2017年08月16日

保存継承グループ 東安堵の六斎念仏(安堵町)見学記

(1)東安堵の六斎念仏とは
生駒郡安堵町東安堵に伝わる六斎念仏は融通念仏宗の檀家で組織する大宝寺六斎講により、盆行事と月毎の営み、葬式で唱えられる民間の念仏です。(奈良県指定無形民俗文化財に平成3年3月8日指定。県内には他に御所市東佐味、奈良市八島がある)
お盆の念仏は8月13日から15日にかけて行われますが、今回は8月14日の檀家を巡る鉦念仏を見学しました。(参加者2名。うち鈴木氏は念仏の音源を残すために録音を担当しました。)
因みに8/13は共同墓地(郷墓)の阿土墓で念仏。
8/15は御布施開き。
 
(2)8月14日は早朝から始まります
5:30頃から六斎講員は大宝寺に三々五々集合し始めます。

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<大宝寺正門>

講員は10名おられますが、今回は8名で行うとのこと。全員揃いの黒衣に和袈裟姿で鉦を持参しています。

5:45から本尊の阿弥陀如来坐像の前に座し、シンバンドウ(新坂東)を約7分唱和します。
*シンバンドウとは「南無阿弥陀仏」の名号に様々な抑揚をつけて鉦で調子を取りながら繰り返し唱和するもので、9番まであり本堂ではすべて唱和します。

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<8名の講員による本堂での念仏奉納の様子>

(3)講員による檀家回り
6:00から8人が4人ずつ2組に分かれて、町内の檀家約110件を内回りと外回りに訪問します。私どもは外回り組に許可を得て、同行しました。
6:05頃、1軒目は笹治様宅です。すでに同家では万全の準備で待機しておられました。
私どもの突然の見学にも快く応諾いただきました。
檀家の仏壇前ではシンバンドウを唱えますが、9番のうち3つで、約3分です。
なお、今年新盆を迎える檀家では9番のうち4つを唱和します。

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<檀家の仏壇前での念仏の様子>

なお、室内の床の間には「南無阿弥陀仏」の掛け軸。
仏壇の荘厳は特徴があるとのことで、許可を得て撮影させていただきました。

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<「南無阿弥陀仏」の掛け軸>

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<特徴的な荘厳の仏壇>

お茶の接待を受け、1軒目終了しました。その間約5〜6分です。
今日はこの後50数件回るそうです。
私どもは一旦引き上げることにしました。

(4)8月14日の締めくくり
13:40過ぎ外回り組、内回り組がそれぞれ約50数軒の檀家を訪問した後、高塚にある観音堂前にゴザを敷いて座ります。

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<高塚の観音堂>

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<観音堂内の3体の石仏>

観音堂内には3体の石仏が安置され中央には聖徳太子像、両脇には観音像が配置されています。前面の道路は旧太子道なので聖徳太子が祀られているのでしょう。
高塚は古墳跡と言われています。

13:48 シンバンドウの念仏開始 13:55終了。
続いて、13:56 ユウズウエコウ(融通回向)の念仏開始 14:04終了。

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*ユウズウエコウとは「光明遍照十方世界念仏衆生」から始まり念仏の功徳を説きます。

このようにして、午後2時過ぎに本日の行事は全て完了しました。
講の皆様、本日は早朝に始まり34度の猛暑の日中、昼食抜きでの檀家訪問大変お疲れ様でした。皆様のお顔は大業の使命感とその達成感に輝いていました。
皆様のご努力で六斎念仏が末永く継続されることをお祈りしています。

なお、東安堵の六斎念仏が平成3年に県指定無形民俗文化財に指定された際に、念仏は録音されて、残されているそうです。講の人たちの話では、その時の鉦の調子は「チャンカラ」と聞こえていたらしく、十数年前から現在の単調なリズムになったようです。難しいことでしょうが、元に戻すことも検討しているようです。

(写真・文) 保存継承グループ・亀田幸英

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2017年07月11日

保存継承グループ 風鎮大祭見学記


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(鳥居)

ひ:ついにこの日が来ましたね。保存継承グループの人が風鎮大祭を見に来る日が。

か:ついに来ましたね。ドキドキします。

ひ:つれづれ日記も書かないといけないみたいなので、皆さんが来る前に、いろいろ教えてください。まずは、風鎮大祭の由来を教えてください。

か:風鎮大祭は風鎮めのまつりとされていて、風水害、凶作、疫病が流行し、これらを鎮める為に風の神を龍田に祀り、お祭りが行われたのが始まりとされています。日本書紀にも675年には国の祭りとして行われていたと記されています。砂かけ祭りの広瀬神社の水神が水による生産の神で、龍田大社の風神は悪風を防いで、荒雨を防ぎ、国家を鎮める神として祭られていて対になってるんです。

ひ:なるほど。ところで昔から7月の第1日曜だったんですか?

か:昔は7月4日だったみたいです。

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(スケジュール)

ひ:へー。1週間前から昨日まで、朝夕のの御饌祭もあるんですね。

か:その結願日に風鎮大祭をやって、翌日には「御座峰山神祭」といって、三室山の方にある御座峰に風鎮大祭の無事斎行を奉告するお祭りがあります。これで全て終わりになります。御座峰山神祭は平日なので私が行ってきますね。

ひ:なるほど、知らないこといっぱいあります。今日は1日よろしくお願いします。

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(神職の方々)

か:そろそろ神事が始まりますよ。

ひ:本殿は「志那津比古神」の男神と「志那津比売神」の女神2社ですね。

(ウォーという警蹕とともに本殿の扉がゆっくり開かれ、神饌奉納の後、祝詞奏上となります。)

ひ:祝詞はどんな内容なんですか?

か:五穀豊穣と風水害のないようにしてもらえたら、秋に産物を奉納します、ということを古代から伝わる丁寧な言い回しで奏上しているらしいです。この後は、龍田神楽ですよ。

ひ:巫女さんは、地元の坂本家が代々受け継いでるんですよね。

か:そうです。最初は鈴だけ、その後両手に刀を持った舞、最後は片手に鈴、もう片手に刀を持って舞います。

ひ:刀を持って舞うのは珍しいですね。「このやおとめ・・・」と巫女さん自らが謡うのも珍しいような気がします。

(龍田神楽が終わると巫女さんは拝殿に参列されている方々の間に入って、鈴を振りながら「もろもろの穢れを祓えたまえ、、、、、、、」と言ってまわります。)

ひ:巫女さん、こっちにも来られました。

(拝殿横で見ていた我々にも「もろもろの穢れを祓えたまえ、、、」とやっていただけました。)

ひ:祓ってもらいました。

か:わたしも。

(ここで一度解散し、保存継承グループの昼メンバーとともに再登場)

ひ:午後は何があるんですか?

か:昼は、家内安全・商売繁盛をご祈願するお神楽をお受けいただけるんです。それと並行して居合剱詩舞道奉納もあります。

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(御神楽受付中)

ひ:みんな揃ったしお神楽で祈願してもらいましょう。

(拝殿に上がって目の前でお神楽を見て、1人ずつ鈴を振って「祓えたまえ、清め給え。。。」とやっていただきました。)

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(御神楽の後、「祓えたまえ、清め給え。。。」)

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(お札とうちわをいただいて記念撮影)

ひ:これで少しは幸せになれそうです。でも、あの巫女さんたちは、この神楽を3時間繰り返すんですよねぇ。暑いしなかなか過酷です。

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(居合剱詩舞道奉納)

(並行して居合がお神楽と無関係に始まりましたが、居合の刀を鞘に収めるのと同時に神楽の笛と太鼓も終わるという奇跡が起きました。)

ひ:奇跡や。。。。

(ここで再び解散。保存継承グループの夜メンバーとともに再々登場)

ひ:まだ、花火まで長丁場です。この後は太鼓と河内音頭ですね。

か:そうです岐阜県中津川市鎮座風神神社に伝わる「安岐風神太鼓奉納」と浪速粋囃楽団の「風神太鼓奉納」です。その後は河内音頭です。毎年、団体で踊りに来られる方もいて賑やかです。

ひ:「安岐風神太鼓」始まりました。太鼓を打っているなかで口上があるのは珍しいです。面白い。

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(安岐風神太鼓)

ひ:次は浪速粋囃楽団ですね。おおっ、これは、だんじり囃に龍踊りじゃないですか。大阪っぽい感じがしますね。

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(浪速粋囃楽団)

か:最後は「大阪締め」ですよ。知ってました?

ひ:「打ーちましょ」パンパン、「もひとつせ」パンパン、「祝うて三度」パパンがパン。大阪生まれですから。

か:さあ河内音頭ですよ。踊らないんですか?

ひ:見る派です。

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(河内音頭)

ひ:今年も切れ切れの団体来てますかねェ。

か:来てますよ。ほら。

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(八尾の団体)

ひ:これはもう「河内の盆ダンス」ですね。外人さんも盆ダンスしてます。

か:人が増えてきました。もう、保存継承グループでまとまって花火を見るのは難しいですね。

ひ:さっきパラパラ雨が降ってましたけど、龍踊りで雨乞いしたからかもしれないです。神様はいますよきっと。

か:でもいつもどんなに雨が降ってても、花火の前にはあがるんですよ。風神様はいます。飛行機も真上を通っていくし、昔も今も「風の通り道」って感じです。

か:いよいよ花火です。神様に火のごちそうの「風神花火」を奉納しますよ。

ひ:来年は誰かに持ってもらいましょう。

か:男の人は上半身裸です。そうしないと服が焦げたりするんです。火の粉は意外と熱くないみたいです。火柱は5mくらいあがって、最後はボンと爆音して終わります。使い終わった手筒花火を、飾っておくと無病息災で過ごせるようです。

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(手筒花火)

ひ:ところで何で花火なんですか?

か:龍田大社は水の神様広瀬神社と対で、「水」に対する「火」で、「火」は人間の生活に欠かせないもので、大切にするという事から花火の奉納になったみたいです。

ひ:そうだったんですか。とうとう最後です。

か:しめくくりはナイアガラです。

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(ナイアガラ)

ひ:終わっちゃいましたね。明日、仕事頑張ります。

か:終わっちゃいました。私は御座峰山神祭行ってきますよ。

か:(ここは独り言です。。。。) 御座峰山神祭は、風神「龍田大社」の祭神が御降臨されたと云われる柏原市雁多尾畑にある「御座峰」で、風鎮大祭翌日に執り行われる神事です。峰の上には、龍田大社の方向(東)を向いて「傅龍田本宮御座峰」の碑が立っています。推古天皇時代に日本で初めて置かれた大道と言われる「龍田道」は、この「龍田山」を越え、難波へ向かっています。また「龍田道」は、神が降臨した「御座峰」から、元本宮跡とも云われる「磐座」と龍田大社を結ぶ「神降りの道」とも称されています。青空の下、風そよぐ心地よい山頂で日々の幸せに風神様のご加護を感じ、感謝できた参拝のひと時でした。

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(御座峰山神祭)


参加者 昼の部:亀田、鈴木、岡村、水間
    夜の部:亀田、大村、橋詰(夫妻)、大嶋
「か」:垣本
「ひ」:廣岡

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2017年06月14日

保存継承グループ 田原本町鍵・今里の蛇巻き行事見学記

6月4日(日)、保存継承グループメンバー3名で田原本町鍵・今里の蛇巻行事を見学しました。グループの見学は今里だけでしたが、せっかくですので一人だけ鍵も見に行きました。ソムリエの会のカリスマガイド雑賀さんと偶然現場で会いました。

「大和の野神行事」として「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に昭和58年文化庁より指定されている行事です。「この行事は、稲作農耕の守護神の1つである野神を祀る行事である。端午の節供に集中して行われ、子ども集団がその主体となる例が多いが、なかにはジャ(蛇)と呼ぶ藁の作り物を担いでむらをまわった後、野神に供えたり、鍬・鋤などの模型を作って奉納するなど、伝承地により様々な内容のものがみられる。」(文化庁)

「鍵の蛇(じゃ)巻き」は、「毎年6月の第1日曜日に、豊饒祈願と共に男子の聖人を祝う節句行事。(旧暦5月5日の行事) 藁で作った蛇形の綱の頭を17歳の男子が担ぎ、他の少年たちが後ろの綱を引っ張ってお互いに引き合いながら村中を練り歩く。(これは17歳の者が少年の仲間から離脱する儀礼) 巡行の後、榎の木に頭を下にして蛇体を上へと巻き付けることから、鍵の蛇巻きは降り龍とも言われる。」(現地解説板)

「今里の蛇巻き」とは、「農作物の豊作を祈るとともに、男の子の成人を祝う節句行事である。 毎年6月の第1日曜日(旧暦のときは5月5日の男の節句の日)に、蛇の形をした長さ18mの蛇綱を、新麦わらで作り、13才から15才の男の子が蛇綱の頭を担ぎ、それより年下の男の子と、当屋の男たちが胴を持って、村中の家々を大声で「おめでとう」と言って、祝福して回る。その道中で、誰彼の区別なく、蛇綱で人を巻き込んだりする。」(現地解説板)

同日に行われるのですが、時間帯にずれがあり、両地区は隣接しているので、両方の行事を見学することが可能です。午前中から準備が始まる「鍵の蛇巻き」を午前中の準備から巡行の途中まで見て、「今里の蛇巻き」の準備から巡行・巻きつけまで見るという行程です。

「鍵の蛇巻き」
午前7時30分頃〜11時30分頃 八坂神社で蛇製作準備
午後2時頃〜 神事の後、鍵の村中を練り歩く
・・・その後、「はったはん」(北中学校前)の木に巻きつけ

「今里の蛇巻き」
午後1時頃〜午後2時30分頃 杵築神社にて蛇の製作
午後4時頃〜午後5時頃 今里の大字全戸をまわる
・・・その後、杵築神社の榎に巻きつけ
交通:近鉄石見駅下車 徒歩10〜15分


「鍵の蛇巻き」

鍵の八坂神社へ午前10時半ごろ着きましたが、準備作業はかなり進んでいました。鳥居の下にあるのが、出来上がった蛇の頭です。作業は午前7時半頃から始まったとのことでした。

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鍵の八坂神社

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蛇の頭

作業は、その年の当屋が行います。蛇の頭は稲わらの大束5つを下から2・2・1と積み重ねて縛ってあります。重さは300kgあるとのことです。
頭には長い尾がついています。3本の縄で、これに稲わらと麦わらを6:4の割合で混ぜて編み込んでいきます。出来上がった姿は、蛇の鱗をあらわしているようです。11時半ごろ尾が完成し昼休みにはいります。

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蛇の頭に尾がついている

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頭を後ろから見た姿

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尾に藁を差し込んでいく

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蛇の完成

午後2時いよいよ本番です。最初に神主による神事が行われます。蛇の頭の上には、ボンサン膳(お供え物)や、ドサン箱が置かれています。祝詞の奏上、蛇・関係者のお祓い、米、塩を蛇の頭部と胴体に振りまき、酒を頭部に注ぎます。

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頭の上にボンサン膳とドサン箱

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神事

神事が終わると蛇巻きのスタートです。
鍵の地区内で、今年祝い事のある家にドサン箱を先端につけた竹棒を担いで行きます。祝いとは、新居・結婚・出産(男児)などで、今年は1軒だけ。ドサン箱の中には、当日の朝に頭(かしら・子供たちの年長当番)が社務所に集まり、境内のヨノミの木の枝で農具のミニチュア(鎌・鍬・鋤など)を作って入れてあります。頭に入った新入り2名が祝いの家に回ります。竹棒を家の玄関に入れ頭と子ども達が手を叩いて祝し、祝儀をいただきます。

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ドサン箱を先端に付けた竹棒を運ぶ

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蛇の頭をかついで巡行

蛇を担ぐのは当屋と14〜17歳までの男子が中心で、17歳の青年は、これが終わると成人の仲間入りとなり、元服の儀式でもあります。後ろの綱は、14歳以下の子供が担ぎ、引っ張って進む邪魔をしながら地区内の家々を回って行きます。
回り終わると、北中学校の前にある「はったはん」と言う場所があり、ここに蛇の頭を置き、胴体を木に吊します。尾の先端は、その年の恵方と決められています。今年は北北西。最後の神事が行われ終了します。鍵は頭が下なので降り龍といわれています。今里は頭が上なので昇り龍といわれています。

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後ろの綱は引っ張って邪魔をする

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「はったはん」に供えられた蛇
(巡行の途中で、今里へ移動しました。「はったはん」の写真は当日後でとったものです。)


今里の蛇巻き

鍵から歩いて10分ほど、午後2時40分すぎに今里の杵築神社に到着しました。午後1時から始まった作業は終盤にさしかかっていました。
神社の拝殿前に、蛇の頭がつるされており、そこから尾(縄)がのばされて、麦わらを編み込んでいる途中でした。全体の長さは約18m。
鍵では地面の上での作業でしたが、今里では2本の木棒を綱でとめたものを三角に立てた台を連ね、その上に蛇をのせ全員で作業しています。また鍵は稲わらと麦わらを混ぜていましたが、今里は麦わらだけで作ります。

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今里の杵築神社の拝殿前

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全員で麦わらを編み込む

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麦わらの編み込み

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樫の枝と笹竹で飾られる

祭事を行うのは迎え当屋・本当屋・送り当屋各3軒計9軒で行います。今里地区の家々が順番に当屋になっていきます。本当屋は祭事の準備や食事など全般を取り仕切ります。
蛇が完成すると、参加する男子には拝殿で直会が行われます。直会の途中に蛇の頭に御神酒を注ぎ、清めます。

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大量のワカメの味噌煮

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味噌煮を丸く巻いて藁で縛ってある

その後、ワカメの味噌煮のご接待があります。これは縁起物で参列者にもふるまわれます。煮たワカメを小さく巻いてわらで縛ってあります。
海のない大和で御馳走であるワカメがふるまわれるのは、今里の土地柄です。寺川にあった今里の浜は、江戸時代、田原本の川港として栄えたところで、大阪から海のものも運ばれてきたとのことです。
午後4時前、蛇の支えがはずされると、蛇巻きの始まりです。地区の家々を一軒ずつ回っていきます。蛇巻きに参加するのは、当屋と十人衆(世話人)と子供会です。蛇の頭は、本来13〜15歳の男子が担ぐのですが、今ではもう少し年齢の幅があるようです。頭が家々の玄関に入り大声で「おめでとう」といいます。

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蛇巻きのスタート

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頭が家の玄関に入っていく

途中で広い場所があれば、蛇が人を巻き込んでいきます。蛇に巻かれると、無病息災になるといわれています。以前は当屋が決めた場所で誰彼なしに巻き込んでいたようですが、現在は危険な為、場所も決められ、巻き込まれるのも担いでいるメンバーに限られているようです。
午後5時ごろ杵築神社に戻って来ると蛇は神社の南側にある榎の枝に、頭を上にして昇り龍のように巻きつけられます。巻きつける枝の方角は今年の恵方(北北西)です。巻きつけるのにはクレーン車が使われます。終わると根元の祠の前で、参加者全員で村の平和と繁栄を祈ります。祠には、絵馬と農具のミニチュアが祀られています。終了は午後6時頃です。

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蛇が巻き込んでいるところ

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絵馬と農具のミニチュア

(蛇巻きの巡行は1時間ほどかけて地区内をくまなく回りましたが、最後までいると遅くなるので途中で見学を終了しました。最後の写真は昨年撮ったものです。)

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巻きつけられた蛇(2016年7月撮影)

文・写真 保存継承グループ 石田一雄
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2017年05月07日

保存継承グループ「大峯山戸開式」見学記

平成29年5月2日〜3日にかけて天川村の山上ヶ岳頂上にある大峯山寺(世界遺産登録名:大峰山寺)に、松田度(大淀町教育委員会)氏と当グループの鈴木英一氏、私亀田の合計3名で、山開きにあたる「大峯山戸開式」を見学してきました。
この3名は平成26年12月21日の当会主催の納会における研究発表(大峯奥駈道を歩くがテーマ)と講演会(大峯奥駈の歴史と現状がテーマ:松田氏)のメンバーです。
3人が会ったときに「大峯山戸開式」を見学しておかないと大峯奥駈道を語る資格はないと意見が一致し、今年さっそく実行しました。


@平成29年5月2日(火)の行程

午前中に桜が満開の天川村洞川(標高約800m)に入り、女人結界門から登山開始。

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(登山口への標識)

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(清浄大橋そばのいかめしい女人結界門)

途中、平成26年9月に奥駈けをした時に果たせなかった表行場「鐘掛岩」を近くにおられた大先達の方の助言に基づき無事通過でき、リベンジが果たせました。

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(鐘掛岩(かねかけいわ)標高1620m :下方が私)

午後3時過ぎに山上ヶ岳山頂(標高1719m)にある「大峯山寺」に到着。
さすがに戸開前の大峯山寺の前はひっそりしています。

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(門柱と8役講の提灯)

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(ひっそりとした大峯山寺本堂)

この日は、龍泉寺宿坊で1泊し翌朝未明の「戸開式」に備えます。宿坊は満室です。

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(宿坊の精進料理の夕食)


A平成29年5月3日(水)の戸開式ハイライト

起床:
午前2時宿坊は講の信者達がもう起きだして、ざわついています。私たちも起床して、大峯山寺に出かける用意にかかりました。

戸開式:
戸開式には大峯山の護寺院(龍泉寺・竹林院・桜本坊・喜蔵院・東南院)と信者の代表としての8役講に洞川区及び吉野山の代表者並びに信徒総代が参列し、山伏装束や羽織袴の正装で多数の信者の見守る中伝統の儀式が開始されます。
午前3時に本堂そばの事務所で大峯山寺の当番寺院住職から、一尺余りの3つの入口の鍵が年番役講の代表者へ渡され、鍵を受け取った信者達は一旦参篭所に戻り、人馬を組んで鍵持ちを乗せ、松明を手にワッショイワッショイの掛け声とともに本堂前の急坂をかけ登ってきます。
午前3時30分から3つの入口の当番の護寺院住職も自坊参篭所から同様に人馬に乗って境内に到着すると、人馬が練りまわり鍵を奪い合う各役講の人馬が入り混じって最高潮に達します。

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(練り歩く各講の人馬で熱気が最高潮に達する)

本堂の扉が開かれると、信者たちが堂内になだれ込み、御本尊(蔵王権現像)及び役行者尊の前で般若心経を唱え、信仰の法悦に浸ります。

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(開かれた正面入口から信者がなだれ込む)

私たちも少し遅れて堂内に入り、戸開式と戸閉式の儀式の間のみ特別御開帳の「秘仏 秘密行者尊」(役行者像と前鬼・後鬼像)を、般若心経の大合唱の中で拝観し、厳粛かつ熱気のある独特の雰囲気を存分に味わう、貴重な体験をさせていただきました。
<残念ですが当然、堂内の場面の写真は不可ですので悪しからず>

その後本堂わきの護摩道場で大護摩供が厳修され、国家安寧・五穀豊穣・世界平和の祈願がされる頃、夜明けを迎えました。お山は9月23日の戸閉式までにぎわいます。

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(いつ見ても神々しい夜明け)

文・写真  保存継承グループ 亀田幸英
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2017年04月09日

保存継承グループ 甘樫坐神社 盟神探湯神事 見学記

4月2日 明日香村の甘樫丘の北端麓、向原寺(伝豊浦の宮跡)の西隣の甘樫坐(あまかしにます)神社で盟神探湯(くがたち)神事が営まれ、保存継承グループ6名で見学に参加しました。

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(甘樫坐神社正面)          

盟神探湯とは古代の呪術的裁判法で、宗教、法律、道徳が未分化で呪術的観念が支配的な文化段階において正邪を判断するために用いられた方法です。
文字通り、対象となる者に、神に潔白を誓わせた(盟神)後、釜の中で沸騰する熱湯に手を入れさせ(探湯)、その結果により、事の正邪を判断するもので、正しき者は無事で、偽りのある者は大火傷を負うというものです。 

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(境内の案内板)

「日本書紀」には允恭天皇4年(415)に、氏姓の混乱を正すために、甘樫の神前で煮え湯の入った釜に手を入れて盟神探湯が行われたと記載されています。
平城遷都後、明日香は衰運に向かい、その釜も神社と一緒に現在地に移されましたが810年以降いつしか失われてしまいました。 
現在では毎年、4月の第一日曜日に、境内の立石の前に釜を据え、嘘、偽りを正し、爽やかに暮らしたいという願いを込め、豊浦・雷地区の氏子達が盟神探湯の神事を保存・継承しています。

開始前に甘樫坐神社に行くと、境内には数メートル四方にしめ縄が張られており、立石側のしめ縄近くには古い湯釜が据え置かれていて、近所の人や見学に訪れた人々がしめ縄を囲んで神事の始まりを待ち、拝殿内では既に氏子達が上がってお祓いを授かっている様子です。

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(据えられた古い湯釜「寛政十戊年十二月」とある。(1798年))

14:00になり、来賓の方々の挨拶終了後、甘樫坐神社の飛鳥弘文宮司が板木を鳴らして神事の始まりです。

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(宮司が板木を叩き神事の開始)

宮司が立石の前の湯気の立つ釜に向かい、青竹の大幣で丁寧にお祓いをされます。
その釜の中に、まず白いお皿(白瓮)に盛られた米を入れ、次に大きな瓶子に入ったお神酒を注ぎ、最後に白瓮に盛られた塩を入れます。

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(宮司がお神酒を注ぐ)

その後、白い紙を広げられ、祝詞を読み上げられます。
それから熊笹の大きな束を釜の中に深く、しっかりと浸します。
丁寧に引き上げられた熊笹の束をふんわりと包むように白い湯気が立ち上がります。

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(宮司による熊笹のお祓い)

宮司は熊笹の束を掲げ、境内の参列者や見学者にお祓いをされます。
そしてゆっくりとすべての所作を終えられます。始終無駄な動きなく、真に美しい所作で見とれてしまいました。
さて雰囲気は変わり、飛鳥時代の衣装を着た劇団「時空」の寸劇が始まります。
隣のお寺の仏像が何者かに傷つけられた事件が発生し、3人の容疑者が一人ずつ湯釜に手を入れ裁判が行われ、犯人が判明するというストーリーで、笑いも交えて和やかに分かりやすく盟神探湯神事を再現していました。

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(劇団「時空」の寸劇)

最後に参列者や見学者に熊笹が配られ一人ずつ順にそれを湯釜につけ、身を清めさせていただき全ての儀式が終了しました。
寸劇を見ていた氏子らしき小学生の男の子が「僕はてっきり真ん中の人が犯人と思ったけどなぁ〜」と家族に話す口調が何とも愛らしく、素直でほのぼのとしていて、この子も将来この神事を保存継承してくれる人に成るのだなと感じながら帰途につきました。
道すがら、春の陽気に包まれてミモザの花が満開でした。

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(桜の開花はまだでしたが満開のミモザの花)

私も有り難く熊笹を持ち帰らせていただき、我が家の玄関に祀らせていただいております。嘘、偽りを正し、爽やかな毎日でありますようにと。

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(頂いた熊笹)

文  保存継承グループ 中辻安以子
写真  中辻安以子、亀田幸英
posted by 奈良まほろばソムリエ at 11:49| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする