2017年08月22日

啓発グループ活動報告 「2017年夏休み家族体験教室 奈良市歴史かるた・すごろく製作」

啓発グループ主催の「2017年夏休み体験教室 奈良市歴史かるた・すごろく製作」が8月6日(日)、奈良市学園前の奈良市西部公民館で開かれました。女性グループ(ソムリエンヌ)とのコラボ企画として、奈良市教育委員会の後援を得て初めて開催。啓発グループ12人、女性グループ5人の計17人が協力して運営し、親子ら8組16人が奈良市の歴史に親しみながら、かるた・すごろく作りに取り組みました。

申し込みをしていた親子連れらが午前9時前に次々会場に集まりました。大山恵功・啓発グループ代表の主催者挨拶の後、小学4年〜6年の3組がかるた作り、1年〜3年の5組がすごろく作りのそれぞれの席に分かれ、担当者から製作の進め方の説明を受けた後、かるたグループは絵札描き、すごろくグループはサイコロ作りから作業スタート。

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〈かるたグループ(左手前)、すごろくグループ(右奥)に分かれて担当者が説明〉


◇かるたグループ

絵札描きは、文字ごとの文案と参考写真は主催者が提供し、親子ごとに「あ行」の5枚、「か行」の5枚などに取り組みました。5枚分の枠を記入したB4サイズの画用紙に子供たちは色鉛筆を手に秋篠寺本堂、東大寺戒壇院四天王像、奈良うちわなどを描いていきました。

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〈春日大社・一の鳥居をカラフルに描く小学5年生。「札の枠に描いていくのが面白い」とにっこり〉

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〈担当者(右)の指導を受けトレーシングペーパーを使って東大寺大仏殿を描く小学4年生〉

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〈親や担当者のアドバイスもあり、楽しみながら奈良の歴史・文化に触れる子供たち〉

中にはスイスイと描いて五十音の2つの行の10枚を作成した子供も。全員が絵札と読み札を作り上げ、最後に完成作品をホワイトボードに貼って1人ずつ感想を話しました。笑顔での「楽しかった」「また、来年もやりたい」などの声が担当者の準備の苦労を吹き飛ばしました。

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〈出来上がった「か行」の絵札と読み札〉

◇すごろくグループ

担当者が準備した牛乳パック、画用紙、両面テープなどを元に、親子が一緒になってサイコロ作りから始め、形が出来上がると黒丸の数で数字を書き込むことに。「1の反対側は何の数字やろ」と担当者が問いかけると、子供たちが首をひねる場面もあり、「反対側と2つの面の数字を足すと7になるんやで」と担当者がフォローしていました。

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〈サイコロの形が出来て、黒丸で数字を書き込む小学2年生の仲良しコンビ〉

サイコロが完成すると、次はB3サイズの画用紙を使ってのすごろく作り。どんなテーマのすごろくにするか、スタートとゴールはどこか、主催者準備の観光パンフレットの写真・イラストなどを切り取ってどのように張っていくか、などを親子で相談しあいながら進めていきました。出来上がったすごろくのタイトルは「ならのお寺じん社めぐり」「ならのさくらめぐり」「ならたんけん」など個性たっぷり。

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〈すごろくの描き方を説明する担当者(奥中央)の話を聞く参加者たち〉

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〈親子で力を合わせてすごろく作成。写真などを切って裏に接着剤を塗る親、適当な位置を考え実際に貼っていく子供のナイス分業体制〉

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〈出来上がったばかりのサイコロとすごろくを使った「すごろく大会」。担当者持参のペットボトルのキャップを駒にして盛り上がった〉


夏休みの子供を支援する初の「奈良市歴史かるた・すごろく製作」はひとまず順調にスケジュールを終えました。かるた・すごろく共に、目標とするものを完成させた時の子供たちの笑顔、親子が力を合わせて物を作り上げる姿に接し、「いろいろ大変だったけどイベントをやって良かった」との思いを強くしました。

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〈3時間余りのイベントを終え、参加した啓発、女性両グループのメンバーで記念撮影〉

文・写真  啓発グループ 久門たつお

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2017年05月13日

現地勉強会「目から鱗の古建築」(啓発G、歴史探訪G共催)

啓発グループ、歴史探訪グループが共催する現地勉強会「目から鱗の古建築」が5月7日、東大寺、春日大社、興福寺などを巡回するコースで開かれました。長年、講演会講師や社寺ガイドに取り組まれてきた京都産業大上席研究員の中江好喜さんが講師を務め、奈良まほろばソムリエの会の29人、一般から2人の計31人が社寺建築を見る際の”ツボ”に耳を傾けました。

昨年10月〜12月に3回にわたって啓発グループが中江さんを講師に古建築の基礎を学ぶ勉強会を開催。しかし座学では分かりづらい面もあり、手近にある世界遺産の建築を見ることで理解を深めようと両グループの初のコラボ企画となりました。

当日はゴールデンウィーク最終日で青空が広がる好天。午後1時すぎ、外国人を含め多くの観光客でにぎわう東大寺から講習がスタートし、手向山八幡宮、春日大社、興福寺の順に巡りました。

中江さんは東大寺の南大門(国宝)の前で「これが大仏様、別名天竺様の門です。全国的に数が少ない」と話し、天井板を張らない腰屋根構造、高さ25b余りで重量のある屋根を支える六手先の挿肘木が特徴と指摘。「重源さんが中国から導入し、建てられて七百年もっている。ニューヨークなどの高層ビルではとても無理」と中江さん。

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<東大寺の南大門前で大仏様の特徴を説明する中江さん(左奥)>

すぐ北の中門(ちゅうもん、重文)前では「これは入母屋式で本瓦葺き、五間三戸の和様の楼門。尾垂木の断面は長方形で、唐様、別名禅宗様の五角形と異なる」と、中江さんは配布した資料の「和様・大仏様・禅宗様の比較」を示しながら解説しました。

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<東大寺中門前は鮮やかな新緑。青空の下、開かれた古建築の現地勉強会>

続く手向山八幡宮の鳥居では笠木、貫、木鼻などパーツの名称を説明した後、柱の形に触れました。「これは下に向かって角度が開いているので明神(みょうじん)鳥居。真っすぐなのは神明(しんめい)鳥居です」。同八幡宮の和様の楼門(県指定文化財)では左右の屋根に付けられたハトの像について「八幡宮の神の使いとされています。日吉大社ではサル、平野神社ではリス、もちろん春日大社はシカですよね」と中江さん。

参加者は春日大社に続く新緑の木立の中の道でさわやかな風をほおに受け、若草山のふもとではシカの群れをよけながら歩を進めました。中江さんも雑談で「今年2月で75歳になり、後期高齢者ですわ」と言いながらも、登りの階段でも歩くスピードは鈍ることもなく元気いっぱい。春日大社では本殿への入口建物について「上部にある唐破風の下に付けられたものを兎毛通と言います。後ろの柱を隠す懸魚の一種です」と中江さん。参加者の中には各建物で次々に登場する専門用語に、つい「なかなか覚えきれへんなぁ」。

最後に訪れた興福寺で中江さんは五重塔、三重塔(ともに国宝)のそれぞれ前で解説。「一階の組物は五重塔で三手先、三重塔では一手先になっている。塔の規模の違いもあるが、三重塔は軸部(左右の幅)が大きいので一手先が可能になっています」などと述べました。

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<興福寺の五重塔前で1階軒下組物の三手先などについて語る中江さん(中央奥)>

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<現地勉強会の参加者の目を楽しませた興福寺南円堂前で咲き誇るフジ>

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<興福寺三重塔前から近くの南円堂の垂木に関する中江さん(中央)の説明に耳を傾ける参加者たち>

移動時間を含め3時間余りにわたった現地勉強会。最後の解説場所の北円堂(国宝)近くで中江さんは「きょう話させてもらったことを、今後、皆さんが社寺を訪ねられる時の参考にしていただければ。資料の読み返しもお忘れなく」と締めくくりました。企画した啓発グループの大山恵功理事、歴史探訪グループの大村隆清理事は「やはり現物を目にして話を聞くと違いますね」と声をそろえていました。

今回の現地勉強会「目から鱗の古建築」。応募者が多く、追加で第2回が6月11日、第3回が7月2日に中江さんを講師に第1回と同じコースで開かれます。定員に達している日もあり、問い合わせ・申し込みは大村理事omukun@mopera.netまで。

文  啓発グループ・保存継承グループ 久門たつお
写真 専務理事 鉄田憲男
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2014年01月09日

勉強会「会津八一と奈良」第3回目(最終回)報告

 「奈良県下の歌碑」会津八一の感性でみた奈良
日時:11月12日18:30〜20:30(懇親会含む)
場所:南都銀行西大寺銀行クラブ
出席人数22人
講師:奈良大学名誉教授浅田隆先生

奈良県下には会津八一自筆の歌碑が19を数え、他に採字といわれる手法で自筆の書から合成されてつくられた歌碑が3碑ほどある。

春日大社 神苑 昭和18年秋
かすがのに おしてるつきの ほがらかに
あきのゆうべと なりにけるかも


この歌は、南京新唱の巻頭歌である。古都の秋の月夜を平易に調べ豊かに歌いあげる。奈良への第一歩を古調で歌うこの一首は、巻頭歌としてとてもふさわしい。歌碑としては、県下に2番目に建立されたものである。おおらかにゆったりとした調べに誘われて、心静かに奈良の風物と八一ワールドに入っていくことが出来る。

唐招提寺 昭和25年 中秋
おほてらの まろきはしらの つきかげを
つちにふみつつ ものこそおもへ

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おほてらの〜というフレーズは会津さんが、法隆寺滞在時より口ずさんでおられたようで、唐招提寺だけでなく法隆寺への想いも入っているのではないかという創作秘話を浅田先生より伺った。このようなエピソードを聴いて、再びこの有名な歌に想いを馳せる事が出来るのもこのまた、格別である。

会津さんは法隆寺に対しても強い憧憬がありながら、法隆寺再建説を支持していたため、当時の法隆寺からは疎んじられ、永年歌碑建立を拒絶されていた。
法隆寺に会津さんの歌碑が立つのは平成24年になってからである。

19の歌碑について、詳しく解説いただいた。建立順に並べると、@新薬師寺A春日大社万葉植物園B唐招提寺C東大寺D法輪寺E法華寺F秋篠寺G海龍王寺H般若時IK日吉館J斑鳩 原家L猿沢池畔M薬師寺N興福寺O喜光寺P中宮寺Q法隆寺R上宮遺跡公園となる。

本日は最終回であり、恒例の懇親会が開催された。
徒歩でも南は薬師寺を終点にすれば、廻れる工程でもある。(自転車ならすべて一日で廻る事が出来る。)当会で「会津八一の歌碑めぐりツアー」を企画しようという事など、皆さん熱心に話し合われていた。

(岸 克行 記)
  
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2013年12月25日

勉強会「会津八一と奈良」第2回目

日時:11月19日18時30分〜20時
場所:西大寺南都銀行銀行クラブ
出席人数21人
講師:奈良大学名誉教授浅田隆先生

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<大和の風景を読み解く>
冒頭、奈良大学の情報誌を配布し、奈良大学展望台から見る奈良の景観を説明いただいた。なるほど、奈良大学からの景観は素晴らしい。緩やかな山の稜線がつらなり、奈良を楽しむ絶景ポイントである。是非、訪問したいものだ。

一番新しい会津八一の歌碑R
いかるがの さとのおとめは よもすがら
きぬはたおれり あきちかみかも

この歌は、斑鳩で8月終わりから機織りの音を聞いて秋の訪れを感じる歌である。今でいうと町工場の音か。庶民の生活の音を歌の世界にいざなう会津八一の面目躍如たる素晴らしい歌である。

かように、会津八一は平明で飾らない万葉調を良しとした人である。万葉調に対するのは古今調。より精緻な技巧を重んじた歌風である。題材とするテーマも古今調は、華やかな宮廷文化にまつわるものが多い。比べて万葉集は、一般の生活からハートフルな歌が多いのが特徴である。古今調は技巧過多で、掛詞、本歌とり、枕詞、色言葉など宮廷歌人がサロンで歌の技術を競い合って作られた歌である。また、二条家系統が秘伝として権威づけも行った。とにかく、こねくりまわす。明治までは、これが主流。会津八一はこれに対して万葉調を強く支持した。平明で飾らないとはいっても、その平明さの裏に物凄い技術を駆使してあるのが会津八一である。

<古代ギリシャと会津八一と奈良>
会津八一は小泉八雲の影響もあり古代ギリシャへの憧憬を持った人である。大正9年ギリシャ学会設立して以降、毎年奈良を訪れるうちに大正12年ギリシャ学会を解消し、奈良美術研究会設立した。写真家の小川晴暘(後の飛鳥園)と親しくなり奈良美術の写真集も発刊している。(大正13年室生寺大観)今までの正面写真ではなく、会津八一が教える革新的なアングルで仏像をとらえた写真集も発刊。今で言うとアートデレクターである。漆黒の背景に部分的なライティングや光を当てる方向で影を生み出す斬新な写真であったといわれている。このあと、昭和6年 早稲田大学教授として東洋美術史を担当している。 

<南京新昌>
南京新昌は真っ赤な表紙で発刊された。なんと最初から第3版と記してあった。これは無名の歌人の歌集など誰も買うはずもなく、無名歌人の戦略として確信犯として行ったようだ。さすがに粋筋で育っただけある会津八一の茶目っ気を伝えるエピソードであるといわれている。しかし、本人は意外と真剣に奥付の第3版という表示を指示したのかも知れない。

<奈良への傾斜>
ギリシャへの憧れは、19世紀文明の分業主義への否定につながり、これしかできないという専門家という存在に対しては当然否定的である。特定分野の専門家を拒否した八一は歌人とか特定分野の専門家とみなされることを拒否した。ヨーロッパではルネッサンスで文明のルーツとしてギリシャが復活。会津八一が影響をうけた小泉八雲がイギリス詩人キーツ傾倒。特に霧の都ロンドンからは地中海ブルーへの強く憧れたようだ。キーツのギリシャは会津八一にとっては奈良であった。その八一がギリシャはともかく一度も海外を訪問していないのが不思議でもある。

<学規>
浅田先生からそのほか色々なことを教えていただいたが、最後に一つ。
見どころのある学生に書き与えたのがこの学規である。
一、ふかくこの生を愛すべし
一、かへりみて己を知るべし
一、学芸を以て性を養うべし
一.日々新面目あるべし
学ぶものが持つべき姿勢を説いている。自分自身をよく知る。人間性を養うこと、真面目に日々新しい要素をとりいれること、学問は自分自身の修養であることなどを説いている。

次回最終回は12月12日。テーマは奈良県下の歌碑・会津八一の感性でみた奈良である。

岸 克行 記
  
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2013年11月19日

第1回「會津八一と奈良」勉強会報告

10月29日、南都銀行西大寺銀行クラブ

今回の勉強会は、奈良大学名誉教授の浅田隆先生により「會津八一と奈良」と題し、奈良を愛した歌人でもあり、書家でもあり、美術史家でもあった會津八一さんの奈良とのかかわりや奈良の歌について、3回にわたり深く掘り下げてお話いただく予定となっている。第1回目の今回のテーマは「奈良への初旅」であった。

會津八一は、8月1日生まれなので八一と名づけられたことや、旧制中学卒業前後頃より、地方新聞に俳壇、俳話を連載するなど早熟であったことや、正岡子規、坪内逍遥との関係よりも、やはり気になるのは、早稲田大学在学中より恋仲であったといわれ、当時東京女子美術学校の学生であり、美人画家ともいわれた「渡辺文子」とのことだろう。
知り合うきっかけになったのは、従姉妹と妹が東京女子美術学校に入学したことと、彼女らの友人に渡辺文子がいたのである。

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 [渡辺文子氏]

八一の大学時代の友人で大阪に在住していた伊達俊光に送った手紙が残っており、明治40年12月の手紙によれば、明春3、4月に文子も加わり、奈良を訪問すると記載されていたが、明治41年3月の手紙によれば、「ひとりで行く。ひとりということにつきて何事も問うことなかれ。僕また何事も語ることなかるべし。」と書かれており、この頃破局を迎えていたようである。友人への手紙が残され、後世の人に読まれるなんて、八一も考えていなかったでしょうね。

八一の奈良への初旅は、明治41年8月で東大寺、春日大社、若草山、興福寺、秋篠寺、法隆寺等々を精力的にめぐり、「西遊咏草」という歌集に20首を収録した。(本書は現物は焼失したが、原稿等により復元された。)初旅では八一は奈良では「対山楼」に宿泊したが、以後、「日吉館」を定宿とした。

奈良へ来た頃の彼の失恋の痛手は大きく、「西遊咏草」の猿沢池での次の歌にも、その気持ちが感じ取れる。(現在、猿沢池のほとりに歌碑が立てられている。)
「我妹子が 衣かけ 柳 みまくほり いけをめぐりぬ 傘さしながら」

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 [猿沢池のほとりの歌碑]

また、彼には「古代思慕」という気持ちが強く、聖徳太子の弓を詠んだ次の歌に、それが強く感じ取ることができる。この歌は、浅田先生おすすめの歌でもあった。
「みとらしの梓の真弓 つるはけて ひきてかへらぬ 古 あわれ」

「西遊咏草」の歌を説明していただいている間に時間切れとなり、非常に残念であったが、次回の勉強会が本当に楽しみとなった。

岸 克行、 大山 恵功 記

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