2016年05月24日

記紀万葉サークル5月例会「大和高原の夜明け」

5月14日(土)参加者26名

行程: 氷室神社・氷室旧跡・復原氷室 〜 針テラス(昼食休憩) 〜 都祁水分神社 〜 来迎寺 〜 三陵墓古墳 〜 葛神社 〜 毛原廃寺跡  
マイクロバスを使用して、大和高原の主要な史跡を1日でまわる内容の濃い勉強会となりました。

福住町の氷室神社周囲の山には数カ所の氷室群が知られています。水はけのよい尾根の先端に3基1セットとして残る室山の氷室跡は深さも十分で分り易いものでした。仁徳紀の記述は仮託としても、長屋王家木簡に見るように飛鳥〜奈良時代には朝廷(主水司)との関わりにおいて稼働していたものと思われます。

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<室山の氷室跡>

都祁水分神社辺りは大和川水系・木津川水系が源を発する所です。木津川には布目川・笠間川(→名張川)を経て合流します。水分神社境内には、聖武天皇の伊勢行幸における堀越頓宮伝承地や万葉集に詠われた(長田王)山辺御井の伝承地があり、

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<山辺御井伝承地にて>

この辺りが霊亀元年(715)に開かれた「都祁山道」の中継点であった可能性があります。水分神社が10世紀初めに旧社地から当地に遷坐した背景とも考えられます。平安時代には、斎王の帰路に際して都介頓宮が設置されています。瑞垣に囲まれた重文の本殿前に安置された、小さいながら迫力満点の狛犬一対は鎌倉期のものです。

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<鎌倉期の狛犬一対>

小治田安萬侶墓は日当たりのよい南斜面にあります。墓誌にある「右京三條二坊」は現在の大宮通りと秋篠川が交わる辺り、本照寺の北側に当ります。宮に近い好い所に居宅を構えていたわけです。

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<小治田安萬侶墓にて>

来迎寺は現地では無住状態で、近くの檀家さんが管理しておられます。前もって開扉をお願いし、本尊阿弥陀如来坐像(平安後期)・重文の善導大師坐像(鎌倉初期)を拝観することが出来ました。昨年改修された本堂でしたが、古材を巧みに利用した立派なお堂でした。桜井市の瀧川寺社建築が手掛けたそうです。平安時代以降、清和源氏の流れを汲む大和多田一族(宇陀市室生区多田に居住)の菩提寺となっており、境内には2.6mの重文の宝塔や多くの五輪塔が残されています。大和における多様性の一端を垣間見ました。

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<来迎寺門前>

都祁水分神社〜小治田安萬侶墓〜来迎寺〜三陵墓の間はマイクロバスの通行に問題があり、徒歩行程としました。うららかな日差しとそよ風の中、3km程のあいだ都祁野の風景を楽しみました。

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<都祁南之庄辺りを歩く>

都祁野にも幾らかの古墳がありますが、三陵墓はその規模において図抜けています。全長110mの三陵墓東古墳は大和高原・宇陀山地を通じて最大の前方後円墳(5世紀)です。古墳公園として整備された広大な一画では、朝廷の委嘱を受けて長くこの地域を統治した都祁直一族の威勢が甦えり辺りを圧する感がありました。

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<三陵墓東古墳後円部へ>

最終目的地、毛原廃寺跡へは笠間川沿いに30分近くを要します。もう2〜3km先が名張川への合流地点で、まさに僻地まで来た感じです。このような所に突如巨大な礎石群が出現します。記録には全く現れない謎の寺院跡です。鄙びた周囲の情景と礎石群の圧倒的な存在感のコントラストがたまりません。奈良時代のこの辺りは、東大寺要録や東大寺文書に見える笠間庄や板蝿杣(天平勝宝7年、用材確保のため東大寺に施入された)といった東大寺の荘園の中心的位置にあったと思います。寺院は、それら荘園の管理センターのような役割を果たしていたのではないかと考えます。

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<毛原廃寺金堂跡にて>

行程の終りに当り、この辺りが「都祁山道」の出口に相当するように思えてきたものです。この日のFWの成果としたいと思います。東へ下るともう夏見廃寺のある名張です。青山越えをすれば伊勢に至る最短のコースを辿ることになります。

            
(文・写真)記紀万葉サークル 田中昌弘

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2016年03月29日

記紀万葉サークル3月例会「飛鳥の石造物と失われた寺院の記憶をたどる」

3月12日(土) 参加者19名

(コース) 
伝飛鳥板葺宮跡 〜 酒船石遺跡(酒船石・亀形石造物など) 〜 飛鳥資料館(昼食) 〜 山田寺跡 〜 安倍寺跡 〜 青木廃寺跡 〜 稚桜神社 〜 
東池尻遺跡 〜 吉備池廃寺跡 〜 春日神社(桜井市戒重)  
                                      
当日は橿原神宮駅東口に9時20分に集合し、飛鳥をめぐるバスに乗車しました。スタートは、伝飛鳥板葺宮跡からでした。案内役は2月例会でレクチャーされた地元安倍小学校出身の沖田拓司さんで、天候にも恵まれ申し分のない一日になりました。
石造物にも宗教的な背景や土木工事にかけたエネルギーなど、古代に思いを馳せたりしました。

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(亀形石造物の説明を聴く)

飛鳥資料館は現地をめぐるのにとてもわかりやすい展示で、行く度に感心しますが、今回は昼食後に庭園を案内してもらい、レプリカの猿石の裏面にも注目しました。
資料館で山田寺回廊が再現されていたのを見た後だったので、次に行った山田寺跡が感動的でした。岡山からの参加者も含め、総勢4名の女性陣は、ここのロケーションが奈良で一番素敵かもしれないとうるうるしました。

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(飛鳥資料館の庭で)

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(山田寺跡で)

今回とても期待していた青木廃寺跡はなかなか個人では行けない所で、高市皇子や長屋王といった歴史上の人物を思い描くのにぴったりの清浄な地でした。
吉備池廃寺跡から桜井市戒重の春日神社まで足をのばしました。最後は沖田さんによる懐風藻(大津皇子の詩)の朗読で締めくくりとなりました。解散は、桜井駅でした。
たっぷり歩いて学んだ贅沢な飛鳥探訪でした。企画・案内、本当にありがとうございました。

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(青木廃寺跡で古瓦を採取するメンバー達)

(文)記紀万葉サークル 中瀬道美 (写真)同 田中昌弘



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2016年03月12日

雛まつりで華やぐ大和郡山を訪ねて

今回の歴史探訪グループのウォークは「雛まつりで華やぐ大和郡山を訪ねて」をテーマに2016年3月5日(土)に19名の参加で開催いたしました。(写真1)

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1_近鉄郡山駅

寒さも和らぎ快適なウォーク日和のもと、9:30に近鉄郡山をスタート。いたるところに「ひな人形」が飾られ華やぐ街を歩き、(写真2)有名な電話ボックス型の「金魚水槽」(写真3)の前の「郡山八幡神社」へ、「グラブ神社」としての活動も行っており、境内には奉納されたグラブや野球上達祈願の絵馬も。(写真4)
少し歩いて「洞泉寺(とうせんじ)」へ、(写真5)本堂で住職のお話を伺い本尊の重文「阿弥陀三尊像」を拝観。快慶作ともいわれる美しい仏さまに感動して、隣の「源九郎稲荷神社」へ。

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2_ひな人形

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3_電話ボックス水槽

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4_郡山八幡神社

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5_洞泉寺本堂

九郎判官義経が信仰し、その名を贈ったといわれ、日本三大稲荷にもにも数えられる境内でお話を伺う。(写真6)この辺りは細い格子が特徴的な旧「遊廓」の建物が残り、(写真7)その一つの旧「川本邸」を見学。(写真8)ここも今日は全館「ひな人形」で埋め尽くされていました。

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6_源九郎稲荷神社

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7_旧遊廓の建物

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8_川本邸の中庭

「薬園八幡神社」の狛犬や銅灯篭を見学し、きれいに整備された「外堀公園」で昼食、休憩。箱本館「紺屋」前で集合写真後、(写真9)見学。天気も良く道も平坦で予定は順調に進行し、予定より早く「春岳院」へ、秀吉の弟「豊臣秀長」の菩提寺である小さなお寺でにこやかな住職の軽妙な講話に一同大笑い。(写真10)

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9_紺屋前集合写真

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10_春岳院の住職

時間に余裕があるので、「やまと郡山城ホール」で東日本大震災の復興を願って作られた「大仏グラブ」(写真11)を見て郡山城址へ、「盆梅展」は終わり近いが、旧県立図書館前の梅は満開。(写真12)修復中の天守台を望みながらお堀沿いを歩き、柳沢家にゆかりの「永慶寺」を経て、「浦上切支丹流配記念碑」「荒木又衛門旧居跡」から「大納言塚」へ、先ほどの春岳院の住職がお世話をする「豊臣秀長の墓所」の五輪塔です。(写真13)

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11_大仏グラブ

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12_郡山城址の梅

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13_大納言塚

最後は陵墓参考地の「新木山(にきやま)古墳」や点在する「金魚池」を経て、近鉄郡山へ戻る盛りだくさんの一日でした。

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2016年01月16日

記紀万葉サークル1月例会「再見・細見、奈良公園周辺」

1月9日(土) 参加者25名

散策地:東大寺境内・奈良女子大学・猿沢の池周辺・奈良ホテル周辺・奈良教育大学構内・ならまち(十輪院など)

お正月の松の内が明けたばかりの1月例会。 思いの他、たくさんの方が参加されました。かく言う私も久し振りの参加です。最初に今日の案内役、伊藤和雄さんから当日訪れる箇所の案内レジュメをいただきました。訪問場所数だけで54箇所、かなりの数です。

最初に東大寺境内、ここは私達夫婦が散歩で良く訪れる場所です。東塔跡は昨年11月に発掘調査の現地説明会があり、話題になったので、場所は良く知っていました。今回は更に西塔の後も見学出来ました。東塔は平氏の焼き討ちにあった後、鎌倉時代に、より大きい塔に再建され、その後落雷によって焼失しました。西塔は、平安時代に落雷によって焼失したままの様です。いつもの散歩道のすぐ脇に残る西塔跡の小山に登り、往時を偲びました。

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(東大寺東塔の基壇)

法華堂の建物の説明もありました。向かって左半分は天平時代の建物と良く言われていますが、伊藤さんによれば平安期以降の建物に見られる床下の白い盛り上がり「亀腹」があるので、どうなのだろう?とのことです。その後の歴史とかも詳細に調べないと真実はわからないと思いますが、面白い視点だと思いました。

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(二月堂・法華堂前にて)

焼門跡を出て奈良女子大学に向かう途中は佐保川の暗渠の説明がありました。いままで知っていた範囲よりかなり広く驚きました。
奈良女子大学では大学のスケジュールと合わず、学生食堂での昼食とはなりませんでしたが、重要文化財の記念館、守衛室、国の登録有形文化財の佐保会館の外観、奉安殿を見学しました。ちなみに今年3月までは佐保会館で、4月以降は記念館で月1回ランチタイムコンサートが開かれ、2階の大ホールをご覧いただけます。レトロな雰囲気の椅子、天井、窓が楽しめます。地域の一般の方対象ですので、どなたでもご自由に。日にちは奈良女子大学のホームページで御調べ下さい。

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(奈良女子大学構内を行く)

奈良県文化会館で昼食をいただいた後、奈良県庁の屋上から奈良市内を眺めました。天気が良かったので耳成山、大極殿など、遠くまで見渡すことが出来ました。

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(奈良県庁屋上より東を望む)

猿沢の池周辺から奈良ホテルへは近くの瑜伽神社が印象に残りました。
社伝によれば、飛鳥神奈備が平城遷都とともにこの地に移り、この山を平城の飛鳥山と呼んだといいます。高い石段の上にそびえるお社です。飛鳥と平城、都が移り、昔を懐かしむ歴史が繰り返されます。伊藤さんの話ではこの山は隣の奈良ホテルのある山と続いていたとか。真ん中を道路の為に掘り下げられたとのことです。地形も人間の都合でいろいろと変えられていったのが分かります。

奈良教育大学では吉備塚、2008年に発掘調査された新薬師寺金堂跡を見学しました。知識としては知っていても現物を見るのは、実感が湧いて良い物です。教育大学はちょっと殺風景で女子大とはまた違った雰囲気を感じました。 

ならまちでは以前から拝観したいと思っていた石仏龕を見ることが出来ました。写真で想像していたよりも大きく、釈迦如来、地蔵菩薩、弥勒菩薩の表す意味もお坊さんの説明で良く分かりました。

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(十輪院本堂前で時間待ち)

とにかく、たくさんの場所を見学したので書ききれなかった所もたくさんあります。印象に残った所だけを感想として記させていただきました。
3人の人が万歩計を持っていたので、最後に歩いた距離を比べました。人によって10kmから15kmと差がありました。万歩計の精度、設定している歩幅による差と思われますので大体13km程でしょうか。入り組んだ道では回り道もしたので、かなりの距離を歩きました。また奈良盆地東側の山沿いの地域ですので、断層も含め、かなりの高低がある工程でした。長い距離と登り下り、今日は良く眠れそうです。

この散策のため、伊藤さんには半年前から資料や工程の準備を入念にしていただきました。改めて、お礼を申し上げます。

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(奈良県庁玄関前で)

(文)記紀万葉サークル 清水千津子 (写真)同 田中昌弘


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2015年12月14日

「竹内街道を往く」感想記

12/6(日)実施・・・参加者18名

コース : 近鉄上の太子駅→叡福寺(聖徳太子御廟)→用明天皇陵→孝徳天皇陵→ →竹内街道歴史資料館→竹内街道→ろくわたりの道→ →鹿谷寺跡→竹内街道竹内峠→綿弓塚→長尾神社 →近鉄磐城駅で解散

またも雨かという心配しましたが、本日は曇り空。ウォークには最適な環境です。近鉄上ノ太子駅から竹内街道沿いに「竹内街道」の幟が至る所に立ち、随所に案内標示が設置されている。太子町のマンホールには「和を以って貴しと為す」が刻まれている。竹内街道は「日本書記」の推古天皇21年(613年)に「難波より京に至る大道を置く」と記録され、日本最古の官道と言われている。2013年には1400周年を迎えた。

最初に叡福寺・聖徳太子御廟に行く。聖徳太子御廟は径50mの円墳、内部は切石造りの横穴式石室で奥に太子の母穴穂部間人皇后の石棺、手前に太子と太子妃膳郎女の夾紵棺が安置され「三骨一廟」と言うらしい。

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[聖徳太子御廟]

次に用明天皇陵(一辺100mの方墳)を見て、孝徳天皇陵に至る。「うぐいすの陵」と枕草子で紹介されているが、正面までは立ち入れず。孝徳陵に入る街道沿いに「大道旧山本家住宅」がある。入館は11月末までで外からのみの見学となるが、堂々とした「大和棟」の民家である。

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[竹内街道を往く]

太子町立竹内街道歴史資料館では、副館長による、難波宮から大和に至る難波大道→丹比道・竹内街道→横大路に纏わる館内展示の説明を受ける。また、「ろくわたりみち」はけものみちでお勧めできないとのことであった。それで思い出した。澤田瞳子さんの小説「日輪の賦」は、紀伊の国牟婁の評督阿古志連廣手が藤原京に大舎人として出仕するために竹内峠と越え、けものみちを急いだが、盗賊に襲われるところから物語がはじまる。

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[参加のメンバー〜竹内街道歴史資料館]

竹内街道から万葉の森に入り、やや急な坂道を息を荒げながら登ると、鹿谷寺跡にたどり着く。奈良時代の石窟寺院跡で地山を彫り残して作り出した十三重石塔と、やや判りにくいが如来坐像三体を線彫りにした石窟が残る。それから、もう一息、急な坂道を登りきると「展望台」がある。大阪平野、アベノハルカスまで眺望できる。また木々が黄色く色づき爽快気分になる。二上山の紅葉も眼にやさしい。

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[鹿谷寺跡〜十三石塔]

いよいよ竹内峠越え。国道166号線の脇に「従是東奈良縣管轄」の石柱とともに、鶯の関跡の文学碑
 我おもふ こころもつきず 行く春を 越さでもとめよ 鶯の関  康資王母作(司馬遼太郎揮亳)
眼下には、もう畝傍山もみえてくる。古代人は国のまほろばを感じつつ、藤原京の威容に感動し、国の未来に希望を重ねて坂を下って行ったのであろう。竹内の家並みは、旧街道の佇まいを感じさせる。

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[竹内街道の県境の道標]

芭蕉ゆかりの「綿弓塚」の休憩所で小休止。投句用紙が備え付けてあり、一句捻るメンバーも・・・
*綿弓:繰り綿をはじき打って打ち綿にする道具。竹を曲げて弓形にし、弦として古くは牛の筋、のちには鯨の筋を張ったもので、弦を弾いて綿を打つ。また、司馬遼太郎さんの母親の実家(河村家)が近くの街道沿いにある。{街道をゆく}メンバーも司馬さんの話で盛り上がる。

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[芭蕉ゆかりの綿弓塚]

最後の目的地長尾神社は竹内街道・長尾街道から大道「横大路」に連なる西側の入り口で古代主要街道の起点に鎮座することから、交通安全・旅行安全の神社として信仰されている。参拝中、若い夫婦が赤ちゃんを抱いてお宮参り。「絵馬殿」ではたくさんの絵馬が奉納されており、地元の信仰心の厚さが感じられる。長尾神社の鳥居前、予定時刻午後3時30分、参加者全員無事帰着。

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[長尾神社]


文:歴史探訪G 史跡等探訪サークル 松浦忠利   写真:同 小林俊夫


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