2012年03月23日

合格おめでとうございます

ソムリエ検定試験 晴れ合格おめでとうございます

奈良商工会議所は3月21日に 第6回ソムリエ検定試験の結果を発表されました。
それによりますと、最高位のソムリエの受験者は277名でその内合格者は63名でした。合格率は22,7%というこれまでの最難関であったようです。
今回見事に栄冠を勝ち取られた皆様に心からお喜び申し上げます。
またこの超難関を突破された皆様の日頃のたゆまないご努力に敬意を表します。

奈良まほろばソムリエ友の会はこれまで3年次に亘ってソムリエ試験に合格された皆様方により組織される団体であります。
現在会員数154名で構成し、ソムリエの持てる奈良に対する熱い思いと深い知識経験を生かし年間を通じて研鑽・交流・ボランティア活動などを行っています。

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歴史地理グループの研究風景

奈良まほろばソムリエ友の会では、すでにご案内の通り、新たにソムリエとなられた皆様方に本会へのご入会をお願いしています。
皆様の持てる力を発揮する場でもあり、多くの同じ思いを持った方々との活動の場でもある本会では皆様方のご活躍を大いにご期待いたします。
現在もうすでに数人の方々の入会を受け賜っています。是非この機会にご入会していただくよお願いいたします。

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100人以上の会員が集まる研修会

なお、入会に関してご不明な点などがございましたら当HPの「お問い合わせ」にてお願いいたします


奈良まほろばソムリエ友の会 会長 小北博孝
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2012年03月13日

奈良県における「神武東征とその聖蹟」

古事記完成1300年の記念すべき年に、私たち有志は昨年の夏から古事記の読み下し文を輪読することで、古事記に少しばかり触れました。さらに今年になってから多くの有志で書紀における神武記をわずかながら学びました。しかし机上での学びだけでは物足りず、せめて神武東征の聖蹟を訪ねてみようと、それも奈良県と大阪府東大阪市に点在する聖蹟顕彰碑を訪ねることとしました。
もちろん記紀ゆかりの史跡は奈良県には数えきれないくらいあります。それらは機会あるごとに訪ねた方も多いと思いますが、この神武東征の聖蹟は意外と知られていないようです。今回これ等を訪ねることにより記紀に対しての新たな造詣が深まるのではないかと思います。
これから聖蹟を訪ねる方々に参考となる聖蹟の写真と周辺の関連情報をを提供します。とくに聖蹟碑の裏面に刻まれた考証文に注目していただきたいと思います。
なお、これらの聖蹟碑は神武天皇東征の聖蹟を顕彰するため紀元2600年(1940年、昭和15年)の奉祝の事業の一環として顕彰碑が建てられました。これは文部省における神武天皇聖跡調査委員会による推考に基づいて、大分県から奈良県に至る7府県に計19か所が選定されました。そのうち奈良県には7か所の聖蹟があります。

菟田穿邑顕彰碑
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神武天皇戌午年頭八咫烏郷導(ヤタノカラスクニノミチビキ)ニ依リ道臣命ヲ皇軍ノ将トシテ菟田穿邑ニ至リ給ヘリ聖蹟ハ此ノ地方ナルヘシ

大伴氏の遠祖日臣命は功あり勅して名を道臣命と改める

宇賀神社 祭神は兄猾(兄宇迦斯)弟猾(弟宇迦斯)
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天皇 兄猾及び弟猾を徴さしむ 時に兄猾来ず 弟猾即ち詣至り 弟の密告により兄は殺される 流れる血は累々しくその地を名づけて「血原」という

青蓮寺
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宇賀神社から2キロほど山道を行くと中将姫伝説の日張山青蓮寺がある

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県道から急坂を300mほど登ったところに聖蹟碑がある

菟田高倉山顕彰碑
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神武天皇戌午九月菟田高倉山ノ嶺ニ登リ給ヒテ域ノ虜軍ノ形勢ヲ謄望シ給ヘリ 聖蹟ハ此ノ地ナリト傳ヘラレル

高倉山から国中を望むと 国見丘の上に八十梟師 磐余邑に兄磯城の軍があふれていた

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敵を降伏させるために、天皇は「天の香具山の社の中の土を取って平瓦と御神酒を入れる瓶を作って天神地祇をお祀りせよ」と天神のお告げの夢を見た

丹生川上顕彰碑
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神武天皇戌午年九月天下平定ノ為平瓫及厳瓮ヲ造リ給ヒ丹生川上ニ渉リテ天神地祇ヲ祭ラセラレ又丹生川に厳瓮ヲ沈メテ祈リ給ヘリ 聖蹟ハ此ノ付近ナリ

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天皇曰く「吾今まさに厳瓮を以って丹生川に沈めむ。もし魚が大小となく全部酔って流れるのが、例えば槙の葉の浮き流れるようであれば、吾必ず能く此の国を平定するだろう。」そして瓮を川に沈めた。しばらくすると魚は皆な浮き上がった。 
ちなみに浮き出た魚は魚編に占うと書く「鮎」である

丹生川上神社
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祭神は罔象女神(ミツハノメ)

天誅組吉村寅太郎の辞世の句碑
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東吉野村は天誅組終焉の地で義士の墓が点在する 来年は天誅組義挙の150年にあたる

磐余邑顕彰碑
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神武天皇戌午年十一月兄磯城ヲ討チ給ヒ皇軍ノ虜ヲ破ルヤ大軍集マリテ磐余邑ニ充満セリ聖蹟ハ此ノ地方ナリト推セラル

鳥見山中霊畤(トミノヤマナカマツリノニワ)顕彰碑
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神武天皇御東征の鴻業ヲ遂ゲサセ給ヒ橿原宮ニ御即位後四年二月鳥見山中ニ霊畤ヲ立テテ皇祖天神ヲ祭ラセラレ大孝ヲ由ベ給ヘリ聖蹟ハ此の地付近ト伝エラレル

鵄邑顕彰碑
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神武天皇戌午年十二月皇軍ヲ率イテ長髄彦ノ軍ヲ御討伐アラセラレタリ時ニ金鵄ノ瑞ヲ得サセ給ヒシニ因リ時人其ノ邑ヲ鵄邑トセリ聖蹟ハ此ノ地方ナルヘシ

皇師遂に長髄彦を撃つ。連に戦ひて勝つこと能はず。金色の霊しき鵄有て、飛び来りて皇弓のはずに止まれり。
長髄彦が軍卒皆迷ひ眩えて戦はず。長髄は是邑の本の號なり

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狭井河上上(サイガワノホトリ)
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神武天皇伊須気余理比賣命ノ御家アリシ狭井河之上ニ行幸アラセラレタリ聖蹟ハ此ノ地付近ナリト推セラレル

天皇は富登多々良伊須須岐比賣命を皇后とした後、狭井河の上にある伊須気余理比賣の許に幸行でまして一宿御寝しましき、然して生まれしし御子の名は神沼河耳命即ち綏靖天皇

以上奈良県における7か所の聖蹟顕彰碑を紹介しました

奈良まほろばソムリエ友の会 小北博孝










posted by 奈良まほろばソムリエ at 13:08| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

鬼に訊けー宮大工 西岡常一の遺言ー

標記のドキュメンタリー映画が上映中です。
http://www.oninikike.com/
大和郡山 シネマサンシャインにて 3月1日までです、お急ぎくださいね。
大阪は 第七藝術劇場で4月14日からです。

西岡さんのインタビューを中心に構成されていて、木造建築への情熱、千年もたせる建築に携わる凄まじい意気込みに感じ入ります。
槍カンナに手斧、昔の道具を復元しただけでなく、その当時の技術までも後世に負けていないものであること、ご自分の大工としての仕事を通して証明されていたのですね。

映画にはでてきませんが、西岡さんの逸話をひとつご紹介します。
これは昭和53年、文化財保存技術保持者として、写真家・入江泰吉さんと共に県の表彰を受けられた式典でのことです、その場に教育委員長として臨席していた知人の話です。

当時の奥田良三知事より表彰状を受けられる際、西岡常一さんの名前が呼ばれると、西岡さんは大声で「ホイ」と返事され、モーニング姿の西岡さんが知事の前まで堂々と歩まれた途端、カラン・コロン、カラン・コロンと歯間下駄の音、一同がおそらく初めて見るモーニング姿に白足袋下駄を履いての歩み、会場からはクスクスと笑いのざわめきが起こったそうです。しかし知事は顔色ひとつ変えずにお祝いの言葉を述べられたあと、「率直に申し上げるが、西岡さんの今日のモーニングに下駄履きの姿、皆より笑い声が起こったが、名工ともなると靴の代わりに木の一端を自分の体に付けなければ心が落ち着かないということである。一芸一道を究める者姿こそ平常心を表すものだ。西岡さんのこの姿を笑う人は、洋服姿の坊さんが仏前でお経を唱えるのを見て褒め、袈裟、衣姿で読経する坊さんを見て笑うようなものだ。その点、十分反省するように」とおっしゃったそうです。

この話を覚えていたので、映画ではついつい足元に目が・・・たしかに。

               まりも記

[広報注] 関東地区では渋谷ユーロスペース(〜3/9)、川越スカラ座(〜3/9)で上映中
posted by 奈良まほろばソムリエ at 18:34| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月13日

王龍寺磨崖仏

皆さんは奈良市西郊にある王龍寺をご存じでしょうか。
この寺には南北朝時代の珍しい磨崖仏があります。
この磨崖仏は以前近鉄奈良駅にあった「ならなら館」にレリーフがありましたが、この館は閉館になっていしまいました。
以前から一度実物を拝観したいと思っていましたが、幸い昨日お目にかかることが出来ました。
この日は本来は、友の会の会報誌「ソムリエの風」が今回古事記特集をするので、それに投稿をするため取材に出掛けました。
投稿の題は「長髄彦の最後」で、その終焉の地を探しに行ったのですが、墓の石碑はなく長髄彦の本拠地であった場所に石碑が立っているのを見つけました。
さらに、金の鵄伝説の神武天皇聖蹟も見てきました。

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長髄彦本拠の石碑

場所は生駒市の白庭台です。白庭台は今は大きな住宅団地ですが、その中にまだ以前からの農村地が残っていて、ため池の土手にありました。
長髄彦はおそらくこの地域を中心として、北は交野市の岩船あたりから富雄川周辺、南は矢田山丘陵一帯に本拠を持つ有力な先住民族の首長で古代豪族であったのでしょう。
神武天皇の聖蹟は富雄川から少し東の山の中に入ったところにあります。

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神武天皇鵄邑聖蹟 聖蹟碑の裏には「神武天皇行軍ヲ率イテ長髄彦ノ軍ヲ御討伐アラセラレタル時ニ金鵄ノ瑞ヲ
得サセ給ヒシニ因リ時人其ノ地ヲ鵄邑トセリ」とある

前置きが長くなりましたが、帰りに飛鳥カントリーゴルフ場を抜けようと走っているとき、以前から一度行ってみたいと思っていた「王龍寺」のことを思い出しました。
場所は見当がついていましたので、すぐに寺に到着しました。

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山門への進入路には「石仏観音岩屋大黒天王龍寺」の碑が立つ

東に開いた山門の前は広く駐車スペースも十分あります。山門の両脚には立派な書体の板の表示板が懸り黄檗宗寺の雰囲気が出ている。

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山門から中は鬱蒼とした木々が茂りいきなり山寺の様子です。門をくぐると長い急な階段があり見上げるような高さに本堂が奥まっています。

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王龍寺については奈良検定テキストには記述はありませんが、副読本的な存在である「奈良県の歴史散歩」には詳しく紹介されています。
この寺は奈良市と生駒市の境にあって交通の便は悪く、路線バスもありません。
「奈良県の歴史散歩」によりますと
寺の正式名称は「黄檗宗海龍山王龍寺」で聖武天皇勅願寺と伝えられ僧坊千軒と言われるほど栄えたそうですが、後に兵火により廃絶したのを大和郡山藩の本田氏により黄檗宗の寺として再興されたようです。
この寺のご本尊が巨石に刻まれた高さ2mを越える11面観音立像で1336年の記銘があります。右側には高さ1mの不動明王が刻まれており、1469年の記銘があります。

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真っ暗な本堂奥にロウソク一本に照らし出された石仏観音立像と不動明王像

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11面観音様は頭上面から足元の蓮華座まで浮き彫りにされ、すらっとした容態で大変優しい慈愛に満ちたお顔をされています。兵火に会われた割には両像とも美しく、大事に守り伝えてこられたようです。

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初めにも書きましたように一度訪ねてみたかった磨崖仏ですが、この寺に関する資料があまりなく、たぶん公開されていない寺だと勝手に決めつけていました。ましてや磨崖仏などは到底拝観できないと思っていたのです。
例えばこの寺には県の指定文化財にもなるほどのヤマモモの巨樹があるのですが、この実を賓客に出してもてなしたということを聞いていましたので、なおさら難しいとも思っていました。
ところが、やはり当たって砕けろと言いますか、訪ねてみるものです。
本堂の前まではだれでもいけますが、扉には鍵がかかっていて、格子から中を伺いますが祭壇が見えるだけで本尊は全く見えません。たぶん祭壇の奥に磨崖仏があると思うのですが。
あきらめて帰ろうかと思っていましたが、せっかくですから境内を見て回っていましたら、例のヤマモモの大木がありました。

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その奥にこの寺の住職のお住まいがあって玄関は閉ざされています。あたりは物音一つ無く静まり返っています。幸いインターホーンがあって思案の末押してみました。
応答はありません。しかし耳を澄ますとかすかに廊下を歩く音がしました。思い切って玄関の引き戸に手をかけると鍵がかかっていなくて開きました。するとその奥からこの寺の若奥様でしょうか、女性が出てかられました。不躾で失礼千万ながらご本尊様を拝ませていただきたい旨を申し出ますと、あっさりと了解され(あまりにこやかではありません)わざわざ本堂まで鍵を開けに行って下さいました。そして中に招き入れて頂き拝観することが出来たのです。
このようなことではからずも念願の磨崖仏が拝観でき大変うれしい思いをしました。
ちなみにこの慈愛あふれる優雅で美しい磨崖仏は大和の石仏の中でも随一と言えるほど見事なものであると「歴史散歩」では紹介しています。
もしまだご覧になってない方は是非一度拝観鑑賞されてはいかがでしょうか。

奈良まほろばソムリエ友の会  小北博孝



posted by 奈良まほろばソムリエ at 15:40| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

神武東征と日下直越道

奈良まほろばソムリエ友の会の有志では今年から日本書紀の訓みくだし文により「巻第三 神武天皇」を学習している。講師は郷土史家の木村三彦先生で、生徒は35人である。
1月に第1回目の講義があり神日本磐余彦の誕生から東征の中ほどまで進んだ。
その後木村先生から、神武東征の聖蹟と日下直越道の史跡めぐりが発案され、メンバーの鉄田氏から呼びかけがあった。
史跡めぐりは1月29日に実施されることとなった。参加者は12名である。
たまたま、私が今回の史跡の近くに住んでいることもあって、道案内をすることとなった。
コースは生駒山上から日下直越道を下り孔舎衙坂の聖跡と盾津の聖蹟を訪ね、さらに日下邑の史跡を巡るというものである。
近鉄生駒駅に10時に集合。ケーブルカーで山上に向かう。
このケーブルカーは近鉄生駒鋼索線といい大正7年に開通した日本最初の営業用ケーブルカーである。

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30分ほどで生駒山上に着く。
山上は遊園地であるが今は冬季休業である。
生駒山は標高642m、金剛生駒紀泉国定公園に指定されている。一等三角点を確認する。
ちなみに、奈良県での一等三角点の山は金剛山や山上が岳などの6山である。

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このあたりでは全員はまだ力が有り余っているようだ。

頂上を後にして、府民の森の日下園地に入る。この府民の森は大阪府政100年を記念して30年余り前に作られた憩いの森である。
この森の中を東西に横切るように生駒越えの一つ、辻子谷越道が続いている。一行は石畳の残る道を歩く。

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辻子谷道から管理道に入る。この道からは大阪平野が一望できる。今日は少し曇り空で視界はあまりきかないが、地平にはWTCビル、大阪府の分庁舎も見え、その先には鈍く海が光っている。

やがて、日下直越道の取りつけ点に差し掛かる。この道は一般のハイキング道でもないので非常にわかりにくい。
日下直越道は奈良から難波までの最短コースにつけられた古道のうち生駒越えの道をさすのであるが、現在ではその道の在り処が明確でなく、5〜6本の候補がある。
今回たどる道は、地元の日下邑で古くからある伝承の道を有志により整備されたものである。
しかし整備されたのはかなり以前で、今は通る人もすくなく道は倒木や藪でかなり荒れている。
このようなことから、一昨日下見を行い取りつけ点に道標を設けておいた。

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手作りの道標をつける

ここからいよいよ日下直越道を下る。
古事記の雄略天皇記に「初め大后、日下に坐しし時、日下の直越の道より、河内に幸行でましき」とあり
この道の古さを物語っている。
また、万葉集には遣新羅使 秦間満の歌として
「妹に逢わずあらばすえなみ、岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る」があり、平城宮から難波の宮への最短の道でもあったようである。
生駒山から真っ直ぐ下るのであるから当然道は急こう配である。
その上、谷道であるため段差のある露岩が交じり非常に歩きにくい。倒木もある。さほど距離はないが思ったより時間がかかる。

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1時間余りかかって、孔舎衙坂の聖蹟碑に着く。
木村先生から聖蹟碑や周囲の状況について解説をうける。

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時に長髄彦聞きて曰く「夫れ、天神の子等の来ます所以は、必ず我が国を奪はむとならむ」
として、ここで皇軍と長髄彦の戦いになった。ここはいわば古戦場跡である。

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次いで五瀬命負傷の碑に向かう
「流矢有て五瀬命の肱脛に中れり」
碑は自然石に「厄山」と刻まれているが、意味はよく分からなかった。

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予定の時間をかなりオーバーして日下邑に下っていく。時間はすでに2時前である。
日下は孔舎衙とも書きまた草香とも書く。
神武東征の地だけあって史跡が多く、石器時代の遺跡からは有舌尖頭器が出土し、縄文時代の貝塚もある。
途中、黄檗宗の大龍寺に立ち寄る。この寺は推古天皇6年、厩戸皇子の創建である。

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やっと昼食をとるところまで下ってきた。
指定文化財河澄家住宅である。
河澄家は南北朝応安2年 日下連河澄余市大戸清正が祖で、江戸時代の庄屋である。15代当主常之は寛政10年日下村に隠棲していた上田秋成と親交を持ち、当家の棲鶴楼は秋成らが集まる文芸サロンであった。

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ここの座敷、棲鶴楼を借りて遅い昼食をとる。文化財での食事は少し気が張るが、由緒ある庭を眺めながらの食事も良いものである。

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河澄家の前での集合写真

河澄家を辞し最後の史跡、盾津の聖蹟碑に向かう。
途中には孔舎衙東小学校があり、ここの校章が金の鵄を模っているのも珍しい。
「却りて草香津に至りて、盾を植てて雄叫びしたまう。因りて其の津を號けて盾津と曰う。」
盾津聖蹟は普通の住宅街の中にある。神武天皇の聖蹟と言っても今の世代ではあまり知られていないように思うが、周囲はよく整備されている。
ここでも、木村先生から説明を受ける。

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今回の史跡めぐりはこれで終了となった。あとはバスで近鉄新石切駅に出て解散。
日下直越道は急坂の悪路で難渋したが、それだけに、滅多に行けない所を探索できて一同大いに満足されていたようであった。
今回参加できなかった方々も、次回にはぜひ参加され、在りし日の神武東征に想いを馳せていただきたいと思います。
木村先生。参加者の皆様、お世話になりありがとうございました。

まほろばソムリエ友の会  小北博孝





 






posted by 奈良まほろばソムリエ at 21:48| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする