2013年03月26日

リトライ たかとりウォーク

  交流グループ(旧交流部会の歴史地理C・社寺探訪C合同企画)主催
  3月23日(土) 参加者19名


昨年7月実施のたかとりウォーキングは、雨のため中止。今回は、そのリベンジです。当日は、曇りでしたが、春のいぶきが感じられる絶好のウォーク日和でした。
砂防ダム公園で、「コーヒータイム」。自己紹介にはじまり、ソムリエ会員のそれぞれの自慢?が飛出し、笑いのなかに交流を持てた一日となりました。コーヒー湯沸し器などのご準備をしていただいた旧歴史地理のリーダー豊田敏雄さんに感謝、感謝!!  ごちそうさまでした。

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[高取在住の吉田英弘さんの今日のコースの説明・・・壷坂寺前] 

コースは、もっとも体力を消耗しない通常とは異なる逆コースです。
壷阪寺バス停〜五百羅漢〜高取城址(昼食)〜国見櫓跡〜猿石〜黒門跡〜砂防ダム公園(コーヒータイム)〜植村家長屋門〜夢創館〜子嶋寺〜壺阪山駅です。

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[五百羅漢] 

壷阪寺から高取城跡につづく山腹巨岩にほられた石仏。総称して香高山磨崖仏というそうです。
室町中期に刻まれたもので本多氏が高取城築城のころ石工につくらせたとされます。
いかにも崩れそうな状況です。
ここを通って城跡へと向かいます。ここが本日の唯一の難所です。

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[高取城跡の中門跡を歩く参加メーバー]  

昼食は、高取城跡の本丸跡で・・・その中で司馬遼太郎の短編「おお、大砲」の話がでました。
「ブリキートースという大砲が居た・・この居たというのがここ高取城」だそうで、尊王攘夷派の天誅組が攻めた際に六門のうち火を噴いたのは、たったの一門のみだったとのこと。
参加メンバーの前防道徳さんの話によりますと、新潮文庫「人斬り以蔵」の表題の中にもあり、また、参加メンバー小野哲朗さんによると県立図書情報図館の「ふるさと図書コーナー」で閲覧できるとのこと。ぜひ一度よんでみたいものです。

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[本日参加メーバーの集合写真]  
標高400mにこんな石垣どうやって?権力者の力?


土佐街道では、「町家の雛めぐり」が開催されていました。毎年3月1日から3月31日まで町おこしイベントとして開催されます。

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[町屋の雛めぐり案内板]       

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[町屋の雛めぐり1]

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[町屋の雛めぐり2]    

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[ビールの空き缶での高取城]

一軒一軒、お雛様が飾られます。また、ギネスにも紹介されたという「ビールの空き缶での高取城」です。
参加メンバーの小松砂知子さんから、お内裏さまの配置で男雛を向かって右、女雛を左にするのは、京方式で、関東方式は、男雛を向かって左、女雛を右に配置する・・結婚式ご夫婦もねと教えていただきました。
また、11月23日の祝日は、「たかとり城まつり」のイベントが開催されるそうです。
 (注意)この期間中は、夢創館での高取城CG上映は、中止です。
そのかわりに、ふだんは、見られない光永寺の人頭石をみることができました。

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[光永寺の「人頭石」〜頭部を手水鉢としていますが・・・。]

子嶋寺は、現在、ご住職が橿原の久米寺と兼務されていて、吉田さんにもかけあっていただいたが、「子嶋曼荼羅」のレプリカは本日も拝観できず、やむなく、断念です。ここで流れ解散となりました。

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[子嶋寺の山門]  この山門は、高取城の二ノ門を移築、現存する唯一高取城遺構


今後の交流グループの企画は、4/13「亀の瀬ウォーキング」、4/14「佐保・奈保山ウォーキング」の予定です。みなさんぜひご参加を!

            [写真と文 交流グループ(史跡等探訪C)  小林俊夫]


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2013年03月17日

ワニのいた道−謎の豪族和珥氏の居住区、北山辺の道を巡る−

   記紀万葉サークル例会(3月9日)

 春めいた天気の日、例会「ワニのいた道−謎の豪族和珥氏の居住区、北山辺の道を巡る−」に参加しました。1月例会の田中昌弘氏(記紀万葉サークル・リーダー)の報告『「ワニ」の来た道』を踏まえての屋外活動です。
 櫟本駅を出発し、まず、和珥一族が築いたと思われる東大寺山古墳群を見て歩きました。近世の墓標が林立する櫟本墓山古墳、前方後円墳の後円部の上に神社がある和爾下神社古墳、そして赤土山古墳です。赤土山古墳は、後円部の「造り出し」が復元されて埴輪が並べられており、築造時を想像させてくれます。古墳の東側はシャープ総合開発センターの敷地で、リストラで誰も住んでいないシャープの社宅棟が幾つもあり、世の移ろいをしみじみと感じました。

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   赤土山古墳(4C〜5C初め)後円部にて

 白川溜池で昼食休憩のあと、和爾町の集落内にある和爾坐赤坂比古神社を訪ねました。 田中氏によれば、ご祭神の阿田賀田須命と市杵島比売命は筑紫の宗像君が祀った神であり、和珥氏の出自も九州ではないかとのことでした。少し歩いたところに、神武紀に登場する和珥坂下(さかもと)伝承地の碑が立っており、このあたりが和珥氏の本拠地と思われます。
 そこから北に歩き、陵墓参考地黄金塚古墳を経て、山町の塔の宮廃寺跡(八坂神社)を訪ねました。このあたりは武烈紀の影媛の歌に「....物多に大宅過ぎ 春日春日を過ぎ...」と詠われ、興福寺大乗院領「大宅庄」の記録もあって和珥系大宅(おおやけ)氏の居住地域だったと思われるところです。境内に数個の礎石があり、氏寺「大宅寺」かと思われます。

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   天理市・奈良市境界辺りをゆくメンバー達

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     陵墓参考地「帯解黄金塚古墳」を見学

 皆さん健脚ぞろいで予定時間より早く到着したため、円照寺の門前を拝見した後、山村町バス停・JR帯解駅にて解散しました。黄砂や花粉が舞散る日でもありましたが、和珥氏の存在を実感できるコースを楽しむことができました。ご案内頂きありがとうございました。ガイドグループの『まほろばソムリエと巡る大和路』ツアーのコースにしたいと思いました。

                 記紀万葉サークル・安井 永 (写真:田中昌弘)
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2013年02月04日

浅田先生の講演会が開催されました

   交流部会・5サークル合同企画
   2月2日(土) 参加者55名


「名作文学で奈良をたのしみませんか」という企画です。
講師は、昨年、11/18の設立総会でご講演をいただいた奈良大学名誉教教授でソムリエ検定テキストの執筆者であり、私たちにとってお馴染みの浅田隆先生です。全5回の開催です。統一テーマは、「文学の小窓からの風景」です。
今回は、第1回、「正岡子規の奈良」。冒頭、小北会長から「いつもとは、異なった文学という視点から、奈良を見つめるという絶好の機会だ」という挨拶を受けました。55名という多数の参加者で西大寺三和ビル5Fの会場も熱気いっぱいの90分でした。

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浅田先生の丁寧かつユーモラスな講義風景  

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浅田先生の講義を受ける熱心な参加者    

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アッという間の90分               

[雑感]
先生のご講義で、子規が病におかされながらのわずか奈良3日間の滞在。「柿」という、当時は果物というより野菜ぐらいであったものが、輝く食べ物に感じました。
子規の随筆「くだもの-御所柿を食いし事」で、下女に柿をむいてもらう話を先生にお話をいただくと、ロマンそのもので名句の「柿くえば・・・」の柿の甘さと香りが脳裏に浮かび、奈良名産の「柿」をふと食べたい気持ちになってきます。子規の生涯の説明、野球(ノボール)など、有意義な講義に感動です。

浅田 隆 (あさだ たかし)先生のプロフィール
 1970年 立命館大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修
 1973年 奈良大学文学部国文学科着任
 2009年 奈良大学退職 奈良大学名誉教授
 専攻
  主として葉山嘉樹、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介などを研究。
  ちょっと変わったテーマとしては「文学の中の笑い」なども。
  最近では奈良の近代文学作品を介して、奈良がどのように受容されているかなどについても考察中。
 著書等
 『葉山嘉樹論―「海に生くる人々」をめぐって』 桜楓社(1978/06)
 『漱石―作品の誕生』 世界思想社(1995/10)
 『葉山嘉樹―文学的抵抗の軌跡』 翰林書房(1996/12)
 『文学でたどる世界遺産・奈良』 風媒社(2002/01)
 『奈良近代文学事典』 和泉書院(1989/06)など

今後のスケジュール
 第2回目 4/20(土)・・・「会津八一の奈良」
 第3回目 7/6(土)・・・高浜虚子「斑鳩物語」とスライド
 第4回目 8/3(土)・・・「森鴎外の奈良」
 第5回目 10/5(土)・・・坪内逍遥「役行者」
 みなさんもぜひ、ご参加してみては? 
 ※開催場所等は、西大寺三和ビル5階、いずれも13時30分から。


              (写真と文   交流部会 小林俊夫)

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2012年12月16日

「記紀万葉サークル」12月1日例会

集合の時から寒く時雨模様で、少し残念なコンディションでしたが昼前からは薄日も差すまでに回復しました。吉野山の紅葉は最終段階で、小雨に濡れた木々や落葉に彩られた歩道には吉野ならではの風情が有りました。

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小雨に煙る蔵王堂

今回の目的は蔵王堂などの文化財が良く知られた前半のコースよりも、後半の象(きさ)の小川・万葉の道・吉野の宮跡を体験するところにありました。当日の案内はメンバーの富田良一さんでしたが、当地でのガイド経験もあり解説もペース配分も申し分ありませんでした。吉野山がそして吉野川が古代から「特別な場所」であったということを実感しました。 

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桜木神社にて

(以下、参加メンバーの鈴木和子さんから寄せられた体験記「記紀・万葉に見る吉野を体験する、に参加して」から引用させて頂きました)。

私は特に大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名(すくなひこな)、および天武天皇を合祀している桜木神社の屋形橋の上から見る「象の小川」の流れが吉野の景観の中で一番のお気に入りです。私にとってはパワースポットのひとつです。「象の小川」は、吉野水分神社付近を水源とした川で、奈良時代に大伴旅人が、

「昔見し 象の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも」(巻3-316)

と詠っています。万葉の時代に旅人がどんなに癒されたであろう思うと今もその面影が偲ばれます。清らかな小川のせせらぎを耳にしながら、その澄んだ流れに心が洗われる心地になります。

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桜木神社前、象の小川

その流れに沿って行くと川は宮滝辺りで吉野川にそそぎ込みます。激(たぎ)つ河となつた「夢のわだ」あたりの光景は、見る者の魂を揺さぶり元気を与えてくれるようです。
朝のうちは時雨模様の天候でしたが色とりどりの紅葉が楽しめ、またサークルのメンバー達と「万葉の道」を歩いて過ごした1日は大変印象に残りました。

                (構成・写真:記紀万葉サークル 田中昌弘)
posted by 奈良まほろばソムリエ at 19:48| Comment(0) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月13日

中将姫ゆかりの青蓮寺とエウカシを祀る宇賀神社をたずねる

女たちの守る寺B −日張山青蓮寺・宇賀神社・宇太水分神社−
   交流部会・奈良再発見サークル
   12月8日(土)実施 参加者15名


不運なことに近鉄榛原駅では、雨が降り出しました。いつかは晴れるだろうとメンバーの願いもむなしく・・・。
しかし、ソムリエメンバーのあくなき探究心で雨も風もちらちら舞う雪もなんのそのでした。
今回のコースは、近鉄榛原駅・・・バス停・菟田野→宇賀神社→青蓮寺→バス停・菟田野・・・水分神社前→宇太水分神社→水分神社前・・・近鉄榛原駅で解散(「・・・」はバス移動)でした。

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駅で鈴木リーダーによるコース説明    9時11分発菟田野行バスに乗車

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本格的に雨が降り出しました       宇賀神社に行く途中の大きなお屋敷

本日参加のソムリエ中西厳さん(宇陀市在住・社寺探訪サークル)によると「ロート製薬」、「ツムラ」、「笹岡薬品」などの創業者の出身地が宇陀市だということです。
※ツムラの製品名は、「中将湯」、発売から100年、現在も販売され続けるロングセラー商品です。


宇賀神社・・・祭神「宇迦斯神魂」「天照大神」
古事記によれば、カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)は、熊野からヤマトへの東征の途次、宇陀の地をおさえるべく、八咫烏を遣わした。八咫烏は、「天神の御子が来られる、汝らは仕えよ」と地元に通知してきた。エウカシは、鳴鏑を以って遣いを射た。そうして軍を集めようとしたが集まらず、策を講じて仕えると偽り大殿にワナを作って待ちかまえることとした。オトウカシは、「兄が大殿におびき寄せて打ち取ろうとしています」と兄を裏切った。大伴連の祖の道臣と久米の直の祖の大久米の命がエウカシを大殿に先に入れて押し殺し、死体を八つ裂きにした。八つ裂きにされたエウカシの血が流れたこの地を血原という。
宇迦斯神魂は、外からの征服軍と戦った地元の英雄だ。宇賀志には、かつて水銀鉱山があり、土壌が赤い色をしていたことから血原とも。

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宇賀神社                  子もうけ石(子宝に恵まれるという)

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血原橋(宇賀志川に架かる)


青蓮寺 (日張山成就院青蓮寺、浄土宗総本山知恩院派の尼寺、本尊は中将姫十九歳像) 
奈良朝天平宝字4年(760)横佩の右大臣・藤原豊成の息女、中将姫が継母の讒言により14才の身をもってこの山に流されたが、嘉藤太の情により危うきを助けられ、「なかなかに山の奥こそ住よけれ、草木は人のさがを言わねば」と2年6か月の念仏三昧をされ、奈良の都へ帰られ、その後當麻寺に入り出家剃髪の身となり法如尼へ。
当麻曼荼羅を感得され、19才の夏再びこの山に一宇の堂を建立し、自らの彫像と嘉藤太夫婦の形像を刻み安置して青蓮寺となったという。
※世阿弥の謡曲「雲雀山」は中将姫伝説に基づく
 阿弥陀堂の奥に中将姫の命を守った松井嘉藤太春時とその妻・静野の墓がある。

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青蓮寺山門                青蓮寺開山堂

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青蓮寺阿弥陀堂

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青蓮寺の開山堂にて−−この日参加の全メンバー


宇太水分神社(式内大社)
芳野(惣社・上社)・古市場(中社)・下井足(下社)の3社で宇太水分社をなす。
創立は崇神天皇の時代で、大和の東西南北に祀られた神社のうち東に当たるのが中社とされる。
本殿は、2003年の社殿塗り替え時にわずかに残された色彩が発見され、それをもとに復元された。
本殿3棟、第一殿の棟木に元応2年(1320年)の墨書があり、他の2棟も同時の建物と推定される。3棟は隅木入春日造で建立年代が明らかなものでは最古のもの。国宝。宇陀市には、上記宇太水分3社の他に大宇陀平尾と室生田口に水分神社があり、計5社の水分神社がある。
春日神社本殿、宗像神社も重要文化財、宗像神社の蟇股のカニの彫刻、境内にある丹波の佐吉(幕末の石工で石匠照信)の狛犬も注目。

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宇太水分神社一の鳥居(1984年再建)  宇太水分神社ご神木の夫婦杉

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宇太水分神社の宮司さんに社殿の詳細な説明を受けているところ
ちょっとお得な気分です。この後、熱い茶と「絵葉書」もいただきました。

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本殿3棟                 春日神社本殿・宗像神社

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二の鳥居
両部鳥居形式。上部の瓦屋根から神仏習合の跡がみてとれる。

 ※宇太水分神社では、毎年10月の第3日曜日には、例大祭(神輿渡御祭・太鼓台練合わせ)が催行されます。


菟田野古市場の米谷家
明治に入り、街道筋に商工業が発展。宇陀郡吉野郡の木材集散する在郷町。
米谷家住宅は、豪商屋敷で正面の建物には、2層の袖卯建が装飾的についている。東側から見ると母家に併設した漆喰壁の蔵がある大きな建物。
これだけの大きなたてものは、古市場のほかではみることができない。 

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米谷家住宅


写真と文・・小林俊夫
※解説は当日配布資料(藤村清彦さん作成)から参照させていただきました。
posted by 奈良まほろばソムリエ at 23:31| Comment(0) | 交流G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする