2022年01月31日

保存継承グループ 五條市・念仏寺「陀々堂の鬼はしり」見学記

1月14日の朝から五條市では大雪注意報が発令され見学できるかどうか心配しておりましたが、午後から解除となり、昨年の新型コロナによる見学見送りから1年、念願の壮大な火祭り「鬼はしり」を午後9時から気温1度の寒さの中、見ることができました。

全国でも珍しい屋内での火祭りで、斧を持つ赤鬼(父)、捻木(ねじき)を持つ青鬼(母)、槌を持つ茶鬼(子)が重さ約60`の燃えさかる松の根の松明(たいまつ)を抱え、赤鬼が堂内から戸口の正面右側に現れ、次に青鬼、そして茶鬼が続き、三匹の鬼は正面中央、そして左側に順に移動した後、堂内に入り再び戸口に姿を現すことを3度繰り返します。

戸口に現れた鬼に松明を渡し、お堂の奥に移動する前に鬼から松明を受け取る佐(すけ)、松明を持つ鬼に桶から笹竹で水を振りかけて熱気を防ぐ一方、床に落ちた火をすかさず消す水天(かわせ)なども懸命に立ち動きます。

吼(ほ)えるような法螺貝、そして太鼓、鉦、棒打の強烈な音が響く中、松明が火の粉を撒き散らし、鬼が天を睨(にら)むようにお堂の正面に並ぶ姿は壮観の一言に尽き、寒さも忘れて見入りました。

特に本堂の内陣、須弥壇裏の松の板壁を長さ1bほどの樫の棒2本でリズムをつけて叩く「阿弥陀さんの肩叩き」と呼ばれる棒打の音が堂内に響きわたり、いやがおうでも祭りを盛り上げるものでした。

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〈陀々堂正面に鬼が並び、松明からは火の粉が撒き散る圧巻の場面〉

ここで「鬼はしり」について触れておきましょう。

「鬼はしり」は、五條市大津町の念仏寺本堂の陀々堂で行われる修正会の結願行事で、五穀豊穣、厄除を祈り500年余りの伝統を誇ります。
本尊の阿弥陀如来に仕える三鬼が堂内を豪快に巡り住民の災いを払うもので、鬼が幸いをもたらす祭りは全国でも珍しいと言われています。平成7年(1995)に五條市で初めて国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。

1月14日当日の修正会結願の流れは次の通りです。

13時〜 僧による大般若心経転読。
16時〜 昼の鬼はしり(無灯火)
16時半〜 福餅まき
*コロナ禍のため今年も昼の鬼はしり終了後に行われる「子ども鬼はしり」と福餅まきは中止されました。
19時〜 息災護摩供(堂内)
19時半〜 柴灯護摩供(境内)
21時〜 鬼はしり(たいまつ点火)

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〈堂内で厳かに読経などが行なわれた息災護摩供〉

今回、保存継承グループを中心とする参加者7名は息災護摩供からの見学となりました。
息災護摩供に続く柴灯護摩供も見応えのある行事でした。金峯山寺蔵王堂(吉野町)からの行者が法螺貝と共に境内に入ってきます。結界を結ぶ呪文を数回唱えた後、厄除けのため弓矢を天空に向け引き絞って放つ所作を数回行います。境内に作られた山になったヒバ(ヒノキの生葉)に点火され、護摩木が次々と焼(く)べられ大きな炎の柱と煙が境内に立ち昇り、辺り一面にヒバの焼ける匂いが広がります。

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〈柴灯護摩供の始まりで、弓矢を引き絞る所作をする行者〉

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〈境内に煙が広がり、炎が高々と立ち昇る柴灯護摩供〉

「鬼はしり」の鬼面のことにも触れましょう。保存継承グループでは、県内の文化財の調査活動をしています。
この鬼面についても、2020年10月に奈良県指定有形民俗文化財の1つとして調査しました。現在「鬼はしり」で使用している三鬼の面は1960年に製作されたヒノキの一木作りの複製品です。室町時代の文明18年(1486年)の墨書銘があるオリジナルの三鬼の面はカヤの一木作りで現在、五條文化博物館に収蔵されています。

父鬼面と子鬼面は口を開いた阿行で2本角、母鬼面は逆の吽行で1本角で、優しげな表情です。もう1セットの複製品が五條文化博物館で常設展示されていますので、興味のある方は見に行かれればいかがでしょうか。

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〈災いを払うとされる陀々堂の鬼。多くの見物人の目を引きつける〉

最後に「念仏寺鬼はしり保存会」前会長の岩阪雅由さんにお聞きした、地元の子供たちへの継承の取り組みをお伝えします。15年ほど前から、阪合部地区の小学4年・5年・6年生、中学1年生を中心に約20人の子供たちへの指導を行っているそうです。昨年、今年と「子ども鬼はしり」はコロナ禍のため中止となりましたが、例年は前年に祭具や着物を準備し、子供たちに鬼の所作や棒打の指導をしているそうです。やはり、少子化で子供の人数が少ない年もあると話しておられました。

お堂の前で「鬼はしり」を見る私の前には、お母さんらに連れられた地元の子供たちが三鬼の勇ましい姿を食い入るように見ていました。午後10時頃、壮大な火祭り「鬼はしり」の行事は終了。保存継承グループに身を置く者として、子供たちが500年余り続く伝統の「鬼はしり」を上手く継承していけるようにと、願いながら暗くなった陀々堂を後にしました。

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〈陀々堂近くの民家玄関前に置かれた鬼はしりの行灯が雰囲気を盛り上げた〉

保存継承グループ  文:鶴田吉範、写真:橋詰輝己

      
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2021年11月25日

保存継承グループ 多神社(田原本町)で美化奉仕活動

保存継承グループは11月21日(日)、社寺美化奉仕活動を田原本町多の多神社で行いました。正式には多坐彌志理都比古(おおにいますみしりつひこ)神社と言い、延喜式内明神大社の歴史ある神社です。江戸時代建立の春日造りの4棟が並ぶ本殿は県指定建造物。神武天皇、その第二皇子でこの地域の古代豪族・多氏の祖神とされる神八井耳命(かむやいみみのみこと)など4祭神が祀られています。

好天に恵まれ、当グループから8名、ソムリエの会から10名の合計18名が参加しました。

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〈参加者は県内から16名、大阪から2名。拝殿前で〉

電車組は午前9時半に近鉄橿原線笠縫駅前に集合、徒歩で神社へ向かい、拝殿前でマイカー組と合流。鎌と雑草入れのビニール袋を受け取った後、10時ごろから本殿西側の鎮守の杜で笹などの雑草刈り取りをスタート。

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〈笹などを刈り取ってビニール袋に詰める参加者たち〉

笹藪を手前から奥へ狩り進んで行くのですが、笹は思いのほか硬くて鎌で刈り取るには力が要りました。道路に面したところでは捨てられたペットボトルなどのゴミもあり、併せて回収しました。
1時間10分ほどで刈り取られた笹などの雑草はなんと!大型ゴミ袋十数袋分に。

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〈笹は高いもので1.2m程度あり、茎は結構硬かった〉
 
作業の後、参加者の1人でガイドグループの坂口隆信さんに多神社にまつわるお話と周辺の史跡について説明していただきました。最後は多神社南側にある摂社で、多氏の一族の『古事記』編者・太安萬侶を祀る小杜(こもり)神社も訪ねました。
正午すぎに現地で解散し、小春日和の中、すがすがしい半日となりました。

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〈本殿近くで坂口さん(中央奥・こちら向き)の説明を聞く参加者たち〉

拝殿横の多神社資料館には木造太安萬侶神像(田原本町指定文化財)や多遺跡出土品などが展示されています。ご神職が急な所用でご不在だったので、当初予定していた見学は残念ながらできませんでした。また日を改めて見学させていただこうと思います。
 
一昨年までは任意団体「まほろば会」主催の社寺美化奉仕活動に保存継承グループ有志が参加してきましたが、昨年度から当グループ主催で実施しています。NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」会員の社会貢献活動の一環です。次回開催時も会員の皆さんに参加募集する予定ですので、関心のある方々のご参加をお待ちしています。

保存継承グループ 文:東辻裕子、写真:久門たつお

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2020年11月28日

保存継承グループ 長岳寺(天理市)で美化奉仕活動

保存継承グループは11月14日、初めて主催する社寺美化奉仕活動を天理市柳本町の長岳寺(高野山真言宗)で行いました。グループから8名、ソムリエの会理事会メンバーから4名の計12名が紅葉の進む境内で雑草の刈り取りなどに汗を流しました。

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<長岳寺境内。本堂(右)、鐘楼門(左)と放生池>

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<長岳寺美化奉仕活動に参加した皆さん>

参加者のうち電車組は午前9時すぎにJR桜井線柳本駅前に集合。徒歩で長岳寺に向かう途中、同寺飛地境内にある傘堂形の五智堂(重文)を見学しました。
午前10時前に同寺駐車場横の大門(だいもん)前でマイカー組と合流し、同寺境内へ。作業は10時すぎから、放生池東側の池辺と旧地蔵院庫裏(重文)の庭園の2カ所に分かれてスタート。

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<キイロショウブの葉などを刈り取る池辺グループ>

全員軍手をして、池辺グループは枯れたキイロショウブの葉などを鎌で刈り取り、庭園グループは植木の間に茂った雑草抜きなどをしました。前日までに北川慈照住職からうかがっていたスイセン、シダなど刈ってはいけないものに注意しながら作業し、1時間余りで集まった雑草は大型ゴミ袋6つ分になりました。

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<植木の間の雑草などを取り除く庭園グループ>

作業前、同寺を創建した弘法大師の像を安置し、普段は非公開の大師堂(県指定)内部を北川住職の計らいで見学させていただきました。厨子内の弘法大師坐像の前で北川住職が行っておられる密教の修法についてお話をうかがった後、全員が順に手を合わせて拝観しました。
作業後に一旦解散し、午後に参加者の半数は本堂内で公開中の「大地獄絵」(県指定)前で行われた北川住職による六道にまつわる説法に他の参拝者と共に1時間半ほど聞き入りました。

美化活動はソムリエの会定款に盛り込まれており、これまでは任意団体「まほろば会」と共催で行ってきました。同会がメンバー高齢化のため昨年度末で活動を終え、今年度から保存継承グループが主催することになりました。
次回からはソムリエの会HPで会員に参加募集する予定で、関心のある方々のご参加をお待ちいたします。

文・写真  保存継承グル−プ 久門たつお

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2020年03月02日

保存継承グループ 川西町:六県(むつがた)神社の「御田植祭(子出来オンダ)」見学記

田植えの所作を演じて五穀豊穣を願う御田植祭(オンダ祭)は全国各地で行われています。
六県神社=磯城郡川西町保田(ほた)=では田植えの後、妊婦が出産する所作があることから「子出来オンダ」とも呼ばれる珍しいもので、平成18年(2006)、県指定無形民俗文化財に選定されました。

2月11日の午後5時から、巫女の御湯たて、神職の祝詞奏上、巫女による舞と参加者や見学者へのお祓いが行われます。

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<拝殿前での巫女の御湯たて>

午後6時ごろ、30人ほどの子供たちが拝殿に集まり、田んぼに見立てた舞台を取り囲みます。御田植祭の演者は集落の男性たちで、この年の本厄(42歳)が中心となり、舞台で八つの所作を演じます。
まず、農夫が二人で一組となり、「水見回り」「牛使い」「施肥」「土こなげ」「田植え」「田螺(たにし)拾い」の六つの所作をそれぞれに演じます。

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<鍬で所作を行う「水見回り」>

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<牛の角を指で表現した「牛使い」>

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<椿の葉を肥料に見立てた「施肥」>

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<コミカルな演技を混じえた「田植え」>

各所作が終わるたびに、周りの子供たちが農夫に群がります。子供たちは雨風を、農夫はそれに耐える稲穂を表しているのです。どれだけ耐えることができるかで、秋の豊穣を占い稲の成長への願いが込められるとのこと。子供たちは農夫の上に馬乗りになったり、激しくぶつかっていったり、大人と子供が一体となって進めていく微笑ましい行事です。

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<稲穂の農夫に群がる雨風の子供たち>

六つの所作が終わると、メインとなる「妊婦の弁当運びと安産」が演じられます。化粧をして妊婦に扮し手ぬぐいを被った男性が、赤ちゃんに見立てた小太鼓をお腹に入れて登場します。夫役の神主と対座し問答をした後、カエルやヘビを避ける仕草をしながら拝殿内を回ります。頭上に掲げた半切り桶に弁当を入れ、夫に運んでいくのです。妊婦が弁当を届けると、夫のそばで産気づき、太鼓を腹から放り出します。夫がうまく太鼓を受け取ると「ぼん、できた。ぼん、できた」と太鼓をたたいて、赤ちゃんが無事産まれたとの喜びを表現します。

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<「妊婦の弁当運びと安産」・・・拝殿内を回る妊婦>

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<「妊婦の弁当運びと安産」・・・無事出産>

最後に烏帽子(えぼし)をかぶった農夫が登場。拝殿内を回って台詞と種まき歌「♪ふぅくぅの種、まぁこぅうよう♪」と歌いながら勢いよく稲籾を蒔(ま)く、八つ目の所作「種まき神事」が行われ、「子出来オンダ」の一連の行事は終了します。

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<稲籾を蒔く「種まき神事」>

戦前までは同じ敷地にある富貴寺(本堂などが重要文化財)の宮座行事だったが、戦後は自治会で行事を引き継ぎ六県神社で行われるようになりました。
開催は祝日の2月11日に変更し、開始時間も子供たちが参加しやすいようにと、午後6時からにしているそうです。本厄の男性だけでは人が足りないので、地域の若い男性にも役を演じてもらうなどの工夫をされています。
奈良県内でも特色のあるオンダ行事を、いつまでも続けて欲しいと願うばかりです。

文・写真  保存継承グループ  仲谷裕巳

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2020年02月15日

保存継承グループ  桜井市:笠山荒神社の「初荒神」見学記

桜井市北部の笠地区の鷲峯山(じゅぶさん)に鎮座する笠山荒神社で1月28日に初荒神(新春荒神大祭)が執り行われ、グループ有志で見学しました。

荒神とは、仏教や修験道の三宝(仏・法・僧)を守護する三宝荒神信仰と、中世の神仏習合の流れで生まれた火の神や竈(かまど)の神を意味する荒神信仰が結びついたものとされています。笠山荒神社は笠山荒神、または笠荒神とも呼ばれ、日本三荒神=他の2カ所は野迫川村の立里(たてり)荒神、兵庫県宝塚市の清(きよし)荒神=の第一の荒神社ということです。

大祭は1月、4月、9月のそれぞれ28日の年3回行われますが、このうち1月は初荒神と呼ばれ、近隣府県からも参拝者が集まります。当日は雨も心配されましたが、風がやや強めだったものの青空が広がる好天に恵まれました。
JR・近鉄桜井駅北口から臨時バスを利用、約40分で「笠そば処」駐車場の臨時停留所に到着。北参道入口の鳥居をくぐって境内に進みました。

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<北参道の鳥居近くに掲示されている説明板>

「平成19年」と刻まれた狛犬に迎えられ、きれいに掃き清められた参道を神社に向かいます。両側に並ぶ各地の信者から奉納された石灯籠には電球に灯が入り、この日の大祭を祝しているかのようです。
しばらく進むと神社拝殿前ですが、大祭ではふもとの竹林寺から本殿まで上りの石段をお神輿が渡御することになっていますので、石段を下って同寺に向かいます。表参道の鳥居をいったん出て100bほど進むと竹林寺です。

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<竹林寺近くにある表参道の鳥居>

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<竹林寺収蔵庫で初荒神に合わせて公開された重文の薬師如来立像>

江戸時代までは笠寺と言われ、今より大きなお寺だったそうです。荒神社は明治初めの神仏分離令で神社が今の場所に遷座するまでは、こちらに祀られていたそうです。
『笠荒神鷲峯山竹林寺来由記』には、持統天皇の時代に役小角(えんのおづぬ)が笠山に荒神を祀ったこと、東大寺の無事建立を良弁僧正が祈願し荒神の像を板に描いて寺に留め置いたこと、その荒神板絵を見て弘法大師空海が木像を刻み笠山に安置したことが伝わります。現在は本堂内の厨子に「荒神板絵像」が祀られており、大祭の時には神霊が神輿で神社まで渡御されます。

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<竹林寺を出発する神輿>

竹林寺本堂から神輿が4人で担がれて出発するのを拝見した後、本堂で本尊の十一面観音立像など、収蔵庫で薬師如来立像(重文、平安時代作)などを拝観しました。神社に戻る前に表参道入口近くに祀られている閼伽井不動を参拝。説明板によりますと、空海が高野山を開く前、ここの閼伽井の池で21日間の水行を修め、石像の不動明王を祀り、無事高野山を開いたとあります。

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<空海ゆかりの閼伽井の池(手前)と閼伽井不動>

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<拝殿前に到着した神輿と参拝の人々>

その後、神輿が拝殿前に到着し神事が行われました。背後の本殿では土祖神(つちのみおやのかみ)など3柱が祀られていて、神輿は拝殿の祭壇の後方、本殿との間に安置されました。参拝者は拝殿前で祝詞に聞き入り、神楽を拝見し、神事は1時間ほどで終わりました。
その間、参拝者に恒例の甘酒が振る舞われ、ポットに入った甘酒も販売されていました。境内では同じく見学に来ておられる「奈良まほろばソムリエの会」の方々にもお会いしました。

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<多くの参拝者たちが境内を埋めた>

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<甘酒の振る舞いや販売が行われた境内の参集所>

昼食は境内を出て笠そば処でお蕎麦などを頂きました。地元の人たちから「笠荒神、竹林寺、笠そば処それぞれを大切にして、地区を守り、存続を目指している」と聞いて感動しました。
初秋にソバの花が畑一面に咲いている写真を見て、次回はその“お花畑”を見に来たいと思いつつ、帰りも臨時バスで桜井駅へ向かいました。

保存継承グループ  文:田嶋ひろ子、写真:久門たつお


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