2013年06月24日

記紀万葉サークル6月9日例会−飛鳥を巡るツアー−

 誰もが何回となく訪れている“飛鳥”、5月例会で「飛鳥のいろは」というテーマで日置雅夫さんに丁寧に説明をして頂き、現地で確認しようとこのツアーになった。当日は飛鳥京ボランティアガイドの谷口清和さんの案内と解説もあり、違った角度からの気づきもあった。
 暑くもなく絶好の散策日和でした。当サークル以外の3人を加え総勢22人で、皆今日はどんな解説をしていただけるのか興味津々。
 「飛鳥坐神社」では力石を握って願をかけ参拝。2月第1日曜の「おんだ祭」の神事にも是非と。 途中飛鳥寺の瓦を焼いたと言われる最古の窯跡はあの辺りとの説明。
 かつて一塔三金堂を誇った伽藍が鎌倉期に落雷焼損した「飛鳥寺」では、塔の心礎跡がここなどと遺構について確認する。更に645年の“乙巳の変”で、中大兄皇子は此処の西門に陣を張り甘樫の丘の蘇我蝦夷と対峙したと。遠く橘寺の甍が見通せて、田植えシーズンで植えられたばかりの水田と畑地が見渡せ、何というのどかで平和な風景かと、あらためて明日香の良さに感動を覚える。又今立っている畑地のあぜ道の下から、土管が発掘され(苑池遺構の一部か)たという。後刻訪れた「明日香村埋蔵文化財展示室」で実物の確認ができた。この辺りは何も建てられないし、瓦の一片を拾って持ち帰っても罪に問われるとか。

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(飛鳥寺境内にて)

「水落遺跡」「埋蔵文化財展示室」に立ち寄ったあと、今は昔の面影はない飛鳥川沿いを歩き、推古帝期の「伝小墾田宮跡」と言われる“雷丘東方”や榎木が1本立つ“古宮土壇”などを遠望しながら「向原寺」へ。
 その前に「甘樫丘坐神社」に寄り、“盟神探湯(くがたち)”の神事が今も行われる3mの立石を見る。始まりを告げる木板と、それを打つ木槌が何の造作もなく板壁に引っ掛けてあるのに驚き、伝承という事の自然さを思う。
「豊浦寺」「豊浦宮跡」では、豊浦宮と寺の、二層の発掘状況が見られる。宮の柱穴と寺の敷石がまざまざと観察できる。寺の住職の奥様の案内で、本堂の、話題の“金堂観音菩薩立像”も間近に拝観できた。盗難にあった仏像が36年ぶりに見つかりオークションで買い戻されたそうだ。ちょっと身をよじらせた菩薩像の童顔の表情に見入ってしまう。奥の、廃棄された仏像が善光寺に安置されるまでの絵巻も興味深い。
“難波の堀江”はどこかと意見を交わしながら、昼食の「国営飛鳥歴史公園豊浦休憩所」に到着する。確かに明日香は観光散策者への設備が充実している。
 昼食後、甘樫丘のふもとから飛鳥川べりを進む。川向うに「苑池遺跡」の石積みを眺めながら、「川原寺跡」に北からとりつく道は、確かに車道を避けた、地元に住む人ならではの明日香ののどかさを満喫できるルートだ。「亀石」を経て、「野口王墓古墳(天武・持統合葬陵)に。根拠が確実なだけに安心して参拝できる。「鬼の俎・雪隠」といわれる、離れ離れに露出した石槨はいつ来ても巧い表現だと思う。

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 (「鬼の俎」にて)

 最後の「飛鳥歴史公園」では、ちょっと足を伸ばして、タイミングよく今咲きかけの“ささゆり”を見られた。可憐というか風に揺れる花の清楚さが疲れを癒してくれる。触ってはダメ。土手に行き着く通路にも工夫が。
 公園内の施設で、さあ楽しみな“勾玉づくり” 滑石に形を描きヤスリで削る作業。説明を聞くより先に手が動く。歴史の説明を聞く顔と比べ何と穏やかな、子供に帰ったいたずら好きの表情で一心不乱、削って研いて出来上がった勾玉を得意そうに首にかける。太いのやらずんぐりやら、それなりに自慢の一品か。
 特に目新しい場所ではないが、明日香は確かに古代と現在とがうまく調和した歴史散策に相応しい所だと、そして地元の行政・住民のその土地への愛情が見られるところだとあらためて思う。

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(飛鳥歴史公園にて)

記紀万葉サークル 小野哲朗
(写真提供:田中昌弘)

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2013年04月22日

文学の小窓からの風景 第2回目― 「會津八一と奈良」講演会の感想記

4/20(土)・・・参加者59名(三和大宮ビル 6回会議室)

 浅田先生による全5回シリーズの第2回講演は、奈良を憧憬し数々の名歌と書を残した會津八一と奈良の関わりである。
 参加者の増加を見込んで、会場が従来の西大寺三和ビルから三和大宮ビルに変更されたが、天候に恵まれたこともあり多数の参加者で会場は熱気に溢れた。

 司会の日置さんから「浅田先生は、研究活動の他に“奈良大好き人間”を自称されて奈良の魅力を伝える活動を展開しておられる」という講師紹介がなされ、参加者は先生の幅広いご活動の一端に触れることで、同様に多方面で足跡を残した會津八一についての講演に期待が盛り上がった。
 浅田先生のユーモア溢れよどみない、実証に裏付けられた熱弁に会員、非会員あわせて59名の参加者は八一の人間的な魅力にぐいぐいと惹きつけられ、あっという間に過ぎた90分であった。

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[本日司会・・・交流Gの日置雅夫さん]

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[ユーモアあふれる浅田先生]

次に5ページの資料に基づいて進められた講演から、筆者の印象に残った部分を箇条書きで紹介する。

・八一(やいち)は明治14年(1881)新潟市中心街「古町」の料亭會津屋に8月1日に生まれ、このように命名された。自らも八朔(朔は一日の意味)、八朔郎と号し、別名「秋艸道人(しゅうそうどうじん)」、渾斎とも自称する。安直な命名法のようだが、当時の新潟は貿易で栄えた日本海最大の都市であり、會津家は姓名判断などに拘らないむしろモダンな家風であったのではないか。八一は生涯独身で、昭和31年75歳で永眠。

・八一の人間形成に関わった人物として、正岡子規(第1回講演)、坪内逍遥(第5回講演)、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン ギリシア出身のアイルランド系イギリス人―当時ギリシアはイギリス領、のちに日本に帰化)がいる。逍遥は早稲田大学英文科の師ではあるが、一方で八一が歌や書を指導する関係で両者は人格的な師弟関係であった。

・八一は子規の信奉者であったが、親しく話したのは子規が亡くなる2年前の明治33年の一回きり。八一は子規について、「学者、大家のように書物上の知識のみによって文学を語らなかったこと、精緻周到なる史的研究の上に立って主体的に、何者にも追随しないで論を展開した」と評価しており、これは八一の書にある「独往」という彼自身の生き方と共鳴したのであろう。

・八一は小泉八雲の授業で英国詩人キーツを介してギリシアへの憧憬をいだき、次に奈良への憧憬へと転化したが、底流にあるのは古代および彼が生きた19世紀的な分業が確立する前の、あるときは戦士、あるときは芸術を楽しむ人、あるときは学者というオールマイティーの人であった古代人への憧れである。八一自身も独学で多方面の頂点を極め、俳人、歌人、書家、随筆家、東洋美術史家、教育者等多彩な活動を展開した。彼は英文科の出身であったにも関わらず、昭和6年に早稲田大学の東洋美術史担当の教授となる異色の経歴を有している。

・八一は中学時代から万葉集に強い関心を持っており、雪深い新潟とは違う土地への憧れが地中海に面したギリシアと奈良への憧憬に結びついたのだろう。
ギリシアへの憧れは、彼の人間性や文化史理解の視点へ発展しライフスタイルまで影響している。

・八一は旧制中学卒業前後から地方新聞に俳談・俳話を連載するなど「早熟の人」であったが、早稲田大学在学中に東京女子美術学校の学生であった渡辺文子と恋仲になるが、明治40年頃失恋する。
渡辺文子(のちの亀高文子)は明治19年横浜生まれ、のちに閨秀画家として後生の評価に耐える数々の作品を残し、昭和52年没。

・八一は早稲田大学卒業後の明治41年に初めて奈良を訪問。これは失恋の痛手を癒すセンチメンタル・ジャーニーと言えよう。東京から汽車で10時間以上という時代に、生涯35回奈良を訪ねている。

・大正13年、奈良の歌を編集して春陽堂から『南京新唱(なんきょうしんしょう)』を出版したが、奥付には初版にもかかわらず「第三版」と書かれている。これは新人と見られないための販売戦略であるのが面白い。当時、東京に対して京都を西京、奈良を南京と気どって呼んだ。「新」は昔の万葉集に対して「新」と位置づけていると解釈される。『南京新唱』では、出版社の要請で歌は「漢字まじり」であるが、昭和15年に出版した『鹿鳴集』では全文が仮名になっている。

・八一が歌を仮名で表現したのは、「日本の歌は耳から聞くもの」という哲学が根底にある。

・八一の歌碑は、県内で19基あるが、最初のものは昭和17年に新薬師寺に建てられた。

・「おほてらのまろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもえ」の歌(『南京新唱』)の前に「唐招提寺にて」とあるので昭和25年、唐招提寺で詠まれたと思われているが、法隆寺を訪ねた時に口に出た歌で、唐招提寺はその後に訪ねたのだ。

・早稲田大学の會津八一記念館には、奈良登大路の奈良国立博物館北側にあった彼の定宿・日吉館の看板(八一の漢字の書が篆刻されたもの)が保存されているので見学をお勧めする。

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[奈良大学の會津八一書簡図録は、浅田先生が整理されたものです。]

・奈良大学は會津八一書簡図録(千円)を出版しているので、郵送してもらうことが可能。とのことです。

[写真と文 交流グループ 藤村清彦]

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2013年04月18日

佐保・奈保山を巡る −記紀万葉サークル4月14日例会−


 穏やかに晴れた日曜日。総勢25名で聖武天皇・光明皇后ゆかりの地を巡りました。今日の案内役は伊藤さん。大きな、よく通る声、特徴ある帽子、歯切れのよい説明は聞いていて心が弾みます。

 まずは、「南大門」。飛鳥、吉野とは違って外国人観光客が目につきます。重源の渡宋のこと、周防産の18本の通し柱、大仏様(天竺様)の話を伺いました。続いてお隣の「東大寺ミュージアム」に入館しました。特別展なので入館者でごった返しているかと思いきや、ひっそりとした館内で、「陽剣」「陰剣」の太刀2振りの発見の様子がよくわかりました。ただ、主の不空羂索観音がいなくなり、日光・月光菩薩の二体では役不足を感じたのは私だけでしょうか。

 「中門」から「大仏殿」に沿うように、猫段を眺め「講堂」跡を通り「正倉院」へ向かいました。道中は頻繁に車が通り抜け、事故を気にしながらのウォークで、大仏様は世界遺産として有名ですが、境内の交通量もそのうち有名になるのではないでしょうか。「正倉院」は、改修中で見学はできませんでしたが、正倉の意味や庶民目線での3%税(租)のリアルな説明も共感を覚えました。また、この辺りの遅咲きの2本の枝垂桜も満開で見事でした。

 大仏池を通り「転害門」へ行きました。平城京南一条大路に対面し奈良時代の面影を残す格式ある堂々とした国宝建築には感心しました。余談ですが、この辺りから奈良豆比古神社へのコースは、ソムリエ試験(記述)にヤマをはり、現地を歩き、校正を重ね、見事に外れた因縁のコースです。それだけに「北山十八間戸」「夕日地蔵」「奈良少年刑務所」「般若寺」などは、私なりの文章が浮かんできて、自身の記憶力もまんざらではないと自負しました。

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「北山十八間戸を見学する」

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「奈良少年刑務所を見学する」

 この「夕日地蔵」での2つの出来事を紹介しておきます。
 一つは、田中リーダーがその場で1枚のペーパーを皆に配り、内田康夫著「奈良山を越えた女」のプロローグ部分を紹介されたのが、印象に残っています。この小説あるいは、奈良山越えの京街道への思い入れがあるのか、一度聞いてみたいものです。
 二つ目は、参加者の人数確認をすると何と26名います。何度数えても26名。すると後ろのほうから“うら若くない”一人の女性が「一緒に説明を聞かせていただいています」との返事。この会のこと、入会方法などをお教えし、暫くの間ご一緒しました。その女性とは途中でお別れした後、「眉間寺」跡を訪れました。

 続く「西安の森」ではこの地を藤原不比等の墓と考えれば面白いとの案内人の見解も聞き、鴻ノ池運動公園で昼食。
 
 午後は、奈良ドリームランドの痛々しい現状を横目に、生後すぐに亡くなった聖武天皇の第一子、基親王の「奈保山墓」へ参拝しました。墓の四隅に配した獣頭人身像の印刻は、「キトラ古墳」の十二支像に似通っており、調べたら面白いかもしれません。元明・元正天皇の両陵を拝し、健脚組は徒歩、私たちはバスで移動し聖武・光明皇后陵を参詣しました。終点は奈良女子大学。“奉安庫”についての説明も、案内役が元教師ゆえの知識、表現力によって、ただただ感心して拝聴するのみでした。

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集合写真「元明天皇陵にて」

 およそ5時間足らずのコースでしたが、ソムリエを目指すプレソムリエの方々と試験勉強の話をし、体験学習のおすすめプログラムなども聞かれ、楽しい一日の締めくくりとなりました。

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「聖武天皇陵から帰途に」

記紀万葉サークル 日置雅夫 記
(写真:田中昌弘)
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2013年04月17日

リトライ「竜田越えと亀の瀬」ウォーク・・4/13実施

「交流グループ史跡等探訪サークル」ウォークの記  参加者21名

昨年雨のため、リトライ。とおもいきや、13日午前5時33分ごろ、兵庫県淡路島で震度6弱を記録する広範囲で地震発生。奈良県も震度4、交通機関はその余波で大混乱。集合の10時に来られる人、電車の遅延で来られない人でちょっと心配。結局10時40分に21名が揃い、ウォークを楽しみました。
万葉歌の説明また、朗詠をご指導いただいたソムリエ会員の山本春章さん(三郷町在住)には、感謝いたします。ありがとうございました。

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[本日のコースの説明をする公民館講座Cの田原敏明さん JR三郷駅前]

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[コース説明を聞く参加者]

JR三郷駅(10時集合)〜神南備神社〜龍田大社〜磐瀬の杜〜関地蔵堂〜三室山展望台(昼食)
〜里山公園・御座峰〜峠八幡神社〜亀ノ瀬〜JR河内堅上駅・・・解散15時30分予定
 ※総行程約8キロ

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[関地蔵の案内版] 

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[三室山へ向かう参加メンバー]

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[この日参加メンバーです。]

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[コーヒータイム準備中]

コーヒータイム。湯沸しなどの準備をしていただいた史跡等探訪Cの豊田敏雄さん!・・おいしかったです。
ありがとうございました。

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[清水谷・亀の瀬の地すべり対策防止区域]

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[清水谷・亀の瀬の地すべり対策防止区域・・・深礎工]

礫や火山灰の層の間に形成された粘土層(すべり面)が地下水などの影響を受け、地すべりが起きるといわれる。
 ※深礎工・・すべり面の下の地層まで鉄筋コンクリート製の杭(深礎)を造り、地すべりを止める工法、直径6.5m、深さ最大100mでこの一本で約6000トンの力で地すべりの動きを止めるとされる。
明治36年には、川底が隆起し、大和川氾濫。昭和6年から8年の地すべりで関西本線のトンネルが崩壊し、2つの鉄橋と3つのトンネルを造って対岸に迂回させた。この左側にその跡がわずかにみることができます。

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[江戸期の大和川水運について説明する田原敏明さんと聞き入るメンバー]

関ヶ原の戦いのあと、慶長6年(1601)に竜田に陣屋を定めた片桐且元が領内の米を大坂に移送するため、慶長15年に平群群竜野村の安村喜右衛門に造船と亀瀬までの通船支配を命じたことに始まるとされます。
剣先船(大坂側の船)・・底が平たく先がとがっていた。(長さ17.5m、幅1.9m、最盛期には、311隻が運行)
魚梁船(大和側の船)・・剣先船より若干小さく、9枚のむしろを帆に使っていた。(70隻安村家で保有)
大和へ干鰯・油粕などの肥料や海産物を運び、大和からは、米・綿の農産物を運ぶ。
亀の瀬には、「藤井問屋」という陸路での荷継問屋があり、この藤井浜(港)より大和の各村へ牛馬の背中に荷を積んで運んでいた。藤井問屋は、藤井村の庄兵衛が1648年から1652年のころ始めたといわれている。

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[JR大和路線と国道25号線と大和川]

現在の大和川の水量からは、思いもよらないこと。国道25号線、またJR大和路線の車窓から、当時をしのぶこともできますが、現地を歩いてぜひみなさんも体感してください。


[写真と文 交流グループ(史跡等探訪C)  小林俊夫]
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2013年03月31日

交流グループ公民館講座C 活動の見聞記

「奈良をもっと楽しむ講座(若草)」と「奈良をもっと楽しむ講座(西部)」活動って・・・

 交流グループのサークルのひとつ「公民館講座サークル」の活動を参観?してきました。

 公民館で市民の方と「モット奈良を楽しもう!」という趣旨でこの講座が3月からはじまりました。ひとつは、奈良市若草公民館、もうひとつは、奈良市西部公民館です。もちろんその講師は、ソムリエ会員の方々です。
 参加された方は、『奈良[楢]をもっと知りたい、奈良[寧楽]を友達にも紹介したい』などの動機です。説明にくいいるように熱心に話を聴かれたり、質問されたり、講師の方が準備された地図・資料をもとにアッという間の120分でした。「次回またきますよ」という参加の方の言葉に満足感ありと観てとれました。


3月8日(金) 奈良市若草公民館 〜12名の参加者

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[会場の奈良市若草公民館・・・多門城跡の若草中学校の近くです]

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[講師の前田康一さん・・・奈良時代の年表は、さすがです] 

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[講師の西川誠さん・・・・話題豊富?話術の匠です]  


3月27日(水) 奈良市西部公民館 〜20名の参加者

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[会場の奈良市西部会館・・・近鉄学園前駅南出口すぐです]

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[講師の鈴木浩(ゆたか)さん・・・・歴史地理の権威?です] 

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[講師の青木章二さん・・・・陵墓の話は卓越です] 


[雑感]
 両館でも話は、「サクラ」の話がでました。この季節は、やはり桜です。「ナラノヤエザクラ」と伊勢大輔の名句「いにしえの 奈良の都の八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな」の解説、知足院よりも県庁の駐車場のナラノヤエザクラが素晴らしいとのことです。私もぜひ行かなければと思いました。
 講師役の前田・西川さん(若草公民館)、鈴木・青木さん(西部公民館)、大変ごくろう様でした。(資料の準備に感動します。)


 ソムリエ会員のみなさんも一度ご参観、参加?されては・・・新しい「交流」もうまれますよ。
 以下は、今後の日程です。
■ 奈良市若草公民館 (毎月の第二週の金曜日10時から12時) 
4月12日[金]、5月10日[金]、6月7日[金]、7月12日[金] 、8月9日[金]、 9月13日[金]
10月以降は別途
■ 奈良市西部公民館 (毎月の第四週の水曜日10時から12時)
4月24日(水)、5月22日(水)、6月26日(水)、7月24日(水)、 8月21日(水)、 9月25日(水)
10月以降は別途

[写真と文 交流グループ(史跡等探訪C)  小林俊夫]
posted by 奈良まほろばソムリエ at 07:51| Comment(0) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする