2017年05月17日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「万葉の植物ウォッチング・奈良公園〜白毫寺」

5月のソムリエンヌの活動は、万葉集に詠まれた植物を観察しながら奈良公園周辺のハイキングです。万葉集には約4500種の歌が収められていますが、そのうちの3分の1に花や植物が詠まれています。ゴールデンウィーク真只中の奈良公園は予想通り観光客で溢れていました。

【行程】
猿沢池―興福寺南円堂―興福寺本坊―江戸三―鷺池―志賀直哉旧居―新薬師寺―昼食「花」―白毫寺―飛鳥中学校前―ささやきの小径―飛火野―雪消の沢解散(歩行距離約10キロ)

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【采女神社にて自己紹介】

5月3日、猿沢池前の采女神社前に集合です。案内は森林インストラクターとしても活躍されている木村洋子さんです。今年ソムリエンヌに入会された大谷さんも参加してくださいました。自己紹介を終えたあと三条通りから興福寺南円堂に通じる参道の階段を登り、南都八景の一つ、南円堂の藤や橘を見学した後、興福寺本坊へと向かいます。

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【興福寺本坊付近にてマツの説明】

0141:磐白の浜松が枝を引き結び ま幸くあらばまた帰り見む
マツは種類が多く、クロマツ(オマツ)とアカマツ(メマツ)が代表的なもので、クロマツの松ぼっくりは成熟するのに2年半かかるそうですが、アカマツは1年半で成熟するとのこと。アカマツとクロマツの簡単な見分け方は樹皮の色を見るか、わかりにくい場合は松葉に触って鋭くて痛いのがクロマツ、柔らかいのがアカマツだそうです。マツはどこに行っても当たり前のように出会うので、このふたつの違いが判るだけでマツに愛着がわきました。

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【江戸三の庭園にて】

人混みを逃れて奈良公園内にある江戸三から浮見堂のある鷺池へと移動します。終わりに近づいていましたが奈良の八重桜が咲いていました。花びらの数が多いのが特徴で、チアガールが持っているボンボンのよう。桜の花の塩漬けに使われるのが八重桜だそうです。奈良の九重桜と花の様子がよく似ていますが、萼(ガク)の数で見分けられるそうです。八重桜は5枚、九重桜は10枚。ちなみにエドヒガン桜(薄墨桜)はガクの下が壺型に丸くなっているのが特徴とか。桜は馴染みの深い花ですが、こんな豆知識を教えてもらいながらウォーキングは盛り上がります。

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【土塀のテイカカズラ】

1046:岩綱のまた変若ちかへりあをによし 奈良の都をまたも見むかも
「岩綱」とはテイカカズラのことで、初夏に良い香りのする白い花を咲かせます。藤原定家が亡くなった後に植物となり、式子内親王の墓に巻きついたのが名前の由来という伝説があるそうです。

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【鷺池の椎の木】

0142:家にあれば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る
歌のように葉に飯を盛ったなら、もっと大きな葉を想像するのですが、椎の葉は長さ8〜9cm、幅4〜5cmです。飛鳥時代、有間皇子が旅の途中に心情を詠んだのでしょう。椎の木の果実はいわゆるドングリですが、このドングリは食べられるそうです。アクが強く食べられないのはコナラやクヌギのドングリで、椎の木のドングリは皮を剥いて生でもOK。フライパンで炒っても美味しいそうです。ちなみに奈良公園から春日山遊歩道にかけてドングリのなる木が10種類以上も確認されているそうです。

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【志賀直哉旧居近くにて】

ハウチワカエデ。葉の形が団扇に似ているのが名前の由来です。

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【高畑、小道で小休憩】

柚子味噌田楽の美味しいお店で休憩です。ご年配のお母さんがおられて、とても親切。お話し好きな方で気持ちを和ませてくれます。

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【モッコウバラ】

見事なモッコウバラに思わず立ち止まります。このバラは八重咲きのトゲのないバラで江戸時代に中国から入って来たようですが、秋篠宮真子様のお印に決められてから有名になったそうです。育てやすいバラなので、家の庭先などでよく見かけます。

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【オドリコソウ】

笠をかぶった踊り子が輪になって踊っているように見えることから名付けられた可憐な花です。道中、珍しい草花や樹木に時おり足を止めながら、新薬師寺から南東へ、能登川の小さな橋を渡って昼食場所の「花」に向かいます。

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【野菜と雑穀、糀の店、花にて記念撮影】

人気メニューの花盆ランチは月替わりで料理のテーマが変わるそうです。酵素補給でモヤモヤした体をスッキリさせてくれる健康ランチを頂きました。彩りもきれいで楽しい食事タイムでした。さて、食事を終えウォーキングの再開です。白毫寺の東、寺山霊園祖霊堂から飛鳥中学校前までの静かな里の道を歩きます。

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【ニガイチゴ】

別名山帰来(サンキライ)は茎には鋭いトゲがあり、猿の体に引っかかり嫌うためこのような名前が付いたそうですが、この若葉で柏餅のカシワの代わりに用いる地域もあるそうです。

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【イラクサ・カワラフジ】

3855:かわらふじに延ひおほとれる屎葛 絶ゆることなく宮仕へせむ
かわらふじはジャケツイバラの事だろうと言われています。茎にトゲのある植物ですが、そのかわらふじにまとい付いて延びるヘクソカズラのように、したたかに絶える事無く宮仕えをしようという意味。これは現代にも通用する歌ですね。

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【ウツギ・空木】

枝を折ってみると中が空洞になっています。名前の由来がわかると難しい植物の名前も覚えやすいです。

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【マルミノヤマゴボウ】

ヤマゴボウといえば食べられそうですが、マルミノヤマゴボウは根の部分に毒性があります。山菜として売られているヤマゴボウはアザミの仲間だそうです。ゴボウといえど色々種類があることに驚きでした。高畑まで戻って来たところで、ささやきの小径(下の禰宜道)と呼ばれる馬酔木の原生林のトンネルを抜けて鹿園を目指します。途中鬱蒼とした森の中を歩き、小さな沢をいくつか渡ります。本当にこんな道で大丈夫?と不安になったところで急に視界がパッと開けた場所にたどり着きました。

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【飛火野】

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【飛火野のフジ】

0330:藤波の花は盛りになりにけり 奈良の都を思ほすや君
かつて春日大社の切り畑があった場所に到着です。ここは奈良公園でも観光客とは無縁の穴場中の穴場です。見事な藤が見頃を迎えていました。藤はノダフジとヤマフジ(フジ)の2種類のみで、山にあるからヤマフジ、藤棚にあるからフジというわけではないそうです。一般的にフジと呼ばれるのはノダフジのこと。ノダフジの花が長く垂れ下がるのに対して、ヤマフジの花は短めでコロンとした感じです。またツルの巻く向きも違っており、真上から見るとノダフジは右巻き、ヤマフジは左巻きだそうです。顔を近づけるとほのかに甘い香りがしました。藤に別れを告げ、鹿園を経て解散場所の雪消の沢へと向かいます。

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【雪消の沢古跡】

本日のウォーキングも無事終了です。充実した春の一日を過ごすことができました。普段なにげなく見ている草花の名前や特徴を知ることで、これからの散策が何倍も楽しくなりそうです。木村さんありがとうございました。


文 女性グループ(ソムリエンヌ)道崎美幸
写真 道崎美幸・寺田麻美
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2017年02月12日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「早春の生駒高山の里」

節分を過ぎたころ、茶筌の里で有名な高山地区を訪れた。学研北生駒駅から富雄川に沿って北に行き高山大橋を過ぎて少し行くと、右手に高山竹林園がある。

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【ソムリエンヌ集合】

付近の刈り取られた田んぼの中に、数十本ずつ直径4,5センチ、長さ130センチ余りに揃えられた竹干しがあちらこちらに見て取れた。淡竹と呼ばれ、甘く柔らかいため、育てるのも難しくそのうえ油抜きから始まり数年かけての干し、寝かす作業は細かで繊細な作業と言われている。

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【竹の天日干し】

竹林園の中は資料館や茶室があり、隔週の日曜日には茶筌の実演を見ることができる。
茶筌師の味削りの見事な手さばきに見とれるばかりであるが、小刀にも少し工夫があると聞いた。以前から気になっていた、茶筅と茶筌のちがいを久保氏に尋ねると、この高山では茶筌というそうだ、“竹を全うする”作り手の心が伝わる言葉に感心した。

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【茶筅制作実演】

高山茶筌は全国シェア90%を占めこの地を納めていた高山氏が村田珠光から茶の指導を受け15世紀には高山の竹を使い考案したものと言われている。没落ののち家臣たちが製法の秘伝を伝え続け現在につなげている。ちなみに東大寺再建の公慶上人はこの高山の最後の当主の第7子だと言われていて、竹林園内の円楽寺跡には公慶上人の御父母の五輪塔が残っている。

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【円楽寺五輪塔見学】

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【案内風景】

竹林園から少し富雄川沿いを南に下るとこんもりとした森が左手に見えてくる、8世紀半ば宇佐八幡宮から入京の途中に頓宮と伝えられる高山八幡宮がこの地に鎮座される。
本殿三間社流造、檜皮葺、重要文化財に指定されている。本殿前には拝殿、その前には18世紀の棟札を持つ舞台もある。前庭の東西には無足人座をはじめ7座の建物が建つ。

この高山八幡宮と深く結びつきがあるのが、富雄川をはさんで向かいにある東大寺別院法楽寺である。古く奈良時代に奈良盆地西北の要として聖武天皇が行基によって開創されたと伝えられる。ご本尊の薬師如来は秘仏で(お正月1週間だけ開帳される)平安時代漆箔の寄木造、像高86.2pのお姿で、再々の火災にもご無事であるところから「火除けの薬師]として霊験あらたかと言われ今も人々の信仰を集めている。
明治の初めごろまで高山八幡宮の御神像であった、木造僧形八幡神座像と神功皇后座像の二体がこの法楽寺に所蔵されていて、鎮守社との深いつながりを感じさせる。
前を流れる富雄川は南に流れ大和川に合流しているが、高山地区は都の西北の守り、重要な場所として奈良から京都への物や人の流通は、今の,交野、枚方を通り淀川へと、北に流れ込む天野川が利用されていたと言い、京都側の沼地を迂回せざるを得ない古の人々の、大切な船の道としてこの辺りも栄えていたであろうとご住職に教えていただく。
今現在の法楽寺は約2年前、棟札銘から1633年に再建された本堂を、約20m下の場所から建物ごと少しずつ持ち上げ、現在の場所へ移動させる大工事であった。以前の場所は日当たりも悪く縁の下の柱は腐りかけ雨漏りもあったそうだ。お寺の伽藍は歴史の受難もあり、1333年兵火で伽藍が消失、そして大仏殿焼き討ちの際にも消失するも、当地の高山氏により再興されたと伝わる。 今現在に至るまで、ご本尊共々伝統建造物を守るため、人々の見えない地道な努力が日々続けられていることを改めて知ることができた。

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【法楽寺本堂】

お寺を後に参道を下りふと振り返ると、ご住職がまだ寒い中立っておられ、春まだ早い富雄川の川面の風も心なしかそよ風に感じられ、ぜひ来年のお正月はお参りさせていただきたく帰路に就いた。

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【法楽寺ご住職】

文 関 美耶子  写真 道崎 美幸
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2016年12月03日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「馬見古墳群―いまむかしー」

11月20日(日)馬見丘陵公園と周辺の古墳を訪ねました。テーマは「馬見古墳群―いまむかしー」。 馬見丘陵公園内外で代表的な古墳を測量図や出土写真・整備中の写真などの資料を元に、過去と現在の古墳の状況を見比べながらの散策でした。

馬見古墳群は、佐紀盾列古墳群、大和柳本古墳群に並ぶ大型古墳群。南部、中央部、北部に分かれ、馬見丘陵公園として整備されている中央部には特別史跡の巣山古墳をはじめとする前方後円墳、大型横穴式石室をもつ大円墳の牧野古墳など大小150もの古墳が集中している。古代には牧として、また古墳として利用されてきたが、長らく天皇家の墓域と考えられて来なかった。幕末の「文久の修陵」事業が行われた際にも馬見古墳群は見落とされていた。明治時代に「大和国古墳墓取調帳」で馬見丘陵内の70基の古墳が取り上げられたが、本格的な調査は昭和に入ってからであったため馬見の古墳は自由に立ち入れた。そこを民有地に、住宅地へと開発された。丘陵近くの約300haがニュータウンとして開発されることとなるが、古墳の破壊を恐れた地元有志の保存運動で多くの古墳が救われた。現在その約65haは馬見丘陵公園として保存されている。

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≪ニュータウン開発前・昭和39年頃≫

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≪施行後・昭和62年頃≫
すさまじい勢いで開発が進んだ様子が判ります。

平成3年に開園した馬見丘陵公園内では様々な古墳が見学できます。国の特別史跡や史跡に指定されているもの、復元整備されているもの、芝生を植えて整備されているもの、位置や形状がわかるように整備されたもの、自然のまま保存されているものなど、バラエティーに富んでいます。

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≪佐味田石塚古墳≫
馬見丘陵公園中央入口付近の県道工事の際に発見され、公園内に移築保存されている竪穴式石室です。草むらにいくつか埋もれているので見つけてみてください。

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≪ナガレ山古墳≫
土取り工事で墳丘の1/4が破壊されましたが、国史跡となり公有地化もされ保存が図られました。ナガレ山古墳の保存とあわせて、馬見丘陵公園の構想が出来上がったそうです。
墳丘東半分が築造当時の姿、西半分は長い年月を経て小山になった姿を表現しています。

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≪円筒埴輪≫
ナガレ山古墳に並べられた埴輪に〇や△、□などの窓があります。どんな意味があるのでしょうか。焼成しやすくするため、たまった雨水を外へ出すための穴など諸説あるようですが、△は魔除けを意味すると寺田さんから説明がありました。すると西川さんから帯や着物の長襦袢の織柄に『三角のウロコ柄』というものがあり、嫁入り道具のひとつだそうで、こちらは『厄除け』を意味するのだそうです。埴輪の三角と着物の三角の織り柄、古来より受け継がれた共通性を感じるような興味深い話題で盛り上がりました。

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≪別所下古墳付近、上池の紅葉風景≫
馬見丘陵公園内は四季折々の自然がいっぱいで、この日は紅葉がとてもきれいでした。

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≪皇帝ダリア≫
昼食はダリア園(彩りの広場)でした。草丈4m〜5mもの高さになる皇帝ダリアは11月下旬から咲き始め、霜が降りる12月中旬まで楽しめるそうです。

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≪佐味田狐塚古墳≫
この古墳については特に興味深く説明に聞き入る。墳丘図面で確認すると縦軸に陸橋が重なっている。

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≪陸橋で繋がれた、前方部と後円部≫
町道の建設時に発見されるが、すでに計画道路は墳丘の裾まで迫っており結局道路によって後円部が寸断された。後円部は公園中央エリアに、前方部は南エリアに位置し陸橋で繋がれています。

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≪道路の緑のラインが古墳の位置を示す≫

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≪昭和2年頃の巣山古墳≫
かつて、墳丘に住宅が数件建っていたそうです。2000年以降、整備のための発掘調査が続けられており、しばしば話題となりましたが、これまで津堂城山古墳しか例のなかった出島状遺構が発見され、そこから水鳥埴輪をはじめ、家形、柵形、蓋形などの形象埴輪が数多く出土しています。また周濠から柱材、板材とともに古代の霊柩船と思われる船の部材が壊して置かれた状態で出土しています。わざわざ壊すという行為は、この世からあの世へ旅立つ者が、この世に戻ってはいけないという意味があるのでは?生前に故人が使っていたお茶碗を葬式で割る風習に通じるような儀式のひとつではないか?と、寺田さんからそんな話題も出ました。
三吉2号墳、タダヲシ古墳を見学後、公園外へ移動。佐味田宝塚古墳―牧野古墳―石ヶ谷古墳を巡ります。

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≪牧野古墳・石室内部見学≫

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≪刳抜式家形石棺・広陵古文化会より供えられる卒塔婆≫
広陵町ボランティアガイドの方に石室内部の説明をして頂きました。石舞台古墳の石室に匹敵する大きさに圧倒されます。築造時期は6世紀末から7世紀頃、馬見古墳群が造られなくなった時代とみられています。ここで寺田さんから古墳クイズが出題されました。問題:古墳の石室を造る際、基準となる石材があります。牧野古墳の場合はどれが最初に置かれた基準石か?など、古墳ネタで盛り上がります。研究者は石室を見ればどの石が基準石なのか解るのだそうです。驚き!

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≪牧野古墳にて記念撮影≫

本日の参加者5名。歩行距離約10km、参加者の清水さんの万歩計は22211歩を示していたそうで驚きでした。アップダウンの少ないコースだったせいでしょうか、心地よい疲れに今夜はよく眠れそうだと笑って解散。案内して頂いた寺田さんありがとうございました。

文・写真 女性グループ(ソムリエンヌ) 道崎 美幸

posted by 奈良まほろばソムリエ at 11:43| Comment(0) | 女性G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする