2020年12月27日

日本書記・「禁断の恋!軽皇子と軽皇女」

実施日 2020年11月29日(日)

行程 近鉄橿原神宮前駅集合⇒橿原公苑⇒いもあらい地蔵尊⇒田中廃寺(田中宮跡)⇒馬立伊勢部田中神社⇒和田廃寺⇒甘樫丘休憩所(昼食)⇒剣池⇒石川精舎跡⇒軽寺跡⇒五条野丸山古墳⇒近鉄岡寺駅(解散)
(徒歩約6Km)

「歩く・見る・学ぶ!『日本書記』物語2020」シリーズの「橿原コース」編。日本書記が伝える軽皇子と軽皇女の悲恋物語は、主人公の名前に「軽」が付くことから、その舞台は「軽」の地であったと思われます。「軽」の地に点在する神社や寺跡を巡り、古代史の舞台に思いを馳せてみます。

秋が深まり紅葉が映える晴天の下、36名の参加者は7班に分かれて順次スタート。そのウォーキングの様子をご紹介します。

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講演会場の橿原公苑で木村三彦さんの講演を聞きました。「禁断の恋!軽皇子と軽皇女」の悲恋物語や日本書記に登場する「軽」の表記がある地名などの説明があり、皆さんメモを取って熱心に聞いています。

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いもあらい地蔵尊
“いも”は天然痘のこと、病気が入ってこないようにと地蔵が祀られました。また芋、或いは妹にも通じ、空を飛んでいた久米仙人が川で洗い物をしていた若い女性のふくら脛を見て心を乱し、飛行の神通力を失ってその女性の前に墜落したとか。

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田中廃寺
田中宮は舒明天皇が飛鳥岡本宮の焼失後、百済宮に遷るまでの仮宮としてこの地に構えたといわれています。
その後、寺院(田中廃寺)が建立されました。

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馬立伊勢部田中神社
もと飛鳥川近辺の字古宮の地に鎮座していたが慶長年間に飛島川の洪水の為も流されて現在の地に遷座したとのことです。

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和田廃寺
田んぼの中にぽつんと土の高まりがあり、7世紀後半の寺院塔跡と分かりました。この寺院は、蘇我氏と密接な関係にあった葛木臣の氏寺という説があります。藤原京の朱雀大路がこの辺りまで伸びていたかも知れません。

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剣池
白い杭の向こう側が剣池で、こちら側が石川池です。池の南側は孝元天皇陵です。

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石川精舎跡
蘇我馬子が百済から貰った仏像を安置した仏殿との説明。でも古瓦も出土していないし確証はないらしいです。

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軽寺跡
軽寺は飛鳥時代に建てられたと考えられています。悲劇の主人公・軽皇子や軽皇女はこの辺りに住んでいたのでしょう。

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五條野丸山古墳
奈良県で最大の前方後円墳です。東側から眺めるとその大きさが実感できます。被葬者は欽明天皇とその妃・堅塩媛(きたしひめ)、或いは蘇我稲目という説があり、まだ決着が着いていないらしいです。その謎について参加者から多くの質問が出ました。

「日本書記」に登場する古代史の舞台を、また普段はめったに行かないところを巡り、皆さんご満足の様子でした。
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2020年12月23日

三輪山伝説!大物主神と4人の妻

実施日2020年12月13日(日)

行程 エルト桜井(木村さんの講演)⇒海石榴(つばいち)⇒志貴御県坐神社(磯城瑞牆宮跡伝承地)⇒大神神社⇒茅原狐塚古墳⇒箸墓古墳⇒JR巻向駅 (約8q)

今日は、「歩く・見る・学ぶ!『日本書紀』物語2020」シリーズの最終回。『日本書紀』の舞台になった山の辺の道とその周辺に点在する仏教伝来の碑、大神神社(おおみわじんじゃ)、箸墓古墳などをめぐり、古代ロマンを存分に味わっていただこうと企画したものです。

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木村三彦さんの講演
「三輪山伝説!大物主神と4人の妻」と題して、奈良まほろばソムリエの会顧問の木村三彦さんの講演を聴きました。
大神神社のご祭神である大物主神。倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)、活玉依姫(いくたまよりひめ)など、『日本書紀』『古事記』に語られる大物主神に仕える巫女(妻)の話に、熱心に聞き入っていました。

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海石榴市(つばいち)の説明図絵
海石榴市は古代からの交通の要衝として栄えたところです。遣隋使として隋に渡った小野妹子が裴世清(はいせいせい)を連れて帰国したとき、75頭の飾り馬で出迎えた様子が描かれています。広い河原で各班が説明しています。

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仏教伝来の碑
対岸に仏教伝来の地の碑が立っています。大阪から大和川を遡ってくる船の終着点の一つで、『日本書紀』では、欽明天皇の時代に百済の聖明王から贈られた仏像や経典が到着したと記されています。
碑の傍らの万葉歌碑を解説しているところ。

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磯城瑞籬宮(しきのみずがきのみや)跡伝承地
志貴御県坐神社の境内に磯城瑞籬宮跡伝承地の碑が立っており、『日本書紀』には第十代崇神天皇がこの地に宮を遷したと記されています。崇神天皇は大物主神と深い関わりを持つ天皇です。

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昼食のにゅうめんセット
お昼は大神神社門前の福神堂でにゅうめんと柿の葉寿司のセット。温かい食事にホッと一息。静かに、静かに味わっておられました。

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大神神社拝殿前
大物主神を祀る大神神社は三輪山をご神体としており、本殿を持たない神社です。拝殿の奥にある三ツ鳥居をとおして、三輪山を拝む古来の神祭りを受け継いでいます。
現在の拝殿は徳川四代将軍家綱が再建したもの。
 
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神武天皇聖蹟(せいせき)顕彰碑
神武天皇聖蹟狭井河之上(さいかわのほとり)顕彰碑の裏面に「神武天皇伊須気余理比売(いすけよりひめ)の御家ありし狭井河之上に行幸あらせられたり。聖蹟はこの地付近なりと推せられる」と刻まれています。

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神御前(かみのごぜん)神社
ご祭神は大物主神の妻の一人、倭迹迹日百襲姫。この地が『日本書紀』に記されている、崇神天皇が八十万の神(やそよろずのかみたち)を招いて占いをした神浅茅原(かむあさぢはら)と考えられています。神浅茅原は纏向川と初瀬川に挟まれた、いわゆる“瑞垣郷(みずがきごう)”と呼ばれた地域で、古代から聖域とされてきました。
正面の三輪山の美しい姿が印象的です。

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茅原狐塚(ちはらきつねづか)古墳
築造時期は7世紀後半で、弁天社古墳と相前後して造られたと考えられています。17mもある桜井市内でも屈指の規模を誇る石室にナルホドー。

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大市墓(おおいちぼ)拝所
箸墓古墳は宮内庁により、倭迹迹日百襲姫が祭る大市墓として管理されています。『日本書紀』では「昼は人が造り、夜は神が造った」と記され、また「大坂山の石を手渡しで運んだ」と記されています。

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山茶花が美しい箸墓の道
拝所から周濠に向かう途中、山茶花が咲いていました。あまりの美しさに思わずパチリ。

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普段は見られない箸墓古墳の裾
大池の水が引く冬には、周濠に箸墓古墳の裾が見えます。めったに見られない眺めに、皆さん食い入るように見ていました。

数々の『日本書紀』の舞台をめぐる楽しい1日でした。
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2020年12月04日

日本書紀・ミステリアス!飛鳥の宮跡をたどる」

実施日 2020年 10月24日 (土)

神武天皇以来、古代の天皇は代替わりごとに宮を移し、在位中にも遷宮を繰り返していました。飛鳥に点在する天皇の宮跡やその伝承地を訪ね、はるか昔に想いを馳せようというのが今回のテーマです。

行程
近鉄橿原神宮前駅集合⇒橿原公苑⇒豊浦宮跡→小墾(治)田宮跡→甘樫丘休憩所(昼食)→遠つ飛鳥宮跡→近つ飛鳥宮跡→飛鳥宮跡→川原宮跡→亀石→近鉄飛鳥駅解散 
(徒歩約6km)

爽やかな秋晴れの下、38名の方に参加を得て、スタッフ12名と共に、6班に分かれて上記コースを巡りました。以下にそのガイド風景をご紹介します。

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橿原神宮前駅に到着した参加者を橿原公苑の講演会場に案内して、木村三彦講師による講演「宮殿について(飛鳥の宮跡をたどる)」を聞きました。歴代の天皇の宮の所在地や現状の詳細な説明を神妙な面持ちで聞いています。

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気持ちの良い秋晴れの中を各班に分かれて順次出発です。途中の丈六の交差点では丈六の由来や中臣鎌足を供養した厩坂寺のいわれを紹介しながら、第八代孝元天皇の御陵のある剣池に到着です。

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向原寺の境内下には推古天皇の豊浦宮跡、更にその下に日本で最初に仏像を祀ったといわれる蘇我稲目の屋敷跡が発掘されました。飛鳥では珍しい発掘された状態で見ることのできる貴重な遺跡です。

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遣唐使の小野妹子が答礼使の裴世清を伴って帰国、聖徳太子が海拓榴市で出迎えられ、旧山田道を通って小墾田宮に入られたと伝わります。又、この道沿いにある小字ミカドの地が第19代允恭天皇の遠つ飛鳥宮とする説もあります。

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第23代顕宗天皇の八釣宮跡にある弘計皇子神社。うっそうとした森の中の小さな祠で、数奇な運命をたどられた天皇が祀られています。祠の横を曲水の宴が開かれたと伝わる小川が流れています。


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飛鳥宮跡
代毎に遷宮していた天皇の宮が初めて同じ場所に建てられた場所で、最近まで伝飛鳥板葺宮跡と呼ばれていました。
飛鳥岡本宮 第34代舒明天皇、飛鳥板葺宮 第35代皇極天皇、後飛鳥岡本宮 第37代斉明天皇、飛鳥浄御原宮 第40代天武天皇・第41代持統天皇と歴代の天皇の宮跡が地下に眠っています

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川原寺
第37代斉明天皇は板葺宮で即位しましたが、火災の為一時的に川原宮に遷りました。天智天皇が母の斉明天皇を弔うために建立した川原寺の跡から、川原宮の石組が発掘されました。

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飛鳥駅
全員無事に飛鳥駅に到着しました。皆様お疲れさまでした。
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2019年12月12日

「JR万葉まほろばウォーク」ONE TEAMで大成功!!

令和元年12月7日(土)、JR万葉まほろば線専用臨時列車で行く「JR万葉まほろばウォーク」が、奈良まほろばソムリエの会の主催、JR西日本大阪支社さんのご協力で、盛大に開催されました。

7月の報道発表から約5か月!当会主催による初のビッグイベントは、JR西日本さんの格別のご協力のもと、ガイドグループ・東エリア担当の石田一雄理事をリーダーに、ガイドG総力をあげて準備を重ね、下見も3回、回を重ねるごとに改善されていきました。当日は雨に降られることもなく、寒い風にさらされることもなく、ちょうどいいウォーキング日和となりました。

午前11:45 JR万葉まほろば線(桜井線)に参加者94名+当会ガイドGを中心にスタッフ約40名の合計140名ほどが乗り込み、新型車両・4両編成貸切列車の出発です!

車内アナウンスでは、ガイドGの佐々木むつみさんが当日のコースを伝え、続いて鉄田専務理事の紹介で、当会万葉集の達人・米谷潔さんの「万葉ミニ講話」が始まりました。

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米谷さんは、万葉まほろば線の「まほろば」(真秀ろ場)とは「素晴らしい場所」であるということや、倭建命の歌「倭は 国のまほろば たたなづく青垣(あおかき) 山隠(やまごも)れる 倭しうるはし」、大伴家持の「新(あらた)しき年の始(はじめ)の初春(はつはる)の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)」をご紹介。

そして、「万葉集は7〜8世紀の130年間を第1期~第4期に分けていること」「万葉集は歌集であるとともに歴史書でもあること」「原文はすべて漢字で、掛け算の知識もあったこと」「元号令和のこと」等わかりやすく解説されました。

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乗客の方々は、しっかりと米谷さん作成の資料を読み、耳を傾け、柿の葉寿司のお弁当を食べながら、到着後に始まる「JR万葉まほろばウォーク」のために「頭の準備体操」をしておられました。

午後12:12 巻向駅到着。さぁ10班に分かれて、当会史上最大のガイドツアーのスタートです。

まずは、初期ヤマト政権発祥の地、邪馬台国の候補地として全国的にも有名な纏向遺跡と、卑弥呼の祭祀場跡かともいわれる大型建物跡をご案内。

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続いて、前期古墳では全国8番目、奈良県でも2番目に大きい渋谷向山古墳(景行天皇陵)へ。

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そして、その先には額田王歌碑。有名な長歌「味酒(うまさけ)三輪の山 あをによし…」や反歌「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情(こころ)あらなむ 隠(かく)さふべしや」を。ここでは、ガイドさんの「犬養節」を聞かれた人も、いらっしゃったのでは?!

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そして、ここから「柿本人麿 四連打です!」と。それぞれ揮毫者も違い、解説。

巻向の川音(かはと)、痛足川(穴師川)の川波、巻向の岸の小松に降る雪、流れゆく水沫(みなわ=水の泡)を詠んだ歌碑を巡っていると、万葉びとは自然を五感で味わい表現し、なんてひたむきで感性が高かったのだろうと、驚くばかりです。

また、高市皇子の万葉歌碑では、皇子と十市皇女の系図などを見せてもらいながら、2人の思いにも近づいていきます。

そして、午後2時頃にはどの班も檜原(ひばら)神社へ到着。

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この神社が「元伊勢」と言われる理由、「三ツ鳥居」のこと、注連柱(しめばしら)を通して、春秋の彼岸の頃に二上山に沈む絶景の夕日の話などをされました。
(ここで、少し休憩)
また、万葉歌碑を求めて歩き出します。

すると、奈良時代末〜平安時代初めの興福寺の高僧・玄賓(げんぴん)さんが隠棲された玄賓庵(げんぴあん)が見えてきました。ここでは、世阿弥作の謡曲「三輪」の話を解説。

さぁ、次にここを上れば、「大美和の杜(おおみわのもり)展望台」。藤原京に思いを馳せながら大和三山を一望します(雨でなくて良かったです)。

その後、医療と薬の神様をお祀りする狭井(さい)神社へ。拝殿奥には、万病に効くと言われる霊水の湧く「薬井戸」があり、皆さん順番に飲まれていました。

そして、最後の3つの万葉歌碑。長屋王、高橋活日(いくひ)命と、楽譜のついた倭健命の歌碑(黛敏郎さんが作曲された五線譜の歌碑)。ここで、1班のガイド(ガイドG研修リーダー)安井永さんは、コーラス部で培われたお声で「大和は 国のまほろば たたなづく青かき〜♪」を歌ってくれました。(拍手〜!)

そして、3時を過ぎると各グループは続々と終点の大神神社拝殿前へ到着。

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晩秋の美しい紅葉(黄葉)が迎えてくれました。

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ガイドの皆さんは、ご祭神・大物主大神のことやご神体山・三輪山のこと・巳の神杉(みぃさん)のことなどを話され、最後の挨拶をされていました。

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参加者の皆さんは、お礼をおっしゃって別れた後、拝殿などを参拝され、(歩き続けたお疲れもあったでしょうが)さわやかな笑顔で家路へと向かわれました。

少し感想を聞いてみると…
「ガイドさんの詳しい解説がとても良かったです。」
「1人では出かけにくいけど、ツアーなら皆と行けるので安心でした。」
「電車の貸し切りなんて、めったになくて楽しかったし、万葉講座も面白かったです。」
「いつも万葉歌碑ってあったとしても見ていなかったので、1つ1つを教えてもらえてありがたかったです。」
「歩き慣れた所なんだけど、また話を聞いて新鮮な感じで楽しめました。」
「ガイドさんは、80歳近くなのにこれだけ歩いて展望所にも登って、ご立派です!」
「楽しかったから、ぜひまた企画して下さい!」等々、たくさんの感謝と新たな企画ご希望のお言葉をいただきました。

お客さまとスタッフ、総勢約140名、皆一緒に列車に乗って、お口には柿の葉寿司、お耳には万葉講座、そして歌碑を巡るウォーキング!「令和の記念に、みんなで万葉集を楽しみましょう」と当会とJR西日本さんがONE TEAMで進めた今回の企画、大成功裡に幕を閉じました。

文:ガイドG 増田優子 写真:鉄田憲男専務理事


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2017年04月22日

キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策

今回の飛鳥地域散策のテーマは、「キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策〜四神の館と飛鳥の奥津城巡り〜」です。
三兄弟古墳を中心に、飛鳥地域の古墳時代・終末期古墳(7世紀前半)を案内するコースです。3つの終末期古墳の構造上特徴や立地について風水思想の影響、藤原京南西部エリアに広がる聖なるゾーン(陵墓地域)の説明がガイドポイントでした。

<行程>
近鉄飛鳥駅から明日香村東部の高松塚古墳・キトラ古墳を巡り、壺阪山駅から近鉄線を西へ越えて高取町の束明神古墳を巡り、マルコ山古墳ほか明日香村西部の古墳をたずねて、飛鳥駅に帰ってくる周回コースです。
近鉄飛鳥駅→高松塚古墳→檜隈寺跡→キトラ古墳→四神の館(昼食休憩)→(壺阪山駅)→岡宮天皇真弓丘陵→束明神古墳→マルコ山古墳→牽牛子塚古墳→岩屋山古墳→近鉄飛鳥駅 全行程約10kmで途中登り坂が多い健脚向きコースです。

4月16日(日)朝から晴天に恵まれウオーキング日和です。桜の満開は過ぎましたが、まだ花が残り春の香りが広がっています。距離が長い健脚向きコースで、最高気温25度の天気予報でしたが、67名もの皆さんにご参加をいただきました。
9時40分集合でしたが、近鉄吉野線の本数が少なく待ち時間が長くなるので、早く集まられた方から先に少人数のグループを組んで出発しました。

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<近鉄飛鳥駅から高松塚古墳へ>

まず「高松塚古墳」です。1972年から始まった調査で、石室内部から鮮やかに彩色された壁画が発見され、日本中に考古学ブームを巻き起こしました。これを契機として、「終末期古墳」が認識され始めました。今回の終末期三兄弟古墳の最初の古墳です。
壁画館には入らずに先を急ぎます。
 
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<高松塚古墳 1>

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<高松塚古墳 2>

檜隈寺跡前休憩案内所を経由して、「於美阿志神社・檜隈寺跡」です。於美阿志神社(延喜式内社)は渡来人集団・東漢(やまとのあや)氏の氏寺だった檜隈寺(ひのくまでら)の跡地に位置しています。1979年からの発掘調査によって、金堂・講堂とその基壇・塔・門・回廊・仏堂などが確認されました。

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<於美阿志神社・檜隈寺跡>

「キトラ古墳」は、終末期三兄弟古墳の2つ目の古墳です。高松塚古墳の発見を契機に、1983年ファイバースコープを使用した調査で壁画が確認されました。四神などの壁画のほかに、天井に描かれた天文図は、現存する世界最古の精緻なものと評価されています。

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<キトラ古墳>

「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」は、昨年9月に開館したキトラ古墳の壁画や出土品を保存管理・展示する施設です。周辺は国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区として整備され、休憩設備や芝生、ベンチがあるので、ここで昼食休憩をとりました。

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<キトラ古墳壁画体験館 四神の館前>

昼食休憩の後はあまりなじみのない行程をたどります。壺阪山駅に向かい駅南の陸橋をわたって西側へ、高取町役場の前を通って、途中「森カシ谷遺跡」を遠望しながら、飛鳥の王宮と紀ノ川河口とを結んだ「紀路」に入ります。「岡宮天皇陵」の前を通って、束明神古墳へ。岡宮天皇陵は宮内庁が草壁皇子の墓として管理する陵墓で、草壁皇子は、持統3(689)年に没し、天平宝字2(758)年に岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすらみこと)と諡号を贈られました。

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<壺阪山駅南の陸橋を渡る 1>

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<壺阪山駅南の陸橋を渡る 2>

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<森カシ遺跡を望む>

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<岡宮天皇真弓丘陵>

しばらく上りが続く難所の行程に向かいます。丘陵の途中にある佐田集落の中を抜けて、一番奥にある春日神社への百段ほどの階段を上ります。「束明神古墳」は、春日神社境内に残る終末期古墳で、八角形墳と推定され、真の草壁皇子陵とする専門家が多いです。
 
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<春日神社・束明神古墳 1>

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<春日神社・束明神古墳 2>

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<佐田集落>

束明神古墳の後、丘陵沿いの山道を通って明日香村にもどり、三兄弟古墳の最後、六角形墳の「マルコ山古墳」に向かいます。高松塚古墳のような壁画が描かれた古墳は他にもないのかということで、1978年に調査されましたが、壁面に漆喰は塗られていたものの壁画はありませんでした。墳丘上に登れ、トイレも設置されています。

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<マルコ山古墳への道 1>

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<マルコ山古墳への道 2>

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<マルコ山古墳>

さらに丘陵沿いの山道を、途中にある「真弓鑵子塚古墳」を遠望しながら、「牽牛子塚古墳」に向かいます。牽牛子とはアサガオの別称で、以前は「あさがおづかこふん」とか「御前塚」と呼ばれていました。牽牛子塚古墳は版築により造成された八角形墳で、斉明天皇の墓の可能性が高いといわれます。ただし、宮内庁は、高取町大字車木に所在する車木ケンノウ古墳を、斎明天皇の越智崗上陵 (おちのおかのえのみささぎ)として管理しています。
隣接する「越塚御門古墳」の被葬者は、大田皇女(斉明天皇の孫、中大兄皇子の長女)が有力です。

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<牽牛子塚古墳への道 1>

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<牽牛子塚古墳への道 2>

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<牽牛子塚古墳>

今回の行程の最後となる岩屋山古墳は終末期の方形墳です。精緻な花崗岩の切石を積んで構成されている「岩屋山式」と呼ばれる横穴式石室で有名です。墳丘の上には一本桜が咲いていました。

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<岩屋山古墳>

天気予報通り最高気温25度の夏日になりましたが、参加者の皆さんは健脚揃いで一人の脱落者もなく、全員飛鳥駅まで無事戻ってこられました。

お客様のアンケートでは、9割の方から満足という評価をいただきました。距離の点でもちょうど良いというご意見が9割を占めました。
個別には「ガイドの説明が詳しくわかりやすかった。古墳のことがよくわかった。一人では行きにくい駅西側の古墳を廻れてよかった。」などのご意見をいただきました。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

記 石田一雄

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