2017年08月31日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「2017年夏休み家族体験教室in新沢千塚古墳群」(2回目)

8月19日(土)、ソムリエの会と歴史に憩う橿原市博物館との共催企画「夏休み家族体験教室2017 古墳と土器でドキドキわくわく体験」2回目を実施しました。
参加者は26名。内、子供は12名。ソムリエンヌは5名、啓発グループから2名出席。土器復元、紙芝居・古墳散策は2班に分かれ、展示案内を合同で各40分。10時半から12時半まで行いました。

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<受付時の様子>

道崎理事が持ってきた古墳クッションは大人気で抱きしめたり、押したり、チャックを開けたりとにぎやかに受付が始まりました。

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<古墳クッション>

◇土器復元◇
今回は曲川遺跡と新堂遺跡から出土した土器を使用しました。
新堂遺跡は大型店舗建設のため平成28年5月から平成29年2月まで調査され、5世紀の河道から大量の須恵器が出土されたことで話題となった遺跡です。

始めはなかなか合わず「向いてないのかなぁ」なんて話していましたが、かけらはたくさんあって、袋を差し替えて根気よくチャレンジしました。

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<親子でW成功!>

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<くっつくかなぁ? どうかなぁ?>

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<接着剤塗布は慎重にやります>

◇紙芝居・古墳散策◇
「古墳ってな〜に?」「どんなかたちがあるの?」「古墳作りの様子」をパワーポイントでスライド6枚作成し、紙芝居仕立てで説明します。

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<1班の紙芝居風景>

2班の紙芝居実演では古墳の形を説明する場面で先に答えられてしまい、ソムリエンヌはたじたじでしたが、子供たちの積極的な姿勢でお互いの距離が近くなりました。

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<2班の紙芝居風景>

紙芝居の後は、学芸員さんによる古墳案内です。
南群は草が生い茂って歩行が困難と判断し、北群の126号墳に向かいました。

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<北群案内板前で説明>

126号墳は、東西約22m、南北約16m、高さ約1.5mの長方墳です。
透明なガラス椀、コバルトブルーのガラス皿、青銅製熨斗(アイロン)が出土したことで有名ですが、かけらも含めて全て国の重要文化財に指定されています。

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<126号墳の墳丘に上がります>

◇展示案内◇
学芸員さんより縄文時代から古墳時代を中心に人々はどんな生活をしていたのか、出土品を基に説明があったあと、思い思いに展示品を見て回りました。
土偶と埴輪の違いは?井戸枠の板はなぜ穴があるの?など話している内に、あっという間に時間がたちました。

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<展示品にくぎづけ>

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<記念にぱしゃ!>

心配していた熱中症になる人もなく皆元気で終えることができました。
子どもを対象にしたイベントとして企画・宣伝・紙芝居作成など手さぐり状態でしたが、古墳に興味がある参加者が多く、子どもたちも楽しみにしていたと聞くと、やってよかったなと思いました。
宿題代行ビジネス、ネット情報がありふれている中、子供たちが自分で体験し何かを感じ取ることができた一日だったのではないでしょうか?

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<参加者集合写真>

文:女性グループ 寺田麻美
写真:同 大谷巳弥子 寺田麻美

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2017年08月15日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「2017年夏休み家族体験教室in新沢千塚古墳群」

7月30日(日)、歴史に憩う橿原市博物館との共催で子供を対象にしたイベント「古墳と土器でドキドキわくわく体験」一回目が行われました。

参加者は5組11名。ソムリエンヌからは6名、啓発グループからは3名の出席がありました。10時半開始、紙芝居・古墳散策→博物館展示案内→土器復元の順に各40分実施されました。

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<開催のあいさつ>

古墳ってなんだろう?どんな種類があるのかな?どうやって作るのかな?を紙芝居を使ってお話しします。

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<紙芝居>

お話し終了後、外に出て南群に向かいます。
南群には新沢千塚古墳群では珍しい横穴式石室・221号墳が復元されています。

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<復元古墳>

散策後、博物館に戻り学芸員さんによる展示品の案内がありました。
126号墳埋葬施設復元イメージコーナーでは、埋葬者は男性か女性か想像をふくらましていました。

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<展示室案内>

最後はメインイベントの土器復元体験です。
その前に本物の土器を持たせてもらいました。思ったより重いのでびっくりです。

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<土器ふれあい1>

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<土器ふれあい2>

土器くっつけ体験は、復元された土器をバラバラにしてまたくっつけるのではなく、同じ遺跡内から出土したたくさんの破片の中から、色・模様を見て元の土器がどんな形か?大きさはどれくらいか?をイメージしながら合うものを探していきます。
今回の復元は橿原市曲川遺跡で出土したかけらを使います。
小さいですが、全て文化財です。

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<家族で共同作業>

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<くっついた!!>

組み合わさった瞬間は拍手が起こります。
今日はあちこちで歓声があがりました。
くっついたら市販の接着剤を付けクリップで固定します。

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<復元成功例>

テーブルいっぱいのかけらがあっても、なかなか合わせることが出来ない日もあるそうですが、今日は参加者全員組み合わせることができた‘大収穫’の日でした。

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<記念撮影>

各工程終了後には参加証にシールを貼っていきました。3つ終わると最後にソムリエの会のロゴマーク入りシールを貼り完成です。紙芝居と共に今イベントのソムリエンヌオリジナルです。

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<参加証7月30日>

8月19日(土)には、「古墳と土器でドキドキわくわく体験」二回目が行われます。
この体験が夏休みの思い出の1つになり、考古学に興味を持つきっかけになれば良いなと話しながら定刻の12時半に終了しました。

文: 女性グループ 寺田麻美
写真: 同 寺田麻美 道崎美幸

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2017年06月11日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「筋違道と三宅古墳群―ミヤケの夜明け―」

6月3日(土)、梅雨入り前の爽やかな青空のもと、近鉄橿原線結崎駅前に集合しました。
結崎駅から西に1q余りの糸井神社から、筋違道(太子道)を南へ黒田大塚古墳まで歩き、午後は太子道の西側にあたる三宅古墳群を訪ねながら北上するコースです。

案内は、このツアーを企画・準備して下さった寺田麻美さんです。また、三宅町ボランティアガイドの寺田良清さんも同行して下さり、こちらからも丁寧な説明を頂きました。

【行程】
近鉄結崎駅―糸井神社―≪筋違道≫―黒田大塚古墳(昼食)―天王塚古墳―芝ぞえ古墳―瓢箪山古墳―アンノ山古墳―高山古墳―茄子塚古墳―寺の前古墳―島の山古墳―比売久波神社―近鉄結崎駅

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≪あざさ(学名 アサザ)≫

『万葉集』に詠われ、『日本書紀』にも登場するあざさが見頃を迎えていました。
初夏から初秋にかけて咲く水草ですが、準絶滅危惧種に指定されています。

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≪糸井神社≫

糸井神社のご祭神は豊鋤入姫命とされていますが、社伝には機織り技術集団の神を祀ったとも伝えられています。
社名からも織物と関わっていたことが想像されます。

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≪下が、雨乞いなもで踊りの絵馬≫

この地域は、飛鳥川や寺川などが大和川に注ぐ低湿地の穀倉地帯でありながら、後背の山地が深くないので、日照りが続くと深刻な水不足に悩まされていました。
糸井神社に奉納された絵馬には、雨乞いのためのものもありました。上の雨乞いなもで踊りの絵馬では太鼓をたたき、村人がお揃いの衣装で踊っています。
また、池にお寺の鐘を放り込む様子を描いた絵馬もありました。これは他所の雨乞いでも見られた行為のようです。

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≪伴堂杵築神社に奉納された、おかげ踊り絵馬≫

糸井神社以外にも、太子道沿いの伴堂杵築神社や屏風杵築神社に、おかげ踊りやおかげ参りなどの絵馬が奉納されていました。

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≪桑の実≫

太子道沿いには桑の木があって、赤く色づいていました。食べられるのは黒くなってきた実ですが、甘酸っぱくて、ちょっと病み付きになってしまいました。

ところで、太子道は、聖徳太子が斑鳩と飛鳥を往来した道との伝承があり、条里制の地割りに北から西に約20度振れているので、筋違道とも呼ばれています。
この太子道建設に、秦氏が関わったのではないかと考える研究者もいます。
私たちが最後に訪れた「比売久波(ひめくわ)神社」は桑の葉を祭神としていますし、糸井神社の存在と言い、養蚕や機織りに関係の深かった秦氏が関係していたとしても不思議ではありません。

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≪忍性菩薩御誕生之地の石碑の前で≫

忍性(1217〜1303)は三宅町屏風の生まれで、叡尊の弟子となり、ハンセン病患者等のために北山十八間戸を創設するなど、慈善救済事業に精進した高僧です。
平成13年に、太子道沿いに誕生の地の石碑が建てられました。
石碑の前で、三宅町ボランティアガイドの会長森内さんとそのお嬢さんが、忍性の生涯を描いた紙芝居を上演して下さいました。絵もとても上手で、楽しく聞かせていただきました。

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≪シーフードカレー弁当≫

昼食は、三宅町伴堂の「やまぐち 菜彩(さいさい)」で予約しておいたお弁当を、近鉄田原本線黒田駅近くの黒田大塚古墳でいただきました。
お肉系orお魚系かが選べます。写真のサイズで500円、もう一回り小さいレディスサイズが440円で、おかずが充実していて美味しい、イチ押しのお弁当です。

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≪田んぼの広がる低地に古墳が点在≫

午後は、黒田大塚古墳(所在は田原本町)から古墳巡りを開始しました。
飛鳥川と寺川にはさまれた標高45〜50mほどの沖積地に古墳が点在しているので、道も平坦で歩きやすく、田園風景を楽しむことができました。

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≪三宅古墳群の位置 「倭屯倉地帯の古墳群」より≫

『和名類聚抄』に見える「城下郡三宅郷」が現在の三宅町一帯であり、三宅郷には大和朝廷の大王の直轄地「倭屯倉」が置かれていたと考えられています。
現在17基からなる三宅古墳群は、ほとんどが小規模ながら前方後円墳が8基で、その割合が高いことが特徴です。
被葬者については、倭屯倉と何らかの関係があった人物たちと考えられています。

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≪黒田大塚古墳≫

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≪黒田大塚古墳『前方後円墳集成』より≫

6世紀前半頃の前方後円墳で、奈良県史跡に指定されています。
よく整備されていて、墳丘上に上ることもできましたが、著しく削平されています。復元(上図の点線部分)では墳丘全長70mですが、現在の全長は約55mです。
円筒形、朝顔形などの埴輪や木製品が出土しています。

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≪天王塚古墳≫

現在は直径16mの円墳ですが、築造時期などは不明です。

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≪芝ぞえ古墳≫

芝ぞえ古墳は上部を大きく削平されて、現在は畑地になっています。
現在は直径約30mの不整円形で、前方後円墳の後円部かとも考えられているものの、詳しいことはわかっていません。

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≪瓢箪山古墳≫

瓢箪山古墳は前方後円墳でありながら削平が大きいために、現在は墳丘全長35mの細長い楕円形になっています。
草をかきわけて上ることができました。上に祠があります。

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≪平成28年の瓢箪山古墳現地説明会資料より≫

瓢箪山古墳は、近年、三宅町として初の学術調査が行われた古墳です。
特に第2次調査では、女性の人物埴輪や犬の埴輪が出土しました。
調査の結果、築造時期が6世紀前半に絞られるとともに、墳丘全長約40mの上図のような姿であることがわかりました。
他の古墳についても三宅町が順次調査をしていく予定とはいえ、全ての古墳が調査対象となっているわけではありません。実態把握と保存のためにも、調査が広く進むことが望まれます。

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≪アンノ山古墳の後円部≫

アンノ山古墳は、現在墳丘全長40.5mの盾形になっており、わずかに後円部の丸みが前方後円墳の形を残しています。
築造時期等、詳しいことはわかっていません。
周濠だったと思われる所は田んぼになっていて、田植えをされていました。

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≪高山古墳≫

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≪高山古墳『大和前方後円墳集成』より≫

高山古墳は北側が町道で削られているものの、三宅町内では唯一前方後円形を残しています。
しかし、柵越しにしか見られず、木も茂っているので全体の形は確認できませんでした。
墳丘全長51m。5世紀末の築造と推定されています。

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≪茄子塚古墳≫

周囲はすっかり田畑になっており、直径18mの墳丘が残っているだけなので、円墳か前方後円墳かもわかっていません。
出土した須恵器から、5世紀後半から6世紀初頭の築造と考えられています。

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≪寺の前古墳≫

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≪寺の前古墳『大和前方後円墳集成』より≫

寺の前古墳も削平のため楕円形になっていますが、前方後円墳です。現在の墳丘全長は34m。
円筒埴輪片や家形埴輪片が出土しており、6世紀初頭の築造と考えられます。
明治初期に盗掘にあった際の記録によれば、花崗岩の石室に凝灰岩の石棺があり、冑も発見されていたとあります。

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≪島の山古墳≫

三宅古墳群の中では最も北に位置し(所在は川西町)、墳丘全長190mの巨大前方後円墳で、国史跡です。
今回訪ねた古墳群の中で、唯一水をたたえた周濠をもつ、別格の大きさの古墳でした。
約2500の玉類、150近くの緑色凝灰岩製の腕飾類が出土したことで有名です。
被葬者は女性司祭者であった可能性が高いとされていますが、具体的には絞られていません。
4世紀末から5世紀初頭の築造だと考えられています。

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≪比売久波神社境内にある天井石≫

島の山古墳のすぐ横にある比売久波神社では、島の山古墳の石棺の天井石が、敷石として転用されています。

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≪説明して下さる寺田さん≫

比売久波神社を最後に、太子道&三宅古墳群を巡る行程を終えました。
三宅町は面積4.06㎢の、奈良県で最も狭い市町村とのことですが、条里制の地割も残っており、今回は訪問できなかった所も含めて、古代の大和が凝縮されている地域であると感じました。
今後、多くの方達がこちらを訪問され、またさらに遺跡調査などが進められることを期待いたします。
最後になりましたが、お世話になりました三宅町ボランティアガイドの森内さん、寺田さんにお礼申し上げます。


文 女性グループ  岡村幸子
写真 同  岡村幸子 道崎美幸 寺田麻美

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2017年05月17日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「万葉の植物ウォッチング・奈良公園〜白毫寺」

5月のソムリエンヌの活動は、万葉集に詠まれた植物を観察しながら奈良公園周辺のハイキングです。万葉集には約4500種の歌が収められていますが、そのうちの3分の1に花や植物が詠まれています。ゴールデンウィーク真只中の奈良公園は予想通り観光客で溢れていました。

【行程】
猿沢池―興福寺南円堂―興福寺本坊―江戸三―鷺池―志賀直哉旧居―新薬師寺―昼食「花」―白毫寺―飛鳥中学校前―ささやきの小径―飛火野―雪消の沢解散(歩行距離約10キロ)

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【采女神社にて自己紹介】

5月3日、猿沢池前の采女神社前に集合です。案内は森林インストラクターとしても活躍されている木村洋子さんです。今年ソムリエンヌに入会された大谷さんも参加してくださいました。自己紹介を終えたあと三条通りから興福寺南円堂に通じる参道の階段を登り、南都八景の一つ、南円堂の藤や橘を見学した後、興福寺本坊へと向かいます。

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【興福寺本坊付近にてマツの説明】

0141:磐白の浜松が枝を引き結び ま幸くあらばまた帰り見む
マツは種類が多く、クロマツ(オマツ)とアカマツ(メマツ)が代表的なもので、クロマツの松ぼっくりは成熟するのに2年半かかるそうですが、アカマツは1年半で成熟するとのこと。アカマツとクロマツの簡単な見分け方は樹皮の色を見るか、わかりにくい場合は松葉に触って鋭くて痛いのがクロマツ、柔らかいのがアカマツだそうです。マツはどこに行っても当たり前のように出会うので、このふたつの違いが判るだけでマツに愛着がわきました。

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【江戸三の庭園にて】

人混みを逃れて奈良公園内にある江戸三から浮見堂のある鷺池へと移動します。終わりに近づいていましたが奈良の八重桜が咲いていました。花びらの数が多いのが特徴で、チアガールが持っているボンボンのよう。桜の花の塩漬けに使われるのが八重桜だそうです。奈良の九重桜と花の様子がよく似ていますが、萼(ガク)の数で見分けられるそうです。八重桜は5枚、九重桜は10枚。ちなみにエドヒガン桜(薄墨桜)はガクの下が壺型に丸くなっているのが特徴とか。桜は馴染みの深い花ですが、こんな豆知識を教えてもらいながらウォーキングは盛り上がります。

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【土塀のテイカカズラ】

1046:岩綱のまた変若ちかへりあをによし 奈良の都をまたも見むかも
「岩綱」とはテイカカズラのことで、初夏に良い香りのする白い花を咲かせます。藤原定家が亡くなった後に植物となり、式子内親王の墓に巻きついたのが名前の由来という伝説があるそうです。

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【鷺池の椎の木】

0142:家にあれば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る
歌のように葉に飯を盛ったなら、もっと大きな葉を想像するのですが、椎の葉は長さ8〜9cm、幅4〜5cmです。飛鳥時代、有間皇子が旅の途中に心情を詠んだのでしょう。椎の木の果実はいわゆるドングリですが、このドングリは食べられるそうです。アクが強く食べられないのはコナラやクヌギのドングリで、椎の木のドングリは皮を剥いて生でもOK。フライパンで炒っても美味しいそうです。ちなみに奈良公園から春日山遊歩道にかけてドングリのなる木が10種類以上も確認されているそうです。

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【志賀直哉旧居近くにて】

ハウチワカエデ。葉の形が団扇に似ているのが名前の由来です。

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【高畑、小道で小休憩】

柚子味噌田楽の美味しいお店で休憩です。ご年配のお母さんがおられて、とても親切。お話し好きな方で気持ちを和ませてくれます。

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【モッコウバラ】

見事なモッコウバラに思わず立ち止まります。このバラは八重咲きのトゲのないバラで江戸時代に中国から入って来たようですが、秋篠宮真子様のお印に決められてから有名になったそうです。育てやすいバラなので、家の庭先などでよく見かけます。

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【オドリコソウ】

笠をかぶった踊り子が輪になって踊っているように見えることから名付けられた可憐な花です。道中、珍しい草花や樹木に時おり足を止めながら、新薬師寺から南東へ、能登川の小さな橋を渡って昼食場所の「花」に向かいます。

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【野菜と雑穀、糀の店、花にて記念撮影】

人気メニューの花盆ランチは月替わりで料理のテーマが変わるそうです。酵素補給でモヤモヤした体をスッキリさせてくれる健康ランチを頂きました。彩りもきれいで楽しい食事タイムでした。さて、食事を終えウォーキングの再開です。白毫寺の東、寺山霊園祖霊堂から飛鳥中学校前までの静かな里の道を歩きます。

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【ニガイチゴ】

別名山帰来(サンキライ)は茎には鋭いトゲがあり、猿の体に引っかかり嫌うためこのような名前が付いたそうですが、この若葉で柏餅のカシワの代わりに用いる地域もあるそうです。

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【イラクサ・カワラフジ】

3855:かわらふじに延ひおほとれる屎葛 絶ゆることなく宮仕へせむ
かわらふじはジャケツイバラの事だろうと言われています。茎にトゲのある植物ですが、そのかわらふじにまとい付いて延びるヘクソカズラのように、したたかに絶える事無く宮仕えをしようという意味。これは現代にも通用する歌ですね。

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【ウツギ・空木】

枝を折ってみると中が空洞になっています。名前の由来がわかると難しい植物の名前も覚えやすいです。

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【マルミノヤマゴボウ】

ヤマゴボウといえば食べられそうですが、マルミノヤマゴボウは根の部分に毒性があります。山菜として売られているヤマゴボウはアザミの仲間だそうです。ゴボウといえど色々種類があることに驚きでした。高畑まで戻って来たところで、ささやきの小径(下の禰宜道)と呼ばれる馬酔木の原生林のトンネルを抜けて鹿園を目指します。途中鬱蒼とした森の中を歩き、小さな沢をいくつか渡ります。本当にこんな道で大丈夫?と不安になったところで急に視界がパッと開けた場所にたどり着きました。

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【飛火野】

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【飛火野のフジ】

0330:藤波の花は盛りになりにけり 奈良の都を思ほすや君
かつて春日大社の切り畑があった場所に到着です。ここは奈良公園でも観光客とは無縁の穴場中の穴場です。見事な藤が見頃を迎えていました。藤はノダフジとヤマフジ(フジ)の2種類のみで、山にあるからヤマフジ、藤棚にあるからフジというわけではないそうです。一般的にフジと呼ばれるのはノダフジのこと。ノダフジの花が長く垂れ下がるのに対して、ヤマフジの花は短めでコロンとした感じです。またツルの巻く向きも違っており、真上から見るとノダフジは右巻き、ヤマフジは左巻きだそうです。顔を近づけるとほのかに甘い香りがしました。藤に別れを告げ、鹿園を経て解散場所の雪消の沢へと向かいます。

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【雪消の沢古跡】

本日のウォーキングも無事終了です。充実した春の一日を過ごすことができました。普段なにげなく見ている草花の名前や特徴を知ることで、これからの散策が何倍も楽しくなりそうです。木村さんありがとうございました。


文 女性グループ(ソムリエンヌ)道崎美幸
写真 道崎美幸・寺田麻美
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2017年02月12日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「早春の生駒高山の里」

節分を過ぎたころ、茶筌の里で有名な高山地区を訪れた。学研北生駒駅から富雄川に沿って北に行き高山大橋を過ぎて少し行くと、右手に高山竹林園がある。

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【ソムリエンヌ集合】

付近の刈り取られた田んぼの中に、数十本ずつ直径4,5センチ、長さ130センチ余りに揃えられた竹干しがあちらこちらに見て取れた。淡竹と呼ばれ、甘く柔らかいため、育てるのも難しくそのうえ油抜きから始まり数年かけての干し、寝かす作業は細かで繊細な作業と言われている。

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【竹の天日干し】

竹林園の中は資料館や茶室があり、隔週の日曜日には茶筌の実演を見ることができる。
茶筌師の味削りの見事な手さばきに見とれるばかりであるが、小刀にも少し工夫があると聞いた。以前から気になっていた、茶筅と茶筌のちがいを久保氏に尋ねると、この高山では茶筌というそうだ、“竹を全うする”作り手の心が伝わる言葉に感心した。

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【茶筅制作実演】

高山茶筌は全国シェア90%を占めこの地を納めていた高山氏が村田珠光から茶の指導を受け15世紀には高山の竹を使い考案したものと言われている。没落ののち家臣たちが製法の秘伝を伝え続け現在につなげている。ちなみに東大寺再建の公慶上人はこの高山の最後の当主の第7子だと言われていて、竹林園内の円楽寺跡には公慶上人の御父母の五輪塔が残っている。

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【円楽寺五輪塔見学】

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【案内風景】

竹林園から少し富雄川沿いを南に下るとこんもりとした森が左手に見えてくる、8世紀半ば宇佐八幡宮から入京の途中に頓宮と伝えられる高山八幡宮がこの地に鎮座される。
本殿三間社流造、檜皮葺、重要文化財に指定されている。本殿前には拝殿、その前には18世紀の棟札を持つ舞台もある。前庭の東西には無足人座をはじめ7座の建物が建つ。

この高山八幡宮と深く結びつきがあるのが、富雄川をはさんで向かいにある東大寺別院法楽寺である。古く奈良時代に奈良盆地西北の要として聖武天皇が行基によって開創されたと伝えられる。ご本尊の薬師如来は秘仏で(お正月1週間だけ開帳される)平安時代漆箔の寄木造、像高86.2pのお姿で、再々の火災にもご無事であるところから「火除けの薬師]として霊験あらたかと言われ今も人々の信仰を集めている。
明治の初めごろまで高山八幡宮の御神像であった、木造僧形八幡神座像と神功皇后座像の二体がこの法楽寺に所蔵されていて、鎮守社との深いつながりを感じさせる。
前を流れる富雄川は南に流れ大和川に合流しているが、高山地区は都の西北の守り、重要な場所として奈良から京都への物や人の流通は、今の,交野、枚方を通り淀川へと、北に流れ込む天野川が利用されていたと言い、京都側の沼地を迂回せざるを得ない古の人々の、大切な船の道としてこの辺りも栄えていたであろうとご住職に教えていただく。
今現在の法楽寺は約2年前、棟札銘から1633年に再建された本堂を、約20m下の場所から建物ごと少しずつ持ち上げ、現在の場所へ移動させる大工事であった。以前の場所は日当たりも悪く縁の下の柱は腐りかけ雨漏りもあったそうだ。お寺の伽藍は歴史の受難もあり、1333年兵火で伽藍が消失、そして大仏殿焼き討ちの際にも消失するも、当地の高山氏により再興されたと伝わる。 今現在に至るまで、ご本尊共々伝統建造物を守るため、人々の見えない地道な努力が日々続けられていることを改めて知ることができた。

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【法楽寺本堂】

お寺を後に参道を下りふと振り返ると、ご住職がまだ寒い中立っておられ、春まだ早い富雄川の川面の風も心なしかそよ風に感じられ、ぜひ来年のお正月はお参りさせていただきたく帰路に就いた。

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【法楽寺ご住職】

文 関 美耶子  写真 道崎 美幸
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