2020年02月29日

史跡探訪グループ 「粟原の古墳と粟原寺跡を訪ねる」

2020年2月15日
近頃ではめずらしく梅雨のような雨が続き、開催日の天候が心配でしたが、前々日からの雨は止むも、当日はまだ雨が心配な空模様でした。
もう一つ心配がありました。探訪グループは長く休んでいましたので、本当に参加して頂けるかです。1週前に募集を締めましたら31名の方々の参加申込があり、ホットしました。当日欠席された方2名を含め合計27名の参加となりました。

最初に訪れる予定の花山塚古墳は笠間辻のバス停を降りてすぐ、ケモノ道のような登り坂があり、ここしばらくの雨降りを考え、また帰路に車の激しい国道を多人数で下ることも考え、花山塚古墳の訪問を中止としました。花山塚古墳は今回の目玉でしたので、参加者から不満の声が掛かりましたが安全大第一を優先しました。(またチャンスをみて、再挑戦しなければと強く思いました。)

粟原寺跡は談山神社に保存されている三重塔の伏鉢に「比売朝臣額田」の銘があり、額田王女と伝わっています。十三重石塔の側に額田王女と大海人皇子の子弓削皇子の万葉歌碑があります。この万葉歌はストレートに読むと恋歌のようですが、額田王女60才台、弓削皇子20才台で、共に大海皇子を偲んだ歌と解釈したほうが歌の深みがあります。
これから訪ねる石位寺、鏡王女墓、玉津島明神、忍坂坐生根(いくね)神社には額田王女の伝説が潜んでいます。本日の額田王女との最初の出会いとなりました。

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【粟原寺跡万葉歌碑】

石室まで光が届いている越塚古墳は、暗闇の赤坂天王山古墳の石室構造を学ぶに都合のよい古墳でした。羨道と玄室の構造もほぼ同じですが、越塚は羨道が短く、玄室内の礫石の撒かれ方がまとまっていて、羨道と石室の区分がよくわかります。石棺は双方とも二上山白石の家形石棺ですが、越塚は組合式家形石棺で、石棺壁の一部が残っていて、溝が刻まれて石板の組合せ方が分かります。天王山は刳抜式家形石棺です。
天王山古墳は崇峻天皇の生前に造られた寿陵で、崇峻が殺害され、殯もなく日を待たずに葬られました。天王山古墳は崇峻が仮に埋葬された墓で、数年後に法隆寺の藤ノ木古墳に葬られたとする森浩一さんの説を披露しました。刳抜式石棺の前に、盗掘するには大きすぎる穴が開いていて、森浩一さんはこの穴から崇峻の遺体を外へ運んだと推定しています。よく見るとこの穴の周りに四角形に石壁が薄く削られています。前もって遺体を移すために削っていたかもしれない。また、このような大型石室・石棺の古墳で、副葬品が全く発見されていないことも、前もって改葬が考えられていたと考えても不思議ではないでしょう。なお法隆寺では現在の藤ノ木古墳を「陵山古墳・みささぎやまこふん」とよび明治政府から干渉されるまで崇峻天皇として祭祀を行っていたそうです。

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【天王山古墳入り口】

石位寺本尊の三尊石仏は修繕もかねて東京国立博物館へ貸し出し中です。東京国立博物館でこの三尊石仏を拝観されて、東京から参加された会員の方が見えられとても嬉しく思いました。
桜井にお住まいの東田さんの計らいもありまして、お寺の収蔵庫も開けて頂き、庫裏も開けて頂き昼食の場にもさせて頂きました。感謝です。
日本に伝わる最古級の石仏で、伝来についても多くの伝説が残っています。その中に粟原寺に祀られて額田王女の念持仏であった伝説があり、粟原寺の山崩れで石位寺に流れ着いたとも言われています。
石は角の円くなった亜円礫で、浸食され空洞になっているところもあり、少なくとも畿内で見られない石とのことです。また三尊仏は橘寺の塼仏と同じモチーフで構成され、北魏の交脚弥勒仏のモチーフに原型が求められます。尊顔も優しいおもむきのなかにアーカイックスマイルのようにも感じられ、中国から伝来した説も強く残ります。

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【石位寺】

段ノ塚古墳の舒明天皇陵から中尾山古墳の文武天皇陵まで、八角形古墳で全て天皇陵と見られます。これらの古墳を考古学では、古墳時代後期のあとで終末期古墳に分類しています。この後、称徳陵や平城陵も古墳を採用しているが、古墳時代終末期とは切り離して考えています。
中国古来の思想とされる道教では、世界観に八角形思想があり、その中心に天帝が位置し世界に君臨するとしている。その中心位置に星座の北斗七星があり、天帝思想が北斗七星思想にも広がっていきました。この天帝思想が、日本では全ての大王を超える世界に君臨する存在として天皇が生み出され、これまでの大王の前方後円墳を超えて八角形の墳墓を創設したと考えられています。この八角形思想は現代でも天皇の即位礼の大嘗祭に使われる高御座にも見られます。また仏教へも伝わり、法隆寺夢殿や興福寺北円堂、南円堂、栄山寺八角円堂に見られます。これらの円堂は政治的支配者の霊廟と考えられています。平安時代の密教曼荼羅にも見ることができます。

鏡王女墓は天智天皇の妃で額田王女の姉といわれています。「延喜式」では舒明陵の域内に墓があるとされ、年齢からも舒明天皇の皇女とも推定されます。そうであれば、天智。天武の姉妹となる。後に藤原鎌足の正室となり、藤原家菩提寺興福寺の前身山科寺を建立したと伝わっています。
他方、藤原鎌足は「・・・安見児得たり」と万葉集で歌っている。安見児(やすみこ)は天智天皇の采女で、美人の采女を得たことを高らかに歌っていますと通常は解釈されます。この時安見児にはお腹に天智の子がいたといわれる。天智の子も一緒に授かったことを誇って歌ったのかもしれません。采女の名に「児」の文字が使われていることも見逃せません。
この子は後の藤原不比等ではないかと思います。その理由は第一鎌足の長男は定慧で僧侶です。次男が不比等とされます。長男が僧侶で次男の名が「史・ふひと」という文書を扱う部を名乗っている。長男・次男の身分が逆に見え不自然に思えます。また不比等は平城京遷都後では天皇のレガリアとしての「黒作懸佩刀・くろつくりかけはきのかたな」を、文武〜聖武まで男系天皇になるまでの保管し、皇位継承の重要人物となっている。当時の持統・元明・元正天皇も、不比等が天智の子であることを理解し政権の中心に据え男子の聖武天皇に継いだと思われます。
ひょっとすると、不比等は母の安見児を額田王女の才能を加えて、采女の身分でなく藤原鎌足の正室の鏡王女として、舒明天皇陵域に墓を造り祭祀した。と見たら深読み過ぎか・・・

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【鏡女王墓】

玉津島明神は衣通姫(そとおりひめ)が祀られています。肌の輝きが衣を通して輝いているところから「衣通姫」とよばれますが、古事記では允恭天皇の9人の子供のうち5番目の「軽皇女」です。雄略天皇の姉にあたります。日本書紀では允恭天皇の皇后大中の妹、弟姫(おとひめ)です。この弟姫と允恭天皇の歌が日本書紀に収められています。それは倭の五王の済とされる允恭の時代の歌ではなく日本書紀の成立した奈良時代の歌と思われます。衣通姫は和歌山の玉津島神社では和歌三神の柿本人麻呂、山辺赤人と並んで祀られています。この二人と並ぶ万葉歌人は額田王女しがいないと思います。
さらに、玉津島明神から朝倉駅に向かって行きますと、忍坂坐生根(いくね)神社があります。祭神に天津彦根命が祀られています。この神様は息長氏の祖神とされます。息長氏は近江の豪族で額田氏はその一族です。忍坂は息長氏の大和の拠点でした。允恭の皇后大中姫は近江出身です、妹の衣通姫も近江出身となります。すなわち額田王女も衣通姫も近江出身なのです。
衣通姫は倭の五王時代の允恭の時代です。額田王女は天智と天武の時代です。200年ほどの隔たりがあります。こうしてみると、衣通姫は額田王女をモデルにした姫であったと考えられ特に日本書紀では潤色されているのではないかと思われます。ですから万葉集に衣通姫の歌がないのでしょう。
ちなみに額田王女の「あかねさす紫野行き標野行き・・・」の万葉歌の紫野・標野は近江の蒲生の地で豪族息長氏の拠点と考えられています。
古事記ではまた別の見方ができます。豪族息長氏と豪族葛城氏との戦いで最後に、雄略天皇に葛城氏が滅ぼされることになるカギを衣通姫が持っています。

参加された方々に感謝いたします。特に昨年新たにソムリエの会に入られ史跡探訪グループに所属された方はイベントが開催されないことに疑問を持たれたかとも思います。これからはイベント開催数も重ねて行きたいと思っています。多くの方が参加して頂けると元気が出ますので、これからも参加して頂けるものと期待しています。

史跡探訪グループ 加藤 宣男 


posted by 奈良まほろばソムリエ at 14:37| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月15日

保存継承グループ  桜井市:笠山荒神社の「初荒神」見学記

桜井市北部の笠地区の鷲峯山(じゅぶさん)に鎮座する笠山荒神社で1月28日に初荒神(新春荒神大祭)が執り行われ、グループ有志で見学しました。

荒神とは、仏教や修験道の三宝(仏・法・僧)を守護する三宝荒神信仰と、中世の神仏習合の流れで生まれた火の神や竈(かまど)の神を意味する荒神信仰が結びついたものとされています。笠山荒神社は笠山荒神、または笠荒神とも呼ばれ、日本三荒神=他の2カ所は野迫川村の立里(たてり)荒神、兵庫県宝塚市の清(きよし)荒神=の第一の荒神社ということです。

大祭は1月、4月、9月のそれぞれ28日の年3回行われますが、このうち1月は初荒神と呼ばれ、近隣府県からも参拝者が集まります。当日は雨も心配されましたが、風がやや強めだったものの青空が広がる好天に恵まれました。
JR・近鉄桜井駅北口から臨時バスを利用、約40分で「笠そば処」駐車場の臨時停留所に到着。北参道入口の鳥居をくぐって境内に進みました。

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<北参道の鳥居近くに掲示されている説明板>

「平成19年」と刻まれた狛犬に迎えられ、きれいに掃き清められた参道を神社に向かいます。両側に並ぶ各地の信者から奉納された石灯籠には電球に灯が入り、この日の大祭を祝しているかのようです。
しばらく進むと神社拝殿前ですが、大祭ではふもとの竹林寺から本殿まで上りの石段をお神輿が渡御することになっていますので、石段を下って同寺に向かいます。表参道の鳥居をいったん出て100bほど進むと竹林寺です。

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<竹林寺近くにある表参道の鳥居>

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<竹林寺収蔵庫で初荒神に合わせて公開された重文の薬師如来立像>

江戸時代までは笠寺と言われ、今より大きなお寺だったそうです。荒神社は明治初めの神仏分離令で神社が今の場所に遷座するまでは、こちらに祀られていたそうです。
『笠荒神鷲峯山竹林寺来由記』には、持統天皇の時代に役小角(えんのおづぬ)が笠山に荒神を祀ったこと、東大寺の無事建立を良弁僧正が祈願し荒神の像を板に描いて寺に留め置いたこと、その荒神板絵を見て弘法大師空海が木像を刻み笠山に安置したことが伝わります。現在は本堂内の厨子に「荒神板絵像」が祀られており、大祭の時には神霊が神輿で神社まで渡御されます。

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<竹林寺を出発する神輿>

竹林寺本堂から神輿が4人で担がれて出発するのを拝見した後、本堂で本尊の十一面観音立像など、収蔵庫で薬師如来立像(重文、平安時代作)などを拝観しました。神社に戻る前に表参道入口近くに祀られている閼伽井不動を参拝。説明板によりますと、空海が高野山を開く前、ここの閼伽井の池で21日間の水行を修め、石像の不動明王を祀り、無事高野山を開いたとあります。

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<空海ゆかりの閼伽井の池(手前)と閼伽井不動>

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<拝殿前に到着した神輿と参拝の人々>

その後、神輿が拝殿前に到着し神事が行われました。背後の本殿では土祖神(つちのみおやのかみ)など3柱が祀られていて、神輿は拝殿の祭壇の後方、本殿との間に安置されました。参拝者は拝殿前で祝詞に聞き入り、神楽を拝見し、神事は1時間ほどで終わりました。
その間、参拝者に恒例の甘酒が振る舞われ、ポットに入った甘酒も販売されていました。境内では同じく見学に来ておられる「奈良まほろばソムリエの会」の方々にもお会いしました。

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<多くの参拝者たちが境内を埋めた>

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<甘酒の振る舞いや販売が行われた境内の参集所>

昼食は境内を出て笠そば処でお蕎麦などを頂きました。地元の人たちから「笠荒神、竹林寺、笠そば処それぞれを大切にして、地区を守り、存続を目指している」と聞いて感動しました。
初秋にソバの花が畑一面に咲いている写真を見て、次回はその“お花畑”を見に来たいと思いつつ、帰りも臨時バスで桜井駅へ向かいました。

保存継承グループ  文:田嶋ひろ子、写真:久門たつお


posted by 奈良まほろばソムリエ at 10:00| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月09日

保山耕一さん 第8回「奈良、時の雫」上映会

令和2年2月1日(土)、保山耕一さん月イチ上映会・テーマ「大和の冬」が、奈良公園バスターミナルで開催されました。新型肺炎の影響で、奈良公園も歩く人はまばら。外国人観光客がまだ少なかった頃の静かな冬の奈良を思い出し、そんな中の開催でした。

まずは、月イチ上映会支配人をさせられている(笑)という清水真貴さんが、満席の会場を見て、涙ぐみそうになって「こんなご時世の中、たくさんの方に来ていただいて本当にありがとうございます!皆さんの大きな気持ちが上映会を支えています。」とご挨拶。

続いて、当会理事の松森重博さんが、最近の保山さんのYou tube・水仙の映像を見て詠んだ一首。「水仙が 水のしずくに 映りたり 奈良般若寺の 大寒の頃」を披露されました。松森さんの歌集『大和まほろば』は今やベストセラーになっていて、今回から松森さんの短歌のコーナーも始まりました。

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次は、恒例の竹田奈良公園室長の奈良公園ワンポイント講座。今月はもうすぐ開催される「しあわせ回廊・なら瑠璃絵」でした。

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そして、今回の「奈良百寺巡礼」は、王龍寺!
飯野顕志副住職と当会副理事長の小野哲朗さんのご対談。まずは映像から。

―   映像   王龍寺  ―

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小野さんは「二名から西の丘を登るとゴルフ場、その先に山門があって、その前に『葷酒(くんしゅ)山門に入らず」(匂いの強い物を食べた人やお酒を飲んだ人はここから先に入ってはいけません)と石に書いてあるんです。そして鬱蒼とした森、しかしそこを過ぎて青空を見上げると心が大きく感じます。苔むした石畳や石段、前掛けのお地蔵様など、自然を楽しみながら歩くと本堂の甍が見えて来るんです。」とおっしゃっていました。

また「王龍寺の魅力はね、住職さんが毎朝境内の植物や花の芽吹きを撮影してHPに載せてくれているんですよ」「一番すごいと思ったのは、本堂まで上がると樹齢300年以上のヤマモモの大木(奈良県の保護樹木・奈良市の文化財)があって、今も元気に葉っぱを出しておるんです。」等々お話されました。

そして、飯野副住職は、ご本尊の石仏(摩崖仏でこちらは年紀がわかる石仏としてたいへん貴重)の十一面観音菩薩様(南北朝・建武3年)や十八羅漢さんのこと、聖武天皇の勅願による古刹、江戸時代に禅宗黄檗宗になったことなどを歴史と共に説明して下さいました。

また、王龍寺では、毎月第3日曜 早朝7時〜8時に座禅が行われています。
(こちらは座禅のスペースに限りがあるので、HPから予約して下さいとのこと)
副住職は「夏は本堂の羅漢さんの前で、冬は座敷で行います。わざわざしんどいことをするのではなく、座禅は座禅で楽しむかたちでするといいのかな」と温かくおっしゃっていました。

それから、実は王龍寺のレプリカが近鉄奈良駅5階のクラブツーリズムにあるんですよ。副住職は「実物の方がいいと思います。オーラが違いますよ(笑)」と。(そりゃそうですよね。でも一度見られるのもお薦めされていました。)

そして、ガラリと変わって

―   映像   奈良には365の季節がある   ―

いきなり 雷!流れる雲!細く美しい有明の月!鐘の音!……01 02 03 04 05……次々に映り変わる奈良の素晴らしい景色が、刻一刻と刻まれ、ビートの効いた音楽や「ラセラー ラセラー ラセ ラセ ラセラー!」の掛け声などとともに心に響き渡ります。

思わずじっと見入ってしまい、息をするのも忘れてしまうくらい!
そして寧鼓座座長・浅野重兵衛さんの和太鼓、生演奏!こちらの連打も迫力満点でした。

なんとも贅沢で貴重なひとときで、会場の皆さんは釘付けになっておられました。(保山さんの映像をもう一度見たい!行けなかったから見てみたい!という方、保山さんはYou tubeで発信してくれています)

そしてここからは、ならどっとFM「岡本彰夫の奈良 奥の奥」の公開収録。

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今回のゲストは、吉野杉の木でギター等を作って活動されている丸山手工ギター工房の丸山利仁さん、そのギターで演奏される稲川雅之さん。トークあり、演奏あり。地産地消の素敵な音色に魅了されました。

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そして、春日大社元権宮司の岡本先生が今回対談されたのは、吉野・金峯山寺の田中利典(りてん)長臈(ちょうろう)。初めに、田中長臈の発案で「疫病退散」のために会場内300名の皆さんで般若心経を唱えました。

その後、金峯山寺護摩焚き映像30分の間、お二人の「神と仏」のたいへん興味深いお話がありました。岡本先生は「私らとても仲がいいんですよ!」と会場の笑いを誘っておられました。詳しくは、ならどっとFM「岡本彰夫の奈良 奥の奥」をぜひお楽しみ下さい。


〈  二 部     保山さんの映像 と その解説   〉

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まずは、保山さん「映像が負けてるって思うくらい素晴らしい」と作曲家でピアニストの加古隆さんのことを絶賛されます。

「こういう強い曲があるからこそ、カメラマンは『よし、負けないぞ!』って映像を撮るんです。」「カメラマンにとって、音楽ってそういうものなんです。『あの曲に負けないもっと強いメッセージでその曲と響き合えたらすごいやろなぁ!』って自分の中でワクワクするんです。でもなかなかうまくいかなくて…」

「優秀な作曲家ほど、カメラマンを挑発します。なんとかギリギリにバランスが取れた時、カメラマンにはこれ以上の喜びはないんです」とおっしゃっていました。

―  宇陀 竜王ヶ淵の雪景色  ピアノ:加古隆さん、歌:森麻希さん ―

「こういう映像見たら、『寒くてたいへんやったん違いますか?』ってよく言われるんですが…あのガンという病気をしてから、何が変わったかって『こんな寒い中で、撮影できるってどれだけ幸せか』って思うんです。」と…。

「それまでは寒い暑いに不満を持っていたけれど、暑い時に汗流して『暑い暑い』って言いながら撮影できることがどれだけ幸せかって思います。」「入院が長くて、東京の病院だったんですが、景色がすごくきれいでした。」

「東京タワーやディズニーランド、お台場のベイブリッジが窓から見れるところで入院していました。どんどん季節が変わって、夏の入道雲、公園の木々が紅葉して、そしてだんだん散っていく…。すごく大きな窓があるんですが、5cmしか開かない、それは自殺をしないようにということで…。そういうところで、何か月もの入院でした。きれいな景色でした。」

「病院の中って、空調が効いているので暑くも寒くもなくて、でも景色が変わっていく。
夏なのに暑くない。冬なのに寒くない。で、そういう時にどうしたのかって言うと…
そのちっちゃな隙間から、手を伸ばして風を感じるんです。そういう経験を一度すると本当にその季節の中で自分がこうやって生きててやりたいことやれて、どれだけ特別なことかって今、かみしめています。」

「退院した時に、いつも窓の向こうに見ていた公園を初めて歩いてみたんです。そこは、一面に落ち葉が敷き詰められていて、ザッザッザッザッって音を立てて。その音が一生忘れられなくて、『生きてるな』って実感した音でした。」と…。

そして保山さんがその時に、ふと思われたのが「お金持ちになりたいとか自分の幸せのことではなくて、死ぬまでにピアノが弾きたいな」って(保山さんピアノは初めてらしいです)。そしてピアノを教えてもらったのが「かおりん」ことすみかおりさんでした。

「今日は水仙の映像をやります。今週、ならナビ『やまとの季節 七十二候』を見た人いらっしゃいますか? わぁそんなにいてはるんや! メチャ嬉しいですわ。」っておっしゃって、ならナビ1分30秒のフルバージョンを見せて下さることに。

「朝イチから日の暮れる真っ暗な時までそこにいる。そんな撮影をしています。」
「でもね、ある程度その場所にいたら『おまえ、これ撮らんでええんか?』って言うてくるんですよ」って。

「で、そんな時にレンズを向けたら『あーお前が見てもらいたいのはこれか!』というふうに。その時初めて風景と話ができるんです。風景も人のつきあいも一緒です。」と。

― 映像  田原本町 寺川の水仙(フルバージョン、すみかおりさんの演奏)―

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「僕が入院していたのは、東京有明の一番大きなガンの病院、末期ガンの人ばかりです」7月大きな七夕飾りの短冊にすごい数の願い事がつるされるそうです。

「初めてそれを見た時にいくつか読んで見たんですけど、つらくて…。その中にあるお母さんのがあって『私が死んでもパパと○○ちゃんが仲良く過ごせますように』って。
余命宣告されたお母さんでしょうが、病気が治りますようになんて書いてあるのはほとんどないんです。みんな自分のことじゃなくて自分以外の人を願うことばかり。結局最後には、大切な人、家族や友達の幸せを祈ることしかなくて。それが忘れられなくて、ずっとあります。」とおっしゃっていました。

退院して、帰って来た時も、毎日春日大社に通ったそうで、その時も自分の願い事をしようと思ったのではなかったそうです。でもそこである気づきが・・・

保山さん「自分よりも他の人のことを思う気持ちで生きてきたからこそ、自分の置かれている環境がどんどん変わっていって、それが心と体に反映して自分の命を与えられたのかなぁ」と。「自分は何のために生きているのかっていうその根元!人のために生きている!ていう気づきがあったんです。」と話してくれました。

春日大社では、1月31日より毎朝9時から新型肺炎の御祈祷を始められました。「なんか科学では説明できないことが世の中にはたくさんあって。仏教も同じで、先ほど般若心経を皆で唱えることによって、何も変わらないはずがない、何か絶対変わっていく。」そう言われていました。

また、夜中、雪が降って朝イチで飛火野へ行った時の話。
飛火野が一面真っ白で、撮ろうと思ったら、有名アーティストのヒップホップのメンバー達が真冬というのに半ズボンを履いてワイワイとやって来て・・・

保山さんいわく「『申し訳ないけど、5分だけ僕に時間を下さい』って言ったら、
ヒップホップのメンバーの一人が『この真っ白な空間に足跡を残せるのって、奈良では鹿だけだよね!』なんて、かっこええこと言うたんです(笑)」と。

その上、彼らは飛火野の真ん中を歩かずに、ずーっと端っこを通って帰っていったそうです。「な〜んか教えられましたね。僕はわかってるつもりで、わかってないというか…なんかそういうところなんですよ。人間にとって大事なところは。カメラマンだとまずそれを捨てなければやっていけなかった。でもそこは人間として捨てては駄目なんやということをヒップホップの彼らに教えられました」と。

―  映像  春日大社    ピアノ:野上朝生  ―

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保山さんは「病気の方もいろんなつらいことがある方も、困った時の神頼みで神社や春日さんにお祈りに行かれると思いますが、そんな時こそ他の人のことを祈って下さい。」「僕の経験から言いますと、困っているからこそどん底やからこそ、人の幸せ、大切な人の幸せを願っていただくことが、自分を変えるひとつのきっかけになると思うんです。病気の人もつらいことがあれば、いろんな気づきがあると思うんです。いろんな困りごとで悩んでいる人、病気の方、春日さんへお参りに行ったらどうかな」と。

「いろんなところで聞かれるので、この機会に答えました」とおっしゃっていました。

そして、来月3月7日の上映会は、グランドピアノが入ります!
「ずっとやりたかった!がんの病院で生ピアノでロビーコンサートした時、生の音に涙が止まりませんでした。いい意味での涙です。『人の心の奥に届くというのは、こういうことなんだ』と。そういうのをここでもやりたいと思って、その時の想いを僕の映像とともに皆さんの心の奥に届けたい!」と熱く語ってくれました。

空港ピアノのような、バスターミナルピアノも一日設置されるそうで「そちらも楽しんでいただけたら」と。「ピアノ、ベンツ保有率一番の奈良県だからこそのピアノとのつながり。もし余っているピアノがあればここに寄贈してください」ともおっしゃっていました。

最後は鹿の映像の解説です。
「あなたに、ほんの少しの時間があれば、餌付けをしなくても美しい風景の写真は撮れます。鹿をねらって撮りにいったんじゃないんです。いい景色やなぁと思って、ずっとそこにいたら、スーッと鹿が寄ってきてくれます。」

「飛火野の御手洗川(みたらしがわ)(ずっと水が流れていなかったそうで)、川に水が流れてメチャクチャ嬉しかった。僕は春の小川を撮りたかったんです。」保山さんは奈良に春の小川はあるのかって探されたそうです。「コンクリートで固められているのは小川じゃない。里山ですら河川工事をしている。唯一探したのが、飛火野の御手洗川でした。川に水が流れるようになったら、鹿の動きが変わり、集まってくるようになったんです。」と教えてくれました。そして、最後に「自然な鹿を見ていただいて終わりにしたいです」と締め括られました。

―  映像   東大寺の鹿 ―
―  映像   飛火野の鹿 ―

今回も盛りだくさんの内容で、お客様はたっぷりと保山さんワールドを楽しまれていました。来月はいよいよ保山さん夢のグランドピアノがやってきます。予約チケットをお求めになる方も多く、ワクワクしながら楽しみに帰っていかれました。

写真:松森重博理事  文:広報G 増田優子


posted by 奈良まほろばソムリエ at 11:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月19日

女性グループ(ソムリエンヌ)吉野薬師寺の座禅体験と高井の千本杉見学

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11月6日(水)女性グループ・ソムリエンヌ10名と檀家さんとヨーガ指導者2名とで、桜井駅に集合して宇陀市榛原の「高井の千本杉」を訪ねました。

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<高井の千本杉>

県指定の天然記念物である幹周囲25m、高さ45mの千本杉にみんな圧倒されました。旧伊勢街道沿いにあり、約1m四方の古井戸(現在は空井戸)の周囲に植えられた杉が成長して根元が癒着されたと言われています。樹齢は約700年とされています。所有者は個人で「千杉(ちさん)白龍大神」として祀られています。

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<吉野薬師寺の石垣>

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<ご本尊・薬師瑠璃光如来> 

次に吉野三茶屋の薬師寺に向かいました。薬師寺は曹洞宗のお寺で、本尊は薬師瑠璃光如来、江戸時代に創建されました。基壇の石垣は名古屋城の石垣を作った者によると伝わっていて、見事な石垣です。

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中條雅道住職は永平寺で2年間修業された後、釈尊の真の教えを知りたく、さらにパーリ語を学ばれました。
「釈尊は瞑想(座禅)により、悟りに至り、心と体のバランスを保ち、偏らない心で安定した日々を送られ、寂滅されました。」とお話がありました。

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鐘の音を合図にそれぞれ小さなしっかりしたお座布団に結跏趺坐(これに近い坐り方)して、半目(これは私には難しいことでした)になり、静かに呼吸をしながら座禅を始めました。10分後、鐘の合図で終わりました。少し休んで、もう一度座禅をしましたが、2度目は少し長目でした。私は頭が白くなったような気分でした。中條住職は「鳥の声や周りの音もただ聞き流すということで、偏った考えから解放され、心が安定してきます」と言われたことが、心に残りました。

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そのあと静かなお堂で、ヨーガの指導者によりヨーガを行い、心身ともにリラックスできました。吉野の山々の清々しさもあり、爽やかな気分で帰路につきました。

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<吉野薬師寺にて記念撮影>
 
 
文・写真 女性グループ(ソムリエンヌ)平越真澄

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2020年01月11日

保存継承グループ 天理市:石上神宮の「神庫祭(ほくらさい)」見学記

「神庫」とは天理市布留町、石上神宮の禁足地の南西に建つ御神宝を収蔵する庫であると同時に、神格の宿るところとされています。同神宮では毎年大晦日に「神庫祭」を斎行して神宝の安泰を祈願されています。

同神宮の神宝の中でも有名な国宝「七支刀」(4世紀)や重文「鉄盾(てつたて)」(5世紀)はこの神庫に収蔵されてきた伝世品とされています。現在は他の神宝とともに昭和55年(1980年)に完成した宝物収蔵庫に収められているそうです。
  
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<国宝の石上神宮拝殿。拝殿奥が禁足地>

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<境内に生息するニワトリ。神鶏とも呼ばれます>

その「神庫祭」に限って神事参列者は神宝が祀られていた禁足地へ特別に入ることが許されるのです。令和初の大晦日、保存継承グループ有志ら11名を含む、全体で約50人が参列しました。

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<神庫祭が始まる前、禁足地入り口近くで。正面奥に神庫の屋根が見える>

午後2時半ごろ、お正月準備が整う拝殿近くに集合。曇天で雨も心配されていたのですが、午後3時、神事開始を告げる太鼓の音とともに禁足地への門が開かれるころ、雲間からは青空が広がりました。神職による祓え詞奏上のあと、参列者一同、斎員によるお祓いを受けてからいよいよ禁足地へ。(禁足地では一般の写真撮影は認められていません。)

剣先状の石製瑞垣で囲まれた神域とあって、普段は閉じられている門から一歩足を踏み入れた途端、今まで感じていた大晦日のざわついた気が一変。凛とした空気が清浄さを感じさせました。足元には鮮やかな緑の苔の絨毯が広がり、鳥のさえずりが心地よく響き渡っていました。

目の前には本殿、その南西に建つ二戸前の校倉が「神庫」です。同神宮ホームページによると、『日本書紀』垂仁天皇紀に「天神庫(あめのほくら)」と見え、現在の神庫は嘉永4年(1851年)の再建で、元は禁足地の外にある拝殿西隣に建っていました。本殿建立工事に伴い、明治45年(1912年)に現在の禁足地内へ移築されたとあります。
 
参列者が神庫東側で本殿を背にして並ぶと、宮司さんはじめ、斎員が神庫の前に進み一拝。玉串拝礼にあわせて参列者も拝礼。撤饌、一拝にて一連の神事は約20分で終了しました。宮司、斎員退出後、参列者も後ろ髪ひかれながらも禁足地を退出。今年最後の夕陽が本殿や神庫を神々しく照らす中、ご神威にあやかりました。

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<大祓式の開始前、祓所に入る神官ら>

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<参集者が清々しく新年を迎えるのを祈願する大祓式>

神庫祭に続いて境内の祓所では大祓式があり、参列者全員が切弊(きりぬさ)をいただいて大祓式、午後4時からは拝殿で除夜祭が斎行されました。新たな令和の時代を迎え、ご神宝を守ってきた貴重な神庫の下で気分一新させていただけた特別な大晦日となったのは言うまでもありません。
 
なお、七支刀と鉄盾(2個)は、東京国立博物館で1月15日から3月8日まで開催される「日本書紀成立1300年特別展『出雲と大和』」に出陳されるとのことです。

保存継承グループ  文:中西環、写真:久門たつお

posted by 奈良まほろばソムリエ at 10:16| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする