2017年05月17日

女性グループ(ソムリエンヌ)活動報告「万葉の植物ウォッチング・奈良公園〜白毫寺」

5月のソムリエンヌの活動は、万葉集に詠まれた植物を観察しながら奈良公園周辺のハイキングです。万葉集には約4500種の歌が収められていますが、そのうちの3分の1に花や植物が詠まれています。ゴールデンウィーク真只中の奈良公園は予想通り観光客で溢れていました。

【行程】
猿沢池―興福寺南円堂―興福寺本坊―江戸三―鷺池―志賀直哉旧居―新薬師寺―昼食「花」―白毫寺―飛鳥中学校前―ささやきの小径―飛火野―雪消の沢解散(歩行距離約10キロ)

20170517_01.jpg
【采女神社にて自己紹介】

5月3日、猿沢池前の采女神社前に集合です。案内は森林インストラクターとしても活躍されている木村洋子さんです。今年ソムリエンヌに入会された大谷さんも参加してくださいました。自己紹介を終えたあと三条通りから興福寺南円堂に通じる参道の階段を登り、南都八景の一つ、南円堂の藤や橘を見学した後、興福寺本坊へと向かいます。

20170517_02.jpg
【興福寺本坊付近にてマツの説明】

0141:磐白の浜松が枝を引き結び ま幸くあらばまた帰り見む
マツは種類が多く、クロマツ(オマツ)とアカマツ(メマツ)が代表的なもので、クロマツの松ぼっくりは成熟するのに2年半かかるそうですが、アカマツは1年半で成熟するとのこと。アカマツとクロマツの簡単な見分け方は樹皮の色を見るか、わかりにくい場合は松葉に触って鋭くて痛いのがクロマツ、柔らかいのがアカマツだそうです。マツはどこに行っても当たり前のように出会うので、このふたつの違いが判るだけでマツに愛着がわきました。

20170517_03.jpg
【江戸三の庭園にて】

人混みを逃れて奈良公園内にある江戸三から浮見堂のある鷺池へと移動します。終わりに近づいていましたが奈良の八重桜が咲いていました。花びらの数が多いのが特徴で、チアガールが持っているボンボンのよう。桜の花の塩漬けに使われるのが八重桜だそうです。奈良の九重桜と花の様子がよく似ていますが、萼(ガク)の数で見分けられるそうです。八重桜は5枚、九重桜は10枚。ちなみにエドヒガン桜(薄墨桜)はガクの下が壺型に丸くなっているのが特徴とか。桜は馴染みの深い花ですが、こんな豆知識を教えてもらいながらウォーキングは盛り上がります。

20170517_04.jpg
【土塀のテイカカズラ】

1046:岩綱のまた変若ちかへりあをによし 奈良の都をまたも見むかも
「岩綱」とはテイカカズラのことで、初夏に良い香りのする白い花を咲かせます。藤原定家が亡くなった後に植物となり、式子内親王の墓に巻きついたのが名前の由来という伝説があるそうです。

20170517_05.jpg
【鷺池の椎の木】

0142:家にあれば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る
歌のように葉に飯を盛ったなら、もっと大きな葉を想像するのですが、椎の葉は長さ8〜9cm、幅4〜5cmです。飛鳥時代、有間皇子が旅の途中に心情を詠んだのでしょう。椎の木の果実はいわゆるドングリですが、このドングリは食べられるそうです。アクが強く食べられないのはコナラやクヌギのドングリで、椎の木のドングリは皮を剥いて生でもOK。フライパンで炒っても美味しいそうです。ちなみに奈良公園から春日山遊歩道にかけてドングリのなる木が10種類以上も確認されているそうです。

20170517_06.jpg
【志賀直哉旧居近くにて】

ハウチワカエデ。葉の形が団扇に似ているのが名前の由来です。

20170517_07.jpg
【高畑、小道で小休憩】

柚子味噌田楽の美味しいお店で休憩です。ご年配のお母さんがおられて、とても親切。お話し好きな方で気持ちを和ませてくれます。

20170517_08.jpg
【モッコウバラ】

見事なモッコウバラに思わず立ち止まります。このバラは八重咲きのトゲのないバラで江戸時代に中国から入って来たようですが、秋篠宮真子様のお印に決められてから有名になったそうです。育てやすいバラなので、家の庭先などでよく見かけます。

20170517_09.jpg
【オドリコソウ】

笠をかぶった踊り子が輪になって踊っているように見えることから名付けられた可憐な花です。道中、珍しい草花や樹木に時おり足を止めながら、新薬師寺から南東へ、能登川の小さな橋を渡って昼食場所の「花」に向かいます。

20170517_10.jpg
【野菜と雑穀、糀の店、花にて記念撮影】

人気メニューの花盆ランチは月替わりで料理のテーマが変わるそうです。酵素補給でモヤモヤした体をスッキリさせてくれる健康ランチを頂きました。彩りもきれいで楽しい食事タイムでした。さて、食事を終えウォーキングの再開です。白毫寺の東、寺山霊園祖霊堂から飛鳥中学校前までの静かな里の道を歩きます。

20170517_11.jpg
【ニガイチゴ】

別名山帰来(サンキライ)は茎には鋭いトゲがあり、猿の体に引っかかり嫌うためこのような名前が付いたそうですが、この若葉で柏餅のカシワの代わりに用いる地域もあるそうです。

20170517_12.jpg
【イラクサ・カワラフジ】

3855:かわらふじに延ひおほとれる屎葛 絶ゆることなく宮仕へせむ
かわらふじはジャケツイバラの事だろうと言われています。茎にトゲのある植物ですが、そのかわらふじにまとい付いて延びるヘクソカズラのように、したたかに絶える事無く宮仕えをしようという意味。これは現代にも通用する歌ですね。

20170517_13.jpg
【ウツギ・空木】

枝を折ってみると中が空洞になっています。名前の由来がわかると難しい植物の名前も覚えやすいです。

20170517_14.jpg
【マルミノヤマゴボウ】

ヤマゴボウといえば食べられそうですが、マルミノヤマゴボウは根の部分に毒性があります。山菜として売られているヤマゴボウはアザミの仲間だそうです。ゴボウといえど色々種類があることに驚きでした。高畑まで戻って来たところで、ささやきの小径(下の禰宜道)と呼ばれる馬酔木の原生林のトンネルを抜けて鹿園を目指します。途中鬱蒼とした森の中を歩き、小さな沢をいくつか渡ります。本当にこんな道で大丈夫?と不安になったところで急に視界がパッと開けた場所にたどり着きました。

20170517_15.jpg
【飛火野】

20170517_16.jpg
【飛火野のフジ】

0330:藤波の花は盛りになりにけり 奈良の都を思ほすや君
かつて春日大社の切り畑があった場所に到着です。ここは奈良公園でも観光客とは無縁の穴場中の穴場です。見事な藤が見頃を迎えていました。藤はノダフジとヤマフジ(フジ)の2種類のみで、山にあるからヤマフジ、藤棚にあるからフジというわけではないそうです。一般的にフジと呼ばれるのはノダフジのこと。ノダフジの花が長く垂れ下がるのに対して、ヤマフジの花は短めでコロンとした感じです。またツルの巻く向きも違っており、真上から見るとノダフジは右巻き、ヤマフジは左巻きだそうです。顔を近づけるとほのかに甘い香りがしました。藤に別れを告げ、鹿園を経て解散場所の雪消の沢へと向かいます。

20170517_17.jpg
【雪消の沢古跡】

本日のウォーキングも無事終了です。充実した春の一日を過ごすことができました。普段なにげなく見ている草花の名前や特徴を知ることで、これからの散策が何倍も楽しくなりそうです。木村さんありがとうございました。


文 女性グループ(ソムリエンヌ)道崎美幸
写真 道崎美幸・寺田麻美
posted by 奈良まほろばソムリエ at 21:48| Comment(0) | 女性G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

現地勉強会「目から鱗の古建築」(啓発G、歴史探訪G共催)

啓発グループ、歴史探訪グループが共催する現地勉強会「目から鱗の古建築」が5月7日、東大寺、春日大社、興福寺などを巡回するコースで開かれました。長年、講演会講師や社寺ガイドに取り組まれてきた京都産業大上席研究員の中江好喜さんが講師を務め、奈良まほろばソムリエの会の29人、一般から2人の計31人が社寺建築を見る際の”ツボ”に耳を傾けました。

昨年10月〜12月に3回にわたって啓発グループが中江さんを講師に古建築の基礎を学ぶ勉強会を開催。しかし座学では分かりづらい面もあり、手近にある世界遺産の建築を見ることで理解を深めようと両グループの初のコラボ企画となりました。

当日はゴールデンウィーク最終日で青空が広がる好天。午後1時すぎ、外国人を含め多くの観光客でにぎわう東大寺から講習がスタートし、手向山八幡宮、春日大社、興福寺の順に巡りました。

中江さんは東大寺の南大門(国宝)の前で「これが大仏様、別名天竺様の門です。全国的に数が少ない」と話し、天井板を張らない腰屋根構造、高さ25b余りで重量のある屋根を支える六手先の挿肘木が特徴と指摘。「重源さんが中国から導入し、建てられて七百年もっている。ニューヨークなどの高層ビルではとても無理」と中江さん。

20170513_1.jpg
<東大寺の南大門前で大仏様の特徴を説明する中江さん(左奥)>

すぐ北の中門(ちゅうもん、重文)前では「これは入母屋式で本瓦葺き、五間三戸の和様の楼門。尾垂木の断面は長方形で、唐様、別名禅宗様の五角形と異なる」と、中江さんは配布した資料の「和様・大仏様・禅宗様の比較」を示しながら解説しました。

20170513_2.jpg
<東大寺中門前は鮮やかな新緑。青空の下、開かれた古建築の現地勉強会>

続く手向山八幡宮の鳥居では笠木、貫、木鼻などパーツの名称を説明した後、柱の形に触れました。「これは下に向かって角度が開いているので明神(みょうじん)鳥居。真っすぐなのは神明(しんめい)鳥居です」。同八幡宮の和様の楼門(県指定文化財)では左右の屋根に付けられたハトの像について「八幡宮の神の使いとされています。日吉大社ではサル、平野神社ではリス、もちろん春日大社はシカですよね」と中江さん。

参加者は春日大社に続く新緑の木立の中の道でさわやかな風をほおに受け、若草山のふもとではシカの群れをよけながら歩を進めました。中江さんも雑談で「今年2月で75歳になり、後期高齢者ですわ」と言いながらも、登りの階段でも歩くスピードは鈍ることもなく元気いっぱい。春日大社では本殿への入口建物について「上部にある唐破風の下に付けられたものを兎毛通と言います。後ろの柱を隠す懸魚の一種です」と中江さん。参加者の中には各建物で次々に登場する専門用語に、つい「なかなか覚えきれへんなぁ」。

最後に訪れた興福寺で中江さんは五重塔、三重塔(ともに国宝)のそれぞれ前で解説。「一階の組物は五重塔で三手先、三重塔では一手先になっている。塔の規模の違いもあるが、三重塔は軸部(左右の幅)が大きいので一手先が可能になっています」などと述べました。

20170513_3.jpg
<興福寺の五重塔前で1階軒下組物の三手先などについて語る中江さん(中央奥)>

20170513_4.jpg
<現地勉強会の参加者の目を楽しませた興福寺南円堂前で咲き誇るフジ>

20170513_5.jpg
<興福寺三重塔前から近くの南円堂の垂木に関する中江さん(中央)の説明に耳を傾ける参加者たち>

移動時間を含め3時間余りにわたった現地勉強会。最後の解説場所の北円堂(国宝)近くで中江さんは「きょう話させてもらったことを、今後、皆さんが社寺を訪ねられる時の参考にしていただければ。資料の読み返しもお忘れなく」と締めくくりました。企画した啓発グループの大山恵功理事、歴史探訪グループの大村隆清理事は「やはり現物を目にして話を聞くと違いますね」と声をそろえていました。

今回の現地勉強会「目から鱗の古建築」。応募者が多く、追加で第2回が6月11日、第3回が7月2日に中江さんを講師に第1回と同じコースで開かれます。定員に達している日もあり、問い合わせ・申し込みは大村理事omukun@mopera.netまで。

文  啓発グループ・保存継承グループ 久門たつお
写真 専務理事 鉄田憲男
posted by 奈良まほろばソムリエ at 11:31| Comment(0) | 啓発G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

保存継承グループ「大峯山戸開式」見学記

平成29年5月2日〜3日にかけて天川村の山上ヶ岳頂上にある大峯山寺(世界遺産登録名:大峰山寺)に、松田度(大淀町教育委員会)氏と当グループの鈴木英一氏、私亀田の合計3名で、山開きにあたる「大峯山戸開式」を見学してきました。
この3名は平成26年12月21日の当会主催の納会における研究発表(大峯奥駈道を歩くがテーマ)と講演会(大峯奥駈の歴史と現状がテーマ:松田氏)のメンバーです。
3人が会ったときに「大峯山戸開式」を見学しておかないと大峯奥駈道を語る資格はないと意見が一致し、今年さっそく実行しました。


@平成29年5月2日(火)の行程

午前中に桜が満開の天川村洞川(標高約800m)に入り、女人結界門から登山開始。

20170507_1.jpg
(登山口への標識)

20170507_2.jpg
(清浄大橋そばのいかめしい女人結界門)

途中、平成26年9月に奥駈けをした時に果たせなかった表行場「鐘掛岩」を近くにおられた大先達の方の助言に基づき無事通過でき、リベンジが果たせました。

20170507_3.jpg
(鐘掛岩(かねかけいわ)標高1620m :下方が私)

午後3時過ぎに山上ヶ岳山頂(標高1719m)にある「大峯山寺」に到着。
さすがに戸開前の大峯山寺の前はひっそりしています。

20170507_4.jpg
(門柱と8役講の提灯)

20170507_5.jpg
(ひっそりとした大峯山寺本堂)

この日は、龍泉寺宿坊で1泊し翌朝未明の「戸開式」に備えます。宿坊は満室です。

20170507_6.jpg
(宿坊の精進料理の夕食)


A平成29年5月3日(水)の戸開式ハイライト

起床:
午前2時宿坊は講の信者達がもう起きだして、ざわついています。私たちも起床して、大峯山寺に出かける用意にかかりました。

戸開式:
戸開式には大峯山の護寺院(龍泉寺・竹林院・桜本坊・喜蔵院・東南院)と信者の代表としての8役講に洞川区及び吉野山の代表者並びに信徒総代が参列し、山伏装束や羽織袴の正装で多数の信者の見守る中伝統の儀式が開始されます。
午前3時に本堂そばの事務所で大峯山寺の当番寺院住職から、一尺余りの3つの入口の鍵が年番役講の代表者へ渡され、鍵を受け取った信者達は一旦参篭所に戻り、人馬を組んで鍵持ちを乗せ、松明を手にワッショイワッショイの掛け声とともに本堂前の急坂をかけ登ってきます。
午前3時30分から3つの入口の当番の護寺院住職も自坊参篭所から同様に人馬に乗って境内に到着すると、人馬が練りまわり鍵を奪い合う各役講の人馬が入り混じって最高潮に達します。

20170507_7.jpg

20170507_8.jpg
(練り歩く各講の人馬で熱気が最高潮に達する)

本堂の扉が開かれると、信者たちが堂内になだれ込み、御本尊(蔵王権現像)及び役行者尊の前で般若心経を唱え、信仰の法悦に浸ります。

20170507_9.jpg
(開かれた正面入口から信者がなだれ込む)

私たちも少し遅れて堂内に入り、戸開式と戸閉式の儀式の間のみ特別御開帳の「秘仏 秘密行者尊」(役行者像と前鬼・後鬼像)を、般若心経の大合唱の中で拝観し、厳粛かつ熱気のある独特の雰囲気を存分に味わう、貴重な体験をさせていただきました。
<残念ですが当然、堂内の場面の写真は不可ですので悪しからず>

その後本堂わきの護摩道場で大護摩供が厳修され、国家安寧・五穀豊穣・世界平和の祈願がされる頃、夜明けを迎えました。お山は9月23日の戸閉式までにぎわいます。

20170507_a.jpg
(いつ見ても神々しい夜明け)

文・写真  保存継承グループ 亀田幸英
posted by 奈良まほろばソムリエ at 02:00| Comment(0) | 保存G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月06日

歴史探訪グループ例会「春爛漫の生駒山麓を訪ねて」

4月9日(日)、直前まで降り続いていた雨が、スタートの9時40分には止み、29人の心がけのいい人たちが近鉄「一分駅」をスタート。まずは「往馬(いこま)大社」を目指します。

20170506_1.jpg
<一分駅での説明>

満開の桜を眺めながら、10分足らずで到着。石段を上り本殿にお参りしていると神職の方が観音堂を開けてくださり、社伝で運慶作と伝わる「十一面観音像」と「生駒曼荼羅」を拝観できました。

20170506_2.jpg
<往馬大社観音堂>

北に向かい、行基の墓がある「竹林寺」へ、本堂でお寺を守る女性の案内で文殊菩薩などを見せていただきました。

20170506_3.jpg
<竹林寺の入口>

20170506_4.jpg
<行基墓>

少し歩いて「円福寺」へ、鎌倉時代の宝篋印塔2基と本堂が重要文化財に指定されており、ここでも本堂の扉を開けていただき。ご本尊の塑像「阿弥陀如来像」を拝しました。

20170506_5.jpg
<円福寺本堂>

20170506_6.jpg
<円福寺篋印塔>

住宅地を抜けて「往生院」へ。ここは行基が火葬されたといわれ、無住の境内には県内最古の銘がある宝篋印塔や行基の墓塔と言われる五輪塔があります。

20170506_7.jpg
<往生院本堂>

桜が満開の住宅地内の公園で昼食。

20170506_8.jpg
<桜と生駒山をバックに集合写真>

その後「美努岡萬墓」(みののおかまろのはか)を経て、「宝幢寺」(ほうどうじ)で重文の本堂を見学。なだらかなウォークもここまで。

20170506_9.jpg
<宝幢寺本堂>

ここからは沢沿いの道を上り「千光寺」を目指します。山門直前の心臓破りの急坂を上りきりようやく千光寺到着。役小角が大峰山に入る前に修行し「元山上」と言われる境内には、法螺貝が響いていました。

20170506_a.jpg
<千光寺の役小角像>

千光寺からの帰りは清滝石仏群を見ながら歩きやすい道を快調に下り、住宅地に入ってゴールも近い、と思った目の前に「生駒山口神社」の階段が立ちはだかります。みんなで最後の気力を振り絞って登り参拝しました。

20170506_b.jpg
<清滝石仏>

最後に元山上口駅周辺の椣原(しではら)の勧請綱・金勝寺に立ち寄った後、駅に戻り解散。行基の足跡にたっぷり触れた一日でした。

20170506_c.jpg
<元山上口駅前の碑>

20170506_d.jpg
<椣原の勧請綱>
posted by 奈良まほろばソムリエ at 10:06| Comment(0) | 探訪G | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月22日

キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策

今回の飛鳥地域散策のテーマは、「キトラ・マルコ・高松塚の飛鳥三兄弟古墳を散策〜四神の館と飛鳥の奥津城巡り〜」です。
三兄弟古墳を中心に、飛鳥地域の古墳時代・終末期古墳(7世紀前半)を案内するコースです。3つの終末期古墳の構造上特徴や立地について風水思想の影響、藤原京南西部エリアに広がる聖なるゾーン(陵墓地域)の説明がガイドポイントでした。

<行程>
近鉄飛鳥駅から明日香村東部の高松塚古墳・キトラ古墳を巡り、壺阪山駅から近鉄線を西へ越えて高取町の束明神古墳を巡り、マルコ山古墳ほか明日香村西部の古墳をたずねて、飛鳥駅に帰ってくる周回コースです。
近鉄飛鳥駅→高松塚古墳→檜隈寺跡→キトラ古墳→四神の館(昼食休憩)→(壺阪山駅)→岡宮天皇真弓丘陵→束明神古墳→マルコ山古墳→牽牛子塚古墳→岩屋山古墳→近鉄飛鳥駅 全行程約10kmで途中登り坂が多い健脚向きコースです。

4月16日(日)朝から晴天に恵まれウオーキング日和です。桜の満開は過ぎましたが、まだ花が残り春の香りが広がっています。距離が長い健脚向きコースで、最高気温25度の天気予報でしたが、67名もの皆さんにご参加をいただきました。
9時40分集合でしたが、近鉄吉野線の本数が少なく待ち時間が長くなるので、早く集まられた方から先に少人数のグループを組んで出発しました。

20170422_1.jpg
<近鉄飛鳥駅から高松塚古墳へ>

まず「高松塚古墳」です。1972年から始まった調査で、石室内部から鮮やかに彩色された壁画が発見され、日本中に考古学ブームを巻き起こしました。これを契機として、「終末期古墳」が認識され始めました。今回の終末期三兄弟古墳の最初の古墳です。
壁画館には入らずに先を急ぎます。
 
20170422_2_1.jpg
<高松塚古墳 1>

20170422_2_2.jpg
<高松塚古墳 2>

檜隈寺跡前休憩案内所を経由して、「於美阿志神社・檜隈寺跡」です。於美阿志神社(延喜式内社)は渡来人集団・東漢(やまとのあや)氏の氏寺だった檜隈寺(ひのくまでら)の跡地に位置しています。1979年からの発掘調査によって、金堂・講堂とその基壇・塔・門・回廊・仏堂などが確認されました。

20170422_3.jpg
<於美阿志神社・檜隈寺跡>

「キトラ古墳」は、終末期三兄弟古墳の2つ目の古墳です。高松塚古墳の発見を契機に、1983年ファイバースコープを使用した調査で壁画が確認されました。四神などの壁画のほかに、天井に描かれた天文図は、現存する世界最古の精緻なものと評価されています。

20170422_4.jpg
<キトラ古墳>

「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」は、昨年9月に開館したキトラ古墳の壁画や出土品を保存管理・展示する施設です。周辺は国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区として整備され、休憩設備や芝生、ベンチがあるので、ここで昼食休憩をとりました。

20170422_5.jpg
<キトラ古墳壁画体験館 四神の館前>

昼食休憩の後はあまりなじみのない行程をたどります。壺阪山駅に向かい駅南の陸橋をわたって西側へ、高取町役場の前を通って、途中「森カシ谷遺跡」を遠望しながら、飛鳥の王宮と紀ノ川河口とを結んだ「紀路」に入ります。「岡宮天皇陵」の前を通って、束明神古墳へ。岡宮天皇陵は宮内庁が草壁皇子の墓として管理する陵墓で、草壁皇子は、持統3(689)年に没し、天平宝字2(758)年に岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすらみこと)と諡号を贈られました。

20170422_6_1.jpg
<壺阪山駅南の陸橋を渡る 1>

20170422_6_2.jpg
<壺阪山駅南の陸橋を渡る 2>

20170422_7.jpg
<森カシ遺跡を望む>

20170422_8.jpg
<岡宮天皇真弓丘陵>

しばらく上りが続く難所の行程に向かいます。丘陵の途中にある佐田集落の中を抜けて、一番奥にある春日神社への百段ほどの階段を上ります。「束明神古墳」は、春日神社境内に残る終末期古墳で、八角形墳と推定され、真の草壁皇子陵とする専門家が多いです。
 
20170422_9_1.jpg
<春日神社・束明神古墳 1>

20170422_9_2.jpg
<春日神社・束明神古墳 2>

20170422_a.jpg
<佐田集落>

束明神古墳の後、丘陵沿いの山道を通って明日香村にもどり、三兄弟古墳の最後、六角形墳の「マルコ山古墳」に向かいます。高松塚古墳のような壁画が描かれた古墳は他にもないのかということで、1978年に調査されましたが、壁面に漆喰は塗られていたものの壁画はありませんでした。墳丘上に登れ、トイレも設置されています。

20170422_b_1.jpg
<マルコ山古墳への道 1>

20170422_b_2.jpg
<マルコ山古墳への道 2>

20170422_c.jpg
<マルコ山古墳>

さらに丘陵沿いの山道を、途中にある「真弓鑵子塚古墳」を遠望しながら、「牽牛子塚古墳」に向かいます。牽牛子とはアサガオの別称で、以前は「あさがおづかこふん」とか「御前塚」と呼ばれていました。牽牛子塚古墳は版築により造成された八角形墳で、斉明天皇の墓の可能性が高いといわれます。ただし、宮内庁は、高取町大字車木に所在する車木ケンノウ古墳を、斎明天皇の越智崗上陵 (おちのおかのえのみささぎ)として管理しています。
隣接する「越塚御門古墳」の被葬者は、大田皇女(斉明天皇の孫、中大兄皇子の長女)が有力です。

20170422_d_1.jpg 
<牽牛子塚古墳への道 1>

20170422_d_2.jpg
<牽牛子塚古墳への道 2>

20170422_e.jpg
<牽牛子塚古墳>

今回の行程の最後となる岩屋山古墳は終末期の方形墳です。精緻な花崗岩の切石を積んで構成されている「岩屋山式」と呼ばれる横穴式石室で有名です。墳丘の上には一本桜が咲いていました。

20170422_f.jpg
<岩屋山古墳>

天気予報通り最高気温25度の夏日になりましたが、参加者の皆さんは健脚揃いで一人の脱落者もなく、全員飛鳥駅まで無事戻ってこられました。

お客様のアンケートでは、9割の方から満足という評価をいただきました。距離の点でもちょうど良いというご意見が9割を占めました。
個別には「ガイドの説明が詳しくわかりやすかった。古墳のことがよくわかった。一人では行きにくい駅西側の古墳を廻れてよかった。」などのご意見をいただきました。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。

記 石田一雄

posted by 奈良まほろばソムリエ at 14:53| Comment(0) | ガイドG | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする