2013年03月27日

願わくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ

西行法師の有名な和歌です。釈迦入滅の2月15日の満月のころに桜のもとで生涯を終えたいと祈願してこの歌を詠んだとされます。
今年は旧暦の『如月の望月』の日が3月27日なのです。
西行はどこの桜を心に描いてこの歌を詠んだのでしょう。
今年の桜の開花は早く、27日には見ごろを迎える桜も多いことでしょう。
満月のもとに今を盛りと咲く桜に、西行の姿を重ねて見られますね。
『如月の望月』のすばらしいショットを撮られた方、ぜひ投稿してください。
投稿先メールアドレス:info@stomo.jp

                  広報グループ まりも
posted by 奈良まほろばソムリエ at 21:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月23日

ごじょう周遊バスに乗ってきました

5月12日まで(梅桜号は3月31日まで)の土曜・日曜・祝日限定で運行されている『ごじょう周遊バス』を利用して観光してきました。
NPO法人「うちのの館」が運行する五條市内観光に利用できる無料のバスです。
バス運行に関しての詳細は http://www.kawamura-river.com/event_poster/2013/bus.pdf


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(藤岡家住宅 満開の長兵衛梅)

藤岡家住宅には何度かうかがっていますが、風格ある建物と職員の皆様のホスピタリティーにいつもいつも感心します。今回も食事を予約してゆっくりといただきました。古いお屋敷を拝見することはあっても、なかなかその中で食事をとることなどありませんが、ここでは実際に使われていたお部屋で食事をいただけるのが、とても貴重な体験です。食事もあたたかいものを用意してくださり、美味しいです。

藤岡家住宅から乗車し、長屋門下駐車場、JR五条駅、新町口を経由して、梅の名所、賀名生へと向かいました。
このバスでは、自家用車では体験できないことができるのです!“まぼろしの五新線”を通って賀名生に向かうのです。

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(バスの車窓から 五新線を走る)

国道168号線から別れて、専用バスしか通行できない五新線に入ります。最初のうちは住宅地を通る道です。さて、この写真に写っている四つ角、これは踏切になる予定だった場所だそうです、鉄道の名残りがはっきりと見て取れますね。

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(五新線 トンネル)

2本の長いトンネルを抜けると、そこは賀名生の里。まさに桃源郷に迷い込んだ気分です。

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(五新線 賀名生バス停とごじょう周遊バス)

ここでバスを降ります。この風景、見覚えありませんか?
河瀬直美監督の『萌の朱雀』でみちる役の尾野真千子さんが通学に利用していたシーンが撮影されたバス停だそうですよ。

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(賀名生の里の梅林)

ちょうど見ごろを迎えた賀名生の梅林。梅のかおりに満ち満ちて、存分に早春の気分を楽しみました。
帰りも『ごじょう周遊バス』を利用。往路は空いていましたが、帰路はほぼ満席でした。
このバスは予約なしの座席定員制(25名)なので、満席の時には乗車できませんので、その旨ご理解のうえ、計画をたててください。賀名生からJR五条駅には路線バス(有料)もあります。

今回は賀名生の梅林がちょうど見ごろだったので、賀名生の観光が中心でしたが、天誅組ゆかりの長屋門、新町通り、五條文化博物館にも停まるものですから、「ここも見たい!」、「こちらも行きたい!」と思うところだらけでした。梅桜号は今月いっぱいですが、4月からは山吹・ぼたん号としてコースを変えて運行されるそうです。
魅力あふれる五條の観光におおいに貢献する『ごじょう周遊バス』、ぜひ体験してください。

                            (広報グループ まりも)
posted by 奈良まほろばソムリエ at 11:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月16日

冬の奥飛鳥をたずねて

 冬の奥飛鳥を訪ねたくなり、2月の末、明日香村の石舞台古墳から祝戸橋を渡り、飛鳥川上流へと向かった。気温10℃、昨日までの寒さが嘘のように感じられるハイキング日和でした。
 歩いて20分ほどで稲渕集落の入り口 神所橋(カンジョウバシ)に着く。そこには太い綱が飛鳥川に渡され、その中ほどに藁で作った大きな筒状のものが吊り下がっている。雄綱という。この綱を勧請縄(カンジョウナワ)といい、正月11日に行われた綱掛け神事の際に作られ、飛鳥川に掛け渡された。五穀豊穣を祈り、悪病の村への侵入を防ぐために張られたものです。綱を掛ける木は、昔は松と檜に決まっていたそうですが、今みると、樫と柿の木でした。

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 <稲渕棚田>             <稲渕男綱>

 雄綱から飛鳥川の「飛び石」までほんの数分。歩いて渡るのにほどよい石が幾つか並んでいます。飛び石と呼ぶ石橋(イワハシ)です。万葉集に「明日香川 明日も渡らん石橋の 遠き心は 思ほえぬかも」と詠われ、古代のロマンが偲ばれます。

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 <飛鳥川飛び石>         <飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社>

 さらに遡ると、山間が狭くなって、川の音も大きくなり、川床には巨岩が横たわっている。そのそばに、縣社の飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社がある。見上げるほど高く長い石段に一瞬躊躇するも、意を決して上ること192段、そこは大きな杉の古木が天をさえぎり、厳かさを感じる神社です。皇極天皇が642年に「南淵の河上」で雨乞いをされたのは、きっとこのあたりであろうと思わせる雰囲気です。

 神社をあとに、更に進むと、ふたたび視野が広がり、田園地帯を見ながら栢森の集落に近づく。集落の入り口辺りに稲渕と同じように太い綱が飛鳥川に掛け渡され、綱の中ほどには、やはりわらで作った雌綱が吊り下げられている。今年は、正月14日に綱掛け神事が行われ、稲淵が神式で、柏森は、仏式で行われた。

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 <栢森雌綱>            <加夜奈留美命神社>

栢森は、川の合流点にあり、近くに式内社の加夜奈留美命神社が鎮座する。
ここから15分ほど登ると、女淵と呼ぶ滝がある。案内板によると高さ6mもあり、淵も滝の高さほどの深さだそうです。水しぶきが美しく、神秘的で、水はどこまでも碧く、清らかな滝でした。

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<雪の残る女淵降り道>         <女淵の滝>

 さらに上には、男淵と呼ばれる高さ9mもの滝があり、女淵には雌の龍神が、雄淵には雄の龍神が棲むと言い伝えられてきたそうです。ここが雨乞い伝承地とありましたが、そのように感じさせる雰囲気が漂っていました。

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<女淵の滝2>             <雨乞い伝承地>

 「世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる」こう詠われた飛鳥川、集落の人たちは、水の神を慰め、飛鳥川の穏やかなることをひたすら祈り、五穀豊穣・子孫繁栄を願い続けたのでしょう。
 夏が過ぎれば棚田が黄金に染まり、畦道には赤い彼岸花が咲き乱れます。今年も龍神様のお蔭で豊かに実った稲穂を見に再び訪れようと思います。

                    広報グループ 豊田 敏雄
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2013年03月05日

奈良にうまいものあり!〜グルメで奈良にリピーターを呼ぼう〜

2013年2月28日、奈良ロータリークラブ例会にて
卓話講師
NPO法人 奈良まほろばソムリエの会 専務理事 鉄田憲男


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奈良ロータリークラブで、鉄田憲男さんの卓話がありました。通常は90分でされているお話を30分にまとめられ、約140名の会員にたいへん好評でした。
最初に「NPO法人奈良まほろばソムリエの会」の紹介をされ、つづいて「まほろばソムリエと巡る大和路」9コースの案内をされました。

「奈良にうまいものあり」の内容は以下のとおりです。

・「奈良にうまいものなし」という言葉は志賀直哉ではなく、「県民自身が謙遜していった言葉です」と、若羽学園の田中敏子先生から生前に直接お聞きしました(志賀直哉の「奈良」というエッセイ全文を掲載した資料を配布)。私見(鉄田説)では、謙遜に加え、一般的によくいわれる「名物にうまいものなし」という言葉と混同されて広まったのではないかと思います。

・奈良県の「食」について、テレビや雑誌などでの情報発信が少ないのは、確かです。奈良県民は奥ゆかしいので、あまり売り込まないのでしょう。

・奥村彪生.(おくむら・あやお)さんという伝承料理研究家.が「奈良は日本の食文化発祥の地」とおっしゃっています。牛乳・乳製品、醤(ひしお)、砂糖(鑑真和上が日本に伝えました)、豆腐・湯葉、奈良漬、そうめん、まんじゅう(まんじゅうの祖は、奈良市林小路町の林神社に祀られている林浄因)、清酒(奈良市菩提山町の正暦寺で初めて作られた)は奈良が発祥とされています。奈良漬や奈良の清酒は今もとても美味しくて、奈良を代表する土産物ですね。

・奈良の地名を冠した食べ物も、多数あります(吉野葛、三笠まんじゅうなど)。

・ミシュランガイドでは、最初の年(2011年)は25ヵ店を数え、2年目は22ヵ店に減ったとはいえ、予想以上にたくさんの店が選ばれています。

・近頃はグルメコンテストもたくさん行われています。e-1グランプリ(環境に配慮した料理コンテスト。4月6日・7日、奈良県文化会館で開催)など。

・県下では大和肉鶏、ヤマトポークなど、畜産物がおいしい。

・絶品なのが大和野菜で、大和野菜は「京野菜」のルーツです。

・奈良は魚もおいしい。京都市から日本海への距離を奈良市からの同じ距離で比べると、伊勢湾までいってしまいます。奈良は海にも近いのです。

・グルメスポットは路地裏にあることが多いので、チェックしてから行きましょう。

・飲食店は事前に情報を仕入れてから行きましょう(奈良県の人口あたりの飲食店数は、全国で最も少ない)。『あまから手帳 奈良うまい店100選』、『美味しい奈良』、「三ツ星グルメ」(県のHP)などを参考に。

最後に、
・地元民が奈良のことをもっとよく知り、奈良に「愛情」と「誇り」を持とう。
・来訪者に、奈良を「巡る楽しみ」を知ってもらおう。
・「奈良のうまいもの」を食べてもらおう!
・そしてリピーター(奈良ファン)を増やそう。リピーターは最も有難い観光客だから(泊まってくれ、おカネを使ってくれ、友達を連れてきてくれる)。
と結ばれました。

会員のお店の料理などを直接取材・撮影して作られたパワーポイント資料に基づき、30分でコンパクトに話された卓話は、宿泊や飲食、食品などの仕事に携わる会員のみならず、多くの会員が感心して聞いておられました。

          (報告 奈良まほろばソムリエの会  松森 重博)
posted by 奈良まほろばソムリエ at 22:06| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月30日

古墳見て歩き

 久しぶりにソムリエの古墳好きの仲間を誘って出かけることにした。
以前から気になっていた古墳でソムリエ検定公式テキストブックに紹介されている花山塚古墳を訪れることとした。ついでに桜井市に点在する少しマニアックな古墳で横穴式石室をもち石室内に入ることが出来るものも予定に入れた。

 訪れたのはムネサカ古墳、花山塚古墳、越塚古墳、舞谷古墳、秋殿古墳の5か所に古墳ではないが駒帰廃寺跡を加えた。これらのうち花山塚古墳以外は検定公式テキストには載せられていない。

 1月27日、全国的に大陸の寒気に覆われ北陸、北日本は大雪で奈良も最低気温マイナス3度と報じられていたが、幸いに天候は晴れでさほど寒くはない。古墳見学は夏場は藪や蚊に悩まされるため真冬に限るということで決行した。

 しかし桜井はまだしも宇陀にも足を延ばすのだが路面状態は分からない。迷ったがタイヤはスタッドレスに入れ替えで安全を期した。10時に近鉄八木駅に集合して出発。最初に訪れたのはムネサカ古墳。166号線を東に進むが国道沿いに駐車するところが無かったので建設業者の敷地に駐車させてもらう。

 案内板など全くなく、ぬかるんだ急斜面を10分ほど登る。古墳に通じる道は無く初めて来た者には到底わからないが幸い経験者に教えられ墳丘の前に着く。いきなり巨大な羨道と玄室の大きさに圧倒される。10mあまりの羨道の奥にある玄室は8畳ほどもあり天井も高い。奥壁・側壁ともに巨大石の2段積である。石材の構成に緻密さでは少し劣るが明日香村の岩屋山古墳とほぼ同一だ。

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 次いで今日のメイン花山塚古墳である。これも166号線の女寄峠の少し手前の北側斜面にある。荒れた林道わきに駐車して林道を少し歩く。何十年も前に建てられた錆だらけの案内板はあるが全く字は読めない。やはり経験者の案内がなければ難しいところだ。

 急斜面を10分ほど登ったところに先ず花山塚東古墳がある。いよいよ磚積古墳の登場である。東古墳は石室の前面が破壊されているようだが、石室の側壁や奥壁は榛原石をレンガ状に加工した磚で積み上げた磚積石室が良く残っている。

 規模はさほど大きくは無い。奥行2.5mほど幅1.5mほどで一見立方体のような形状を示す。初めて見る磚積石室、今で言うコンクリートブロックで作られたような緻密な石室に驚くと共になぜそのようなものがこの地域に造られたのか興味は尽きない。磚積石室をもった古墳はこの忍坂や鳥見山地域にはいくつか点在しているという。

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 次に花山塚西古墳である。東古墳から50mほど西にある。古墳の前に大きな石柱が立つ。「史跡花屋塚古墳」と昭和の初めに建てられたもので、この古墳は国の史跡に指定されている。斜面に築かれた円墳で石室は南に開口している。この古墳は入口全体に四角い籠のような鉄柵が置かれ容易に中には入られない。格子の外から中を伺うが羨道の奥は分からない。

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 しかし鉄柵の上部に扉があり籠の上に上るとそこから中に入れた。磚積の石室は完全に残されていて、その石室の奥にさらに石郭がある。天井は両壁から持ち送りがありドーム状を示す。石室は畳3畳ほど、石郭は1畳ほどで全体の緻密さと言い遺存状態と言い素晴らしいの一言につきる。

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 次に訪れたのは、越塚古墳 6世紀末ごろの古墳だ。ここは166号線を南に入って東の下り尾集落の東端にある。これも、大きな円墳に造られた横穴式石室をもつ古墳で南西方向に開口している。横幅の広い羨道の奥に広さ8畳あまり高さ4mはある玄室がある。今日見る石室では最大である。奥壁、側壁とも3段の巨石で積まれている。明日香の石舞台古墳石室にも匹敵するくらいである。

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 秋殿南古墳と舞谷古墳は鳥見山の南斜面にあり舞谷古墳は群集墳である。秋殿南古墳もかなり大きな石室をもち側壁は大型の石材を2段積にしている。石室の特徴から7世紀前半頃の築造という。

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 また、舞谷古墳群の内2号墳を見た。この古墳も磚積の石室をもつ。やや小ぶりの石室ではあるが、榛原石を加工した磚もよく残り特に側壁からの天井にかけての持ち送りの技術が細やかでドーム状を呈している。7世紀中頃の築造のようだ。同じ鳥見山の南斜面にあって築造時期も似通っているが、古墳の形態が異なるのは全く別の部族などによって造られたからだろうか。

 今回桜井市の栗原谷を挟んだ地域さらには鳥見山に点在する古墳の一部を見学した。古墳から受ける印象や古墳への想いはそれぞれ異なるかもしれないが、皆が共通に感じたことは古墳という文化財がこのままで良いのかということであった。

 即ちこれらの古墳はこれと言った保存もされず放置され、また説明板や案内板も皆無である。この周辺にはまだまだ多くの古墳があると聞いているが、樹木も生茂りその根により崩れかけている石室もあった。大げさなようだがアンコール遺跡の石造物が樹木の根によって浸食されている姿が思い出された。今のうちに何か手立てはないのだろうか。私たちの手で何か役に立ちたいという会話も聞かれた。

奈良まほろばソムリエの会 小北博孝
posted by 奈良まほろばソムリエ at 22:54| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする