2018年06月03日

歴史探訪グループ  笠縫から三輪を訪ねて

心配された雨も夜半には上がり、涼しいぐらいの5月19日(土)近鉄笠縫駅に、今年新たに入会された方も交えた33人が集合しました。

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まずは「多神社」を目指して歩き出します。寺川沿いの一の鳥居をくぐって、二上山を正面に見ながら西へ、「小杜神社」、「皇子神命神社」、太安万侶の「古事記献上1300年碑」を経て、多神社、正式名称「多坐弥志理比古神社」に到着。神武天皇など四柱を祀る、春日造の本殿に参拝後、普段は公開されていない宝物殿を見学。周辺の「多遺跡」から出土した遺物や、太安万侶に関する資料を見せていただきました。

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多神社を後に、「観音堂」、「姫皇子命神社」、斜めの筋違道の「太子道」の名残を通って、いよいよ三輪山を正面に臨んで東へ向かいます。
国道24号線を過ぎると、十市の古い街並みに入ります。道を少し北にそれると、畑の真ん中に「十市城之跡」の石碑が。戦国時代に活躍した「十市氏」の平城跡地で16代当主のお話を聞き、昔に思いを馳せました。

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東へ進み、「十市遠忠」の歌碑が置かれた「十市御縣坐神社」で昼食。まだ遠い三輪山へ向かう英気を養います。道は単調だけれども平坦で、秀麗な三輪山の姿に励まされ足取りも軽く、思ったより順調に「慶田寺」に到着。曹洞宗の禅寺で境内には信長の弟、織田有楽斎こと織田長益などの墓があり、十一面観音像や阿弥陀如来坐像などを拝観しました。

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さらに東へ、JR万葉まほろば線を越えるころには三輪山はすぐ目の前。線路横の田んぼの畦道を通って「茅原狐塚古墳」へ。盛土がなくなり露出した横穴式石室は、前夜の雨で水没。入ることはできませんでしたが雰囲気は味わえました。次は富士厳島神社の境内にある「弁天社古墳」へ、こちらは頑張れば石室内へ入ることができ、土に半分埋もれた石棺の蓋?に触れられます。

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三輪山を背景にしたその名も「神御前神社」を経ていよいよラストスパート、少し上って「狭井川神武天皇聖蹟碑」から山の辺の道へ入り三輪山の登拝口「狭井神社」に到着。入山時間は過ぎていましたが境内に湧く「御神水」でのどを潤しました。二上山や大和三山を望む「大美和の杜」展望台で集合写真撮影。

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最後に「大神神社」で本日の無事故を感謝し、JR三輪駅で解散しました。


文・写真  歴史探訪グループ 小林誠一

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2018年06月02日

大和神社〜天理観光農園へ

5月20(日)は女性グループ(ソムリエンヌ)の例会でした。強まる日差しに夏を思わせる薄暑の朝、JR長柄駅に10人が集合しました。今年新しくソムリエの会に入会したメンバー7名が初参加です。自己紹介を終えて、さぁスタート!大和(萱生)古墳群の一部を見学しながら天理観光農園までの約4.5キロのウォーキングです。

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大和古墳群は天理市南部の萱生町から中山町に所在する南北約1.5Kmの範囲に展開する古墳群で、西に鎮座する大和神社の宮郷である「大和郷」に重複して分布する事からこの呼称があるとのこと。古墳時代前期初頭〜前期前半を中心に、全長約230mを誇る群中最大の西殿塚古墳を筆頭にして様々な階層の古墳が集中、断続的に造営されています。古墳群中に前方後方墳が5基も含まれる点は、奈良盆地の前期古墳群に見られない大きな特徴です。

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星塚古墳・測量図

大和神社の北参道から墳丘の高まりを確認しました。全長70mの前方後方墳とされていますが、測量図を見ると2つの方形が連結しているような形状をしています。弥生時代後半の築造とされる岡山県の黒宮大塚古墳と墳形がよく似ていることから、最古級の古墳の可能性も。古墳成立にいたる過程を知る上でも貴重な古墳だと確認できました。

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大和神社

神殿は3社あり、大和大国魂神・八千戈神・御年神が祭られています。広い神域は清々しい空気に包まれ、鳥居から真っ直ぐ伸びた長い参道がとても美しい由緒ある古社です。太平洋戦争で沈んだ戦艦大和に、この神社の分霊が祀られたことでも有名です。本日のウォーキングの安全を祈願して大和神社をあとにしました。

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馬口山古墳

大和神社の北側あります。全長110mの前方後円墳ですが、民有地のため墳丘には農作物が植えられ生活空間になっています。墳丘から採取された特殊器台や埴輪の破片から時代がわかり、3世紀後半に築造された古墳時代初期の古いタイプのものです。大型前方後円墳出現期の古墳ですが、ほとんど知られていないのが残念です。

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ノムギ古墳・測量図

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測量図を見ると変わった形をしています。後世に大きく改変されたようです。昭和52年までは前方後円墳と考えられていましたが、平成8年、古墳の北側の調査でほぼ直角に曲がる周濠が検出された事で前方後方墳の可能性が高まりました。さらに平成21年と22年に調査を実施。後方部南側の周濠で東南の角が発見されたことで前方後方墳と断定されました。測量を見ながら、第1次〜第6次までの調査の成果を興味深く見学することが出来ました。

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ヒエ塚古墳(里道を挟んで、左が後円部、右が前方部)

県道を挟んでノムギ古墳の東側にある、全長約130mの前方後円墳です。こちらも墳丘は畑になっています。くびれ部には里道が横断しています。以前から中山大塚古墳や桜井市の箸墓古墳の初期前方後円墳と形が似ていると指摘されていました。第1次〜第3次までの調査の成果から、前方部が撥形であること、出土した土器の時代や埴輪が検出されていないことなどから築造時期は古墳時代前期前半とのこと。まだまだ断片的ですが、史跡指定を目指して調査が継続されるそうで、今後の成果が期待されます。

天理の古墳に別れを告げて、山辺の道に向かいます。

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夜都伎神社

春日大社と縁が深く、別名春日神社とも呼ばれる古社です。石燈籠にも「春日社」と刻まれています。また、春日明神に因んだ不思議な「鹿足跡石」伝説に興味が湧きました。実際に見学できるのでしょうか。いつか探索してみたいと思いました。

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ウォーキングの締め括りは天理観光農園でバーベキューです。冷たいビールやジュースで乾杯!美味しいお肉や新鮮な野菜に舌鼓をうちました。初めて参加された新人の方達とも自然に会話が弾みます。

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今回ガイド担当してくださった寺田さん、食材をご用意くださった松浦さん、差し入れを持って駆けつけてくださった西川さん、ご協力ありがとうございました。


女性グループ(ソムリエンヌ) 文 道ア美幸  写真 寺田麻美 道ア美幸

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2018年05月19日

大和郡山市:【興正菩薩】叡尊生誕祭見学記

<5月第2日曜日(5/13)浄福寺にて開催>

【興正菩薩】叡尊上人(1201〜1290)は、建仁元年(1201)大和国添上郡箕田(現在の大和郡山市白土町)で生まれました。30歳代半ばで荒廃していた西大寺に入り、密教と戒律を日月のごとく兼修する「真言律」の根本道場として西大寺の再建に全力を尽くしました。またその実行として民衆救済に驚異的な活躍をされたことは有名です。

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浄福寺境内の案内板

生誕された白土町にある浄福寺(浄土宗)の境内に、叡尊上人の銅像を祀るお堂があり、平成3年から毎年5月の第2日曜日に生誕祭が行われています。(今年で27回)

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銅像を安置するお堂

この生誕祭は地元の白土町自治会が主になって保存会を形成しています。会長は毎年持ち回りのようです。自治会の構成は正会員78戸、準会員23戸。

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保存会の旗

この銅像は叡尊700年忌法要(1991・平成3年)に際し、西大寺愛染堂安置の寿像(木造叡尊坐像、2016年国宝指定)を模して造られた8体の1つ。

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叡尊さんの銅像

例年、地元民のほか、西大寺の僧侶や郡山市長も参列し、その数は100人を超えます。

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来賓の写真

 
(生誕祭の概要) 
10:00 中信雄自治委員長(白土町自治会)の生誕祭開会挨拶。
10:04 浄福寺の西住職による読経開始。
10:10 来賓焼香に続き、地元民の焼香。

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地元民の焼香の様子

10:30 上田清大和郡山市長、松村隆譽西大寺執事長他来賓挨拶。

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西大寺の松村執事長の挨拶

10:45 終了


叡尊さんは地域の誇りの人物です。
今後も地元の熱心な人々によって、遺徳を偲んで永く守られていくことと思います。


文・写真 保存継承グループ 亀田幸英

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2018年05月06日

記紀万葉サークル4月例会「春の木津川べりを行く」

4月14日(土)参加者17名

主な見どころを二つに絞り、歩行距離も6km強とやや短めの設定となったため、集合時間(JR奈良駅)は10時30分、解散時間は16時頃と余裕のある行程であった。

(当日の行程)
JR上狛駅―高麗寺跡―ふるさとミュージアム山城―JR上狛駅―JR加茂駅―恭仁宮(山城国分寺)跡―JR加茂駅(解散)

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(上狛駅で)

高麗寺跡 
欽明天皇の26年(565)、日本書紀に「高麗の人が帰化してきたので、山背国に住まわせた。今の山村(木津川市か)の高麗人の先祖である」とある。これら高麗人と寺院の関係は必ずしも明らかではないが、他氏族との関係も伝わらない。飛鳥寺や川原寺と同笵の瓦が出土しており7世紀初め頃の創建と見られ、平安時代後期まで存続したらしい。寺域の北方で建立氏族の居館と思しき建物遺構が発見されている。伽藍は、法起寺式と言われるが、年代的にも法起寺との関係は認め難い。

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(高麗寺跡)

現在木津川市による基壇の復原工事が進行中で、発掘時の塔などの瓦積み基壇、舎利孔の穿たれた塔心礎などは全て地中に埋め戻されている。

ふるさとミュージアム山城(府立山城郷土資料館)
高麗寺の東方、徒歩10分程のところ。南山城における旧石器時代〜古墳時代の考古資料、恭仁京域の図や山城国分寺のジオラマを見学できる。

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(山城郷土資料館にて)

恭仁宮(山城国分寺)跡
恭仁京が都であったのは740年から744年にかけて足掛け5年の短い時期であった。744年に難波宮遷都が行われたため、恭仁京はおろか恭仁宮も未完成のまま放置されてしまったと思われる。743年に平城宮から移転された大極殿は746年、山城国分寺に施入された。現在当時を偲ぶことが出来るのは、大極殿(国分寺金堂)跡の土壇と僅かに残る礎石、それに国分寺七重塔跡の巨大な礎石のみである。大極殿跡に舞う八重桜の花びらと礎石の対照が印象的であった。

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(大極殿跡)

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(集合写真:七重塔跡にて)


(文と写真) 記紀万葉サークル 田中昌弘

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2018年04月25日

奈良市:林神社(饅頭まつり)見学記

<4/19饅頭(まんじゅう)まつり行事の様子>

林神社は、林浄因命(りんじょういんみこと)の御祭神として御祀りする我国で唯一の(饅頭の社)である。林浄因命は中国浙江省の人、林和靖の末裔で、貞和5(1349)年に来朝し、漢國(かんごう)神社社頭に住まいされ、我国で最初の饅頭を作った。その後、足利将軍家を経て、遂には宮中に献上するに至った。今日全国の菓業界の信仰を集めている。(漢國神社由緒略記より)

毎年、4月19日には菓祖神・林浄因の偉業を讃えるとともに菓業界の繁栄を祈願する「饅頭まつり」が執り行われ、全国からたくさんの饅頭が献上される。

林神社例大祭の饅頭祭りが午前11時から全国の菓子工業組合の関係者が集い境内で大祭が執り行われる。一般の方々も参列し見学することもでき、饅頭の引き換券を頂いた方は大祭後、紅白の饅頭を頂くことができる。

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<全国の菓子業界の業者が神前に自家製の銘菓を並べて供える。写真は午前9時に撮影のため菓子が載っていない供物台がある>

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<饅頭を頂くために引換券を求める方々(午前9時)>

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<午前10時になると神社から引換券が配布される>

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<1時間並んで頂いた貴重な饅頭引換券>

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<この日は、やすらぎの道沿いまで人があふれている。漢國神社の一の鳥居>

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<境内では神聖なる神事がとりおこなわれる(午前11〜)>

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<神事が終わると関係者には饅頭と抹茶がふるまわれる(午後0時ごろ>

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<神事が執り行われた林神社には、神事に関係する品々が祭られている>

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<神事が終わってから引き換券を頂いた方々は、順に紅白饅頭を頂く>

林浄因は南北朝時代に来日、当時の中国には、こねた小麦粉の中に肉などを入れて作る(マントウ)という食べ物があったという。(今の肉まんのようなもの)
浄因は仏前に供えるために、肉の代わりに小豆の煮詰めたものをいれた(マントウ)を作ったところ大評判になりこれが饅頭の始まりで(奈良饅頭)は将軍や天皇に献上するほどの人気を集めたという。

紅白饅頭は500個限定がふるまわれます。一度は並んでありがたい紅白饅頭を頂いてはいかがでしょうか。

(文:写真)  保存継承グループ・橋詰 輝己

posted by 奈良まほろばソムリエ at 22:06| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする