2016年12月04日

記紀万葉サークル11月例会「『日本庭園美』の原点を眺める」

11月12日(土)参加者 9名

尼ヶ辻駅西口から横手に宝来山古墳(垂仁天皇菅原伏見東陵)を眺めつつ西へ、そしてすぐ北へ折れると菅原寺(喜光寺)・菅原天満宮は間近でした。垂仁陵の治定については、奈良時代において何らかの錯誤があったと思うのですが、この距離感を実感すると、土師宿禰たちが遠祖野見宿禰と垂仁天皇の関係を言い立てて、この巨大古墳を天皇陵と認めさせた経緯が素直に想定されるのです。

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菅原寺前にて

復元大極殿・大伴門から東院庭園に向う。2棟だけが威容を誇る光景も異様ですが、上屋部分はどうしても推定による部分が多いと聞きますので、一見立派ではあっても実物大模型の感が免れません。
 
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復元大極殿内部 

今回のテーマ「日本庭園美の原点」を東院庭園と左京三条二坊宮跡庭園に見た訳ですが、少し趣を異にしているようです。東院庭園には、洲浜に汀線を描く斬新な構想を自分達の風景として囲い込み、自分達を中心に置いて悦に入っているようなところがあると思いました。
 
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東院庭園にて
 
左京三条二坊宮跡庭園ですが、観賞主体(復元建物)を西南の隅に退け、中央の延長55mの曲がりくねった池が主人公です。低い板塀は巡っていたようですが、観賞に際して東方の御蓋山をはじめとする春日連山や、東大寺・興福寺などの堂塔が背景として入ることを妨げていません。むしろそれを考慮に入れていたのではないかと思われます。観賞する態度において、かなりの差が有るように思われました。

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当日参加のメンバーたち
 
今回は最高の天気に恵まれたうえ、少人数で引率の伊藤さんのペースもあり、快調に行程を消化してゆきました。新大宮駅での解散は予定より30分程早くなりました。


文:田中昌弘(記紀万葉サークル) 写真:錦織智恵(同)
                         
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2016年11月22日

古事記の里を訪ねて(2016年10月30日)

「ソムリエ大会」の午前中のウォーキング。歴史探訪サークルは“古事記の里を訪ねて”と題し、絶好の秋晴れの下、近鉄筒井駅を出発。

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<筒井駅>

まずは「筒井城」跡を目指し数分歩くと、「本当にここ?」と思うような細い路地の奥に「筒井順慶城跡」の石柱があります。畑の中の道を抜けて筒井城の内郭跡を通り「菅田比売神社」へ、境内には内堀の跡が残ります。

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<筒井城跡>

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<筒井城地図>

少し歩いて「外堀」跡を見学後、東へ向かい、量(はかり)川を越えて、道なき道を進むと「順慶堤」。請堤(うけづつみ)ともいわれ筒井城のある右岸側が左岸に比べ高くなっているのがよくわかります。

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<筒井城外堀>

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<順慶堤>

佐保側に沿って歩き、寿橋を渡ると「番条環濠」集落。複雑な形の環濠の中に古い町並みが残ります。南から北へ集落を抜けて東に進むと「下ツ道」。この道を北へ向かうと、平城京羅城門から朱雀門につながります。

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<番条環濠>

「下ツ道」をしばらく歩くといよいよ「稗田環濠」集落。美しく整備された環濠に囲まれた集落の南東の位置に「古事記」の伝承者とされる稗田阿礼(ひえだのあれ)を祀る「賣太(めた)神社」が鎮座します。集落の中を北に抜け、反時計回りに、環濠に沿って歩きます。

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<賣太神社>

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<稗田環濠>

ここからは一路「やまと郡山城ホール」へ、でも「金魚の自動販売機」(金魚をうっているのではありません)にちょっと寄り道して、予定どおりに到着。半日の快適な軽いウォーキングでした。

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<金魚自販機>

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<集合写真>
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2016年09月25日

記紀万葉サークル9月例会「鳥屋町から新沢千塚を巡る」

9月10日(土)参加者19名

少し早い目に集合した人にはラッキーなハプニングがありました。橿原神宮前駅東口改札前集合となっていましたが、9時半頃には既に5,6人が集まっていました。この時、駅長さんと助役さんが、改札口から現れ、誰かを出迎える様子です。車から降りてきた人の中に若い女性が二人含まれていて、どこかで見た顔です。そうです、リオ五輪バドミントン女子Wで、金メタルを取った高橋さんと松友さんです。この日は橿原市主催で橿原神宮前駅から橿原神宮まで優勝パレードを行うことになっている日でした。彼女たちは我々の目の前を縫って改札口に向かったのです。思わず拍手をすると、にっこりと笑顔で返されました。思いがけないラッキーなハプニングに恵まれました。

7月9日に実施するはずであった記紀万葉サークルの7月例会「鳥屋町から新沢千塚を巡る」が雨のため中止となり、この日、9月10日に再チャレンジされました。出発前に今回初参加の6人が紹介され、総数19名でスタートしました。

・軽寺跡
橿原市大軽町の軽寺跡をまず尋ねました。現法輪寺と北側の春日神社辺りが軽寺の跡と言われています。現地には橿原市教育会により「応神天皇軽島豊明宮跡」と書かれた碑が建っていた。
・久米寺
聖徳太子の弟、来目皇子が創建したと伝えられる説、聖武天皇の世に活躍した久米仙人が開いたという伝説、久米一族の氏寺であるといわれるなど、多くの由来を持つ寺である。
・益田池堤跡
平安時代、高さ8m、幅30m、長さ200mの堤防を築き、高取川を堰き止めて、巨大な灌漑用の池が建築されたのが益田池である。その規模は橿原ニュータウン全域に相当し、貯水量は160万トン程であったとされる。その堤の一部分が残っている。橿原市の遺跡に指定されてはいるが、頂に登る道も見分けがつかないほど、夏草がぼうぼうと生えていた。藪蚊に悩まされながら、ここで昼食をとる。
この堤の北側あたりの地名が、橿原市西池尻町である。池尻という地名から、そこまで益田池が広がっていたようだ。

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<益田池堤跡にて昼食>

・鳥坂神社、宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)、倭彦命墓(桝山古墳)
食後の行動は築坂邑と記された標識を見ながら鳥坂神社、宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)、倭彦命墓(桝山古墳)を順に巡り、本日のメインの新沢千塚古墳群を目指す。

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<鳥屋町を歩くメンバー達>

・新沢千塚古墳群
橿原市南部の貝吹山の北西山麓に存在する約600基からなる古墳群をさすが、一般的には北西端に密集する350基程の古墳群が知られている。今回は北西部の一部分を歩く。30°Cを超える炎天下を歩いたことで、皆疲れ気味である。
代表的な126号墳をまず尋ねる。説明版には出土品が掲示されていた。それによると、耳飾り、指輪、盆、ガラスの椀・皿などともに非常に珍しいものとして熨斗(のし)(火を使うアイロン)などがあった。これらの出土品はすべて東京の国立博物館に展示されている。

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<新沢千塚126号墳にて>

この出土品から被葬者の集団は、渡来系氏族と有力視されていたが、他の古墳からは、甲冑、武器、武具、馬具などが出土しているので、強大な武力集団の古墳とも考えられる。また、それらが共存していたのかもしれない。
・橿原市博物館
暑さに疲れた体には、冷房の効いた建物に入れただけで、ほっとした。
学芸員が丁寧に橿原市付近の歴史を説明して下さったがあまり記憶にない。せっかく新沢千塚古墳群の真っただ中にある博物館だからもう少しこの古墳群に関連した展示があっても良いと思う。

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<126号墳出土品(複製)を見る>

帰りは橿原神宮前駅までバスを利用して帰る。歩いた距離は今回が最短であたかもしれないが、暑さに疲れた。我が橿原市を訪ねていただき、有難うございました。

文:前防道徳(記紀万葉サークル) 写真:田中昌弘(同)
 
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2016年07月09日

安産寺の子安地蔵菩薩を訪ねて

7月2日(土)9時40分集合で、三重県と奈良県の県境に近い三本松駅に降り立った。
山あいに佇む駅の前は宇陀川が流れ、宇陀の趣を醸し出している。梅雨というのに、まぶしいほどの太陽が参加者19名を迎えてくれた。

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(三本松駅)

三本松の地名は、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が行脚のおり、この地に植えたと伝わる大樹に因んでいる。

最初に、本日の目玉である安産寺へ向かう。
三本松駅から程なくして、安産寺に到着。子安地蔵菩薩とよばれる平安時代の一木造りの地蔵菩薩立像(国重文)が安置されていることで有名である。とはいえ、一人では、なかなかに訪ね難いところである。今日は、史跡等探訪サークル世話役のご尽力で、地元の安産寺保存会の人々に寺院を案内していただいた。

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(安産寺でのお話)

ここの子安地蔵菩薩は、その昔、豪雨で宇陀川が増水したとき、上流より流されてこの地に流れ着いたと伝わる。また、室生寺金堂の本尊・釈迦如来立像の様式と極めて似ている点や、金堂の地蔵菩薩像に不釣り合いの板光背が、ここの子安地蔵菩薩とぴったり一致すること等から、近世に室生寺金堂から移安されたとも伝わる。今日の最後は、室生寺で金堂の仏さま方にお目にかかることとなっており、その時に、地蔵菩薩像の光背をしっかりと拝見してみたい。

次に長命寺・琴引峠へ向かう。
ここも訪ねてみたかったところである。琴引峠の名は、源義経や北条時頼の伝承に由来する。この琴引峠は、伊賀から大和に入って越える最初の峠であり、本居宣長や松尾芭蕉もここを通ったことでも有名である。しかし、近鉄の線路を通すために峠が削られ、残念ではあるが、往時を偲ぶのはかなり困難な状況である。

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(長命寺)

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(琴引峠跡碑)

続いて海神社。ここに安産寺の子安地蔵菩薩が流れついたと伝わる。ご祭神は豊玉姫命。海のない奈良に海神社は四社あり、その中の一社である。本殿から正面の鳥居越しに宇陀川、伊勢街道、鎌倉山、それに安産寺も望める。

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(海神社)

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(海神社付近から鎌倉山)

海神社から滝谷花しょうぶ園の横を通り、さらに進むと「大師の道」に突き当たる。「大師の道」は、三本松から山越えで室生寺へ向かう古道で、なかなかに趣のある名前である。ちょっと楽しみ。

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(花しょうぶ園への道のアジサイ)

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(大師の道の入口)

しかし、甘かった。(笑)この暑さ。室生寺に着く頃には、少々、疲れた。
道中、なかなかの見所もあり、時候の良い頃にもう一度歩いてみたいコースである。

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(大師の道)

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(峠の茶屋跡)

最後は、室生寺。
なにはともあれ、金堂の仏さま方を、拝観。確かに、お地蔵さんの光背は、不釣り合いに大きい。安産寺の子安地蔵様がぴったり。安産寺で見せてもらった合成写真に納得である。

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(室生寺金堂)

帰りは、室生寺から室生口大野駅までバス。

暑かったけど、普段、訪ね難いコースで大変有意義な例会でした。世話役の皆さん、ありがとうございました。

写真 小林誠一  文 秋山博隆
posted by 奈良まほろばソムリエ at 20:52| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月09日

百万本のツツジが見頃を迎える大和葛城山を訪ねて

5月21日、史跡等探訪サークルの今回の活動は大和葛城山登山。
9時過ぎ、近鉄御所駅に参加者11名が集合しました。

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【加藤さんの指導で準備体操】

御所駅からバスでロープウェイ葛城登山口駅前に到着。準備運動をしっかりとし、9時50分に登山開始。約3kmの「櫛羅(くじら)の滝コース」を行きます。

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【櫛羅の滝】

10分ほどで櫛羅の滝に到着。説明板によると弘法大師が天竺のクジラの滝に似ているために供尸羅(くじら)と名付けましたが、「供尸」は「供に屍」と書くため良くないと、その時の領主が「櫛」の字に改めたといいます。

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【石畳の登山道】

そこからは長い登り、約30分に1回休憩を取りながらのペースで進んで行きます。特に前半の急な階段が続くところはきつく、かなり体力を消耗しました。登山の本やテレビでよく目にするように、なるべく小股でゆっくりと登ることを心がけました。

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【落石で崩れた歩道】

この櫛羅の滝コースはよく整備され道標や目標位置の番号表示も完備していますが、過去何度か台風による崩落で通行止めになった事があるようで、途中その爪痕をいくつか目にしました。
コースも半分を過ぎると、体が慣れたのか少し楽になってきました。
「大阪開通講」という岩場を過ぎると、登りも終盤です。
11時50分、広い舗装路に出ました。山頂まではもう少しあるようですが、とりあえず登りの一区切り。そこからすぐの所に「葛城天神社」が鎮座していました。

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【葛城天神社】

ご祭神は国常立命。この境内は「天神の森」と呼ばれてきたそうです。天つ神を祀る天神社は県内他にも数カ所あるようで、例えば耳成山にも昔天神社があり、天神山と称されていた時があったそうです。
また、この葛城天神社は加茂(鴨)氏の祖・加茂建角身命の神跡と伝わることから「鴨山」とも呼ばれてきたそうです。
神社から歩いてすぐロープウェイの葛城山上駅に到着。登山口駅から約2時間かけてここまで登って来ましたが、ロープウェイを使用すればたったの6分で着いてしまうそうです。

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【展望台から奈良盆地を望む】

駅舎の上が展望台になっており、上がってみると大和三山や吉野の山々をのぞむことが出来ました。
そこから舗装路の坂道を登っていくと食堂などが現れ、観光地らしい雰囲気になっていきます。展望の良いベンチで昼食休憩となりました。

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【山頂】

昼食後少しだけ登り、12時50分、ついに葛城山頂に到着です。標高959.7m。こちらで集合写真を撮りました。山頂は高原のように広くなだらかでした。

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【ツツジ(当日の写真)】

山頂南斜面に有名なツツジ園が広がっていました。今年は花期が早かったようで見頃は残念ながら終わっていましたが、「一目百万本」と言われる壮大な光景は圧巻でした。これらは全て自生するヤマツツジだということです。

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【ツツジ(最盛期の写真 2012年5月13日)】

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【金剛山】

お隣には金剛山の雄姿。古くは葛城山・金剛山を総称して「葛城山」と呼んだそうです。

下山すべく舗装路の道を降りていくと右手に「婿洗いの池」への表示がありました。この池には行きませんでしたが何とも珍しい名前です。昔、村人たちが雨を降らせるため竜神を怒らせようと、竜神の祠を壊して池に投げ込み、新しく村に来た婿養子も一緒に投げ込んで荒縄でごしごし洗い、半死半生の目に遭わせたという不思議な伝説があるそうです。

13時20分、下山開始です。「自然研究路」から「北尾根コース」を通ってもとのロープウェイ葛城登山口駅に戻るコース。
自然研究路はその名のとおり葛城山の自然に関する説明板がところどころに現れます。基本的に歩きやすい道で、「カタクリの花」群生地もあるようでした。
4月頃に薄紫の美しい花を咲かせるそうです。
その後の北尾根コースは急な下り坂が続きます。道は乾いているものの大変滑りやすく、大きな段差も何か所かあり慎重に降りて行きました。
そして15時、登山口駅に全員怪我もなく無事に戻ってくることが出来ました。

登山後はいつもそうですが、登り下りの苦しかったことは忘れて大きな達成感と爽快感だけが残ります。これまで県内各地のいろいろな地点から「あれが葛城山だ」と眺め、憧れていた山に登る事が出来た喜びは大きいものでした。当サークルの普段のウォーキング活動に比べると随分ハードでしたが、時にはこういう登山活動も良いものだと思いました。
下見と当日のお世話をしてくださった大村さん、小林(誠一)さん、豊田さん、ありがとうございました。そして加藤さん、最初から最後までの先導役、本当におつかれさまでした。

写真 小林誠一  文 藤原麻子
posted by 奈良まほろばソムリエ at 20:51| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする