2014年11月22日

11月15日(土)浅田先生第三回講演会(堀辰雄と奈良)

参加者33名の方にお集まりいただき、西大寺駅前・三和シティビル5階会議室に於いて第三回浅田先生による講演会が開かれました。第一回の折口信夫、第二回の井上靖、今回の堀辰雄と奈良の文学を古代の出来事等を中心に書かれた小説を熱のこもった語り口で皆さん熱心に耳を傾けあっという間の90分でした。

20141122_1.jpg

堀辰雄の生い立ちから始まり、震災で母を失い、親しい友人を失い、自身も療養と、その中から生まれた滅び行くもの、壊れ行くもの,自然も人間の心も同じ、日本の古い美しさ、万葉集や今昔物語、霊異記等の古典に傾倒し、とりわけ古代の大和に心注いだ。五条野辺りの菖蒲池古墳を見て万葉集の柿本人麻呂の挽歌を思い鎮魂歌と捉え生と死、切なさなど深い内面の味わいを感じている。そうした気持ちが折口信夫らの影響を受け何度も奈良に足を運ばせているのだろう。二上山、室生寺、斑鳩法輪寺,法起寺、海龍王寺、高畑界隈、特に夫人と訪れた浄瑠璃寺の見過ごしそうな門の奥の塔の九輪、阿弥陀堂の九体仏、咲き誇る馬酔木、蒲公英、何気ない女の会話、残った古代のモニュメントも時代を超え静かに万葉人を思うように第二の自然として成り立っていると語られている。我々も唐招提寺の円柱を見にゆき,「此処こそは私たちのギリシャだ」と、こせこせ生きているのが嫌になったら堀辰雄のように半日過ごしに行きたいものだ。

まほろば会はじめ、ぷらっと会、ソムリエの会、熱心な参加者のおかげで浅田先生の3回の講演会が終わりました。ありがとうございました。次回またよろしくお願いいたします。

次回以降の予告
日時とテーマ
2015年1月17日(土) 大和の民俗芸能その1
2015年2月21日(土) 大和の民俗芸能その2
 時間はいずれも13:30〜15:00。
会場  近鉄大和西大寺駅北側 「サンワシティ 5階」
講師  鹿谷 勲先生

(関 美耶子 記)

posted by 奈良まほろばソムリエ at 19:11| Comment(0) | 講演G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月09日

10月4日(土)浅田隆先生文学講演会(漆胡樽)

浅田隆先生による“名作文学で奈良を楽しみませんか”の講演会第二回目は 井上靖『漆胡樽ほか』であった。折りしも今月から正倉院展が開かれる好タイミングか46名の参加があった。

20141009_1.jpg

20141009_2.jpg

「漆胡樽」は井上靖が新聞記者時代、丁度戦後初めて正倉院の御物を一般人が拝見できる「正倉院展」で、発行予定のグラビアの表紙を飾る美物を探しているとき、目に付き「心にしみ入って消えない」安らぎを覚えた器物だった。その後作家になって、散文詩で「漆胡樽」を書き、その後最初の歴史小説として表わしたものである。

木製黒漆塗の一対の容器でその形は異様で、西域でラクダや馬の背に振り分けて吊るし、水や酒などを入れた皮袋を模った生活の道具と考えたとき、しかもこれが遣唐使によって持ち帰られた数多くの品々の一つで、日本にもたらされてからも千二百年の間、正倉院の中でほんの時たま外気に触れるだけでじっと存在している。この得体の知れぬ“地球に落ちた隕石”のような器物はしかも日本に来る以前の、西域での長い歴史を潜ませている。砂漠地帯で旱魃で河が干上がると、オアシスの水を求めて集落ごと移動する。そして東トリキスタン、匈奴、中国、日本と気の遠くなるような年月を想起させる。

井上靖がこの歴史の重みを踏まえた数々の小説・評論を表わし、「悠久なものへのあこがれと、おそれ」を感じて、人間のドラマとか歴史のドラマとかを全部そこへ象徴的に盛り込んだ手法が凄いと評論家尾崎秀樹氏が対談で述べている。そして井上靖は歴史小説の舞台は「自然のすそに人間が触れている、その接点に何かある」とも述べている。

先生の熱弁が最高潮に達し、時おり甲高い声でこの点を強調されると、小説を読むとき、単にストーリーを追うだけでなく、その底に流れる時代背景と長い時間の流れ、人々の営みなどを思い起こしながら、その文学に浸るべきだと思いました。

さあいよいよ次は11月15日、第三回目「堀辰雄〜奈良への傾斜」楽しみに。

(小野哲朗 記)
posted by 奈良まほろばソムリエ at 22:04| Comment(0) | 講演G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月20日

9/6 浅田隆先生の折口信夫 講演会

20140920_1.jpg

浅田先生の“名作文学で奈良を楽しみませんか”の3回シリーズの第1回目―折口信夫「死者の書」をめぐって―が9月6日(土)にサンワシティ5階で開催された。49名のうちソムリエの会員以外の方が4割近く参加して下さったことは、目指す方向に近いものだった。

浅田先生の講演内容は30分も超過するほどの熱弁だった。大津皇子が眠る「した した した」岩を伝う雫の音、中将姫の魂を呼び寄せる「こう こう こう」という叫びなどの表現は私達を幻想の世界に引き込まれそう。

藤原南家の郎女(中将姫)が極楽浄土の世界を感じ、彼岸中日に、光り輝く雲の上に金色の髪、白い肌をした貴人を見た。墓地に埋葬されている大津皇子の霊が、呼びかけられて五十年の眠りから覚まされて目の前に見たのは、生前慕っていた耳面刀自とも南家の郎女とも見て取れる。姫は裸の貴人に着せ掛ける衣を蓮糸で織り上げ、その布に描き上げた絵こそ曼荼羅であった。

浅田先生の話はこの辺りから宗教的世界に入り込む。彼岸に西空に沈む夕日を拝み極楽浄土を想う日想観の思想、そして聞きなれぬ言葉ですが「景教」についての考察。日本へのキリスト教の伝来は戦国時代の1549年とされ、中国にも天主教の布教は13世紀とされている。しかし実際は東方教会系の「景教」という教えの内容は、唐の時代に早くも伝来されていて、遣唐使や後の空海や最澄らもこの影響を受けている。知らずしらずの中に支那経由の西欧伝来文化の影響下「唐代の衣服を纏うキリスト教的思想」が日本にも早くから入ってきていたとの展開。「死者の書」で南家の郎女と滋賀津彦の出合いと幻想の舞台は折口信夫の心の中に、遠く西域からの景教の思想が描かれているのだろうか。
posted by 奈良まほろばソムリエ at 22:49| Comment(0) | 講演G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする