2015年07月28日

記紀万葉サークル7月例会「伊勢斎宮を訪ねて−日帰りバスツア−」感想

7月11日(土)参加者35名

昨年の岡山に続く第2回目のバスツァーは梅雨の晴れ間の一日となり暑さも心配されたが、見学をすませればエアコンがきいたバスに逃げ込み、たっぷり休息をとって次の見学地に向かうという快適なパターンで一日を過ごすことができた。

最初の見学地は森神社。対馬にあった亀卜の神太祝詞(ふとのりと)を大和でも祭った神社とのことで、見学の後で学習する斎王の選定が亀卜によったこと、社地を流れる菩提仙川の清流、田中さんのご説明による都祁からのルートとの関係等斎王帰京の禊の場であることは間違いなさそうである。

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(森神社境内社姫大神社にて)

次は夏見廃寺。25年位前に一度来たきりだったので展示館を含め周辺の施設整備が進んでいることにまず驚く。改めて傾斜地に建てられた伽藍配置の特異さを認識する。夏見廃寺の成立の過程に関し富田さんの詳細なご説明を現地でお聞きする。本日現地2回目とのことだが、いつもながらの説得力に感心する。

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(夏見廃寺金堂跡にて)

途中やや渋滞したがメインの目的地伊勢斎宮跡に到着。ご手配頂いた斎宮弁当を頂く。斎王の食事を復元したという新鮮な魚や野菜のおかず、黒米で炊いたご飯等おいしくいただいた。掛けてあった紙に書かれた「君やこし我やいきけむおもほえず 夢や現か寝てかさめてか」という艶めかしい歌が目に付いた。神に仕える斎王とは結びつかないなと思い後で調べて見ると、伊勢物語の「狩りの使い」という有名な章段にある第31代斎王恬子(やすこ)内親王が、「狩りの使い」=在原業平に贈った歌だそうことだった。斎王の長い歴史の中で展開された生身の女性達の人生を物語るエピソードの一つかと思う。

遺構や復元模型がある中心施設付近の見学をして、やや離れた斎王歴史博物館に移動。斎王制度の歴史、遺構、組織、生活振り、伊勢神宮との係り等がよくまとめられており、ほとんど白紙の頭にそれぞれの知識が新鮮だった。なんといっても斎宮が東西7区画、南北4区画に区画された広大な敷地と官僚組織を持つ官衙だったことに驚く。来る前は磐余周辺の宮跡のようなものだとイメージしていたので認識を大いに改めさせられた。

約20分のビデオを見たが、鈴鹿越えの時の牛車の牛の苦しそうな表情が際立っていた。撮影がさぞかし大変だったろうなと思っていたら、後の解説で当時も実際に牛車を人が担ぎ上げたりしたと聞いて納得する。またここは人家や畑等と共生した平城宮跡よりも広い史跡であるとのこと。地元の人々の遺跡に対する敬意が遺跡の保存と史跡指定を為しえたものと思う反面、土地利用や処分に様々な制約があるのかと思うと遺跡の保存と現代の住民の生活とのバランスを改めて考えさせられた。

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(斎宮歴史博物館前にて)

垂水の頓宮跡に着いたときは既に夕闇迫る頃となっていた。この場所が古代も中世も現代も常に交通の要衝だったのだろうなと思いながら交通量の多い国道1号線を渡る。鬱蒼とした森の中の史跡を見学した後帰途に着く。車内で都祁水分神社の解説を田中さんからお聞きして近鉄奈良駅に着いた。

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(垂水斎王頓宮跡にて)

現地で解説して頂いた森神社の宮司さん、斎王歴史博物館の学芸員の方、バスの車内で吉備との係りをご紹介頂いた小川さん、発表と当日の段取りの労をお取りいただいた富田さんと辰馬さん、それと全般の企画、ご手配を頂いた田中さん本当にありがとうございました。

(文)記紀万葉サークル 沖田拓司 (写真)同 田中昌弘

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2015年07月04日

ちょっといい旅『田原本』感想記

6/21(日)実施・・・参加者18名

コース:田原本駅→浄照寺(住職の講話)→本誓寺平野廟→奈良中央信用金庫旧本店→田原本聖救主教会→竹村本家 →鏡作神社→安養寺(快慶作の阿弥陀如来像拝観)→今里浜→八坂神社→唐古・鍵遺跡(楼閣見学) →ながめの丘展望台(昼食)→池神社・千万院→唐古・鍵考古学ミュージアム(学芸員による説明) →津島神社→田原本駅解散

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[浄照寺の山門前でのメンバー大村さんの解説]

田原本駅前の観光ステーション「磯城の里」で2種のパンフレットを頂戴し、雨の少し止んだ9時30分頃出発した。
まず訪ねたのが“田原本御坊”浄照寺、伏見城門を拝領したという山門、賎ヶ岳七本槍のひとり平野権平長泰がこの地を賜り、その子長勝が陣屋を築造。その際 真宗教行寺との間に支配権をめぐって対立、教行寺を箸尾に立ち退かせ(箸尾御坊)て、今の浄照寺があると―と大村さんの解説。

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[浄照寺ご住職のお話〜明治天皇行在の間にて]

期待をもって本堂内に。住職さんが法事に出かける前の寸暇を割いて親切に説明して下さる。浄土真宗の西・東のちがい、浄土宗との違い、「門徒」の信仰熱心さや、“転悪成善”の教え、など。本尊阿弥陀如来立像や幕で見えにくかったが宗祖親鸞の画像御影など間近に拝見して奥の書院に通される。明治天皇や昭憲皇后が行幸された折の部屋、掛け軸の書、襖絵、枯山水の庭、 晴れていれば松林越しに大和三山が見渡せるという景観など皆丁寧に見学ができた。さすが御坊 という名に相応しい祭壇、地元門徒衆に支えられているという事が納得できた。 塀を隔てた「本誓寺」へ。先の平野家の菩提寺で先の二領主の御廟が並んでいる。
次に寺町通りを抜け、「奈良中央信用金庫旧本店」へ。アーチ状の飾り窓など昭和初期銀行建築が判る。

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「奈良中央信用金庫旧本店」

近世中街道を進んで「田原本聖教会」、NHK朝ドラでも使われたそう。 旧名主の「竹村家本家」は桃山期の様式とか。維持も大変のよう。
  
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[鏡作神社での参加のメンバー]

八尾の「鏡作神社」に到着。この辺一帯がかつて鏡鋳造を生業とした鏡作部の住居だった。天照国照彦火明命・石凝姥命・天糖戸命を祀る三殿二合間の流造の千鳥破風連棟式の本殿が間近に見え色彩が鮮やか。 境内で全員の写真一枚。この界隈に石見鏡作神社などもある。

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[安養寺本堂〜快慶作の阿弥陀如来像は収納庫]

「安養寺」では庫裡の快慶壮年期作と云われる秘仏阿弥陀如来立像拝観が目当て。寺の奥さんが数人ずつ庫内へと。目を凝らして成熟したふくよかな全体像、衣文の切金線などを観察する。左足ほぞ外側面に「巧匠安阿弥陀仏」と墨書銘があり、かつX線調査でも快慶の真作と確認されたそう。本堂の本尊阿弥陀如来坐像へも忘れず参拝。←快慶の阿弥陀さんは、撮影禁止でした!

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[田原本鍵地区の五穀豊穣祈願の蛇巻]  

寺川沿いに出て「今里の浜」のあった場所に。雨で水かさが多くソムリエ受験の勉強で、大和川の水運、亀の瀬を境にこの辺りまで魚梁船・下流側が剣先船と学んだことを思い出す。「今里の蛇巻き」は今月の第一日曜日に行われたばかりで真新しい藁の蛇が木立に張り付いて見事。少年達が地区の大人と一緒に町内を担いで行列する新聞記事でも見たが、旧暦5月の節句行事と田植え前の雨乞いも兼ねた行事。伝統とは良いものだと思う。「鍵の蛇巻き」も同じように、ただ写真のように横に広がり頭か尻尾かが地面に巻かれたようにも見える。

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[唐古・鍵遺跡の楼閣] 

国道24号を渡りいよいよ「唐古・鍵遺跡」に向かう。雷雨ともいえる突然の雨の中、傘と資料を携えて復元楼閣を見上げながら、軒先や屋根部の先の曲がり形状の意味を探る。                      
環濠の跡などを探索しつつ裏手から「ながめの里展望台」へ。東屋の席を譲り合いながら昼食をひろげる。
 午後から初瀬川沿いの「池神社・法貴寺千萬院」のお堂を扉越しに覗いて「唐古・鍵ミュージアム」に向かう。        
 
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[鍵・唐古ミューシ゚アム 遠景]

青垣生涯学習センターでもあり地元の方達が熱心に集う中に混じってミュージアムに入館。
ボランティアガイドの案内で二班に分れて説明を聞く。ここでもソムリエの会員さんが活躍している。透明ガラスの床の下に展示された柱穴や柱の遺物、各種の石の道具類、意外と豊富な食物の遺物、マツリをイメージした道具類、楼閣の描かれた土器の破片など 注意深く丁寧に見学できた。

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[津島神社本殿] 
        
ミュージアムで熱心に見学した疲れをやっと晴れた空に癒されながら帰路に。寺川沿いから再び寺町に入り“背割水路”の名残りらしい流れを覗き見ながら「津島神社」まで戻って来た。境内に江戸時代の町割り図が看板として掲げられてあり見入る。かつて牛頭天王を祀っていたが、平野氏の本貫地尾張の津島も同じ牛頭天王を祭神としていたので社名を津島神社に改めたと。夏には盛大に祇園祭が行われるようで、横の公園も整備され、雨上がりの暑い今日の午後 野外ステージ前で子供達が水遊びをしている光景は、この神社が住民に愛されているのがよく分る。            
    
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[田原本の街並み〜懐かしい看板]  

今回はじっくりと田原町の探訪ができた。前半の田原町寺内町の込み入った町並みを、後半は田園の中、目的地点への最短コースを誘導いただき、下見調査の方々の万全の対策に感謝する次第です。

文:歴史探訪G 史跡等探訪サークル 小野哲朗   写真:同 小林俊夫
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2015年05月28日

「秋津洲の道・国見登山・古墳めぐり」感想記

5/17(日)実施・・・参加者20名

コース:
近鉄御所駅→鴨都波神社→野口神社→八幡神社→室宮山古墳→
巨勢山古墳群→日本武尊琴弾原白鳥陵→掖上鑵子塚古墳→
国見山頂(229m)[昼食]→国見神社→三光丸クスリ資料館見学→
市尾宮塚古墳→市尾墓山古墳→近鉄市尾駅

前日の雨模様、翌日の雨予報に挟まれた5月17日(日)は朝から快晴。絶好のウォーキング日和に恵まれ、ツツジの葛城山に向かう人であふれる近鉄御所駅前に集合しました。

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<いつものストレッチ(御所駅前)> 

古い街並みの「御所まち」にかかる「高札」を見て進み、大国主命の子供である「積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)」を祀る「鴨都波神社」へ。ここで禰宜のお話を伺います。

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<鴨都波神社“禰宜のお話を聞きました”> 

高鴨神社とともに「鴨氏」の氏神であり、全国の加茂(鴨)社の根源であるとされているが、鴨氏にもいくつかの系統があり、当社は下鴨神社とのつながりが強い、また近年では春秋に行われる「ススキ提灯献灯行事」が奈良県指定無形民俗文化財に指定され、大阪での「地域伝統芸能フェスティバル」にも参加する、などの話を聞きました。
蛇穴(さらぎ)の野口神社で、かわいい蛇の顔がついた蛇綱を見て南下、この地域最大の前方後円墳で葛城氏の祖・葛城襲津彦の墓ともいわれる「室宮山古墳」へ向かいます。

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<野口神社(蛇縄)“顔のついた蛇縄”> 

巨大な埴輪のレプリカや特徴的な丸い縄掛突起のついた石棺が一部露出する竪穴式石室を覗き込んで葛城氏の権力の大きさを感じました。

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<(宮山石棺)・(石棺内部)“石棺とその内部”> 

「巨勢山古墳群・条池古墳」の石室や、「条ウル神古墳」の案内板を見て、西へ進み「日本武尊琴引原白鳥陵」へ。もとより伝説ですが陵墓指定のため調査はできず「これは本当に古墳?」とおもいながら、周壕がきれいに残る「掖上鑵子塚古墳」の縁をかすめてしばらく歩くと、いよいよ本日最大の難所、「国見山」への登りにかかります。

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<国見山頂〜参加のメンバー“神武天皇のつもりで「国見」”> 

登り口の標高は100m、山頂は229mなので標高差はそれほどでもないのですが、結構急坂や段差の大きい階段もあり、息を切らせてようやく到着。日本書紀に神武天皇が即位後登って国のかたちを望見したと記される「嗛間丘(ほほまのおか)」の碑が立つ頂上で昼食。その名の通り、金剛山・大峰山系の眺めは素晴らしいですが、北側は木の枝が伸び、隙間から畝傍山がわずかに覗ける程度。
休憩後、神武天皇の曾祖父「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」を祀る「国見神社」を経て、「三光丸クスリ資料館」へ

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<三光丸クスリ資料館“大相撲で見られる「懸賞幕」”> 

館長の丁寧な案内で和漢胃腸薬「三光丸」の歴史や展示を見学、「センブリ」「ケイヒ」など漢方の材料は触れて持ち帰ることができ、とても楽しく見学ができる施設でした。

最後は「市尾宮塚古墳」と「市尾墓山古墳」の見学。どちらも石室に入ることはできませんが、外部から見やすいよう照明が設置されています。

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<宮塚古墳“内部は照明が完備”> 

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<きれいに整備された「墓山古墳」> 

ここから、近鉄市尾駅には5分程度、終始好天に恵まれた一日でした。

文と写真:歴史探訪G 史跡等探訪サークル 小林誠一

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2015年04月23日

記紀万葉サークル4月例会「馬見古墳群を巡る」雑感

4月11日(土)参加者18名

記紀万葉サークル4月例会「馬見古墳めぐり」に参加した。前日からの雨は幸い上がり、天気も回復し、爽やかな空気に包まれての道行となった。
この度の例会は、1月例会の毎熊干城さんの報告「柿本人麻呂―高市皇子への挽歌」に関連しての屋外活動であった。
大和盆地の南西部に位置する馬見丘陵は数多くの古墳を擁し、その数もさることながら、築造時期も前期から後期までのものが有り、墳形も規模も様々で、丘陵一帯があたかも古墳の博物館を呈するが如くである。

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(馬見丘陵公園で)

今回案内された古墳は次の9つであった。奈良県内で最大規模の帆立貝式古墳の乙女山古墳、東側半面と墳頂部を築造当初の姿に復元している前方後円墳のナガレ山古墳、馬見丘陵公園の南出口から約1.5km西に位置する大型円墳の牧野古墳、馬見丘陵の中央部にある馬見古墳群で最大規模を誇る前方後円墳の巣山古墳、これも中核をなす大型前方後円墳の新木山古墳、帆立貝式古墳で築造当初の姿に復元整備された三吉石塚古墳、馬見丘陵南奥にある前方後円墳の安部山古墳、馬見古墳群の中では最初に築造されたと考えられている前方後方墳の新山古墳、馬見丘陵の最南部に位置する大型前方後円墳の築山古墳であった。その他道中で遠望した池上古墳(帆立貝式古墳)、文代山古墳(大型方墳)、コンピラ山古墳(奈良県下最大の円墳)の説明もあった。

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(ナガレ山古墳の前で説明を聴く)

これらの古墳を見て感じたことの一端を述べると、なるほど、復元されたナガレ山古墳は築造当初の外観がよく分かるのであるが、私など、古墳の持つ神秘に満ちた雰囲気の中で、そこに眠る古代の人に思いを馳せることを好む人間にとっては、復元古墳にはいささかの違和感がある。これは三吉石塚古墳でも同様。それはさて置きナガレ山古墳の後円部の頂上は眺望がよく、遠く東の三輪山が目に入る。そこに立つと古墳が築かれた時代のこの地域の支配者が大和東方の支配者へ燃やしたであろう対抗意識が分かるような気がした。

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(三吉石塚古墳に登るメンバー達)

牧野古墳では、毎熊さんのご尽力もあって、石室内に立ち入り詳しく観察することができた。石室は大きく、高く、広く、舒明天皇の父である押坂彦人大兄の成相墓と言われる所以が感じ取れた。

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(牧野古墳石室内部)

今回、古墳以外では後期旧石器時代の馬見二ノ谷遺跡、竹取物語に所縁のある讃岐神社、「延喜式」神名帳広瀬郡の「於神社」に比定される於神社、高市皇子の城上の殯宮伝承地である三立岡伝承地も案内していただいた。
本日の屋外活動は毎熊さんの入念な下見や資料作成に負うところが多大であった。馬見丘陵の見事なチューリップ畑を縫っての古墳めぐりは印象深いものとなった。案内に感謝しつつ擱筆する。         


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(最終目的地の築山古墳前で)


(文)記紀万葉サークル 新宮卓 (写真)同 田中昌弘

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2015年03月28日

『信貴山から三帝が登った「倭国高安城」探訪』感想記

3/14(土)実施・・・参加者29名

今回は、記紀万葉サークルと史跡等探訪サークルの合同主催。企画・案内をしてくださったのは記紀万葉Cの伊藤和雄さんです。

コースは、JR王寺駅〜信貴山門〜信貴山門駅跡〜開運橋〜朝護孫寺境内・本堂・空鉢堂〜信貴山雄岳山頂〜倭国高安城倉庫跡〜中世高安城跡〜西ケーブル高安山駅(平坦線高安山駅跡ホーム)〜信貴山門(バス)〜旧東ケーブル信貴山駅跡地直線ハイキング道〜近鉄生駒線信貴山下駅で解散。

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[本日のコースを説明する伊藤さんと参加者〜JR王寺駅]

3月14日、朝起きるとまさかの雨。今日は中止になるかも、と不安に思いながら集合場所のJR王寺駅へ向かうと、既に大勢の方々が集まっておられて一安心でした。10時17分のバスで出発し、終点の信貴山門バス停で降車。雨足の強まる中、伊藤さんご自身の説をまじえた興味深い信貴山解説を拝聴しました。マイクなしでもよく通る伊藤さんの声は迫力満点です!

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[雨の中の開運橋]

大門池に架かる赤い橋。平群町と三郷町にまたがっています。現存最古例の「上路カンチレバー橋」、橋脚はトレッスル構造の貴重な橋で、国の登録有形文化財に選定されています。

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[絵馬堂で見たムカデの絵馬]

朝護孫子寺境内は庶民信仰のメッカ。信貴山といえば「寅」が有名ですが、意外なところで「ムカデ」信仰があります。ムカデは毘沙門天のお使い。「おあし」がたくさんついて金運を呼ぶとの意味でも信仰されてきました。絵馬堂には珍しいムカデの絵馬が掲げられています。
寺内には千手院、成福院、玉蔵院の3つの塔頭寺院がありますが、成福院にあった小さな石室十三仏が印象的でした。県下最古の在銘十三仏だということです。
ここのお寺は今までに何度も訪れた事があるのですが、「かやの木稲荷」、百度石ならぬ「千度石」、「四国八十八ヶ所お砂踏み」など今回初めて見るものも多く興味深かったです。

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[朝護孫子寺本堂]

本堂にあがりお参りです。ご本尊は毘沙門天。前立秘仏・中秘仏・奥秘仏が安置されます。堂内からは大般若祈祷の声が大きく響き渡っていました。本来なら素晴らしい眺望が楽しめるのですが、今日はこの悪天候により、辺り一面白く霞むだけです。

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[信貴山城跡で集合写真]

空鉢護法堂へ続く九十九折りの急な石段をのぼっていきます。水屋の壁にかかっていた、空鉢堂へお水をお供えするためのたくさんのポット、そして石段沿いに建てられたおびただしい数の鳥居が信仰の深さを物語ります。息を切らしながら15分ほどで信貴山城跡に到着。木沢長政が築城、松永久秀が本拠とした県下最大規模の中世城郭です。ここで小休憩、集合写真を撮りました。
さらに5分ほどのぼり、11時45分、空鉢護法堂へ到着。ここが信貴山雄岳山頂(437m)になります。命連上人が龍王の教えを受け、空鉢を飛ばして倉を飛び上がらせ貪欲な山崎長者を諭して福徳を授けたという霊験譚に由来するそうです。説明板には「空鉢さまは毘沙門さまの守護 龍王(みーさん)にましまして・・・」とありました。一願成就の霊験あらたかな「みーさん」にしっかりお参りです。

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[倭国高安城関連倉庫址]

信貴山頂からいったん下り、今度は高安山へ向けて登っていきます。まだ雨は一向にやむ気配がありません。皆さん傘をさしながらの歩行で、資料や地図を見たり、会話をしたりするのがなかなか大変です。ぬかるんだ道に気をつけながら進み12時30分、「高安城倉庫址」到着です。白村江の戦い敗戦後、国防のため大和朝廷が築城した古代山城「高安城」。記録では天智・天武・持統・元明4天皇が行幸しており、また壬申の乱の戦場にもなっています。昭和53年(1978年)、八尾市の市民グループ「高安城を探る会」が倉庫跡と思われる礎石を発見し高安城の遺構かと注目されましたが、調査の結果、大宝元年(701年)の廃城よりも後のものと判明しました。6棟ある倉庫跡のうち2号棟・3号棟の礎石を見学しましたが、まだ謎に包まれたままの幻の古代山城です。
高安山は古代高安城のみならず中世の高安城の跡でもあります。主郭部分である頂上へ向かいました。ここが実は本日最大の難所でした。急斜面に加え折からの雨で地面が滑る、滑る。木の幹や枝をつたいながら、そして何人もの方に引っ張っていただいてかろうじて上ることが出来ました。頂上(488m)には特に何か見所がある訳ではないのですが、貴重な体験になりました。

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[高安山駅ホーム跡]

その後、高安山気象レーダーの前を通り(この裏手には3基の高安山古墳群があるのだそうです)、13時過ぎに高安山駅ホーム跡に到着しました。こちらの解説はやはりこの方、「鉄」(鉄道マニア)の小林誠一さんです。この場所には現在近鉄の西信貴ケーブル高安山駅がありますが、昔はここからさらに信貴山門まで「信貴山急行電鉄」(山上平坦線)が走っていたのだそうです。ケーブルでのぼった山の上を電車が走る。こんなロマンのある鉄道は世界でもスイスのラウターブルネン・ミューレン鉄道とここだけだったそうです。残念ながらこの鉄道は戦時中に不急不要鉄道とみなされ撤去されてしまい、今はその廃線跡をバスが運行しています。
ここでお昼休みにしました。食事中、やっと雨があがり急に日が差してきました。
食後は展望台にのぼり、皆さんで大阪平野一望の景色を楽しみました。あべのハルカスもしっかり確認。さっきまで雨の中を登山していたのが信じられないような青空が広がっていました。
「雨のち晴れ」。雨男として知られる史跡等探訪サークル小林俊夫リーダーさんと、晴れ男の記紀万葉サークル田中昌弘リーダーさん。両サークル合同イベントを象徴するようなお天気だったのかもしれません!?

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[雨も上がり本日の参加者〜展望台から降りてきてバス乗車前に集合写真〜]

14時02分、山下平坦線の廃線跡を走る近鉄バスに乗り、信貴山門バス停まで戻りました。朝、王寺駅から乗ったバスが到着した場所と同じ。振り出しに戻ったような不思議な感覚で、「せっかく晴れたし、もう一回同じコースを行ってみる?」などと冗談を言いながら再度開運橋を渡りました。

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[開運橋より雨もすっかりあがった信貴大橋をのぞむ・下は大門池]

開運橋を渡った後は朝とは逆方向へ。仁王門から外へ出て、千体地蔵を左手に見てしばらく進むと奈良交通バス信貴山停留所へ到着。ここは昭和58年(1983年)まで通っていた近鉄東信貴鋼索線(東信貴ケーブル)の信貴山駅舎でもありました。

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[旧東信貴ケーブル信貴山駅跡からケーブル跡直線ハイキング道を下る]

東信貴ケーブルの廃線跡が遊歩道になっており、そこを下って行きます。ひたすら真っ直ぐ、そして同じような傾斜の下り道が続き、枕木も残っていました。ここがケーブルの跡地であったことが実感出来ます。ケーブルの現役時代を知っているという方もおられました。
そして予定通り15時に近鉄信貴山下駅に到着、解散となりました。こんなお天気でしたが、伊藤さんのパワフルな引率と皆さんの熱意で楽しい活動となりました。今までは信貴山を訪れても朝護孫子寺のお参りだけで帰っていましたが、この日は奥深い探索が出来ましたし、特に交通手段の変遷が非常に興味深かったです。皆さんの泥まみれの靴が相当の悪コンディションでのウォーキングを物語っていましたね。参加者の皆さん、本当におつかれさまでした。これから春本番。両サークルのウォーキング活動が楽しみです。

文 歴史探訪G 藤原 麻子    写真 同 小林 俊夫

posted by 奈良まほろばソムリエ at 19:11| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする