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<奈良豆比古神社>

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<樟>

最後は、能の原点とされる「翁舞」で有名な 奈良豆比古神社です。天智天皇の七男 志貴皇子らをお祀りするこの神社は奈良時代から続く古い神社です。この日は翁舞で使うお面の他、室町時代も含め20面を保管する資料館も見学、境内裏手の奈良県天然記念物 樹齢1200年の樟(くす)の巨樹も興味深いものでした。

なお、史跡探訪サークルでは、今後 年2回以上を目標にウオーキングや行事を実施して参ります。当面来年3月の末、宇陀松山の散策、(旧森野薬草園や重伝建等見学)と大願寺薬草料理(定員25人まで)を実施予定です。1月末に詳細をお知らせしますので、お楽しみにお待ちください。

史跡探訪サークル    文・長岡光彦 写真・松浦文子

posted by 奈良まほろばソムリエ at 09:29| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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