2012年11月18日

奈良まほろばソムリエと学ぶ奈良の歴史

 この度、奈良市の若草公民館と西部公民館の御好意で、以前より公民館活動として企画を進めていました勉強会が、「奈良まほろばソムリエと学ぶ奈良の歴史」という名称で実現に至りました。

 各公民館にて同じ教材を3回シリーズで、11・12・1月に毎月1回、奈良検定2級から抜粋した問題を題材にして、正解を出すだけにとどまらず、設問に対する背景(時代・人間関係・地理・事柄など)を一緒に学び、改めて奈良を知るのが目的です。

 各20人程度の勉強会として予定していましたところ、30人以上の申し込みをいただきました。25人まで枠を増やしましたが、数名抽選でお断りする事になり、申し訳なくも嬉しい悲鳴となりました。

 若草公民館の第1回目を11月9日(金)に、22名(当日欠席3名)出席でおこないました。
講師:西川 誠、サブ:前田康一・井上哲夫で、最初はかなり緊張もしましたが、徐々に雰囲気も良くなり、後半は来られた方々の笑顔も見えて、何とか喜んで頂けたかと思います。
 この様な会が口火となり、他でも行われ奈良のことを多くの皆様と一緒に勉強できればと考えています。

【若草公民館】
     日程      講師      
1回目 11月 9日  西川 誠
2回目 12月14日  前田 康一
3回目  1月11日  前田 康一

【西部公民館】
     日程      講師
1回目 11月17日  鈴木 浩
2回目 12月15日  鈴木 浩
3回目  1月19日  鈴木 浩

20121117_2.jpg 勉強会の様子

(奈良まほろばソムリエ友の会 西川 誠)
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2012年10月17日

まほろばソムリエと巡る大和路ツアーNHK取材体験談

                       有本 喬

 9月28日、ツアーのトップバッター「葛城古道―神話の神々と古代天皇・古代豪族の古里を歩く」は、概ね60〜70歳で9名(男4・女5名)のお客様を迎え、素晴らしい秋晴れの下で実施され、多くの皆様からご好評を頂きました。

 NHK奈良支局製作番組で、「奈良まほろばソムリエ友の会」の活動状況が紹介(当日のツアー取材を中心)されることとなり、鉄田事務局長・安井永・田原敏明・有本による事前打ち合わせなど準備にも何かと気を遣いました。

 ツアー当日は、葛城コースの開発者の一人:田原が主なポイント紹介をしながらのNHK同行、小生がメインガイドを務めたほか、栗栖勲・西川誠・入矢啓のサポート部会メンバーが応援しました。

nhkkatu1.jpg 蜘蛛窟

 取材内容は、@友の会がツアーで目指すもの Aコース選定の経緯 B葛城コースのポイントは何? Cツアー客へのインタビュー などでした。

nhkkatu2.jpg 一言主神社での取材風景

 NHK総合テレビで、10月3日夕方の「ならナビ」と10月5日「ぐるっと関西おひるまえ」で、それぞれ5分間放送されましたので、会員の皆様にもご覧頂けたのではないでしょうか? 番組放映後、担当キャスターさんからも、『楽しそうなツアーだなー』との声が局内であったとの報告を頂きました。このNHK番組放映に感謝したいと思います。放映後問い合わせなどが続いたようですが、産経新聞による記事掲載も含めてマスコミの協力が、ツアーの活性化につながることを願っています。


※今回参加いただいた方の声です

Q1:今回のツアーに参加して、いかがでしたか?(4段階評価)
A1:1.大変よかった

Q2:今回のツアーでよかったのは、どんなところですか?
A2:お決まりコースではなく、“まほろばソムリエ”さんの“こだわり”の所への
 案内と説明。非常にわかり易い説明でありがたく感じました。

Q3:今回のツアーで、気になった点、改善したほうが良いと思った点は、
 どんなところですか?
A3:とてもよかったので、特にありませんが、強いて言うならば10人以上に
 なると“人員点呼”が気の毒に思いました。

Q4:その他、お感じになったことをご記入ください。
A4:文献の少ないテーマを素人でもわかり易く説明頂いて感謝しています。
posted by 奈良まほろばソムリエ at 07:28| Comment(2) | ガイドG | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

まほろばソムリエと巡る大和路−山の辺の道コース

 2012年10月5日(金)実施  快晴
 ガイド  奈良まほろばソムリエ友の会 富田、河井
 参加者  北川さん、麦林さん(お二人とも河井の高校の同窓生)
 ※麦林さんから以下のツアー体験記をいただきましたので掲載します


 9時30分 JR柳本駅に集合。孫の急病で参加者が1名減ってしまい、ガイドさん2名に対し参加者2名という、古の大王並みの贅沢な散策となった。

 上つ道を横切り、織田有楽斎、柳本陣屋の説明を受けて黒塚古墳と古墳展示館へ。古墳頂上から見渡す景色は一見の価値あり。但し絶景はこの後の行程にも多々あり。画文帯神獣鏡、三角縁神獣鏡の紀年銘鏡について各説の解説を聞く。展示館を出て、169号線沿いにあるコンビニで昼食をゲット。

 行燈山古墳(第10代崇神天皇陵)を遥拝し、多段式濠の水位差を実見。櫛山古墳の双方中円墳の形を眺めつつ渋谷向山古墳(第12代景行天皇陵)に向かう。夏草が茂る細道で蛇に遭遇。色と頭の形状と大きさからは蝮だろう。三輪山の近隣であり、この辺りでは蛇が出ても当たり前なのだ。臆病者の小生は以後、4人縦隊の最後尾を歩くことにする。

 古代史初心者にとって、古代は謎だらけ。古墳の向きがバラバラなのもその中の一つ。黒塚、行燈山、櫛山、渋谷向山の各古墳の円部分が山側、前方部が平野部に向いているのは自然の地形を造墳に利用したからと、自分なりに勝手に理解。

 ともあれ、大津京への遷都に際し額田王が詠んだといわれる「三輪山を しかもかくすか….」の歌碑を過ぎ、穴師の丘の相撲神社に到着。当社は第11代垂仁天皇の御世に、野見宿禰、当麻蹴速が闘った日本初の天覧相撲の場。木立に囲まれた境内は、秋の強い日差しを受けて歩いてきた後だけに ほっと一息。相撲神社から坂道を登ると兵主神社。滋賀県にも琵琶湖西岸に穴太の地あり。その対岸の中主に兵主神社あり。兵主神は中国の軍事神らしいが謎の多い神。今回は参拝せず。

 坂道を少し下ると第12代景行天皇 纏向日代宮跡へ。本日のメンバー全員の日頃の善行のせいか、素晴らしい秋晴で、宮跡からの眺望は超絶景。奈良国中の全景の向こうに 生駒、二上山、葛城山、金剛山が一望。最高の国見ができました。
 
 檜原神社までは三輪山の山裾の道ですが、著名人の揮毫で多くの万葉の歌碑あり。残念ながら小生は万葉集は不勉強で、今後の課題。予定時間より約15分遅れで、檜原神社に到着。第10代崇神天皇の御世に宮中で祀っていた天照大神を三輪山麓の笠縫の当地に移設、崇神の皇女 豊鍬入姫が奉斎。その後各地を巡り現伊勢神宮の地に鎮座する。各地を巡った理由は謎ですが、小生の勝手な理解は、征服領域に対する示威行動でもあったのか? 檜原神社の注連柱の向こうは、二上山がくっきりと望める素晴らしい眺望。昼食は檜原神社から坂道を下った所にある私設公園。

20121005p1.jpg 池に映る三輪山と巻向山

 昼食後は坂道を下り 井寺池の堤へ。川端康成の書体で構成された倭健命の「大和は国のまほろば….」の歌碑。この地でも素晴らしい眺望を楽しみ、ホケノ山古墳へ。当古墳は前方部がバチ形に広がり、葺石あり。石囲い木槨埋葬施設で有名。魏史倭人伝では倭人の埋葬法として「死ぬと棺に納めるが、槨は作らず、土を盛り上げて塚をつくる」とある。当古墳は3世紀初めの築造と言われるが、実際には卑弥呼の時代よりは下る年代の古墳なのか??

 箸墓古墳は、自然の地形を活用したものではなく人工的につくられた古墳。宮内庁では第7代孝霊天皇の皇女 倭迹迹日襲姫の陵墓に、日本書紀では第8代孝元天皇の姉妹の倭迹迹日襲姫と記載。典型的な前方後円墳で、葺石は二上山の石を人々が手渡しで運んだと、紀には記載。但し古事記では第7代孝霊天皇の皇女に夜麻登登母々曾毘売の名はあるが、造墓記事は無し。出土土器による年代測定、年輪年代測定法や、炭素14年代測定法による測定結果により、箸墓を卑弥呼の墓とする説もあるが、検体の種類による誤差、測定値誤差の大きさ等により、卑弥呼の墓否定説もある。古代史ファンにとって興味の尽きない古墳である。

20121005p2.jpg 箸墓古墳

 JR纏向駅のホームの端から、纏向遺跡の説明を受ける。卑弥呼の宮殿跡との説もあるが、箸墓古墳同様に年代論的に異論を唱える説もある。魏史倭人伝の王の住居は「宮殿、物見楼、城柵などは厳重に設けられ..」と記載されている。現在までの当遺跡の発掘では物見楼、城柵、鉄製武器が未発掘であるのに対し、吉野ヶ里遺跡ではこれ等がセットで発掘されている。但し、吉野ヶ里遺跡は卑弥呼時代の遺跡とは言えるが、他の理由で邪馬台国ではない。纏向遺跡の今後の発掘発見に期待。また当遺跡からは、銅鐸破片も出土しており、これはどのように解釈すればよいのか?

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     巻向駅ホームから纏向遺跡を見る

 二人のガイドさんの解りやすい解説、立ち位置まで教えて頂いた各ビューポイント。お陰で有意義な一日が過ごせました。有難うございました。奈良は奥が深く、今回の訪問でまたまた新たな謎が発生。謎が謎を呼ぶ古代史の迷路に入り込んで、興味が尽きません。また行きます。
                             完。麦林 2012/10/07
posted by 奈良まほろばソムリエ at 12:29| Comment(0) | ガイドG | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月06日

サポート部会・ガイドグループ「山の辺コース」の紹介

 こよみも八月になり、ガイド本番も来月に迫ってきました。
楽しみでもあり、ちゃんとガイドできるのか、その前にお客さんは来てくれるのか、なでしこジャパンは優勝できるのか、水泳のメダルは幾つ取れるのか、心配事も尽きません。
 ガイドコースの選定から始めて一年以上、コースを決めてからも、下見、改善、研修と何度も歩き、今では目を瞑っても歩けるようになりました。
この間実際に目を瞑って歩くと、ちゃんと田圃におちましたハッハッハッ。
それでは、山の辺コースの紹介です。
 
JR柳本駅9時30分集合で黒塚古墳に向かいます。途中上街道と交差する柳本藩時代の情緒ある街並みを歩き、墳頂に上ると盆地の景色がパノラマで楽しめます。
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(黒塚古墳)
 隣の黒塚古墳展示館で、三角縁神獣鏡、画文帯神獣鏡、石室のレプリカを見学後、行燈山古墳〜櫛山古墳〜渋谷向山古墳と山の辺の道を相撲神社に向かいます。
 途中には、額田王の万葉歌碑「三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなむ かくさふべしや」があります、ここを過ぎ坂道をのぼると、景行天皇纏向日代宮跡の石碑、斜向かいには纏向遺跡の想像図パネルと景色が眼下に広がっています。
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(三輪山をバックに額田王の歌碑)
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(纏向遺跡の説明パネル、右上に渋谷向山古墳(景行天皇陵)が見える)

 相撲神社は、崇神天皇の時代、史上初の天覧相撲が行われた場所。
ここから檜原神社へ30〜40分の歩きになりますが、この間には、多くの万葉歌碑が置かれていますので、詠みながらゆけば上り坂も気にならないはず?
桜井市が、1972年著名な方々に揮毫をいただき、建てられて今年で、40年だそうで。万葉歌碑の冊子を作成されたこの年にガイド開始、これも何かのご縁でしょうか。
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(版画家の棟方志功氏による歌碑。書家としても有名な志功さんの個性際立つ歌碑です。巻向川を背中にして建てられています。)
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(三輪山の裾にある、入江泰吉氏の歌碑。高市皇子が十市皇女を偲んで詠んだといわれるこの歌を、入江さんは選んだのでしょう。)

 登り道はここまで、檜原神社を目指しましょう、着けば昼ごはん休憩だ、さあもう一息。
さあ着きました、大神神社では拝殿の影であまり見えない三つ鳥居をはっきり見ることができます。ふりさけみれば締め柱の向こうに二上山が見えます。
元伊勢の話、笠縫邑の話、「え。そんな説明より、昼ごはんですか?」了解。
今日も元気だ、弁当もうまい。
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(檜原神社の三つ鳥居)
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(締め柱の向こうに見える二上山)

 正面の締め柱をでて、井寺池へ。この先は、もう下り道だけ、まるで私の人生の様。
堤の中ほどにあるのが、川端康成氏の歌碑「大和は国のまほろば・・」倭健命の歌です。この碑のバックに見える景色もすばらしい。畝傍山、耳成山も見えます。川端氏が「ここにしよう」と言われたそうです。凡人の私にも解る気がします。
 堤の奥には、東山魁夷氏揮毫の「香具山は畝傍をおしと耳成と・・」天智天皇。漢文で書いてあるので、カンニングペーパーを見ないとチンプンかんぶんです。
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(川端康成氏の歌碑)

 次は、楯持ち埴輪が出土した、茅原大墓古墳 〜 珍しい木郭埋葬施設であることが判明した、ホケノ山古墳 〜 卑弥呼の墓か?と云われている、箸墓古墳 〜 JR巻向駅でゴールとなります。
 天気さえ良ければ、景色は抜群のコースです、日頃のおこないが良い方に申し込んでいただきたい、ちなみに私は雨男ですが。
 なんですか?説明文が、中途半端でよくわからない。それなら9月にガイドを申し込みましょう。皆さんのどんな質問にも、解る範囲でお答えします。友の会のみなさんなら、一般のガイド料1.500円を特別にそのままでお受けします。

            ガイドグループ山の辺コース担当、西川 誠
posted by 奈良まほろばソムリエ at 17:50| Comment(0) | ガイドG | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月25日

飛鳥モニターツアー体験記 A 道草の巻

          ソムリエサポート部会 6月10日(日)実施

 飛鳥駅に降り立って、ふとツアーガイドのために今日までに、飛鳥の里に何回訪れただろうとスケジュール帳を繰って見て、既に10回になっていた。現場(ガイドポイント)で、現物(石造物等)を、現実(伝承や発掘資料等)を充分に理解することは、現役の時代から身についていた。

 予定通りの時間に電車が到着して、8名が同伴者とともに改札口から待合室へと。このメンバーは『歴史を学ぶ会』と同伴者より聞いており手ごわいなあと感じたが、年齢が近いせいかプレッシャーはなかった。

 私は、今回がツアーガイドのデビューとなる。これまではOB会の奈良・大和路のガイド役で20〜30名を一人でガイドした経験だけだった。しかし、ツアー後にこのメンバーの正体を知って少々ビビルことに。

 今回の体験談は、『謎の石造物』のコースでの道草で、本コースは皆様がご参加いただいた時のお楽しみとしてください。

asuka01.jpg 飛鳥観光エリア周遊マップ

 さて、飛鳥駅のロータリーにある明日香村観光案内板の前で自己紹介を兼ねて今日のコースと休憩・トイレ場所の案内をして、すぐに目の前の飛鳥蓬莱山の説明に至る。これも謎の石造物のようであるが、2011年の年末に開催された飛鳥プロジェクトを機に絹谷幸二・幸太の両氏が、吉祥を表す蓬莱山に明日香村の自然や日出づる国をイメージした文様が彫り込まれている。
 絹谷幸二氏は、奈良県生まれで日本を代表する洋画家であり、アフレスコ画における第一人者である。飛鳥プロジェクトを見学しなかったことに悔いが残る思いで案内をしている。
asuka02.jpg 飛鳥蓬莱山

 猿石の発見された、欽明天皇陵の南で1986年にアパートの建設に伴い発掘調査され石積みの池の岸と北に広がる石敷き広場が見つかった。平田キタガワ遺跡である。ここは巨勢路(紀路)から飛鳥への南の玄関口で、石敷き広場と苑池を設けて、その傍らに奇抜な姿の石造物の猿石が並べられていたのでは? と想像を掻き立てる。
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 平田キタガワ遺跡が地下にあるアパート

 ところでもう一体の猿石は、というと高取城跡に置かれていた。だれが、いつ、なんのために・・・・・・? 謎・謎・謎

asuka04.jpg 高取城跡の猿石(現物)

 鬼の雪隠に向かう途中に休憩園地がありそこに檜隈川の歌碑がある。
『さ檜隈 檜隈川 瀬を速み ・・・・・』、そんなに流れが速い?
asuka05.jpg 現在の檜隈川

 鬼の雪隠の手前のカナヅカ(金塚)古墳は、現在は欽明陵の陪塚になっており、調査で一辺が60mの大方墳であることがわかった。1890年、土地の所有者が石室の石を壊していて、その工事の中止を奈良県知事に提出した上申書に、石室の概要と見取り図がつけられて、「大ナル切石ヲ以テ」積んだ玄室は奥壁・側壁ともに2段積みで、7世紀中頃の横穴式石室の古墳である。
との記事は、橿原考古学研究所付属博物館の解説資料にあった。ここの資料室にはかなりの発掘資料が並べられている。

asuka06.jpg カナヅカ(金塚)古墳

 第2の鬼の俎板は、現在地より少し東のところで同様の横口式石槨があったようで、掘り出された床石(底石)は、現在は橿原考古学研究所付属博物館の玄関の右側に屋外展示されている。博物館へ行く機会があればご覧あれ。
asuka07.jpg 第2の鬼の俎板

 天武・持統天皇合葬陵からしばらく行くと、民宿、脇本家の東側の裏山の山中には額田王の墓(植山古墳・野口植山城跡)と万葉歌碑があるとのこと。歌碑は大海人皇子(天武天皇)を思う、
『古に 恋ふらむ鳥は 雀公鳥(ほととぎす)けだしや 鳴きし わがもへる如』。

asuka08.jpg 民宿、脇本家の東側の裏山

asuka09.jpg 明日香村で唯一の地下道
 道路工事が完了して、人と自転車は地下道を利用するようになった。
   
 マラ石から石舞台への途中に祝戸荘の案内板があり、風呂は「御井の湯」とある。その由来は、飛鳥を守った大恩人「御井敬三氏」の名前からであった。
 宅地開発の波が甘樫丘まで迫ってきており、これでは飛鳥の自然の風景が破壊されると松下幸之助に相談して、テープレコーダに吹くき込んだ陳情文を当時の総理大臣であった佐藤栄作へ届けてもらい、佐藤総理も明日香村を訪れ、保存法が成立した。

asuka10.jpg 祝戸荘の案内板

 石舞台古墳の近くの島庄遺跡は、日本書記には「飛鳥河の傍に家せり 乃ち庭の中に小なる嶋を池の中に興く故 時の人 嶋の大臣と曰う」とあり蘇我馬子の邸宅跡と推定され、発掘調査で方形池が見つかっている。
蘇我氏が滅亡した後に、草壁皇子の嶋宮も同じ場所にあったようであるこの遺跡は、縄文時代から中世までの複合遺跡である。

asuka11.jpg 水田の下層が島庄遺跡

 飛鳥坐神社は、飛鳥の神奈備山にあり、のちに現在の鳥形山へ遷座したという。その神奈備山の候補地には甘樫丘や雷丘もあるが、橘寺の仏頭山の後方の「ミハ山」の可能性が高いと和田萃氏が書物で言う。

asuka12.jpg 甘樫丘と雷丘を望む

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 飛鳥の神奈備山と称するミハ山(中央)

 当初の練習時から、上居(じょうご)の立石と足腰の病に効くという弥勒石をコースからカットして歩行距離と時間の短縮を図り、予定通り飛鳥資料館に到着してほっとしているところで・・・・・・・

 今日の飛鳥のミステリアス・ストーンズ巡りのコースを振り返って見ますと、飛鳥駅を出発して、猿石⇒ 鬼の俎板・雪隠⇒ 亀石⇒ 橘寺(二面石・三光石)⇒ マラ石⇒ 坂田寺跡⇒ 石舞台古墳⇒ 飛鳥京苑池遺構⇒ 岡の酒船石 ⇒亀形石造物⇒ 飛鳥坐神社(陰陽石)⇒ 飛鳥資料館(猿石等の複製)

 今日のメンバーは、検定のソムリエが2名、1級が5名、2級が1名と聞かされたが、そうなんやと思っていたが、朱雀の会が3名と山の辺の道が1名、平城京跡が1名の現役のガイドであることを知り、アンケート結果が怖く思えたが、既に後の祭りであった。
しかし、最高の体験でもあって、その夜の酒が美味く、深い眠りに就いた。

               担当ボランティアガイド 栗栖 勲
posted by 奈良まほろばソムリエ at 19:09| Comment(0) | ガイドG | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする