2016年12月06日

歴史探訪グループ例会「お葉つき銀杏が色づく音羽山観音寺を訪ねて」

11月19日(土)参加者10名

【日程】9:30桜井駅―バス―下居(おりい)停留所―急坂の参詣道―音羽山観音寺(お葉つき銀杏・本堂拝観・ご住職様の法話拝聴・お昼ご飯)―万葉展望台―音羽山山頂(有志)―音羽山観音寺(小休憩・コーヒーをいただく)―下山―崇峻天皇倉梯岡陵―下居神社―聖林寺停留所―バス―16:15桜井駅にて解散

雨の予報に空模様を気にしながらの集合となりました。桜井駅9時45分発の談山神社行きバスに乗り、下居(おりい)停留所で降車。寺川にかかる橋を渡り、音羽山観音寺までの約1.8kmの参詣道を登り始めます。お天気も何とか大丈夫そうです。

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<観音寺への道>

途中の少し広い所で恒例の加藤さんによるストレッチ体操を行い、体をほぐしました。

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<恒例の体操>

何度も折り返す急な長い坂道。

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<急な長い坂道>

郵便配達の方は観音寺までこの道をバイクで行き来するというのですから驚きです。ところどころにある「ちょっといっぷく」「お寺でみんなが待ってるよ」などの可愛いイラスト付き看板にほっと一息つきながら登り続けます。

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<ちょっといっぷく>

そして登り始めから50分、ついに観音寺に到着。秋色に染まった美しい境内に疲れも吹き飛ぶようでした。

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<色づき始めた境内>

石段を登ると本堂の階段に座ったご住職さん達3名の「人形」が我々を迎えてくれました。坂道で見た手作り看板やこちらの人形さん達、ユーモアと優しさにあふれていて皆さんも思わずにっこり。

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<出迎えの人形>

境内でひときわ目を引く大きな「お葉つき銀杏」の木。鮮やかな黄色に色づきまさに今が見頃という感じでしたが、しばらくして落葉すれば今度は地面に黄色の絨毯が広がりまた違う美しさを見せてくれるのでしょう。

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<イチョウ全景>

「お葉つき銀杏」はその名のとおりギンナンと葉が一体となっており、稀にしか見ることが出来ません。皆さんで探してみるとただお一人、廣岡さんが発見されました。お見事!
私も実物を目にするのは初めてのことで貴重な機会となりました。

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<お葉つき銀杏>

続いて本堂を拝観。ご本尊は千手千眼十一面観音像で20年ほど前に平成の大修理を終えられ、金色に輝いていました。そしてご住職の法話を拝聴します。笑顔の素敵なこちらのご住職は女性の方で、廃寺同然になっていたこのお寺を修理し守り続けて来られました。当寺は寺伝によれば談山妙楽寺の鬼門除けのお寺として藤原鎌足公自作の梅の木の観音像を祀ったのが始まりとされているそうです。(創建についてはその他にも諸説あり。)往時には「音羽百坊」と称されるほどの規模でしたが、貞観18年(876)の山津波(音羽流れ)によって堂宇は崩落してしまったそうです。現在は融通念仏宗のお寺として、また眼病平癒に霊験あらたかな観音様として山中に静かに佇むお寺です。

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<優しいご住職>

京都清水寺の貫主を務められ107歳の大往生を遂げた大西良慶和上はここ音羽山で幼少期を過ごされたのだそうです。94歳の時に里帰りされ、籠に乗ってここ観音寺まで登って来られた時の写真が本堂に掲げられていました。
拝観を終え靴を履いていたその時、本堂の壁がガタガタと大きな音を立てて揺れました。なんと地震!震源は和歌山だったようです。奈良のウォーキング活動の時に体に感じるほどの地震を経験したのは初めてのことで驚きました。
その後、お部屋を用意していただきゆっくりとお昼ご飯。温かいお味噌汁をいただきました。肌寒かったので大変有難く、持参していたお弁当も一層美味しく感じました。

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<食事をさせていただいた部屋>

昼食後はさらに高い所にある「万葉展望台」を目指します。斜面を登って行くと、後方には絶景が!近くには御破裂山もよく見えていました。この付近は「奈良県景観資産」にも登録されているそうです。展望台までたどり着くと金剛・葛城山をはじめ二上山や畝傍山が一望。快晴で見通しがきく時は大阪のビル群や明石海峡まで望めるそうですが、この日のように霞がかった眺望もそれはそれで良かったです。

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<展望所からの風景>

予定ではこの絶景地までで下山することになっていましたが、ここまで来たら頂上はあと少し。有志で登ることになりました。20分ほどの急登の末、13時に無事登頂。眺望はありませんでしたが、登頂したという達成感は何にも代え難いものがありました。山頂からさらに経ケ塚山、熊ケ岳へと縦走するコースがあるそうです。

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<音羽山山頂>

下りは違うルートを取り、30分ほどで観音寺へ戻って来ました。
お昼休みと同じお部屋で休憩。今度はホットコーヒーをいただきました。温かいおもてなしに感謝しきりです。14時過ぎ、大変お世話になった観音寺を辞して下山しました。

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<本堂前で集合写真>

15時過ぎ、「崇峻天皇倉梯岡陵」に到着。木々も色づき、大変静かで落ち着いた雰囲気です。すぐ横に金福寺というお寺があり、倉梯柴垣宮のあった場所と考えられています。崇峻天皇の本当の陵は赤坂天王山古墳、藤ノ木古墳など諸説あるそうですが、『日本書紀』には崩御の当日に葬られたことが、『延喜諸陵式』には陵地、陵戸がないことが記されており、謎が多いです。

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<崇峻天皇陵>

15時半、多武峰街道沿いにある「式内 下居神社」の鳥居前に到着。

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<下居神社>

ここから本殿までは約500メートルの距離がありました。下、浅古、倉橋の三地区の境に位置し、旧村社で式内社。ご祭神として彦八井耳命を祀るそうです。この地にゆかりのある崇峻天皇の皇子・蜂子皇子は出羽三山の開祖となり、そこで当社と同名の「下居社」を祀ったのだそうです。はるか遠い出羽三山と大和のつながりを感じることが出来るこちらの神社。境内には「いにしへの 皇子のみ跡 訪ぬれは 出羽三山に 下居大神」の句が刻まれた碑が立っていました。
下居神社をあとにし、聖林寺バス停に到着。さほど待たずに乗車することが出来、16時過ぎに桜井駅に到着しました。
ここで解散。結局一度も傘を使うことなく活動を終えることが出来ました。観音寺のご住職さんの「一番いい時に来られましたね!」のお言葉通り、深まる秋の一日を満喫。少しハードな活動でしたが参加者の皆さん、おつかれさまでした。

写真 小林誠一 文 藤原麻子
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2016年12月04日

記紀万葉サークル11月例会「『日本庭園美』の原点を眺める」

11月12日(土)参加者 9名

尼ヶ辻駅西口から横手に宝来山古墳(垂仁天皇菅原伏見東陵)を眺めつつ西へ、そしてすぐ北へ折れると菅原寺(喜光寺)・菅原天満宮は間近でした。垂仁陵の治定については、奈良時代において何らかの錯誤があったと思うのですが、この距離感を実感すると、土師宿禰たちが遠祖野見宿禰と垂仁天皇の関係を言い立てて、この巨大古墳を天皇陵と認めさせた経緯が素直に想定されるのです。

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菅原寺前にて

復元大極殿・大伴門から東院庭園に向う。2棟だけが威容を誇る光景も異様ですが、上屋部分はどうしても推定による部分が多いと聞きますので、一見立派ではあっても実物大模型の感が免れません。
 
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復元大極殿内部 

今回のテーマ「日本庭園美の原点」を東院庭園と左京三条二坊宮跡庭園に見た訳ですが、少し趣を異にしているようです。東院庭園には、洲浜に汀線を描く斬新な構想を自分達の風景として囲い込み、自分達を中心に置いて悦に入っているようなところがあると思いました。
 
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東院庭園にて
 
左京三条二坊宮跡庭園ですが、観賞主体(復元建物)を西南の隅に退け、中央の延長55mの曲がりくねった池が主人公です。低い板塀は巡っていたようですが、観賞に際して東方の御蓋山をはじめとする春日連山や、東大寺・興福寺などの堂塔が背景として入ることを妨げていません。むしろそれを考慮に入れていたのではないかと思われます。観賞する態度において、かなりの差が有るように思われました。

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当日参加のメンバーたち
 
今回は最高の天気に恵まれたうえ、少人数で引率の伊藤さんのペースもあり、快調に行程を消化してゆきました。新大宮駅での解散は予定より30分程早くなりました。


文:田中昌弘(記紀万葉サークル) 写真:錦織智恵(同)
                         
posted by 奈良まほろばソムリエ at 10:26| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月22日

古事記の里を訪ねて(2016年10月30日)

「ソムリエ大会」の午前中のウォーキング。歴史探訪サークルは“古事記の里を訪ねて”と題し、絶好の秋晴れの下、近鉄筒井駅を出発。

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<筒井駅>

まずは「筒井城」跡を目指し数分歩くと、「本当にここ?」と思うような細い路地の奥に「筒井順慶城跡」の石柱があります。畑の中の道を抜けて筒井城の内郭跡を通り「菅田比売神社」へ、境内には内堀の跡が残ります。

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<筒井城跡>

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<筒井城地図>

少し歩いて「外堀」跡を見学後、東へ向かい、量(はかり)川を越えて、道なき道を進むと「順慶堤」。請堤(うけづつみ)ともいわれ筒井城のある右岸側が左岸に比べ高くなっているのがよくわかります。

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<筒井城外堀>

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<順慶堤>

佐保側に沿って歩き、寿橋を渡ると「番条環濠」集落。複雑な形の環濠の中に古い町並みが残ります。南から北へ集落を抜けて東に進むと「下ツ道」。この道を北へ向かうと、平城京羅城門から朱雀門につながります。

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<番条環濠>

「下ツ道」をしばらく歩くといよいよ「稗田環濠」集落。美しく整備された環濠に囲まれた集落の南東の位置に「古事記」の伝承者とされる稗田阿礼(ひえだのあれ)を祀る「賣太(めた)神社」が鎮座します。集落の中を北に抜け、反時計回りに、環濠に沿って歩きます。

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<賣太神社>

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<稗田環濠>

ここからは一路「やまと郡山城ホール」へ、でも「金魚の自動販売機」(金魚をうっているのではありません)にちょっと寄り道して、予定どおりに到着。半日の快適な軽いウォーキングでした。

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<金魚自販機>

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<集合写真>
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2016年09月25日

記紀万葉サークル9月例会「鳥屋町から新沢千塚を巡る」

9月10日(土)参加者19名

少し早い目に集合した人にはラッキーなハプニングがありました。橿原神宮前駅東口改札前集合となっていましたが、9時半頃には既に5,6人が集まっていました。この時、駅長さんと助役さんが、改札口から現れ、誰かを出迎える様子です。車から降りてきた人の中に若い女性が二人含まれていて、どこかで見た顔です。そうです、リオ五輪バドミントン女子Wで、金メタルを取った高橋さんと松友さんです。この日は橿原市主催で橿原神宮前駅から橿原神宮まで優勝パレードを行うことになっている日でした。彼女たちは我々の目の前を縫って改札口に向かったのです。思わず拍手をすると、にっこりと笑顔で返されました。思いがけないラッキーなハプニングに恵まれました。

7月9日に実施するはずであった記紀万葉サークルの7月例会「鳥屋町から新沢千塚を巡る」が雨のため中止となり、この日、9月10日に再チャレンジされました。出発前に今回初参加の6人が紹介され、総数19名でスタートしました。

・軽寺跡
橿原市大軽町の軽寺跡をまず尋ねました。現法輪寺と北側の春日神社辺りが軽寺の跡と言われています。現地には橿原市教育会により「応神天皇軽島豊明宮跡」と書かれた碑が建っていた。
・久米寺
聖徳太子の弟、来目皇子が創建したと伝えられる説、聖武天皇の世に活躍した久米仙人が開いたという伝説、久米一族の氏寺であるといわれるなど、多くの由来を持つ寺である。
・益田池堤跡
平安時代、高さ8m、幅30m、長さ200mの堤防を築き、高取川を堰き止めて、巨大な灌漑用の池が建築されたのが益田池である。その規模は橿原ニュータウン全域に相当し、貯水量は160万トン程であったとされる。その堤の一部分が残っている。橿原市の遺跡に指定されてはいるが、頂に登る道も見分けがつかないほど、夏草がぼうぼうと生えていた。藪蚊に悩まされながら、ここで昼食をとる。
この堤の北側あたりの地名が、橿原市西池尻町である。池尻という地名から、そこまで益田池が広がっていたようだ。

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<益田池堤跡にて昼食>

・鳥坂神社、宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)、倭彦命墓(桝山古墳)
食後の行動は築坂邑と記された標識を見ながら鳥坂神社、宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)、倭彦命墓(桝山古墳)を順に巡り、本日のメインの新沢千塚古墳群を目指す。

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<鳥屋町を歩くメンバー達>

・新沢千塚古墳群
橿原市南部の貝吹山の北西山麓に存在する約600基からなる古墳群をさすが、一般的には北西端に密集する350基程の古墳群が知られている。今回は北西部の一部分を歩く。30°Cを超える炎天下を歩いたことで、皆疲れ気味である。
代表的な126号墳をまず尋ねる。説明版には出土品が掲示されていた。それによると、耳飾り、指輪、盆、ガラスの椀・皿などともに非常に珍しいものとして熨斗(のし)(火を使うアイロン)などがあった。これらの出土品はすべて東京の国立博物館に展示されている。

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<新沢千塚126号墳にて>

この出土品から被葬者の集団は、渡来系氏族と有力視されていたが、他の古墳からは、甲冑、武器、武具、馬具などが出土しているので、強大な武力集団の古墳とも考えられる。また、それらが共存していたのかもしれない。
・橿原市博物館
暑さに疲れた体には、冷房の効いた建物に入れただけで、ほっとした。
学芸員が丁寧に橿原市付近の歴史を説明して下さったがあまり記憶にない。せっかく新沢千塚古墳群の真っただ中にある博物館だからもう少しこの古墳群に関連した展示があっても良いと思う。

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<126号墳出土品(複製)を見る>

帰りは橿原神宮前駅までバスを利用して帰る。歩いた距離は今回が最短であたかもしれないが、暑さに疲れた。我が橿原市を訪ねていただき、有難うございました。

文:前防道徳(記紀万葉サークル) 写真:田中昌弘(同)
 
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2016年07月09日

安産寺の子安地蔵菩薩を訪ねて

7月2日(土)9時40分集合で、三重県と奈良県の県境に近い三本松駅に降り立った。
山あいに佇む駅の前は宇陀川が流れ、宇陀の趣を醸し出している。梅雨というのに、まぶしいほどの太陽が参加者19名を迎えてくれた。

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(三本松駅)

三本松の地名は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が行脚のおり、この地に植えたと伝わる大樹に因んでいる。

最初に、本日の目玉である安産寺へ向かう。
三本松駅から程なくして、安産寺に到着。子安地蔵菩薩とよばれる平安時代の一木造りの地蔵菩薩立像(国重文)が安置されていることで有名である。とはいえ、一人では、なかなかに訪ね難いところである。今日は、史跡等探訪サークル世話役のご尽力で、地元の安産寺保存会の人々に寺院を案内していただいた。

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(安産寺でのお話)

ここの子安地蔵菩薩は、その昔、豪雨で宇陀川が増水したとき、上流より流されてこの地に流れ着いたと伝わる。また、室生寺金堂の本尊・釈迦如来立像の様式と極めて似ている点や、金堂の地蔵菩薩像に不釣り合いの板光背が、ここの子安地蔵菩薩とぴったり一致すること等から、近世に室生寺金堂から移安されたとも伝わる。今日の最後は、室生寺で金堂の仏さま方にお目にかかることとなっており、その時に、地蔵菩薩像の光背をしっかりと拝見してみたい。

次に長命寺・琴引峠へ向かう。
ここも訪ねてみたかったところである。琴引峠の名は、源義経や北条時頼の伝承に由来する。この琴引峠は、伊賀から大和に入って越える最初の峠であり、本居宣長や松尾芭蕉もここを通ったことでも有名である。しかし、近鉄の線路を通すために峠が削られ、残念ではあるが、往時を偲ぶのはかなり困難な状況である。

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(長命寺)

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(琴引峠跡碑)

続いて海神社。ここに安産寺の子安地蔵菩薩が流れついたと伝わる。ご祭神は豊玉姫命。海のない奈良に海神社は四社あり、その中の一社である。本殿から正面の鳥居越しに宇陀川、伊勢街道、鎌倉山、それに安産寺も望める。

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(海神社)

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(海神社付近から鎌倉山)

海神社から滝谷花しょうぶ園の横を通り、さらに進むと「大師の道」に突き当たる。「大師の道」は、三本松から山越えで室生寺へ向かう古道で、なかなかに趣のある名前である。ちょっと楽しみ。

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(花しょうぶ園への道のアジサイ)

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(大師の道の入口)

しかし、甘かった。(笑)この暑さ。室生寺に着く頃には、少々、疲れた。
道中、なかなかの見所もあり、時候の良い頃にもう一度歩いてみたいコースである。

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(大師の道)

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(峠の茶屋跡)

最後は、室生寺。
なにはともあれ、金堂の仏さま方を、拝観。確かに、お地蔵さんの光背は、不釣り合いに大きい。安産寺の子安地蔵様がぴったり。安産寺で見せてもらった合成写真に納得である。

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(室生寺金堂)

帰りは、室生寺から室生口大野駅までバス。

暑かったけど、普段、訪ね難いコースで大変有意義な例会でした。世話役の皆さん、ありがとうございました。

写真 小林誠一  文 秋山博隆
posted by 奈良まほろばソムリエ at 20:52| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする