2020年03月02日

保存継承グループ 川西町:六県(むつがた)神社の「御田植祭(子出来オンダ)」見学記

田植えの所作を演じて五穀豊穣を願う御田植祭(オンダ祭)は全国各地で行われています。
六県神社=磯城郡川西町保田(ほた)=では田植えの後、妊婦が出産する所作があることから「子出来オンダ」とも呼ばれる珍しいもので、平成18年(2006)、県指定無形民俗文化財に選定されました。

2月11日の午後5時から、巫女の御湯たて、神職の祝詞奏上、巫女による舞と参加者や見学者へのお祓いが行われます。

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<拝殿前での巫女の御湯たて>

午後6時ごろ、30人ほどの子供たちが拝殿に集まり、田んぼに見立てた舞台を取り囲みます。御田植祭の演者は集落の男性たちで、この年の本厄(42歳)が中心となり、舞台で八つの所作を演じます。
まず、農夫が二人で一組となり、「水見回り」「牛使い」「施肥」「土こなげ」「田植え」「田螺(たにし)拾い」の六つの所作をそれぞれに演じます。

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<鍬で所作を行う「水見回り」>

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<牛の角を指で表現した「牛使い」>

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<椿の葉を肥料に見立てた「施肥」>

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<コミカルな演技を混じえた「田植え」>

各所作が終わるたびに、周りの子供たちが農夫に群がります。子供たちは雨風を、農夫はそれに耐える稲穂を表しているのです。どれだけ耐えることができるかで、秋の豊穣を占い稲の成長への願いが込められるとのこと。子供たちは農夫の上に馬乗りになったり、激しくぶつかっていったり、大人と子供が一体となって進めていく微笑ましい行事です。

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<稲穂の農夫に群がる雨風の子供たち>

六つの所作が終わると、メインとなる「妊婦の弁当運びと安産」が演じられます。化粧をして妊婦に扮し手ぬぐいを被った男性が、赤ちゃんに見立てた小太鼓をお腹に入れて登場します。夫役の神主と対座し問答をした後、カエルやヘビを避ける仕草をしながら拝殿内を回ります。頭上に掲げた半切り桶に弁当を入れ、夫に運んでいくのです。妊婦が弁当を届けると、夫のそばで産気づき、太鼓を腹から放り出します。夫がうまく太鼓を受け取ると「ぼん、できた。ぼん、できた」と太鼓をたたいて、赤ちゃんが無事産まれたとの喜びを表現します。

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<「妊婦の弁当運びと安産」・・・拝殿内を回る妊婦>

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<「妊婦の弁当運びと安産」・・・無事出産>

最後に烏帽子(えぼし)をかぶった農夫が登場。拝殿内を回って台詞と種まき歌「♪ふぅくぅの種、まぁこぅうよう♪」と歌いながら勢いよく稲籾を蒔(ま)く、八つ目の所作「種まき神事」が行われ、「子出来オンダ」の一連の行事は終了します。

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<稲籾を蒔く「種まき神事」>

戦前までは同じ敷地にある富貴寺(本堂などが重要文化財)の宮座行事だったが、戦後は自治会で行事を引き継ぎ六県神社で行われるようになりました。
開催は祝日の2月11日に変更し、開始時間も子供たちが参加しやすいようにと、午後6時からにしているそうです。本厄の男性だけでは人が足りないので、地域の若い男性にも役を演じてもらうなどの工夫をされています。
奈良県内でも特色のあるオンダ行事を、いつまでも続けて欲しいと願うばかりです。

文・写真  保存継承グループ  仲谷裕巳



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2020年02月15日

保存継承グループ  桜井市:笠山荒神社の「初荒神」見学記

桜井市北部の笠地区の鷲峯山(じゅぶさん)に鎮座する笠山荒神社で1月28日に初荒神(新春荒神大祭)が執り行われ、グループ有志で見学しました。

荒神とは、仏教や修験道の三宝(仏・法・僧)を守護する三宝荒神信仰と、中世の神仏習合の流れで生まれた火の神や竈(かまど)の神を意味する荒神信仰が結びついたものとされています。笠山荒神社は笠山荒神、または笠荒神とも呼ばれ、日本三荒神=他の2カ所は野迫川村の立里(たてり)荒神、兵庫県宝塚市の清(きよし)荒神=の第一の荒神社ということです。

大祭は1月、4月、9月のそれぞれ28日の年3回行われますが、このうち1月は初荒神と呼ばれ、近隣府県からも参拝者が集まります。当日は雨も心配されましたが、風がやや強めだったものの青空が広がる好天に恵まれました。
JR・近鉄桜井駅北口から臨時バスを利用、約40分で「笠そば処」駐車場の臨時停留所に到着。北参道入口の鳥居をくぐって境内に進みました。

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<北参道の鳥居近くに掲示されている説明板>

「平成19年」と刻まれた狛犬に迎えられ、きれいに掃き清められた参道を神社に向かいます。両側に並ぶ各地の信者から奉納された石灯籠には電球に灯が入り、この日の大祭を祝しているかのようです。
しばらく進むと神社拝殿前ですが、大祭ではふもとの竹林寺から本殿まで上りの石段をお神輿が渡御することになっていますので、石段を下って同寺に向かいます。表参道の鳥居をいったん出て100bほど進むと竹林寺です。

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<竹林寺近くにある表参道の鳥居>

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<竹林寺収蔵庫で初荒神に合わせて公開された重文の薬師如来立像>

江戸時代までは笠寺と言われ、今より大きなお寺だったそうです。荒神社は明治初めの神仏分離令で神社が今の場所に遷座するまでは、こちらに祀られていたそうです。
『笠荒神鷲峯山竹林寺来由記』には、持統天皇の時代に役小角(えんのおづぬ)が笠山に荒神を祀ったこと、東大寺の無事建立を良弁僧正が祈願し荒神の像を板に描いて寺に留め置いたこと、その荒神板絵を見て弘法大師空海が木像を刻み笠山に安置したことが伝わります。現在は本堂内の厨子に「荒神板絵像」が祀られており、大祭の時には神霊が神輿で神社まで渡御されます。

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<竹林寺を出発する神輿>

竹林寺本堂から神輿が4人で担がれて出発するのを拝見した後、本堂で本尊の十一面観音立像など、収蔵庫で薬師如来立像(重文、平安時代作)などを拝観しました。神社に戻る前に表参道入口近くに祀られている閼伽井不動を参拝。説明板によりますと、空海が高野山を開く前、ここの閼伽井の池で21日間の水行を修め、石像の不動明王を祀り、無事高野山を開いたとあります。

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<空海ゆかりの閼伽井の池(手前)と閼伽井不動>

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<拝殿前に到着した神輿と参拝の人々>

その後、神輿が拝殿前に到着し神事が行われました。背後の本殿では土祖神(つちのみおやのかみ)など3柱が祀られていて、神輿は拝殿の祭壇の後方、本殿との間に安置されました。参拝者は拝殿前で祝詞に聞き入り、神楽を拝見し、神事は1時間ほどで終わりました。
その間、参拝者に恒例の甘酒が振る舞われ、ポットに入った甘酒も販売されていました。境内では同じく見学に来ておられる「奈良まほろばソムリエの会」の方々にもお会いしました。

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<多くの参拝者たちが境内を埋めた>

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<甘酒の振る舞いや販売が行われた境内の参集所>

昼食は境内を出て笠そば処でお蕎麦などを頂きました。地元の人たちから「笠荒神、竹林寺、笠そば処それぞれを大切にして、地区を守り、存続を目指している」と聞いて感動しました。
初秋にソバの花が畑一面に咲いている写真を見て、次回はその“お花畑”を見に来たいと思いつつ、帰りも臨時バスで桜井駅へ向かいました。

保存継承グループ  文:田嶋ひろ子、写真:久門たつお


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2020年01月11日

保存継承グループ 天理市:石上神宮の「神庫祭(ほくらさい)」見学記

「神庫」とは天理市布留町、石上神宮の禁足地の南西に建つ御神宝を収蔵する庫であると同時に、神格の宿るところとされています。同神宮では毎年大晦日に「神庫祭」を斎行して神宝の安泰を祈願されています。

同神宮の神宝の中でも有名な国宝「七支刀」(4世紀)や重文「鉄盾(てつたて)」(5世紀)はこの神庫に収蔵されてきた伝世品とされています。現在は他の神宝とともに昭和55年(1980年)に完成した宝物収蔵庫に収められているそうです。
  
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<国宝の石上神宮拝殿。拝殿奥が禁足地>

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<境内に生息するニワトリ。神鶏とも呼ばれます>

その「神庫祭」に限って神事参列者は神宝が祀られていた禁足地へ特別に入ることが許されるのです。令和初の大晦日、保存継承グループ有志ら11名を含む、全体で約50人が参列しました。

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<神庫祭が始まる前、禁足地入り口近くで。正面奥に神庫の屋根が見える>

午後2時半ごろ、お正月準備が整う拝殿近くに集合。曇天で雨も心配されていたのですが、午後3時、神事開始を告げる太鼓の音とともに禁足地への門が開かれるころ、雲間からは青空が広がりました。神職による祓え詞奏上のあと、参列者一同、斎員によるお祓いを受けてからいよいよ禁足地へ。(禁足地では一般の写真撮影は認められていません。)

剣先状の石製瑞垣で囲まれた神域とあって、普段は閉じられている門から一歩足を踏み入れた途端、今まで感じていた大晦日のざわついた気が一変。凛とした空気が清浄さを感じさせました。足元には鮮やかな緑の苔の絨毯が広がり、鳥のさえずりが心地よく響き渡っていました。

目の前には本殿、その南西に建つ二戸前の校倉が「神庫」です。同神宮ホームページによると、『日本書紀』垂仁天皇紀に「天神庫(あめのほくら)」と見え、現在の神庫は嘉永4年(1851年)の再建で、元は禁足地の外にある拝殿西隣に建っていました。本殿建立工事に伴い、明治45年(1912年)に現在の禁足地内へ移築されたとあります。
 
参列者が神庫東側で本殿を背にして並ぶと、宮司さんはじめ、斎員が神庫の前に進み一拝。玉串拝礼にあわせて参列者も拝礼。撤饌、一拝にて一連の神事は約20分で終了しました。宮司、斎員退出後、参列者も後ろ髪ひかれながらも禁足地を退出。今年最後の夕陽が本殿や神庫を神々しく照らす中、ご神威にあやかりました。

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<大祓式の開始前、祓所に入る神官ら>

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<参集者が清々しく新年を迎えるのを祈願する大祓式>

神庫祭に続いて境内の祓所では大祓式があり、参列者全員が切弊(きりぬさ)をいただいて大祓式、午後4時からは拝殿で除夜祭が斎行されました。新たな令和の時代を迎え、ご神宝を守ってきた貴重な神庫の下で気分一新させていただけた特別な大晦日となったのは言うまでもありません。
 
なお、七支刀と鉄盾(2個)は、東京国立博物館で1月15日から3月8日まで開催される「日本書紀成立1300年特別展『出雲と大和』」に出陳されるとのことです。

保存継承グループ  文:中西環、写真:久門たつお

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2019年11月29日

保存継承グループ 奈良市:興福寺の「慈恩会(じおんね)」見学記

南都七大寺の古刹、世界遺産でもある法相宗大本山の興福寺と薬師寺では、1年交代で宗祖・慈恩大師の正忌日の11月13日に、法相宗の僧侶が一堂に会し忌日法要「慈恩会」が営まれます。今年は興福寺の仮講堂で開催されました。

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<法要を待つ静かな仮講堂と五重塔>

慈恩大師(632-682)は中国・長安に生まれ、玄奘三蔵の弟子となり、唯識を体系づけ、教理を確立したことから、法相宗の初祖とされる高僧です。姓が尉遅(うっち)、名は窺基(きき)または基(き)と伝わります。
慈恩会は、天暦5年(951)興福寺第14世別当・空晴(こうじょう)の発願で始められ、明治44年(1911)に再興された重要な法会です。興福寺では、身の丈6尺5寸、顔は満月のごとく張り、両眼は雷光のごとく輝く偉丈夫だったと伝わる大師の立像が描かれた重要文化財「慈恩大師画像」の昭和模本を本尊の前に掲げて遺徳を称え、その前で論義問答が営まれます。
森鴎外は大正10年(1921)に興福寺の慈恩会に参列し、『本尊を隠す画像の尉達基は我よりわかく死にける男』と詠んでいます。

まず、本坊で行事に先立って「夢見の儀」と呼ばれる作法が行われ、春日明神より夢中で論題を授かるとされ、夜には仮講堂で論義法要が執り行われます。

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昼間、多くの観光客で賑わいを見せた興福寺境内が静寂を取り戻す午後7時過ぎ、春日山方向の十六夜(いざよい)の月が照らす中、本坊、五重塔の方から、提灯や松明に先導された式衆が、興福寺の名と寺紋が染められた幕をくぐり、入堂されます。薬師寺から17名、興福寺から11名の合計28名が参列されたとのことです。

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<いただいた「慈恩会次第」>

通常の年は、夢見の儀でもらった論題の問答の激しくもユーモアのある「番論義」のあと、総礼で終わりとなりますが、今年は生涯に一度だけ受験できる口頭試問「竪義(りゅうぎ)」が併せて行われました。興福寺では8年ぶりで、前回、先輩僧の竪義の補佐「童子(どうし)」を務めたドイツ出身のザイレ暁映さんが自らの竪義に挑まれました。
当日までに約3週間にわたって前加行(ぜんけぎょう)が行われ、加行部屋の半畳ほどの結界の中で、教義や経典に関する問答を暗記し、大廻(まわ)りという境内堂塔、春日大社諸社、市中の社にもお参りするなどの厳しい修行を経て、竪義当日は教義に関する問答を2時間近く執り行う難関の試験です。合格すると、寺の子院、塔頭の住職になる資格を得ることができます。この竪義が行われるという緊張感が、堂外から見学している私たちにも伝わってきました。

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真っ白な僧衣を着たザイレさんが、「影向戸(ようごうのと)」と呼ばれる扉から入堂されました。私たちは残念ながら、終了まで見届けられずに境内を退出しましたが、お寺の方々も合格間違いないと予想されたとおり、翌朝には『異例の外国人僧侶、僧の難関合格』の新聞記事やニュース報道が届きました。
今回は古くから伝えられ続ける僧になるための厳しい行などの奈良仏教の側面に触れる機会になりました。新たにその難行を満了される僧侶が誕生したことに改めて敬意を感じると共に、その場に僅かでも立ち会えたことに感謝したくなるような見学となりました。
          
文・写真 保存継承グループ 石井宏子

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2019年09月22日

保存継承グループ 五條市西吉野町:波宝神社の「岳祭り」見学記

五條市西吉野町夜中(よなか)の標高614bの銀峯山(ぎんぽうさん)山頂に鎮座する波宝(はほう)神社。平安時代に延喜式内社とされた由緒をもち、1672年(寛文12年)建立の本殿は珍しい連棟社殿で、県文化財に指定されています。秋の例大祭「岳(だけ)祭り」は毎年9月の第2日曜に行われていて、今年は8日、心配された台風の影響もなく、快晴の下、賑やかに執り行われました。

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<本殿は一間社春日造、檜皮葺が二棟接続した連棟社殿形式。祭神は住吉大神と神功皇后>

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<本殿に供えられたお神酒、餅、野菜など。本殿の障壁には祭神の神功皇后の伝承に関係する日食図、住吉大神にまつわる波の絵が描かれています>

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<午後1時、本殿前の割拝殿周辺に関係者が集まり、植原啓勝宮司のお祓いを受け、お渡りがスタート>

中心になる神輿渡御は40年余り中断していましたが、2017年(平成29年)に氏子役員、青年団員らが復活させ、今年で3回目となります。鉄杖、高張提灯や“御幣さん”を持つ各自治会長、主役の神輿2台などが続き、最後尾は植原宮司です。

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<担ぎ手も大うちわを手にした人たちも「ワッショイ!ワッショイ!」「オーッ!」。神社を出発した神輿の後ろを家族らが続きます>

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<本殿障壁の日食図の太陽、鶴などを描いた色鮮やかな“御幣さん”。地名の夜中は日食で夜のようになったことにちなんでいるとされます>

江戸時代制作とされる神輿は大きい方が約30人、小さい方が約20人で担ぎます。担ぎ手は14地区の青年らが中心で、さらに西吉野町の県立五條高校賀名生(あのう)分校から先生2人、生徒8人、復活の際に神輿の担ぎ方を見学した縁で和歌山県橋本市の神社の青年7人が参加しておられるとのこと。背中に「祭」の文字、神社名と住吉大神にちなんだ波の図柄が入った揃いの法被は、復活時に西吉野町の柿関係の会社から寄贈されたものです。

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<境内を出た渡御行列は参道を南西に約200b下り、大鳥居前の広場で掛け声とともに、神輿2台を揺らしたり、高く上げるパフォーマンス。かつては神輿をぶつけ合い「けんか祭り」と呼ばれたことも>

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<そうしている間に今年の当屋地区、平沼田(ひらんた)からの行列が合流>

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<お渡りの総勢約180人でさらに南西に約400m進み、丘の上の御旅所で神事が行われました>

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<神事が終わると、再び神社へ還御。神輿の担ぎ手は大鳥居前で再び気勢を上げた後、今度は上りの参道を経て境内に戻って最後の「ワッショイ!」>

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<神輿が戻ると、氏子役員さんたちによるお餅まき。最前列は子供たち、その後ろが大人で、あちらこちらで歓声が沸き上がりました>

前氏子総代の辰己博宣さん、現氏子総代の中前秀次さんのお話では、氏子さんたちは、柿・梅の生産農家や選果場関係の方が多く、平均年齢は47歳。農家人口は大きくは減っていないとのこと。若い世代は地区外に住んでいても、親世代の住む実家に通って、共に農業をされているケースも多いとか。

奈良県は柿の収穫量全国2位で、柿ハウス栽培では全国トップ。中でも五條市は自治体単位で収穫量全国1位。この実績が神輿復活の遠因になったのかもしれません。

お渡りの賑わいは、神社関係者の皆さんや、多くの地元の方々のご努力と熱意があってこそだと改めて感じました。神輿を担ぐお父さんたちを誇らしげに見ている子供たちが成人して岳祭りを継承してくれることを願いつつ、帰路につきました。 

          
文・写真  保存継承グループ  石井宏子
 
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